天氏と島
諏訪家と言うのがある、それがどうもタケミナカタの系統じゃないように歴史は伝わっている。だがこの系統の金刺氏と言うのが皇族だというらしい。公式には皇族となってるが、多分違う。それは金刺氏の末裔でC2Cが出ていて、天皇家はおおらくD1b1aだから。じゃ仮冒ってやつか?なら男系ならそうなる。
だがいろいろ話を見て行くと、天皇家と女系繋がりで繋がってるというのがある。ただ古い血脈ではない。天孫の先祖ではない。古代の豪族はかなり女系で繋がった系統を無理矢理皇族だとしてるケースが多分無茶苦茶ある。インチキくさいか?と言うとそうでもなくて、古代の女系系統の重視の時代の名残りもある。全くのインチキもある。本人が母系とか全く重視してないケース。
これが天孫の祖先つながりなら面白いのだけど、残念ながら、桓武天皇に百済の血が入ってるとかそういう話しになる。源氏もやたらと新羅を重視するのでそういった女系の血が入ったのじゃないかな?と思う部分がある。あれは宗教的な八幡信仰のせいだけど、そういうのもあるのかもしれない。
これを遺伝子を知らないと、すぐに源氏は朝鮮人だったとかつまらない話しになってしまうのだが、もちろんD1b1aが100%正しいわけじゃないが、下らない妄想論よりは何百倍もマシ。根本的につまらない右がかった話によって朝鮮の血の排除を頑張ろうとして、ナチスの頃のユダヤ人に対するものに似たものを感じる。本当に下らない。
蘇我などの葛城系も多分違うだろう。だがあれは何か?分からない。ただそうである場合もあると思う。それと言うのも、宗像などは多分、母系に出雲系の父系を入れた形だと見てる。これこそが母系重視の発想になるし、蘇我などもその可能性があるのは、葛城蘇我などが後の藤原氏の天皇の皇后を利用した政治のモデルケースだから。
その場合でも父系は藤原は違ったけど、これは藤原自身が天皇家の男子直系の神話を作ったので破れるわけが無いから。価値観が同じにならないといけないためだと見てる。建前としてだけど。他にもある古墳弥生と平安じゃ時代が違う。
母親天皇と同じ、娘を嫁にやってそこから次代の皇子が生まれたなどのケースが実際に登録されてる父系が違ってくるケースだと思う。だがそれが許されるのは天皇家にかなり貢献したケースだけで、それ以外は厳しく取り締まっている。天皇家自身が血によっての支配権が確立してる部分があるから。この辺りチンギスハンと似た部分がある。
さて今回諏訪家を取り上げたのは、タケミナカタの話しは以前したので、この本来皇族として登録されてる多氏について語りたい。他にもある。だから余計な話をした。天皇家は明らかに大陸系の血筋を感じる。だが実際は縄文系の父系である可能性が高い。これは母系が大陸系だと私は見てるんだ。じゃ母系繋がりで天皇家と親戚である血族はどこにいるのか?
それこそが天皇のルーツを探る上でとても重要だと見ている。天皇家のルーツとして父系のD1b1aはかなりどうでも良い。これを聞いたら右の人は酷く怒るだろう。だからこそそういう人と話したくないんだ。馬鹿馬鹿しいからD1b1aなんてただの田舎物だ。それが証拠に天皇家はD1bの民族を差別的に扱った。本人は日本古来の血統なんて全く誇ってない。そんなの田舎物の野蛮人としか見てない。
私は九州王朝説じゃないが、ちと刺激を受けた。天族というのが中々面白い。天皇家は九州王朝のアマが姓なのではないか?これはいけるとは思う。もちろん私は九州王朝の中枢と関わってるとは微塵も思ってない。だからこそ近畿に旅立ったんだ。神武自身が言ってるうだつのあがらない田舎物は嫌だってのが答えだと思う。
かなり昔に分かれた分家だと見てる。それは元々私はそうじゃないか?と見ている。それがなか川系と筑後川系、遠賀川系と言う3つの系統に分かれると書いた理由だ。全く可能性が無い事もありうる。どちらにしろ、天皇家は昔は九州博多に居たが、そこからどんな理由か分からないが、系統は違うのかもしれないが、物部などのように東に向かった一族だと見ている。
正直言うと宮崎に何故行ったのか?は良く分からない。大分か福岡の東海岸あたりまでは行っただけの気もしている。宮崎に向かったか?は確定じゃなくて良いし、逆に宮崎までいっていてもいい。大事なのは、博多から離れて遠賀川系になってしまったと見ている。
私は天皇家が縄文系だと言うのがそれほどおかしいと思わない。それを確信させたのが、九州王朝説だと思う。九州王朝説では無い。私はその辺りあの時期の命令系統は不可解だとしか言えない。ただ九州の王家の分家は前から考えていたので特に問題が無い。大事なのはその場所が九州王朝説は、沖ノ島や対馬などの島だとしてる点。
これは画期的だった。半島じゃない、島こそが出発点。以前からズット私は海人縄文人だと書いてきた。それに相応しい場所だと思うし、混血して出自が良く分からなくなるとしたら、多分半島と行き来していた集団だと見ていたから。
幾つも候補はある。そもそも何度も天皇家には影響力が高い母系が入り込んでいると見てる。一番目は半島の中国南部の稲作民族、2番目なのか?分からないが、呉越の直接の稲作漁労民。これに関しては、天皇家は姫姓だとあるが、姫姓はおそらくQ系である。だから話しにならないと見ている。
姫姓がQ系なのはかなり固いと思う。じゃ神話は出鱈目なのか?なら母系を含めた血族関係の可能性がある。だが父系直系ですべての氏族が繋がってるは完全な出鱈目その点は話しにならないから無視して良い。私は中国の神話は、それぞれの民族の代表が1つの集団になっていく過程の物語で、血族が分派した物語だとは思ってない。
ただし、全くの出鱈目じゃなくて、いくつかは中国を代表するM134に繋がる系統の分派があったとは見ている。姫姓がQ系だろうと見てるのは、直接墓から遺伝子が出てるのと、次に重要なのは、中国の初期の集団が、Dをそれほどふくまない西方のキョウ族集団と中部あたりにいたQ系の集団が合体して出来上がったという論文があるから。
それは黄帝と周王朝を繋げるものだと見ている。夏もおそらくあの辺りなので特に問題は無い。問題は殷になる。殷はそれらの集団に後から合流したと見ている。根拠は戦車になる。それらを得てから参加したとし無いと、中原にいきなり戦車が現れるのが不自然になる。北方の内モンゴル辺りの集団が戦車を得てから南下して北上した稲作民と山東省あたりで合流して、中原に参加したと見ている。
すべてが黄帝の子孫って神話は父系直系ではかなり馬鹿馬鹿しいので全くの空想だと見ている。ただ民族同士が混血していった象徴というならあの神話はかなり確度の高いものだと見ている。
天皇家が姫姓で天氏は周王朝の子孫だは父系直系では下らないホラ話としか見てない。ようするに呉から来たは真実程度に見ている。または母系繋がりで王族の子孫だと言うのはあるのかもしれない。そこが3番目のキーになる。半島から来た稲作民は江南直接組みとあまり遺伝的には変わらないので天皇家に繋がった母系の父系はO1B2でよい。
どういう意味か?と言うと、藤原家を想像してみれば分かる。藤原家は散々天皇家に娘を入れてるが、父系はO1B2としてきちんと残っている。歴史時代はそれによって藤原家=天皇家にはならないが、古代はそれがそうなってしまう部分がある。だから天皇家の近くに居る有力豪族のハプロってのはかなり重要だと見ている。
ただ物部氏は多分D1Bなので同じ土着系なのでイマイチ。母系はどーせ天皇家に近いだろうから。物部氏は大陸の血を天皇家に入れた血族集団としてはふさわしくない。
この諏訪家に繋がる多氏と言うのは中々面白い。この系統九州にも出雲にも深く関わってる。それゆえタケミナカタも多氏も同系じゃないのか?と見てる部分がある。スサノオ=多氏ではないと思うが、多氏とスサノオは出自が似てるのじゃないか?と見ている。スサノオは半島の金属加工集団じゃない。
ただ、必ずしも金属加工=同系じゃないと思う。たまたま違う事を生業にしていただけで、同系の新羅でも高句麗扶余の流れを汲む系統じゃないか?と見てる。そもそも新羅ってのはあとから出来た国で、その系統もかなりややこしい。王家が3氏族に入れ替わっている。その点シンプルな集団じゃない。
だからって辰韓って言うのも違う。辰韓地域って所だろう。そこに高句麗扶余の集団が居たのが分かっている。高句麗から一部集団が辰韓に進出して国という形じゃないが、居ついて金属加工をしていたという話が残っている。後に新羅がこれを取り込んだと言われている。多氏はこういった集団が日本に流れ着いたのじゃないか?と見ている。
それが金刺氏のC2Cと繋がる。後は出雲もこの手の金属加工の集団が渡来してきた話がたくさんあり。出雲にも多氏が居たんじゃないか?と思われる地名がある。オオとかオウとかつく地名がそれで、かつ、金属関係の土地柄だとよりその可能性が高い。それ天氏の島とはちとずれないか?となる。
天氏が何者か?は分からないが、まずは天氏の土台になった縄文海人が島の有力者だったと見ている。彼らが半島にも勢力を広げていたら接触する機会が多いだろう。天氏の元の系統は多氏なのではないだろうか?となる。ただ天氏は稲作集団か?金属集団か?が良く分からない。それとも天氏は混血した縄文集団から島で生まれたのか?
この辺り良く分からない。ただ日本には姓があったのか?だと天氏は独立して作ったより外からやってきたと考えるほうが自然だ。後、天孫降臨は後からくっついた可能性も高い。だが、問題は博多にこのルーツがあるため分家として分かれた天皇家が後から取り入れたものじゃない。
ただここで注意すべきは、博多は神器の副葬品が出ただけで、それが3種の神器を血統として伝えていくようなものとはちと違う。副葬品として天皇家の3種の神器はすでに博多で揃っていたとなる。だが2、3種に絞ったものも出ていて、直系の流れもありそうだと思わせる。それは天孫降臨神話もセットだった可能性がある。
それでも神話体系は後からくっついた可能性もが高い。イザナギ、天の岩戸などは、島からあったと思う。問題は天孫降臨神話になる。どこかへ移住したら北方の騎馬民族系はそれを天孫降臨とやるケースが多い。そこに山岳信仰が結びついてる。これはアルタイ山脈も関わってる可能性がある。金属加工となる。
奴国が実に厄介。天氏は初期の民族じゃない可能性がある。安曇氏と言われてるがそれだとおかしなのは天皇家と親戚だが、直系ではない。奴国の場所から安曇氏がその候補としてふさわしい。天氏はどういう係わり合いをしたのか?分からない。半島から遠賀川直接ならまた違っていた。
だが一端島で集団としてのアイデンティティを培ったのなら話が違う。安曇氏とあまりに近い。ここがとても難しい。博多の奥を押さえて、あえて糸島は素通りしたのか?なら金印は?あれは貰ったものじゃないとの話がある。何かの手続きに使っていた実用的な印鑑だった可能性があるとされてる。それなら一大卒がおかれた糸島近辺はその可能性がある。
安曇氏はおそらく直接ルートかまたは半島を回ってきたなら遼河江南混血集団だと思われる。じゃ呉の後継は安曇氏だけだったか?この辺りややこしい。それは倭国全体の民に聞いた質問だったと思う。C2Cの北方金属加工集団とはちと色が違う。
ただ天皇家や近畿集団は半島にあまり留まらずに一気に日本に来ている。不思議なのだが、半島より日本の方が多い。後に漢民族によって薄まったと見たが、それだと辻褄があわないのもある。例えば江南系は半島と日本大差が無い。漢民族で薄まったならここも薄くなるはずだ。むしろ半島の方が高く出る江南系統もある。
考えれば分かるが、半島から来た場合半島の方が高く出て、日本が低くなるけいこうがある。または同等。それは漢民族による血の薄まりだけが原因じゃない。そこから一気に来て半島にはあまり残らなかった仮説が成り立つ。
倭国は明らかに漁労民の傾向が高い。その辺り天氏は百済と良く似た国家体制だった可能性がある。国民と支配層の習俗が違う。では島から広がったのは?下は明らかに縄文海人。やはりそこは一端半島でのベースがあったと思われる。そこから島の縄文海人が半島側の金属加工や騎馬民族系集団と結合して北九州に上陸して支配層になったと。
後O1B2は日本は特有の47Zが天皇家の回りには高い。これはどう解釈するか?で、この集団はもっと前に縄文海人と混血した可能性が高い。仮に北方に行ったO1B2と混血したらなら47Zが高くなる事は無い。その場合別系統になる。確かにO1B2はモンゴル族にまで進出するほど北上したが、だが47Zの系統はあまり大陸では高くない。
やはりC2C集団は後から合流したと思ってしまう。天氏はその習俗からO1B2系の倭人だと思われる。ここは難しい。出雲はダイレクトにC2C集団と支配者層が混血したと思われる。もちろん出雲もO1B2が大量に入っていると思われる。まずは稲作がスタートだからである。
だが出雲が大きな集団として形作られたのは、スサノオが源流だと思われる。倭人の国倭国がスタートするにはやはり北方のモンゴル系の集団が軸になったのは考えにくい。今までは天皇家は倭国と同一だとしてもそこから分かれて異質な集団になったと見ていたから成り立っていた。だが、同族として深いつながりがあったなら話は変わってしまう。
やはりポイントは、倭人集団全体にC2C系が若干含まれる北方遼河集団が後から加わって天孫降臨が生まれたと思うほうが合理的だ。倭国がすべてセットで持っていたとは考えにくい。金属加工集団と倭人が結合して新たな価値観が生まれたと思うほうがすっきりする。これが神器の継承とともに天皇家に受け継がれたという形だと思う。
天氏の鍵になった集団はやはりO1B2で良いのだと思うが、問題は安曇氏となる。何故天氏は安曇氏とは違う集団になったのか?この辺りやはり縄文時代から続く流れがキーなのかもしれない。何故自分達は違うのか?で天氏は多分安曇氏の集団とは同じ系統だが違う集団だった。それだけだと思う。この集団が島の縄文集団と結合して、九州上陸が遅れたと見ている。そこがキー。
0からじゃなくて、ある程度まとまった集団として上陸したので支配者層になったのじゃないか?と見ている。北方的な天孫降臨や後の近畿を占めるモンゴル系の集団は後からこのO1B2と混血した古い縄文海人集団と結合したのじゃないか?と見ている。この集団の古くからいる系統で出雲と九州両方に影響を与えたのが多氏ではないか?と見ている。
プロト秦氏もその候補だが、この辺りほとんど区別できない集団だったのじゃないか?と見ている。安曇氏もそうだが、同じところから来ても別集団は十分考えられる。
O1B2は文句なしにタカミムスヒになる。そうなると他のO1B2集団との違いは宗教的な違いなのかもしれない。遼河人と混血してない集団は居るのか?なら分からない。
日本にはマレー発のポリネシア系は来てない。日本に来たのは、もっと原初的なオーストラネシア語族の中国南部集団になる。マレー系のポリネシア集団は来ていても小集団。隼人がどうか?は分からないが、南九州を中心に太平洋岸に広がった系統は中国台湾からの直接きた系統になる東南アジアじゃない。
そうなると日本に古い時代にO1B2が来ていた可能性があるのだが、その集団は高い航海技術を持たない。その辺りがかなりややこいい。多分縄文人と大差が無い。どのみち神話から遼河混血組が天氏の流れだと思うが、この辺り何故日本の47Zは特異な増え方をしてるか?でタイムラグの問題だと見ている。その点直接ルートは都合が良いが、先行集団として、半島ルートで別の系統と集団の割合が違っていた可能性も高い。
どうも歴史を見ていると先行した倭人集団を後続のほぼ同族の韓人集団が圧迫したと言う形になってるから。この先行集団に47Zが多かったと見ている。無理に縄文期にO1B2が先行してきていたとしなくても一応説明がつく。