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⑽『イズムについての、一考察』
⑽『イズムについての、一考察』
㈠
感覚的感性に物を云わせて、所謂不確かな概念に遡及する時、イズムは後方からやってきて、物事は簡単に収斂される。光の点滅や、闇の中の光の様に、そう言った、不可視かな概念の観念性は、イズムを超越するのである。顧みることすら不可能な、不時着を決定させる。
㈡
例えば雷雨の日に、何故か確信を得たいとする、無意味な願望が表出することがあるが、これは、天候に置いて、雷雨が珍しく、晴れの日が多々あることから、逆矛盾して発生する、イズムの願望に酷似している。人間は無いものを望むが、臨んだものは、有る物であることが多層的である。
㈢
完璧なイズムが存在し得ない様に、跡形もないイズムも存在し得ない。残存した、形すら彩られない様なイズムにも、その人が生きた証というものが垣間見えるものだ。イズムは一つの人生そのものだと、断言することも可能だろう。イズムは、そうして、全てが、埋葬されるのだ。