4日目
聞き慣れない屋根からする音で目が覚めた。時間は4時過ぎ。
大丈夫。今なら間に合う。
昨日、布団に潜っている間も聴こえてきた雨の音は今はない。
いつもより強めに冷たい水で顔を洗う。薄暗い中で写るわたしの顔はわたしじゃない気がした。なにか指名手配されている人達の顔に見えた。別に悪い事なんてなにひとつしていないのに。まだ。
黒いごみ袋と小さなシャベルを使っていない鞄に押し込み玄関をゆっくり開けた。もしもの時にと、もらっていた合鍵で外から鍵をかけた。
普段使っていない靴で来たから部屋に入らなければ気づかれない。
なんでここまでしているのか分からなかった。 見た目には、動物の死体を埋めてあげる優しい子供なのに。自分の下心に気づかなければ周りの目を気にする必要もないのに。
それにしてもまだ暗いうちからカラスが多い。
なんでだろう。
クロの遺体に近づくにつれてその理由が分かった。
数匹のカラス達がクロの遺体を争って取り合いをしていた。車道の真ん中にまで弄ばれたクロの身体はすでに何個かに分かれていて、それらを巡ってなん組かでカラスが鳴き主張しあっていた。
わたしは見てるしかなかった。見なくても良かったのかもしれない。
雨の影響でまだ黒く湿っていた道路の上で、クロの頭や腸、足首などはカラスの一口サイズにまで捌かれ、しばらくしたらクロとカラス達は消え去っていた。
跡を見るとわずかに黒い短い毛と血が残っていて、クロがいた、クロが生きていた痕跡をわたしの通学路に擦り付けていた。
クロは昨日わたしの中で死んで生まれた。そしてさっきまた死んだ。
合鍵でいつも通りに玄関を開け、いつも通りに閉めた。
薄暗い玄関にガチャリと響き、原付の乾いたエンジン音がわたしの後ろを通り過ぎた。
また少し寝ることにした。整理できない頭をリセットするためにまた横になった。いつも同じ時刻に目覚ましをセットして。
目を閉じてもカラスが意識を持っていく事はなかった。延々とクロの死体がつつかれ、ちぎられ、むさぼられている様が繰り返されていた。
涙がでていた。なんか悔しかった。カラス達の方が正しい気がした。
クロはどっちが良かったのかな。
なんかごめんね。
―ニャアッ―
目元が乾いていた。時間は7時前。寝すぎたみたい。ご飯に味を感じない。いつも通りの靴で家を出た。
朝日が眩しい通学路はいつもの騒がしさだった。朝から晴れたおかげで道路は乾き、少し抵抗を感じる風のせいでクロの生きていた痕跡はなにひとつ無かった。
なにひとつ変わらない教室のうるささが、窓から入り込んでくる日射しが疎ましかった。田中くんの横顔もなにひとつ変わってはいなかった。
昼休みに、担任の先生から生き物がかりが呼ばれた。放課後に金魚を連れてくるから水槽などの準備をしておいてくれとの事。
なんでも、水道水だと金魚にとっては害だからカルキ抜きや温度の調整が必要との事。
田中くんがテキパキとこなしてくれたせいか、わたしとマユミは見ているだけだった。唯一水草の配置に関しては女子二人であーだこーだ言い合ったけど。
放課後、3人で先生を待った。水も少し温くなって準備万端だった。
「や〜や〜、お待たせ」
小さな袋に入れられた金魚を抱えながら先生はやって来た。先生は田中くんに水槽の水の確認をしたあと、袋の水のまま金魚達を水槽に解放した。4匹の生き物達は最初動かなかったが、徐々に行動範囲を拡げ、田中くんが指を水槽につけるとそれに向かって群がってきた。
かわいい。
思っていた以上に金魚の挙動がかわいかった。
金魚をかわいく思うと、早朝のクロの光景が甦り少し心が痛い。
慣れた様子に安心したのか先生は職員室に戻り、そのあとすぐにマユミがいなくなり、わたしと田中くんだけになった。
わたしは教室の後ろの棚にある水槽の前まで椅子を移動させ長期戦の構えをみせた。田中くんはそんなわたしから少し下がり、水槽を観察しているわたしを観察しているようだった。
嫌な気はしなかったが背中に違和感はあった。
「今日の朝、カラス多かったね」
田中くんのいきなりの言葉にわたしは水槽に反射した田中くんに視線を移した。言葉の意味を探っている間に田中くんはわたしの隣に来て金魚達を見てこんな事を言った。
「今日がこいつらの誕生日だね」
「うん」
わたしは同意していた。水槽の中に絶えず発生している泡の様に、わたしは田中くんの言葉を受け入れていた。
「それじゃあ、帰るね」
彼はそう言って鞄を手に取り教室を後にした。2度目の田中くんの背中。見えなくなってからわたしはある行動を実行する事にした。
餌やり。
さっき田中くんがやったばかり。あんまりやり過ぎたら残して水槽の水が汚くなるだけだから控えてねと釘を刺されたが、金魚達が口をパクパクさせる様を見たくて手に取ってしまった。
「ほい、おかわりだよ」
誰もいない教室の中で機械の振動音が鳴り響くなか、わたしは田中くんに背いた。
「お、きたきた」
金魚達はごちそうが浮かぶ水面まで近づいてきた。もう少し。もうちょい。
「……食べてくれない」