不完全な密室殺人(解答編)
俺の名前は金奈良亜留、総資産6那由多円の金奈良家の嫡子であり、いずれ通っている私立金奈良高校のほか、世界各国にグループ企業を持つ金奈良財団と、投資企業ゼニナーラコンツェルンに祖父の跡継ぎとして君臨する男だ。
そんな地上の富を自由に動かせる俺は、弱点である金で解決できない難事件を解決することで、より高みを目指そうと探偵業を始めた。
名探偵アルとは、俺の向上心と遊び心から生まれたナイスガイなのだ。
「アルくん、中二病じゃないんだから格好つけるのを後にして、早く密室トリックと犯人を教えてください」
「鶯谷警部、わかりませんか?」
未亡人の小枝を指差している俺は、鶯谷警部に目配せしながら顎をしゃくった。
犯人は未亡人だと、さっき助手のアガサが教えてくれた。
「ええ、まったくわかりませんな……ま、まさか遺族の小枝さんが、密室殺人事件の犯人なんですか!」
「いや、このリアクションで彼女以外が犯人だったら、逆におかしいだろう」
「しかしですな、小枝さんが外出先から帰宅したとき、部屋が施錠されていたんですぞ」
「つまり鶯谷警部は彼女が外出した後、八雄が殺されたと考えているんですね」
「小枝さんは鍵を持たずに外出しているんだから、当たり前じゃないですか。それともアルくんは、死体が起き上がって鍵を掛けたなんて言うんじゃないだろう」
「まあまあ、まずは殺害現場の状況を再現してみましょう」
俺は引き戸の前に立ってサムターンロックを回して施錠すると、六畳間一間の殺害現場を密室にした。
八雄を殺した犯人は、この状態から部屋を抜け出したのだが、半畳ほどのアプローチの脇には布団や衣類がすし詰めの押入れがあるものの、ここを細工して出入りしたとは思えない。
もちろん押入れの布団の隙間に犯人が潜んでいないのは、先着した鶯谷警部が確認済みである。
この状況から犯人が忽然と消えるのは、絶対に不可能だとわかった。
「鶯谷警部は、この密室から犯人がどうやって逃げ出したと思いますか?」
「合鍵でも使わない限り、不可能犯罪ですな」
鶯谷警部の言うとおり、犯行後に合鍵を使えば殺害現場を密室にすることはできる。
合鍵がなければ密室にできないのが、犯人の意図するところだった。
「しかし大家がアパートの住人に渡している鍵は一本、オーソドックスな鍵ですが合鍵を作れば足がつくので、犯人が合鍵を持っているとは考え難いのです」
「合鍵のことは警察で調べていますが、大家と住人それぞれ一本しか持っていない。それなら犯人は、滞納している家賃を取り立てにきた大家が疑わしいのでは?」
「そこですよ!」
「どこですか!」
「犯人が殺害現場を密室にした理由は、合鍵を持っている大家の犯行に見せかけることです。それ以外に、わざわざ手の込んだ密室殺人なんて犯行をしない」
「確かに合鍵を持っている大家以外には、犯行が不可能ですな。でもアルくん、それなら大家の犯行で決まりですぞ」
「え、大家が犯人なの? えーっと、ちょ、ちょっと待ててください」
俺はアガサを手招きするが、彼女は小さくガッツポーズして『アル、頑張って』と、俺のことを小声で励ましている。
そういうの要らないから、そういう励ましがほしくて助手に雇ってないから、さっさと大家が犯人じゃない証拠なり適当な理由を教えてくれ。
俺が聞いているのは、密室トリックと犯人が妻の小枝だけなのだ。
鶯谷警部の質問は想定外で、なぜ合鍵を持っている大家が犯人じゃないと言い切れるかわからないし、むしろ大家が犯人で良い気もする。
「殺害現場を密室にできるのが大家だけなら、大家の犯行じゃないですか」
「ちょ、ちょっと待っていろ、いま助手の意見を聞いてくる……アガサ、こっち来い!」
うんざりした顔で近付いてきたアガサの首に手を回した俺は、腰を屈めて彼女に、合鍵を持っている大家が犯人ではない理由を確認する。
大家と被害者の八雄に家賃滞納という金銭トラブルがあったのならば、大家が被害者を殺害した後、何食わぬ顔で家賃を取り立てて無辜の目撃者を気取った可能性が排除できない。
「だから、それが犯人が殺害現場を密室した目的じゃない。被害者が密室で殺されたのなら、合鍵を持っている大家が疑われるわ」
「その理屈はわかるのだが、それこそが裏の裏をかいた犯人のトリックかもしれないだろう?」
「アルは殺した被害者から、どうやって滞納している家賃を取り立てるの? それに大家が、どうして自分の経営するアパートを事故物件にするの? そもそも大家が犯人なら現場を密室にして、なぜ自分が疑われるように仕向けるのよ?」
「アガサの言うとおりだな……大家には、家賃を滞納していた八雄を殺す理由がない。いや、待てよ。大家には、俺たちの知らない動機があるのかもしれない」
「アルは、バカですか」
「俺は、バカじゃない」
「ならアルパカですか」
「アルパカでもないぞ」
アガサは肩を抱いている俺の手を振り払うと、まるで幼子を諭すように人差し指を立てて口を尖らせる。
「良いですか。犯人が現場を密室にした理由は、アルのような短絡的思考の人間に合鍵を持っている大家の犯行だと思わせるためです。殺害現場が密室になる理由は、何だった覚えていますか?」
「遺体発見を遅らせるため、それと自殺や犯人のアリバイを作るためです」
「今回は、犯行直後に事件が発覚しています。それに殺傷痕から、自殺に見せかけるためではありません。だから現場を密室した理由は、真犯人には犯行が不可能だったとアリバイを作るためのトリックだと考えられます」
アガサに言われてみれば殺害現場が密室ならば、疑われるのは合鍵を所持している大家であり、もっとも疑われないのが鍵を持たずに外出した小枝である。
しかし、それこそ裏の裏をかいた大家の作戦ではないのだろうか。
「だから大家が真犯人なら、遺体発見から警察が到着するまで現場を離れません。それでは、真犯人にはめられたとの言い逃れするのに片手落ちです」
「言い逃れ?」
「理解できないのなら、密室トリックの謎解きを先にしてください。たぶん鶯谷警部なら、私の推理を理解できますから」
理解力に乏しい俺に苛ついたアガサは、背中を両手で押して鶯谷警部の前に突き出した。
よくわからないが、密室トリックの謎解きをすれば、大家が犯人ではないとわかるのだろうか。
「鶯谷警部、合鍵の件は横に置いといてですね。まずは、小枝の使った密室トリックの謎解きしても良いですか?」
「構いませんが……」
「小枝が、とりあえず夫の八雄を刺殺したとします」
「とりあえず?」
「いや、小枝が八雄を刺殺しました。彼女は窓から抜け出すと、窓を施錠しないでコンビニに酒を買いに行きます」
「ふむふむ」
「それから30分後に帰宅したとき、アパートの廊下で鉢合わせた大家に施錠していたドアを開けてもらい、八雄の遺体と壁に掛けられていた部屋の鍵を見せます」
「しかし窓の鍵が解錠したままなら、密室殺人とは言えませんぞ? それに都合よく、大家が家賃の取り立てにくるとわかりますかな?」
「それが、わかるのです」
俺だって疑問だったが、アガサ曰く大家が家賃を催促にくる時間は、実質世帯主の小枝が帰宅しているときであり、パート帰りの彼女が帰宅をアピールすれば、家賃の催促は予想できただろうし、家賃の取り立てがなくても鍵を閉じこんだと大家に声をかければ済む話――と言うことだ。
「ドアから部屋に踏み込んだ小枝は大家に通報を依頼した後、窓を施錠して密室を作り出したのです。つまり殺害現場は、人為的に作り出された不完全な密室だったのです!」
「な、なんですと!」
密室トリックにはアガサに三つのことを疑えと、前々から言われている。
じつは密室ではない可能性は、殺害現場に秘密の出入口などがあり、人間の思い込みを利用した心理的トリックだ。
俺は当初、窓に窓ガラスが嵌っているという人間の心理を利用して、じつは窓ガラスが嵌っていないという心理的トリックを疑った。
次に犯行後に意図的または偶然に密室になった可能性であり、これは助手のアガサの推理で、犯人が人目を盗んで窓を施錠して密室を作り上げるような不完全な密室殺人である。
犯人が室内に残っている可能性は、文字どおり密室の殺害現場に犯人が潜んでやり過ごすので、トリック呼ぶにはチープだが、広いスペースが密室になる場合は有効なときもあるらしい。
「では小枝さんは夫を刺殺した後で窓から酒を買いに行き、大家が警察に通報している最中に窓を施錠して密室を作り出した……返り血を浴びた服や凶器は外出したとき、道すがら捨てたと言うことですか?」
「鶯谷警部」
「なんですか?」
「そのとおりだ! 小枝さんは殺害現場を密室にすることで、大家に濡れ衣を着せようとしたのだ!」
「な、なんと見事な推理ですな!」
なるほど。
アガサの推理どおりならば、犯人が殺害現場を密室した理由にも筋が通るし、鶯谷警部が正しければコンビニまでの道に返り血を浴びた服や凶器が投棄されている。
俺は金に物を言わせた頭脳明晰だが、ここまで材料が揃えば理解できる。
「鶯谷警部はコンビニまでの道に返り血を浴びた服や凶器があるのか、捜査員に捜索させてください」
「は、はい!」
「小枝さん、俺の推理は当たっていますか?」
親指の爪を噛みながら目を泳がせる奴は、事実を言い当てられて困惑していると、心理学の授業で聞いたことがある。
どうやら俺の推理は、この不完全な密室殺人事件の真相を言い当ててしまったようだ。
「うっ……うう……な、なにが起きて……るんだ」
「あれ? ブタじゃなくて八雄さん、生きてるんですか?」
「な、なんじゃこりゃ! 服が血だらけやんけ!」
密室殺人事件が解決というとき、被害者で甲斐性なしの八雄が後頭部を手で押さえながら起き上がった。
なんと胸と腹に複数の刺し傷を負った八雄だが、傷が浅かったので死んでいなかったらしい。
「鶯谷警部、ブタ……八雄は生きているようだが?」
「アルくんが難事件のときは、真っ先に知らせろと言うので、鑑識の連中を待たせて連絡をしていまして――」
「被害者が死んでないだと! 死んでないなら、この事件は密室殺人未遂事件じゃないか!」
「ですな」
俺は二つ折りの携帯電話を取り出すと、金奈良財団医療部門に電話した。
我が財団医療スタッフの手にかかれば、腰の曲がった爺さんでも100メートル10秒台で走れるようになるらしい。
それほど優秀だ。
『お坊ちゃん、どうかしましたか?』
「俺の現在地まで、金奈良財団最高の医療スタッフを連れてこい! そして最愛の妻に殺人なんて最低な選択を選ばせた間下八雄というブタ野郎を、死なさないで生かしてやれ! 我が金奈良財団医療スタッフの総力を結集して、刺される前より健康にしてやるんだ!」
『は、はい、我が金奈良財団医療部門の総力をあげて、間下八雄は必ず死なせません!』
俺が電話を切ると、夫殺しの未亡人だった小枝が『こんなブタ野郎を生かしておく必要なんてないわ』と、呟いたので殴ろうかと思った。
「小枝さん、それは違う。この世の中は金で解決できることばかりで、きっと貴女だって年商億単位の女社長だったら、こんなブタ野郎が甲斐性なしだったとしても殺そうなんて思わなかったはずだ」
「!」
「俺は八雄を生かしてみせる。だが、それは甲斐性なしのブタ野郎を助けるためじゃない。貴女みたいな弱い女性が、殺人罪で裁かれるのが納得ができないからだ」
「アルさん、私は夫を殺そうとしたんですよ」
「小枝さんは、定職に就かないブタ野郎の言葉を信じて結婚した。俺には信じられない愚行だが、そこには金で割り切れない『愛』があったはずです」
「私が、こんなブタ野郎を愛しているわけないわ」
俺は思わず、嘲笑する小枝の頬を叩いてしまった。
女性に手を上げるなんて紳士にあるまじき行為だが、心にもないことを口にして強がる彼女を許せなかった。
「愛してないのなら、なぜ何の生産性のないブタのような男と別れなかった? なぜブタのような男に、女に殺されるような名誉を与えたんだ?」
「女に殺される名誉?」
「女が男を殺す、それは愛ゆえなんですよ」
木造アパートの窓が、金奈良財団医療班ヘリコプターのホバリングでガタガタと揺れる。
俺が窓を開けるとヘリコプターからロープで降下してきた医療スタッフが、狭い六畳間に雪崩込んできて、胸や腹に殺傷痕のある八雄を治療しながらストレッチャーに乗せた。
「私は八雄を愛しているから、殺そうとした……そんなこと考えたことなかったわ」
小枝は鶯谷警部に手錠をかけられると、肩を落として部屋を出ていった。
そして金奈良財団医療スタッフが、ストレッチャーに乗せた八雄をヘリコプターに収容したのを確認した俺とアガサは、誰もいなくなった密室殺人未遂事件の現場で立ちすくむ。
「小枝さんは犯罪者なのに、どうしてアルは助けるような真似をしたの? 身勝手な女が、無実の大家に濡れ衣を着せようとした犯罪だわ」
「八雄は、あれだけ刺されて気を失ったが死ななかった。刺し傷が浅かったのは、小枝さんに本気の殺意がなかった証拠だよ」
「そうかしら、八雄の悪運が強かっただけじゃない?」
アガサは、俺の顔を覗き込んで言った。
彼女に説明しても理解されないかもしれないが、この世の中には大概のことが金で解決できる些細な問題が多すぎる。
小枝が俺のように金の力を持っていたなら、果たして甲斐性なしの夫を殺そうなんて考えただろうか。
金さえあれば彼女は、甲斐性なしのブタと幸せに暮らせたと思えば、問題は貧困なのだ。
「アガサ、俺は罪を憎んで人を憎まずだ。それに金の力で救える命ならば、あんな甲斐性なしの男でも助けたい」
「はあ?」
「八雄を生かすことで、小枝さんの罪も軽くなると考えれば一石二鳥ではないかね」
「お金持ちの考えることは、私にはわかりません」
俺は助手のアガサに事件解決の報酬として三万円を支払ってから、赤坂の高級焼肉屋での夕食を誘ったが、時間外労働は御免だと断られた。
今回の報酬三万円は、トリック解説、犯人の特定、大家が犯人ではない理由、以上三点のアドバイザリー料金だ。
怒らないでね。