第3話 バイトウィルス
※矛盾点を修正しました。
「不老……不死??」
突拍子もない言葉に面食らうが、不思議と耳馴染みのある言葉に感じた。
そんな僕の表情に気づきつつも、サイコさんは語り続ける。
「まぁざっくり言ってしまえば、死なない身体を誰もが簡単に手に入れる事が出来る技術を編み出してしまったわけ。この『バイト』というウィルスのおかげでね」
サイコさんは白衣の裏ポケットから小さな試験管のような物を1本取り出し、僕の手のひらに差し出した。
中にはやや透明がかった薄紫色の液体がいっぱいに溜まっている。
「『バイトウィルス』……」
あのカボチャ男が言っていた『バイト』とは、このウィルスの事を言っていたのか。
「そう。このウィルスは脳に感染するウィルスでね、感染すると身体に様々な効果をもたらすの。例えば、人とは思えない物凄い力を発揮できたり、身体から炎を生み出して操ったり、 致命傷を負っても瞬く間に治したり、ね」
「それって……」
試験管を持つ手が小刻みに震える。
「そう。あのハロウィン野郎も、アタシも、そして、あんたも。みんなバイトウィルスの感染者ってわけ」
「感染者……」
「そしてあんたは、感染すると人間にとてつもない、それこそ不老不死とも言っても差し支えないような力を与える、この『バイトウィルス』の、
『宿主』だったんだよ」
「宿主?」
「そう。この『バイトウィルス』は、あんたの脳内から発見された、世界でも類を見ない全くの未知のウィルスだった。
それをアタシを含めた世界中の科学者達が膨大な数の実験を繰り返して、さっきの『不老不死の定義』ってやつを完成させたってワケよ」
「僕の中にこのウィルスが……なぜ?」
「今のところは不明、としか言いようが無いかな。あんた自身も何かの原因で感染した後だったのかも知れないし、元々生まれ持ったものなのかも知れない。もっと言えば、あんた以外にもこのウィルスを宿した個体がどこかにいた可能性だってある。
これだけ言えるのは、あんたのそのウィルスが人類にとって不老不死に到達できる唯一の可能性だったって事ね」
サイコさんはタバコに火をつけて一息つき、さらに語り続ける。
「実はかなり昔から『ある組織』によって極秘に不老不死の実験は行われていたらしくてね。
世界中のあらゆる分野の人達がその研究に密かに加担していた。生物学者から脳科学者、心理学者、神経学者、果てはオリンピックの金メダリストから世界最高齢のおばあちゃん、超能力者だとか霊能力者だとか、それこそアタシみたいな製薬会社の人間までピンからキリまでね。みんなで夢の不老不死を完成させようって躍起になってたもんよ。
でも……研究は段々と行き詰まっていった。さっき言ったやつらも含めて様々な人間の身体を調べた結果、
『不老不死のカギを握るのは、人間の脳にある。そして、直接脳へなんらかの外的要因を施せば一気に完成へと繋がる』
というところまでしか、アタシ達はたどり着けなかった。
笑っちゃうよね。何百年も研究して、何千人も集まって、何万人も実験して、どっかのオカルトサイトに載ってるような結果しか得られなかったんだからさ」
当時を思い出し、呆れたような表情でサイコさんは苦笑いする。
「そしてあたし達は最後の手段をとった」
急に真面目な顔で僕を見る。
威圧感さえ覚えるその表情に、言葉が出てこない。
「手当たり次第、って事ですよ」
今までの話を静かに聞いていたディエゴさんがおもむろに口を開く。
「数百年にも及ぶ実験にも関わらずこの程度の結果しか得られなかったとなると、もはやこのままのペースでは不老不死の完成などいつになるか分からない。
ならばこの際、地球上の全人類を実験対象にしてしまおう。
不特定多数の脳を調べて実験すれば、少しでも不老不死へ繋がるヒントが得られるかもしれない。
憶測ですが、彼等がこう考えるのも無理はないでしょうな」
「その不特定多数の中に、僕がいたと?」
「大当たり!ルカ選手10ポイントゲット!」
勢いよくパチンと指を鳴らし、サイコさんは軽くジョークを飛ばす。
ん?
「『ルカ』?」
そういえば、気を失う直前にも聞こえたような……
「あれ?まだ言ってなかったっけ。ルカっていうのはアンタの名前。
L、U、C、A、で『ルカ』。
覚えた?っていうか、思い出した?」
「ル……カ……」
名前。
「ルカ…………それが、僕の名前……」
未だ自分が何者かも分からない。
記憶が戻る確証も無い。
過去にこの世界に何が起こり、僕がどう関わっていたのかも分からない。
でも、こんな世界でも。こんな僕でも。
人間が人間として生きていく上で最初に授かる大切なもの。
肉体を失っても、魂さえ失ったとしてもなお、自分が自分として存在していたと後世に証明できる大切なもの。
それを今、取り戻した。
身体が震える。
言い様の無いなにかが込み上げてくる。
身体が熱くなる。
力が湧いてくる。
自分の中で繰り返す。
『ルカ』。『ルカ』!
それが僕の名前だ。今、唯一、世界に自分を証明できるたったひとつの言葉だ。
「おーい、どうした。大丈夫?」
サイコさんに肩を叩かれ、ふっと我に帰る。
「す、すいません、なんだか嬉しくて」
「嬉しい?はは、あんた記憶を無くしてからずいぶんと感受性豊かになったね」
笑いながらくしゃくしゃと僕の髪を掻き撫でる。
そしてその手を戻す間もなく、ハッとしてサイコさんは何かを思いついたようだ。
「そうか。長ったらしくここであんたの過去を掘り起こしていくより、手っ取り早く記憶を取り戻せるかもしれない方法を思いついたよ」
頭に置かれた手を肩に移すと、こちらをじっと見据える。
「あんた、自分が目覚めた場所はまだ覚えてる?もしかしたらその場所にあんたの記憶が戻るヒントが残されているかもしれない」
何も無い白い部屋。
その真ん中に置かれていた奇妙なカプセル。
その部屋から伸びていた長い長い階段。
地上へのドアを開けると一面の廃墟。
しかし、その場所がどこにあったかと聞かれてみると説明がつかない。地下から出てきた時に見た建物やその周りを思い返してみても、完全に廃墟に同化していて特定はできそうにもない。
「すいません、あの場所がどこにあったのか僕にもよく覚えてません。まさかあそこへ戻ることになるとは思ってもみなかったもので。
でも、妙な白いカプセルから出てきたのは覚えてます」
「カプセル?うん、それ、かなり怪しいな。調べてみる価値はありそうだね。しっかし場所が分からんとなると……どうしたもんかね」
腕を組んで難しい顔をするサイコさんを見て、ディエゴさんが質問する。
「サイコさん、昨夜彼を見つけたのはどの辺りだったのですか?」
「4区だね」
「これは厄介ですなぁ」
4区、というのはおそらくあの廃墟群一帯の事を言うのだろう。顔をしかめる2人を見て嫌な予感がするが、聞いてみる。
「厄介、というのは?」
「別名『大凶区』。あんたを襲ったイカれた野郎共の巣窟だよ。ここらへんにはバイトウィルスに感染した奴らのナワバリがそこらじゅうにある。
まぁ、この場所は安全だから安心していいけどね」
その後、詳しくサイコさんが説明してくれた内容を頭の中でまとめてみる。
まず普通の人間がバイトウィルスに感染すると、例えばあのカボチャ男の様に人間離れした怪力や、サイコさんの様に身体から炎を生み出し自在に操れるというまるで超能力とも言えるものまで、様々な能力を得ることが出来る。
もちろんその能力を悪事や自分の欲望に利用する者がほとんどで、警察や軍の統制も追いつかず自分達の陣地を守るのに手一杯なのだという。そしてそのわずかな安全地帯の中に、このバーはあるという事だ。
そして運の悪い事に、異形たむろす『大凶区』のどこかにあのカプセルが安置されていた建物があるかもしれないのだ。
「行くしかないんですね……」
「行くしかないね」
「行ってらっしゃいませ」
「「えええええーーー!!」」
「ディエゴさんは付いて来てくれないんですか!?」
「ディエゴさんは付いて来てくれないんですかーーー!?」
涼しい顔でグラスを拭いているディエゴさんに向かって2人で詰め寄る。
「当たり前でしょうが。私はただのバーのマスターですよ?見なさいこの細い腕を。たとえ奴らに襲われたとしても、足手まといにしかなりませんよ?そもそも店を空にするわけにもいきませんし」
「悪人だらけの街にか弱い美女と記憶の抜けた男の子を平気で放り込むってのか!この薄情者!」
「意外と歳をとるほど、自分の命が惜しくなるものなんですよ?それに、そんな街に老い先短い老人を連れて行く方がよっぽどの所業でしょうが」
「ジジイだろうが、鉄砲玉がいればちょっとは役に立つだろ!そもそもこんなカビ臭せー店、1日2日空けたって誰も来やしねーよ!」
「おのれ……それが人にものを頼む態度か!」
「頼まれても着いて来る気なんか無いクセによく言うわ!」
「まぁまぁまぁまぁ……」
体型のみを見れば10代半ばの僕が大人の女性と老人の喧嘩に割って入るのもおかしな状況だが、止めに入らないわけにはいかない。とはいえ、あんなに温厚そうだったディエゴさんの怒鳴り声を聞いて"このままではまずい"と思ったのが本音だが。
「サイコさん、飲みすぎです!いくらなんでも言い方が酷すぎますよ。できる事なら僕もついて来てもらえたら心強いとは思いましたけど……無理やり巻き込むのはちょっと」
「アンタは黙ってなーーー!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすサイコさんと、猟犬のような鋭い眼光を彼女から外さないディエゴさん。
まさに一触即発。なんとかしなければ。
「じゃ、じゃあディエゴさん!僕の方からお願いがあるんですけどいいですか?僕このままの格好ではとても表を歩けません!なんでもいいので着るものを貸してもらえませんか?」
この雰囲気を少しでも変えようととっさに考え、大きく両手を広げ、大袈裟に声を張る。
先ほどの冷たい視線のまま、ディエゴさんは僕を睨む。うう、怖い。
「あ、あぁ、申し訳ありません。少し取り乱しました。着るものですね、サイズの合うものならば差し上げますよ。少しお待ちを」
口調はぶっきらぼうではあったが、少しだけ冷たい視線が和らいだ。
厨房とは逆側の、入り口から右奥に位置するドアを開けてディエゴさんはカウンターを出て行った。
「逃げんな!まだ話は終わってねーぞ!」
「んもぉぉ……サイコさんはちょっと黙っててください!!」
「あだッ!?」
怒りを込めた強めの手刀を脳天にお見舞いすると、ようやく怒鳴り声は止んだ。
サイコさんは少し驚いた顔をしていたが、その後は苦虫を噛み潰したような顔に変わっている。腹の虫はまだ収まってはいないようだ。どうやらこの人、相当に頑固な性格である。
命の恩人とはいえ、変な人と関わっちゃったなぁ……
先ほどまでの殺伐とした雰囲気から、またも気まずい無言の空気を味わうこと数十分。ようやくディエゴさんがドアを開けて戻ってきた。どうやらお願いしたとおり衣服を持ってきてくれたようだ。おまけに靴まで持ってきてくれている。
「お待たせしました。サイズの合いそうなものをいくつか持って来ました。かなり古いですが私が青年の頃着ていたものです。ビンテージ品だと思っていただければ」
と言ってハンガーにかけられた状態の洋服をいくつか差し出してくれた。
下はジーンズと黒のショートブーツ。上は長袖、半袖、柄の入ったシャツや少し派手目な色のカットソーなど色々とあったが、シンプルな無地の白いTシャツに決めた。ディエゴさんはビンテージと言っていたが、何十年も経ったものとは思えないくらい状態の良いものばかりだ。
「ディエゴ、さっきはごめん。無事に帰ってきたらとびきり美味い酒、用意しといてよね」
少し時間を置いたおかげで、サイコさんもようやく頭を冷やしたようだ。
「……かしこまりました。どうにも歳を取ると沸点が低くなっていけませんな」
申し訳なさげに僕の方を見て、ディエゴさんは苦笑いする。
「とはいえ今日はもう遅い。夜に出歩くのも危険が増すばかりですから、出発は明日まで待った方が良いでしょう。寝床は用意してありますから、お使い下さい」
店じまいの後片付けをしながら、先ほどディエゴさんが出てきたドアに向かって手を差し出す。
「それもそうだな。ルカ、アンタは先に休んでな」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ディエゴさん、色々とありがとうございます」
「とんでもない。ルカ君は1番奥の部屋をお使い下さい。それでは、お休みなさいませ」
感謝を込め、深くお辞儀をしてドアに向かう。
ドアの先には階段があり、2階に上る。
2階には部屋が4つあり、ディエゴさんに言われたとおりに1番奥、まっすぐ伸びる廊下の突き当たりの部屋に入る。
「しまった、この格好のままだった」
部屋に入って気づいたのだが、さすがに病衣のまま寝るのも縁起が悪いというかなんというか、とはいえ裸で寝るわけにもいかず……などと思ってベッドに眼をやる。
そこには綺麗に畳まれたパジャマが置いてあった。
それに向かい心の中で2度目の感謝の言葉とお辞儀をすませ、パジャマを手に取り着替える。すると部屋の隅に姿見が置いてあることに気づいた。
「これが、僕か」
痩せこけた身体に、白い肌。紫色のボサボサの髪。とても自分の中に不老不死の力が眠っていたとは思えないほどの、みすぼらしい姿だった。
過去の自分が今と比べてどのような姿だったのかは分からない。だがサイコさんも外見については何も言わなかった事を考えると、きっと元々こういう姿だったのだろう、と自分に言い聞かせてベッドに入る。
明日は、あの場所に戻る事になる。
またあの異形どもに襲われるかも知れないという不安はあるが、行かなければならない。記憶が戻る可能性があるにしても無いにしても、今の僕には結果や事実といったものが無いと、この先の生き方を決められないような気がするのだ。
部屋の暗がりの中をどこを見るわけでもなく物思いにふけっていると、次第に睡魔がやってきて自然と眼を瞑る。
下の階からはジャズの音色と2人の声が微かに聞こえる。ときおり響くサイコさんの笑い声を聞く限り、おそらくまた飲み直したサイコさんにディエゴさんは付き合わされているのだろう。
その楽しげな音に耳を傾けながら、僕はいつしか深い眠りにつくのだった。