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私のホーム  作者: ソラヒト
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02 ミドリ

 私はしばらくぶりで母の手料理を食べた。

 おいしさと同時に懐かしさを感じた。

 3人で食べながら、海外公演のことを話した。

 母は特に驚いた様子もなく、「気をつけて行ってくるのよ」と言ってくれた。

 普通にしてくれたおかげで、私はずいぶん楽になった。


「おとうさん、あなたが来たことを知ったらふてくされそうだから、今日のことは内緒にしておくわ」

「その方がいいよ。おとうさん割りと心配性だし」


 妹も母の意見に賛同した。


「そうだ。台湾に行くのなら、お茶っ葉をお願いしようかしら」


 母からおみやげのリクエストがあった。

 リクエストがあった方が迷うことはない。


「幸代は何かある?」


 せっかくだから妹にも訊いてみた。


「おかあさんと一緒にお茶を楽しむから、大丈夫だよ」

「分かった。ふたりとも、楽しみに待っててね」


    *      *      *


 実家を後にして駅までの道を歩いていると、高校の同級生であるみどりと偶然に行き会った。

 同じクラスで、同じ演劇部だったみどりの家は、駅から近い場所にあった。

 みどりはフリルのついた白い日傘を差していた。

 肩にはデニム生地の、たぶんウオッシュド加工をされた、くすんだ赤色のバックを掛けていた。

 そんな出で立ちをしているみどりに会ったことはなかったから、ひと目では分からなかったけれど、日傘から覗いたあの表情を、私が見間違うはずはなかった。


「みどり!」

「幸美じゃない。どうしたのよこんなところで?」

「久しぶり。卒業以来だね」


 あらためて向き合ってみると、みどりはずいぶん痩せたように見えた。


「今も演劇を続けてるんだっけ?」

「うん。今日もこれから劇団のミーティングに行くところなんだ」

「さすが。部活でもいちばん気合いが入ってたのは幸美だもんね。迷うことなく続けているなんて、尊敬できるよ」

「みどりはどうなの?」

「私はもうだめだな。サークルにも入らず、静かな日々を送ってる」


 高校の時はいろいろと活発だったみどりなのに、何かあったのだろうか。


「日傘、入ってく?」

「ありがとう。でも私は大丈夫。日焼け止め使ってるし」


 みどりも駅まで行くというので、少しだけ一緒に歩いた。

 何かあったのかどうかは訊かないでおくことにした。

 訊いたところで、今の私がみどりの役に立てるとは思えないからだ。


「今日はちょっと実家に用があって」


 私は実家から持ってきたレコード一式を手提げごとみどりに見せた。


「レコードかあ。私は全部処分しちゃったなあ」


 みどりは言った。


「二束三文で売っちゃったけど、幸美がそんなにレコード好きだって知ってたら、幸美にあげればよかったなあ」

「それは残念。でも、高校の頃はそんな話なんてちっともしなかったもんね」

「そうだった。演劇の話か、恋愛の話ばっかりだった。幸美は恋愛の話には参加してくれなかったけど」

「仕方ないよお。男の子に興味なんてなかったし。理想のタイプもなかったし」

「ずいぶん冷めてたもんね。で、今はどうなの? 誰か好きな人はできた?」


 私はあいつのことを思い浮かべた。

 あいつの退院の日、あいつの町を案内してくれたこと。

 今度は私の町を案内すると約束したこと。


「おかげさまで。今なら恋愛の話に参加できそうよ」

「おー。幸美にも遂に春が来たのね」


 駅に着くと、私とみどりは別々の方向に行くことが分かった。

 みどりは日傘をたたむと、肩に掛けたバッグにしまった。


「幸美の彼氏について話を聞きたいところだけど、また今度、だね」

「うん。また今度、ゆっくり」


 みどりが乗る電車が先にホームに滑り込んできた。


    *      *      *


 みどりに会ったことで、私は昔のことを思い出していた。

 私は子どもの頃から演劇に興味があった。

 きっかけは小学校での学芸会だったと思う。

 自分でありながら、自分ではない誰かになれることの面白さ、楽しさ、わくわくが止まらない気持ち。

 そこには私が初めて感じることになった抵抗不可能な魅力が満ちていた。

 中学の部活は迷わず演劇部に入った。

 ひとつの舞台を作り上げるためには、ただ自分の役をこなせばいいというだけではないと分かった。

 当然、高校でも演劇部に入った。

 役者としてだけでなく、脚本、演出、照明、衣装、道具など、実際にやってみた。

 それぞれの立場で何ができるのかを深く考えられるようになった。

 そうしていつしか、部活のないときでも演劇のことを中心に考えるようになっていた。

 民族的なことにも同時に興味があったけれど、演劇の比重がはるかに大きかった。

 私ほど演劇にどっぷり浸かっている子はいなかったから、私は女の子の中で浮いた存在だった。

 話が普通に通じるのは、今では鎌倉にいる親友と、みどりくらいだった。

 私の頭には演劇のことばかりで勉強は二の次だったし、恋愛にも興味がなかったから。

 男の子にからかわれたりしたことはあったけど、一切相手にしなかった。

 やがて男の子たちからも相手にされなくなった。

 そのかわり変人扱いされるようになった。

 それで私はかまわなかった。

 むしろ清々したくらいだった。

 他の女の子たちが恋愛に興味を持つのは、まあそういう年頃だよね、と冷ややかに見ていた。

 恋愛なんて、私には関係ないと思ってた。

 誰かにときめくこともなければ、誰かに告白されることもなかった。


 大学には行こうと思っていた。

 自分の好きなことができる時間を確保できると思ったからだ。

 そのことを支えにして、高3の夏休みからは勉強に燃えた。

 演劇への情熱は冷めることがなかった。

 ますます加熱していた。

 「自分の好きなこと」とは、他ならぬ演劇だけだったのだ。

 だから、演劇を学べる学校を志望した。

 受験勉強の合間の息抜きでは主に演劇関係の雑誌を見ていたし、ときには舞台を見に行くこともあった。

 そのうちに、私が現在所属している劇団のことを知った。

 知ってしまったからにはすぐにでも入団したくなり、受験勉強がおろそかになった。

 模試の結果がひどく悪くなったとき、両親にばれて詰問され、私は開き直って親に本音を言った。

 すぐにでも劇団に入りたい。

 一刻も早く演劇の世界でキャリアを積んでいきたい、と。

 私が演劇に興味をもっていることは両親も知っていたから、そのこと自体に反対はされなかった。

 ただ、条件があった。

 きちんと大学に入り、きちんと卒業すること。

 大学に入ったら時間の使い方に口出しはしないけれど、落第はしないこと。

 私は承諾した。

 約束したからには、必ず守る。

 それは私の矜持きょうじだった。

 相手が誰だったとしても、約束したからには全力で守った。

 けれども、これまでの人生で唯一守れなかった約束、それが婚約だった。


 演劇は生きてる現場で学べる。

 大学では民族的なことを学びたいと思い直した。

 それから。

 ゼミの先輩から告白されて、私は困ることになった。

 他の女の子たちを冷ややかに見ていたツケ、しっぺ返しが来たように感じた。

 遂にはひと悶着もんちゃく起こすことになった。

 誰かを好きになることについて、私はなんにも分かっていなかったから。

 あいつと出会うまでは。


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