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1-1【リズ・ベルモットの事情】



 それは息すら飲み込まれてしまいそうなほど激しい口づけだった。


 最初はただ探るように触れ合うだけだったのに、徐々に舌が口内へ差し込まれて容赦なく深くなっていく。舐められ、吸い上げられて二人の混ざり合った唾液が口の端から零れた時、リズは薄っすらと瞼を開いて相手を見た。


 仮面の奥に見えるプラチナブルーの瞳はリズのふやけた目を映していて、その燃えるような強い視線により下腹部は熱く唸る。

 ただ流されているわけではない、リズは男の首に手を回し、踵を浮かせて積極的に応えていた。経験がないのにやり方が分かるのは本能が教えてくれるからか。男の舌受け入れては同じように舌を突き出すようにして男の口内に潜り込み、たまに意地悪く逃げまどい、たまに仕返しとばかりに追いかける。


 こんなに体が疼くなんて、とリズは自分の中に眠っていた欲に驚いた。同時にこの世にはこんなにも気持ちよいことがあったのか、とも。


 頭がクラクラするのはお酒を飲んだ所為だろうか。


「・・・こちらへ」


 男は低い声で言うとリズの腰を掴み、さらに人目に付かない暗がりへと誘導する。口づけが深すぎてリズの足元がおぼつかなくなってきたため、彼女を壁際に寄せて背をもたれさせるためだ。リズは少々乱暴に背中を壁に打ち付けてしまったが、体が安定して更に深く体を密着させることになり、感情が高まれば痛みなど全く感じなかった。足を絡めて太腿を擦りつけるようにして「もっと、もっと」と強請る。


 しかしこれほど激しく睦み合っていながら、リズは相手の名前も年齢も、顔すらも知らなかった。


 切っ掛けはチャリティーの仮面パーティー。顔の上半分を隠した独特な雰囲気に飲み込まれてしまいそうだったリズはお酒を飲んで緊張を誤魔化そうとした。しかし誤魔化すどころか自分の足がふらつく羽目になり、酔いを醒ますために庭に出たのが始まりだ。


 ふらついて転びそうになったリズの腕をとっさに掴んだ金髪の男に、恥ずかしく思いながらもお礼を言うために顔を上げたリズは開きかけた口をそのままに固まった。仮面をつけていても分かる整った容姿。しゅっとした輪郭は凛々しく薄目の唇は理知的で、整った鼻筋はまるで巷で賞賛されている彫刻の像のように完璧だ。

 美麗な顔立ちも素晴らしいが、何よりリズを感嘆させたのはその仮面の奥にある瞳の色だった。海よりも淡く、空よりも濃いプラチナブルー。色素の薄い金髪と灰色がかった青がよく似合っていて美しい容姿を更に魅力的なものにしている。


 一目見た瞬間に感じた煮えたぎるような激情に、気がついた時には無我夢中で男にしがみつきながらぐちゃぐちゃになるほど口づけ合っていた。もう体の求める欲望そのままに、全てを拐ってほしい。


 異性と付き合ったことのないリズは、名前も知らない男に全てを捧げようとしている自分のいやらしさを恥じながらも、身を焦がすほど甘美な快楽に深く溺れていくばかり。


 この甘さに逆らうなんてできない。


 夢中になりすぎてどれくらいの間そうしていたかはわからなかった。男の手が腰のくびれを這うように撫で、とうとうその手が太腿に降りてきたとき。


「陛下ー!」


 少し離れた場所から聞こえてきた男の声にビクリと大きく震えるリズ。唇が離れる。


「陛下!よかった、こんなところに―――」


 近寄ってきた男はリズに気付いて足を止める。と当時に、リズは陛下と呼ばれた男を突き飛ばして早歩きで逃げるように去った。途中で落ちていた小ぶりなバッグを拾い、代わりに着けていた仮面を剥ぎ取るように投げ捨てて。


 目に浮かんだ涙は手首で乱暴に拭った。酔いは醒めてさっきまでふらついていたとは思えないほどしっかりとした足取りでパーティーの会場を後にする。


 (―――最悪だ)


 だって思いもしなかったのだ。まさか夢中で口づけ合っていた男が、自分の両親を殺した(かたき)だったなんて。
















 リズ、リズ、とだんだん近づいてくる声に重い瞼を上げる。一階から「ご飯よ」と養母が呼ぶ声がして、リズはダラリと伸びた黒髪をかきあげて体を起こした。気怠そうな目で外を見ればずいぶん明るく、寝坊してしまったことに気付いてため息を吐く。


 目を擦りながら階下へ行くと途端にパンのいい香りが鼻を掠めた。一番奥の席には養父のフレッドがパジャマ姿で瓶詰めの牛乳片手に新聞を読み、養母のイルダがフライパンから卵を皿に移している。


「今日はずいぶんお寝坊さんね。昨日はパーティーだったんでしょう?楽しかった?」

「・・・はい」


 消え入りそうな声で返事をするリズに、皿を並べ始めたイルダは彼女の顔を見てぎょっとする。


「どうしたのその目」

「え?」

「ずいぶん腫れてるじゃない。何かあったの?」

「・・・いいえ」


 リズは自分の目を触るとヒリヒリする感触があって昨夜泣いたせいだと気づいた。一晩中泣き続ければ無理もない。

 本当のことを話せるはずもなく、リズはパンをひとつ手に取って千切りながら答えた。


「昨夜は・・・夜更かしをしてしまって・・・」


 ぼそぼそとした頼りのない言い訳もイルダは疑うことなく笑顔を浮かべながら食事をするために着席する。


「へえ、よほど楽しかったんだねえ」

「ええ・・・とても」


 なんてことのない嘘。しかしリズはズキリと心臓が鷲掴みにされたような痛みを覚えて俯く。よりにもよってなんで相手があの男だったのか。―――あの男、オストール王国国王ゼフィールだったのか。


 ゼフィールはリズとは血縁であり従弟にあたる。ゼフィールの父、先代国王はリズの父の弟だった。本来の順番であるならばリズの父が正当な王位継承者だが、先代国王の父、先々代の国王は何故かリズの父を即位させず貴族へ婿として送り出したらしい。


 リズの父は次期国王として生まれ育てられたのに即位できなかった恨みを抱え続け、とうとう先代国王であるゼフィールの父が崩御したのち、一気に自分が政権を掌握してしまった。

 当然、先代国王が次の王に選んだのはゼフィール、リズの父ではない。王位継承の順位を無視した行為に政局は荒れ、不安定な政治は治安を悪化させて国民は貧しい生活を強いられることになる。今振り返ってみても、お世辞にもよい時代だとは言えない。


 そしてそんな時代は突然終わりを告げた。ゼフィールの蜂起によってリズの父が討たれ、本来の継承者である彼が王座を取り戻したのだ。ゼフィールは国内に混乱をもたらしたとして、ハーバートの妻であるリズの母や支援していた側近たちの首を取った。処罰の対象はリズも例外ではなく、フリーデン家の資産は全て奪われ名前を剥奪されて、リズは帰る家も名乗る名前も失ってしまった。世間ではリズの母と共に処刑されたことになっており、リズがそれまでに生きていた形跡は全て消え去っている。


 以後は多少のいざこざはあれど比較的に穏やかな治世が続き、国も安定して力を伸ばしつつあった。


 この内政の混乱は誰もがリズの父、ハーバート・フリーデンが悪いと言うかもしれないが、リズにとっては普通の優しい父親だった。同じく討たれた母も普通の優しい母親だった。

 リズにはあまりにも悲しい出来事で、世界中の誰もが両親の死を悼んでくれなくても、自分だけは彼らを想い死後の安寧を祈ろうと決意したのはまだ5年前のこと。


 そして名前を奪われて財を奪われたリズは着の身着のまま知り合いを訪ね続け、知り合いの知り合いのそのまた知り合いの・・・ここベルモット家に住まわせてもらうことができたのだった。


 命を奪われなかっただけ有難いと思わなくてはならないかもしれない。しかしリズにとってはゼフィールは愛する両親を殺した憎い敵には違いない。

 その相手に口づけて快感に身も心も奪われてしまったなんて、両親に対して申し訳なくて申し訳なくて、後悔のあまり意識を失うように眠るまで涙が枯れることはなかった。


「ただいま」


 パタン、と扉を閉じる音と共に現れたのは20代の青年。ベルモット家の長男、クリフだ。


 おかえり、と席についてさっそく朝食にありつくクリフにイルダは目尻の皺を深める。フレッドは新聞から目を離してクリフの方を向いた。


「今朝の品揃えはどうだった?」

「まあまあかな。でもやっぱり今後の流行は西側だなあ」


 西か、と苦々しげに繰り返すフレッド。


「くそっ、エヴァン商会に先を越されたか」

「地の利は向こうにあるからね」

「それを見越して流行を西側へ誘導させたのか・・・」

「数年前僕たちがやった手法と全く同じだよね」

「くそーっ!」


 まあまあ、とイルダは穏やかに笑う。


「いいじゃないか、うちの商品が売れなくなったわけでもなし、地の利が無くてもなんとかなるさ。それで駄目なら別の方法を考えればいいんだから」

「とは言ってもなあ」

「重い腰を上げる時かもよ?」


 会話に混ざれないリズは俯いて黙々と目の前に置かれた料理を消費していく。ベルモット家は城下に拠点を構える国内有数の商家だ。茶色の髪と目に人畜無害そうな容姿は一目見て血の繋がりを感じさせる。

 一方でリズは黒髪に緑色の瞳、顔立ちは全く似ていない。まるでアヒルの群れに鴨を一匹だけ放り込んだような違和感は5年経っても拭えなかった。


 ベルモット家の人々は優しい、だけどやはり家族ではない。人見知りする性格もあってこの賑やかな家族の中でリズの存在は浮いていた。


「リズは?今日は外へ出るのかい?」


 突然話題を振られたリズは動かしていた手をピタリと止め、視線は動かさずに小さく頷いた。


「はい・・・オズモンドさんのところに」

「そう。気を付けてね」

「はい」


 再び小さく頷いて食事を再開する。


 生きているだけで幸運だ。だけど何か夢や情熱があるわけじゃない、ただ時間を消費していくだけの日々。詰まらないわけではないけれど心を躍らせるなにかがあるわけでもない。


 やはりこれも贅沢な悩みなのだろうかと、リズは心の中でため息を吐きながら食べ進めた。




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