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⑶『イズムについての、一考察』
⑶『イズムについての、一考察』
㈠
消え入りそうな、心もとないイズムも、空虚を脱すれば、確かな現象として機能する訳だ。それを拒む理由などないが、それでも、自然現象として、数回でイズムは成立するし、そこに認証とされる定位が立脚するだろうと思われる。それは、前段階よりも、しっかりしたものだ。
㈡
人生を踏みしめて、自分の足で歩いていくことは、遠ければ遠い程、充実感を齎す。苦難が訪れても、それを跳ね除けるだけの勇気の力量が備わっていれば、それこそが、イズムとして機能するという意味なのである。何かに狂っているのではなく、イズムに則って動いているという事だと言える。
㈢
簡潔明瞭なイズムは、もしかすると、何の役にも立たないのかもしれない。勿論、多少の役には立つ。しかし、粘土で出来た、少し捻ったイズムのほうが、物事を透視するというものだ。確証を導き出したいならば、やはり、生きる上で、重厚なイズムが、人生を支えるだろうと思考できるだろう。