俺の天敵が物語の主人公
目を開けると、俺は赤ん坊になっていた。
そんな現状を確認した俺は、取り乱すでも狂喜乱舞するでもなく、ただただ安堵の息を吐いた。
(一応成功したみたいだな)
赤ん坊のくせにこんな老獪な思考をしている時点で分かると思うが、俺はいわゆる、転生者だ。
前世で死んで、神様に転生を希望したら、意外とあっさり叶えてくれたのである。
しかし、この転生と言うシステムは思っていたよりも厄介な代物だった。
よくある転生物では、記憶の引継ぎが出来て、しかも世界の選択も可能とか言うのが大半だろう。中には神様の気まぐれなんかもあるが、そう大きな違いはないかと思う。
だが、現実は違う。
神様によれば、前世の記憶持ちで転生が成功する確率はなんと一割を切り、おまけに世界の選択なんて不可能だそうだ。
現に、寝ている場所から伺った家の内装を見る限り、テンプレなファンタジー世界ではなく、俺の前世と同じ現代日本のようである。
どうせ転生に成功するなら、俺もテンプレな異世界放浪とかをしてみたかった……。
そうは言っても、成功率一割以下の記憶引継ぎを無事引き当てたのだ。一先ずは、それでよしとすることにしよう。
それに、考えてみれば前世では社会人までにはなっていたので勉強が分からないという心配はない。むしろ、現時点で言えば俺は神童扱いが妥当である。
この時点からでは流石に不審がられるが、幼稚園ぐらいから忘れている知識の補完という意味で勉強を開始すれば最難関校だろうと余裕で合格が狙える。
そう考えれば、良く分からない命の危険があるファンタジー世界に飛ばされるより、高学歴勝ち組ルートが確定した現在日本に転生出来たのは運が良かったのかもしれない。
そのようにして現状をポジティブに受け取っていると、一人の女性が近づいてきた。
どえらい別嬪さんだ。二次元にしかいないんじゃないか? と思うぐらい綺麗な顔をしている。
俺がそんな女性に驚いていると、女性は俺をひょいっと抱き上げる。
「あら、悠馬起きちゃったのね」
どうやら俺の第二の人生の名は悠馬らしい。というか、これで確定した。現代かどうかはまだ不明だが、日本で間違いない。
まぁ、家具や電化製品を見る限り、俺の死んだ時間とそう大きく異なることはなさそうだから、心配はいらないと思うのだが。
「じゃあ、お母さんと一緒にお出かけしましょうか」
そう言って女性は俺をおぶったまま、玄関に置いてあったベビーカーに俺を置いて―――、って、ええええええええええええええええええええええ!? 何!? この綺麗な人人妻なの!? てか、俺の母さんなの!? マジで!?
そんな驚愕の幼少期はとっくに過ぎ、幼稚園もいつの間にか卒園し、小学生になって、俺は自分がどれ程ハイスペックな体を貰って転生したのかを思い知った。
まず、運動神経。
周りが相手にならない。球技だろうが、陸上だろうが、敵がいない。
四年の頃にはサッカーを、五年の頃には野球を、六年の頃にはバスケをして、それぞれ全国優勝を経験し最優秀選手にまで選ばれている。
五年から行われた学校全体で強制参加させられる陸上大会でも、二年連続で新記録を塗り替えた。
勉強面では記憶引継ぎの影響が大きいため、小学校程度の勉強が余裕なのは当たり前なのだが、それ以前に、今の俺の脳みその物覚えの良さは異常だった。
結果、中学生位まではかかると思っていた高校、大学受験関連の暗記事項は小学五年生の内に終わってしまった。
そして、なによりこの体のもっともハイスペックな点はこの顔である。
自分で言うのもなんだが、超絶イケメンだ。
母親は言わずもがな、父親もかなりかっこよかったので期待はしていたのだが、なんせ小さい頃なんて顔の出来、不出来なんて区別しようがない。
幼稚園の頃にはある程度分かってきたが、小学生になる頃になって確信を持つことが出来たのである。
俺はイケメンだと。
なんだか、字面だけ見ると非常に嫌な男であるが、事実なのだから仕方がない。
ナルシストなんて前世では馬鹿にしていたが、なるほど。確かに鏡にこんな美形が映って天使の様な笑顔をしていれば、ずっと眺めて居たくなる気持ちもわからなくはない。前世の俺の顔は平均チョイ下だっただけに、尚更だ。
とまぁ、小学生の時点での完璧超人ぶりに、俺はすっかりテンションが上がっていた。
しかし、そんな俺に冷水をかける事件があった。
それは、小学校の三者面談で進路を決める大事な日だった。
俺は小学生の時点で、勝ち組コース一直線!東大なんて軽い軽い!!なんならハーバードでも目指そうか!!とそんなテンションだったので、当然のように国内最難関の中高一貫の私立を希望していたのである。
成績的にも、担任からみた日常生活にも何の問題もなく、むしろ俺ならば合格間違い無しだと太鼓判も押してくれており、後は親が承認するだけと言った段階だった。
家庭は裕福な部類に入るので学費の心配はしていない。それに、一人息子だからか、両親は俺にベタ甘だ。そのため、一も二もなく了承するだろうと俺は信じて疑っていなかった。
だが、話が中高一貫といった段階に入った途端、母さんの雰囲気が一変しのだ。
今迄はその美人顔にあったおっとりとした、上品そうな顔で話を聞いていたのに、急に「この話は無かったことにしていただきます」と酷く冷たい声でそう言ったのだ。
突然の豹変ぶりに、俺も、担任の教師も凍りついた。
そして、「この子は他の子と同じように公立の中学に入れますので。お話が以上ならば、これで失礼させていただきます」
と一方的に話を切り、俺の腕を今迄にない強い力で引っ張ったのだ。
その折になって、俺と担任は慌てて説得を試みたが、母さんは頑として譲ろうとしなかった。そこで、俺は父さんにもお願いしてみた。しかし、結果は母さんと同じ中高一貫と言った途端今までの柔和な空気を消して「母さんの言うとおりにしなさい」といいだした。
結局、わけがわからないまま俺の希望が叶うことはなく、そのまま公立の中学に進むことになった。
はじめのうち、俺は相当ふてくされていた。
この人生で上手くいかなかった事なんて何にもなかっただけに、相当な天狗になっていた俺の胸中では尚更この件はしこりとなって残り続けた。
だが、俺だって前世を合わせたらいい歳の大人だ。何時までもグダグダ言っていたってしょうがないことぐらい分っている。そう、入ってしまったならばもうどうしようもないのだ。
俺は気持ちを切り替え、成績は常に学年トップ、部活でも好成績を残し続けた。
その結果、小学生時代にも増してモテる様になった。……まさか、バレンタインが別の意味で苦痛になる日が来るとは思わなかった。河川敷に住んでいる自称イケメン御曹司も吃驚である。
しかし、ここでも妙なことがあった。
俺は何故か女性との関係が長続きしないのだ。
結構可愛いなと思っていたとしても、気が付けば振っている。
凄い好みの子でも、なぜか無性に別れなければいけない気になってくる。
それでも、言い寄ってくる女の子は多いので常に彼女がいる状態なのには変わりはないのだが、中学生活一年目、二年目と過ごすうちに流石に違和感では片づけられない程の気味悪さを感じるようになっていた。
そこで、俺は今まで考えていなかったある可能性を思いついた。
マンガやラノベ、ネット小説でおなじみの何処かの世界への転生であるという可能性だ。
確かにテンプレなファンタジー世界じゃないならば、現代日本が舞台の作品は数多い。
だが、この仮説には欠点がひとつあった。
俺の名前である「汐見悠馬」という名のキャラが出てくる作品がパッと出てこないという非常に大きな欠点が。
自分で言ってもなんだが、俺ほどのチートキャラはモブではありえないだろう。だから、主人公ポジか主要キャラだとは思うのだが思いつく作品が無い。
だが、引っかかりは感じる。なんか、あとちょっと、あと一押しあれば出てくるって感じがもやもやする。
そんな小骨が喉に引っかかったような気分の悪さを引きずったまま俺は中三になった。そして、受験校決定に関する集会が開かれる直前俺の中の疑問は解決した。
学校の掲示板に貼られている様々な高校のポスター。そんな中の一つがふっ、と俺の目に飛び込んできた。
桜が咲き乱れる背景をバックに、まだ新しさを感じる校舎が映っている。
そんなポスターを見て、唐突に俺の頭に稲妻が走った。
「あ、ああ、ああああああああああああ!?」
その学校には見覚えがあった。そして、それに合わせて考えれば、自分の名前にも心当たりがあることに気が付いた。
俺は誰も居ない廊下で、その突然閃いた衝撃のあまり呆然と立ちすくむ。
ポスターの上に書かれている学校名。
私立桜ノ宮高校。
そこには、俺が前世でプレイした乙女ゲーの舞台の名前が記されていた。
そう、乙女ゲー。主人公は女性で、カッコいい男の子や爽やか男子、ものによってはイケメン教師達との恋愛を楽しむ、あの恋愛シュミレーションゲームの女性版だ。
前世でも今でもオタク趣味を持つ俺は、色んなゲームを見境なくやっていた時期があり、このゲームもプレイしたことがあった。
そして、考えてみれば俺の名前と同じゲームキャラが確かにいた。
「というよりも、なんで思い出せなかったんだ、俺」
一時期話題になりアニメ化などもした有名なゲームだっただけに、俺は自分の頭に疑問を覚える。
だが、奇妙なことは他にもある。
親が中高一貫だと知ったとたんに別人のような対応をしたこととか、俺が特定の相手と上手くいかない事とか、考えてみれば明らかに不自然だ。
だがそれも、俺をこの高校に行かせ、まだ見ぬこのゲームの主人公たる女性と恋愛させるためだとすれば納得がいくし、俺がこのゲームの存在を全く思い出せなかったのも、本編のシナリオに乗せる前に致命的な欠陥を招かないように記憶を封じられていたのだとすれば話が通る。
それは、「神」と呼ばれるような、あるいは、ゲームの強制力とでもいうべき見えない力が働いている証だった。
でも、そんなことはどうでもいい。
本当に重要なのは、俺と言う存在が、恋愛遊びの相手をするためだけに生まれてきた存在だという事。両親からもらった顔も、必死に勉強してきたことも、俺の第二の人生として経験してきたこと全て、見知らぬ女の恋愛対象となる為だけの物でしかないという事だ。そこには俺の意思なんて介在せず、俺の意見なんて虫ほどの影響力もない。
……そんなのって、そんなのってあんまりじゃないか?
それがこの世界の、俺のシナリオだとしても、それはあまりにも惨すぎやしないか。
たった一人の、しかも、見知らぬ相手の為だけに生かされてきたなんて、それじゃあまるで、奴隷じゃないか。一度死んで、生まれ変わって、人生頑張ろうと思っていたのに、その人生はただただ飼殺されるだけの奴隷人生ですってか?
……笑えねぇ。
ぜん、ぜん、笑えねぇ。
俺が何したって言うんだ。
俺は全うに生きてきた。人様に後ろ指差されるようなことは何もしていない。
なのに、なのに、なんだよこの仕打ちはよ!!
俺は知らず知らずのうちに硬く握りしめられた拳を、桜の花びらが舞う校舎がプリントされたポスターに叩きつけていた。
そうだ、俺は何にも悪い事なんてしていない。
奇跡やら神の力やらで手に入れた第二の人生だが、この意識は俺自身の運で掴み取った俺のもの。まぎれもない、俺の人生だ。ゲームキャラの「汐見悠馬」じゃない。「俺」という意識を持つ、汐見悠馬の人生だ。
誰かのための、人生じゃない。
「……くっそたれが、待ってろよ主人公。必ず、俺の手で、俺の人生をお前から奪い返す!!」
俺は親の仇でも睨むような目でポスターのさらに奥。まだ見ぬ俺の天敵を睨みつけるのだった。
その後の進路の話で、校内は勿論、全国模試でもトップの成績を取っていたにもかかわらず、創設から数年しかたっていない様な私立の学校を進められた段階で俺は腹を括ることにした。
この世界の支配者たる主人公と真正面から戦う覚悟を決めたのだ。
それから俺は必死になった。今まででこんなに必死になったことは無いんじゃないかと思うぐらい必死になって、「自分磨き」をした。
そして今。
あの忌々しいポスターと寸分も変わらない校門を通り教室に入ると、俺は早速必死になって身に着けた「コミュ力」「社交性」を思う存分発揮していた。
その結果、
「ねぇねぇ、汐見君ってどこに住んでるの?」「学校終ったら一緒に遊びに行こうよー」「汐見君ってばおもしろーい」「ねぇ、汐見君の事悠馬って呼んでもいいかな?」「あ、それずるーい。はいはーい、私も下の名前で呼んじゃうよ悠馬君」「それなら私も」「私も」「悠馬君」「悠馬」「悠馬」
俺はそんな女子たちににこやかな笑みを向けながら、内心で高笑いをしていた。
ハーハハハ、見よ。これが、イケメン+コミュ力の力!! たった一日にしてハーレムを築き上げることなど造作もないわ!! ハーハハハ!!
って、そんな馬鹿なことは置いといて、なぜ俺がこんなことをしているのか説明しよう。
勢いで、主人公は敵だ! 絶対駆逐してやる! などと言っていたが、肝心の主人公は誰かが俺にはさっぱり分からないのだ。
勿論、アニメ化された際は主人公の立絵も公開されたわけだが、ゲーム時代には主人公に顔グラなんて設定されていなかったのだ。そうなれば、アニメの絵を鵜呑みにして行動するのは危険だと言うのが分かってもらえるかと思う。
現に、このゲームは高校一年が舞台のゲームで且つ俺はクラスメートキャラの筈なのに、クラスの中を見渡しても、アニメで見た顔の持ち主は見当たらなかったのだ。
そこで、このハーレム作戦である。
一度でもこの手のゲームをやった経験のある人なら分かってもらえると思うが、基本的にこの手のゲームの主人公は受け身なのだ。勿論会話セリフもあるが、間違っても自分から声をかけに行くようなことは無い。イベントの大半が、偶然と言って何度も廊下で会ったり、昇降口で会ったりするものなのだ。
ということは、だ。逆に言えば、自らアプローチをかけてくるような相手は主人公キャラではないとみなすことが出来る。
そこで、話はハーレム計画とか言うどこぞのピンク漫画の様な状況へと至ったのだ。
そして、案の定この計画で三名の女子生徒を炙りだすことに成功した。
一人目は、赤い髪の色をしたちょっとお姉さん風な女子生徒。決してキツイ印象があるわけでは無いが、どことなく頼れるオーラとでもいうべき風格を感じる。……まだ高校生にも拘らず、風格なんて言葉が似合うような女子生徒がいるなんてな。要チェックだ。
二人目は、今どき珍しい程の大きな眼鏡をかけ、ずっと本を読んでいる文学少女然とした女子生徒。……てか、あいつずっと本から顔を上げていない。高校生にもなってあんな浮世離れした存在がいるなんてな。要チェックだ。
そして最後に、特に特徴が無いのが特徴とでも言わんばかりの女子生徒。俺の周りから離れて行った女子生徒ともう仲良くなったのか、楽しそうに談笑している姿が窺える。……こんな短時間ですぐさま会話を弾ませることが出来るあのコミュ力。要チェックだな。
そんなこんなで初日にしては上々の立ち上がりを見せた俺の人生奪還計画だが、ここからが問題だ。
俺は周りの女子生徒に強引に連れられて行ったカラオケで、初対面の女子の歌声を聴きながら、そんなことを考える。
前にも話した通り、このゲームは高校一年が舞台のゲームだ。要するに、ゲーム期間は一年しかない。言ってしまえば、さっき見つけた要チェックの女子生徒と一年間接触しないようにすればいいだけなのだ。
そう考えると非常に簡単そうに聞こえるが、実際どうなるかはわからない。なにせ、俺はここまでの人生で何度も理不尽な世界の強制力を味わってきているのだ。不確定な事を信じていたらいつの間にか追い詰められていた、なんて落ちにならないとも限らない。注意しすぎて困ることは無い。
そもそも、このゲームには俺以外にも攻略対象が五人いる。なので、この世界の主人公が俺を必ず選ぶというわけではない。勿論、ハーレム√なる物も存在はしていたが、まさかそこまで強欲ではないだろう。
ということは、特定の攻略対象に数多く接している相手が主人公の可能性が高く、また、上手くいけばそのまま俺はお役御免となり、このふざけた世界の奴隷から解放されるかもしれない。
そうと決まれば、情報収集か。まずは、俺以外の攻略対象がどんな感じなのかを確認しなければ。
他の攻略キャラたちの顔はわかっている。皆が皆揃ったようにイケメンだから探すのはそんなに難しくないだろう。
そう俺が今後の方針を決めると、タイミングを見計らったかのようにマイクがズイっと差し出された。
「悠馬の番だよ。はい」
「ああ、ありがとう」
俺は差し出されたマイクを受け取ると、無難な選曲で場を盛り上げる。……本当はボ●ロとか、アニソンが歌いたかったが、我慢我慢。
そうしてストレスの溜まるカラオケ大会の次の日。俺は早速他の攻略対象の情報を集めるために行動を開始した。
が、その計画は最初から壁にぶつかることとなった。
「な、何なんだよあの人だかりはよ……」
俺の目の前には、かつてゲーム画面越しに見ていたイケメンフェイスを持つ先輩キャラ硯彰人がいた。それはいい。それは予想通りなのだが、そんな硯先輩の周りにいる大量の女生徒の存在は流石に予想外だった。
「この世界で俺よりモテるやつを始めてみた気がする……」
未だおぼろげながらも、確か先輩キャラである硯彰人は校内きってのプレイボーイと言う設定だった……気がする。
だって実際のゲーム画面では大量の女生徒をはべらせながらの登場シーンなんて「誰得だよ!」となるために存在せず、普通に一人での立絵しかなかったんだ。各キャラのゲーム設定まで詳しく覚えていられるか。
……というか、ハーレムってうざいな。見ていると段々苛々してくる。俺なら普通に嫉妬すると思うけど、周りの男子生徒諸君はよく我慢しているなと思う。いや、我慢しているというより気にしていないって感じか。これも、ゲームの強制力の一つなのかもしれない。
そんなことを考えながら、何気なくハーレム形成する硯先輩を眺めていると、ふいに硯先輩と視線が合った。
そして、まるでこちらを挑発でもするかのようにニヤリと笑みを作って見せやがった。
……なにあれ? 自慢か何か? 俺も昨日ハーレムつくりましたが何か? というか、さっきまで俺が感じていた苛々を昨日は俺が周囲に与えていたのか。これは反省しないとな。人のふり見てわがふり直せ。実にいい言葉だと思います。
俺はこれ以上ここに居ても仕方がないと思ったので、別の攻略キャラを探すことにした。
俺を指さして硯先輩が周りのハーレムに向って何か言って笑いを取っているが、俺には関係ない。無視だ、無視。
どうせ、ハーレム形成しているなら主人公とのイベントもとい接触はしていないと考えて良いだろう。まぁ、他に四人もいるんだ。まだまだ余裕はあるさ。
率直に言おう。俺は甘かった。
「なんなんだよこの学校は……。イケメンはハーレムを作らないといけないなんて校則でもあるのかよ……」
そうなのだ。あの後行った攻略対象キャラ皆が皆ハーレムを作っていて、話を聞くどころか、まともに会話すらすることが出来なかったのだ。
「教師までハーレム作って女生徒侍らせているとか、流石に問題だろ。誰か注意しろよ」
俺は人気が少ない廊下で一人窓のサッシにもたれ掛るようにして呟く。流石に疲れた。体ではなく、精神が。
ここまで来ると、昨日俺があっさりとハーレムを形成することに成功したのも、世界の強制力によるものである可能性が浮かんでくる。
もしそうならば、あのハーレム計画は予定調和だったという事になり、俺が付けた目星は何の意味もなかったという事になる。しかもそれだけでなく、俺は知らず知らずのうちに世界の意思に従っていたという事にもなるのだ。
「どうすりゃいいんだよ……」
こうして一人廊下で黄昏ているのも、もしかしたら世界の強制力によるものなのかもしれない。
そうなってくると、もう俺に打つ手は無くなってしまう。
「結局、俺は世界の奴隷になる為に生まれてきたって運命を受け入れるしかないのか……」
そうして俺は一人で諦めモードに入っていると、突然「あの……」と声をかけられた。
てっきり一人だと思って油断した。
俺は急いで人当たりの良さそうな表情を取り繕うと、さっきまでの気弱な雰囲気など微塵も感じさせずに声の方に振り向く。
だが、
「え……」
声をかけてきた相手を確認した途端、予想外の人物に思わず絶句してしまった。
そこには、
「あの、少しお時間頂けないでしょうか……」
と今にも消え入りそうな声で話す、俺に靡かなかったクラスメートの一人、文学少女然とした女生徒が立っていた。
「一体俺に何の用かな?」
俺は内心の動揺を気取られないようにすぐに表情を取り繕い目の前に突然現れた文学少女に笑みを向ける。
例え俺のハーレム計画が失敗に終わっていたとしても、まだそれを確定させるには情報が足りないのは事実。なので、未だ彼女に対する俺の注意マークは消えていない。むしろ、こんな人気のない場所で遭遇するという何かのイベントのような状況は、俺の警戒心を引き上げる結果に終わっていた。さぁ、どうなる。
しかし、そんな風に警戒をする俺に対して、彼女はやけにおどおどとした態度を取ってきて、一向に喋りださない。
俺は笑顔を浮かべ続ける。彼女は一度俺を見て、また下を向いてしまう。そんなことを何度も繰り返す。……俺もう行ってもいいかな?
俺が切り上げようと口を開きかけた時、何かを察したのか彼女は急にカッ! と目を見開くと、先ほどまでおどおどして一向に喋り出さなかった人と同一人物とは思えない様な勢いで俺の手を掴み、ズイッと体をこちらに寄せてきた。
何事!? と若干引く俺。しかし、彼女は俺のそんな態度には全く頓着せずキラキラした瞳をこちらに向ける。
「あ、あの汐見、汐見悠馬さんですよね!?」
「は、はいそうですが……」
俺は若干腰が引けていながらもちゃんと答える。
「ほ、本当に汐見さんだ……。CV.則森さんの声だ……!」
早く逃げ出したほうがよさそうだと考えていた俺の頭は、その一言で凍りつく。そして、若干背けていた顔を彼女に向け直す。
「……今、CVって言ったよね?」
俺は浮かべていた笑顔を消して素の表情で訪ねる。
しかし彼女は「え、やだ私ったら、いいえ気にしないでください。唯のひとり言なので」と言って、また元のおどおどとした雰囲気に戻ってしまった。
俺は先程まで彼女から逃げ出そうとしていたにもかかわらず、気が付けば今度は彼女の肩を逃がさないと言わんばかりに思いっきり掴んでいた。
「きゃっ!」
小さな驚きの声で俺はハッと我に返る。
「ご、ごめん……」
「い、いえ、お気になさらずに……」
少女はやや驚きながらも、その頬に僅かに朱がさしていた。その反応は、気になるクラスメートに対する物と似ているが、違う。それは、アイドルなど自分の手には届かない存在に会った時の様な緊張と興奮による反応だった。
生唾をごくりと飲み込む音がやけにはっきりと耳に響く。
俺が転生者なのと同じよう、主人公キャラたる彼女や他の攻略キャラも転生者と言う可能性は大いにあるという事は、勿論俺だって考えていた。しかし、記憶引継ぎの成功率は一割以下。俺が成功したからと言って他の転生者達も成功しているとは考えづらい。むしろ失敗していると考えた方が自然だ。そのため、俺はこの可能性はあまり重要視していなかった節がある。
しかし、彼女の発言は明らかに俺と同じ一割以下の確率をもぎ取った強運の持ち主でしかありえない発言だ。
どうする? 思い切って打ち明けるべきか? 今の俺の状況と心境を語れば、もしかしたら同情して手伝ってくれるかもしれない。その可能性は無きにしも非ず、だ。しかし、もしも、彼女が主人公だったなら? 俺の正体をばらすという事は間違いなく最悪の選択肢だ。
俺の人生を奴隷エンドかハッピー勝ち組ルートかを決める一世一代の二択だった。
しかし、これは実質二択ではない。
考えてもみて欲しい。俺はついさっきまで、あまりの詰み加減に落ち込んでいたばかりなのである。現状俺にとって、こいつとの繋がりを作る以外にめぼしい進展方法が手元に無いのだ。
だが、それにしてもあまりにも究極的な選択であることには変わりない。
現状維持、もしくは現状よりも更に悪くなる可能性のある安定志向を取るか、それとも攻め込み、一刻も早くこの糞ったれな世界に反旗を翻すか。
俺は思わず唇をかむ。
そして、僅かな血の味と共に当時を思い出す。俺の決意を。あの時感じた屈辱を。
そうして数秒後。俺の意思は、固まっていた。
少女は突然の俺の行動にオドオドと言うよりも、そわそわとした態度を取っていたが、俺の意識が彼女に向いたのを敏感に察するとビクッと体を震わせ緊張する。
緊張しているのは俺の方だ。と怒鳴りたい気持ちになるが、それを抑え込み。俺は口を開いた。
「君は、『記憶持ち』?」
その言葉に、先ほどとは違う意味で少女に緊張が走った。
「もしかして、汐見君、ううん、『あなた』にも前世の記憶があるの?」
少女の一言一言に、嫌な汗が溢れ背中を伝う。手足が緊張のあまりふるえる。それでも、俺は決めたのだ。逃げない。真正面からやってやる、と。
だから、
「ああ、俺は前世で死んで今は『汐見悠馬』として生きている」
そう言いきった。
そんな俺の告白を聞いた少女は、興奮した表情と歓喜を控え目ながらにも目一杯表していた表情を一気に暗くさせ、俯いてしまった。そして、
「そう、なんですか。そうなんだ。汐見君じゃ、ないんだ……」
と小さく、目の前にいる俺ですら聞き取りづらいほど小さく、呟いた。
そんな少女の姿に、俺の胸に僅かな痛みが走る。
彼女は恐らく、このゲームのファンなのだろう。もしかしたら、ゲームキャラである「汐見悠馬」ファンだったのかもしれない。そんな彼女にとってこの場所は、憧れとも言える夢の場所であり、現実に現れた「汐見悠馬」は、きっと彼女の心をときめかせたに違いないのだ。
その気持ちは俺にも痛い程分かる。もしこの場所が、俺の好きなマンガやラノベの世界ならば、好きなキャラに会えれば舞い上がるほど嬉しいし、何とかしてお近づきになりたいと思う。まさに、アイドル相手の様な感情を抱くのだろう。
しかし、その肝心のキャラの中身が違うと知ればどう思うか。その絶望感や、失望感は俺には計り知れない。
俺は一人のオタクとして、一人の類友の夢を壊したのだ。それは、酷く、心に響く痛みを俺に与えた。
でも、俺は引けない。もう、後戻りはできない。賽は投げられたのだ。
俺は怯む心を何とか奮い立たせ、今にも逃げ出しそうな彼女の肩を今度は優しく、しかし決して逃げだせないように掴む。
彼女はそんな俺を見て、恐怖と絶望の表情を浮かべた。さらに、瞳には雫が溜まっているのが見て取れる。そんな表情を見て、彼女を逃がさないように抑えている俺の方が逃げ出したくなる。彼女の理想を奪った俺に対して、その口から俺の存在を否定する罵声が飛び出るのではないかとビクビクする。でも、逃げ出さない。逃げ出すなんて、してはいけない。
「……君に、手伝ってほしい事がある」
俺は絞り出すように声を出す。
彼女はそんな俺になんの反応も示さない。でも俺は、そんな彼女に構わず言葉を続ける。
「俺の人生を取り戻すのに手を貸してほしい」
彼女は俺の言葉に疑問を感じたのか、先ほどまで浮かべていた感情を引っ込め戸惑いの表情を浮かべる。
そんな彼女の表情に俺は心の底からほっとして、しかしその直後、また唇をかみしめるほどの強烈な自己嫌悪が俺を襲ってきた。
俺はそんな内心を、今度は完璧に隠すことに成功し、彼女が疑問に思っているだろうことに答えるため、自分の協力者を得るため口を開いた。
その後、俺の話を聞いてくれた彼女は、「私にできる事なら」と快くとは言えないが俺の協力者になることを約束してくれた。
彼女は俺の予想通り、この作品の大ファンだったらしい。
しかし、彼女は俺と違って特に何らかの役割を与えられた人物でなかったためか、世界の強制力のような理不尽な力を受けた経験は無く、高校進学の際まで俺と同じようにこの世界が乙女ゲームの世界なんていう事には微塵も気が付かなったという。
即ち、運命力も何もない筈の彼女が、数クラスある中で俺や主人公が所属するメインの舞台となるクラスに配属されたのは全くの偶然ということだ。
成功率一割以下の記憶引継ぎを成功させるだけに留まらず、自分の好きな作品の世界に転生し、主人公と同じクラスになるなど、驚異的な運の強さだ。
そんな強運の持ち主である彼女の名前は、皆下京子と言った。
彼女は自前のライトノベルを片手に、俺の望みを叶える為日々前世でプレイした記憶を頼りに俺を導いてくれた。結果、もう直ぐ夏休みと言った時期に差し掛かろうとしている現在まで、俺は下手に他人と接触すること無く、無難に日々を過ごすことに成功していた。
「いやぁ、すごいな師匠は。前期は師匠のおかげで何とかなったようなものだよ。師匠がいなかったら俺はもうとっくに主人公と接触してたな」
彼女と俺は放課後の静まりきった図書室でいつものように対策を練っていた。どうして図書室なのかというと、彼女曰く、ゲーム時代の「汐見悠馬」のイベント発生場所の中に図書室は含まれていなかったので、ここに居れば下手にイベントが発生する心配はしなくていいだろうとのこと。
俺もこのゲームはプレイしたはずなのだが、「汐見悠馬」ルートだけはどうしても思いだすことが出来なかったため、こうして情報提供してくれるだけでも非常にありがたい。その上、彼女はいつもそのゲーム知識を駆使して俺を助けてくれていた。俺の中で、皆下さんの株はストップ高だ。呼び方も、はじめのうちは「皆下さん」だったが、最近では敬意を込めて「師匠」と呼んでいるほどだ。
そんな彼女が、今日は珍しく難しい顔をして、深刻そうに呟く。
「ちょっとこれから難しくなると思うの」
「この後何かあったっけ?」
俺は必死に記憶をひねり出そうとするが、何かめぼしい記憶は思い出せない。
そんな俺に彼女は淡々と告げる。
「ほら、もう直ぐ夏休みでしょ? ゲームでは夏休みの間は、ボーナスステージみたいな感じで好感度が上げやすくなるの。だから、外出た時のエンカウント率は学校にいる間とは比較にならない程跳ね上がると思う。それに、夏休み中は毎日私と会えるわけでもないから、今迄みたいにうまく避けられるとは限らないわ。あなた思った以上にゲーム知識無さそうだし」
初めて会った時とは比べ物にならない程はっきりと喋るようになった彼女に感慨深いものを感じながらも「じゃあ、どうすればいいのさ?」と俺は彼女に尋ねる。
そうすると、待っていましたと言わんばかりに、彼女は眼鏡を持ち上げる。
「私は彼女の友人役である愛美と仲良くなるのがいいと思う」
「それはまたなんでだ? 彼女は何時も主人公であるあの子と一緒に居るから危険だと思うんだけど?」
現在、彼女のおかげで、俺は誰がこの物語の主人公なのかを正確に知ることが出来ていた。
なんとこの作品の大ファンである彼女は、公式サイトで以前挙げられていた主人公グラフィックを見たことがあったのだ。そして、そのグラフィックと最も近いのが赤い髪を持ちお姉さまっぽい風格を醸し出していたあの女子生徒だという。
今では、彼女が他の攻略対象と一緒に居るところも確認できており、仮定を確信として動いている。
だから、今話題に上がっている友人役の愛美と言うのは、特徴が無いのが特徴とでもいうべき、あの社交性の高そうな女子生徒の事だった。
「確かに学校内では彼女達は基本二人で行動するから、片方だけに接触するのは難しいと思うわ。でも、校外なら流石にそうはいかないと思うの。それに、上手く彼女と恋仲にでもなってしまえば、ゲームと違って現実になったこの世界なら、主人公たる彼女が親友の恋人を奪ってまで、好感度の全く上がっていないあなたを奪おうとするとは考えにくいしね」
「な、なるほど。流石このゲームの達人様」
「ふふ、そんなに煽てても何も出ないわよ。さてと、そうと決まれば対策を練るわよ。大丈夫、彼女のことは一番良く分かっている自信があるから任せて」
「よろしくお願いします、師匠。無事この一年を乗り越えた暁には、しっかりと恩返しさせていただきますので」
「ええ、楽しみにしているわ。さぁ、夏休みまでになんとか接近しないとね」
そうして、主人公の親友たる愛美攻略が始まった。
まぁ、実際師匠の助けもあり、それは実に簡単だったのだが。
なにせ主人公がいない僅かな隙をついて声をかけて、何度か接点を持てばいいだけなのだ。いくら初日のハーレム計画で俺に近づいてこなかったと言っても、俺ほどの美男子に何度も何度も意味ありげに言葉を投げかけられ、心が動かないわけがない。
そうして、無事に皆下さんの計画通りに事が進み、夏休みを明日に控えた放課後。
最後の打ち合わせとして俺達はノートを使って念密に計画を立てていた。
「いい、まず水族館とテーマパークはこの日に行くのがいいわ。この日なら、他のキャラは別の場所に居て鉢合わせすることも無いから、主人公である彼女に会う可能性も低いと思うの。あと、この日は外出は控えた方がいいわね。確かよくないイベントが発生したと思うから。あと、この日は……」
そうして、何度も記憶と照らし合わせ、俺の都合も合わせて考えてくれた夏休みの予定表はノート一冊丸々使う程の量となっていた。
それでも彼女は別れ際「何かあったらメールして。なるべく力になれるようにするから」と言ってくれた。
俺はそんなに頑張ってくれる彼女の為にも、なんとしてでも乗り切ろうと思うのだった。
日曜日。人で溢れているかと思いきや、意外と快適なテーマパークの中を、俺は主人公の親友である愛美と一緒に歩いていた。
二人でいろんなアトラクションに乗って、休憩とばかりに入ったお店で昼食を取りながら、彼女が俺に聞いてきた。
「ねぇ、悠馬は私と一緒で楽しい?」
彼女が突然言い出したその言葉に、俺は優しい笑みを浮かべながらしっかりと答える。
「楽しいよ」
でも、それだけじゃ不安なのか、彼女はちょっと赤くなりながらも「本当に?」と再確認してくる。
「本当さ。君の笑顔は俺にとっては何物にも代えがたい宝物さ。そんな最高の表情を、今日君は俺だけにずっと見せてくれているんだ。楽しくないわけないだろう?」
「そ、そう? でも、私って地味だし、流行や服に疎いし、体型だって、まだ子供っぽいし、頭だって良くないし、悠馬に全然釣り合わないよ……」
そう、不安そうな表情で彼女は俯く。そんな彼女に俺の胸はどうしようもなく締め付けられてしまう。
俺は、彼女のそんな顔が見たいんじゃないんだ。彼女の、見る人すべてを癒してあげられるようなそんな表情が見たいんだ。
そう思うと、居てもたってもいられず、すぐ目の前にある彼女の手を取り、立ち上がる。
彼女はちょっとびっくりした表情を浮かべ、何か言いかけるが、俺はそんな彼女の口に優しく一指し指で蓋をする。
「君が何時までもそんな風に悩むなら、俺がとっておきの魔法をかけてあげる。君がもう不安に思わなくすむような、そんな魔法を」
「え、それってどういう――」
俺は彼女の唇に自らの唇を重ね合わせる。
今度はちょっとどころではなく吃驚した様子が唇越しでも伝わってくる。
何時までも感じて居たいと思うような、そんな甘美な感覚だが、俺はそんな自らの欲望を何とか堪えて彼女を開放する。
彼女はフラッと立ちくらみでも起こしたかのように、身体が傾く。俺は慌てて彼女を倒れる前に抱きかかえた。
「これって……」
未だ衝撃から立ち直れないのか、何時もならすぐに離れる癖に何時までも俺の腕の中で抱きかかえられたままになっているお姫様に、俺は常とは異なるちょっといたずらじみた笑みを向ける。
「愛美の不安を消し去る魔法さ」
「魔法……」
未だ呆然としている彼女の表情が、可愛くて、愛おしくて、気が付けば俺の口は勝手に動いていた。
「これが俺の気持ちだよ。何度も言っているのに、何時まで立っても焦らすんだもん。ちょっといたずらしたくなっちゃったんだ。ごめんね」
「え、う、うん……。私の方こそ、はっきりしなくてごめん」
彼女は俺の腕の中でその小さな体をさらに縮めてそう謝る。
そんな小動物じみた彼女に、俺はさらにいたずらしたくなる衝動を抑え、でも、やっぱり、いたずらしたくて、ちょっと意地が悪い質問をする。
「で、俺の魔法の効き目は如何ですか? お姫様」
すると、彼女は真っ赤になって俺の腕の中で更に丸くなる。
そして彼女が腕の中で小さく呟いた「効き過ぎですよ……」と言った言葉に俺は作り物ではない、自然な笑みを浮かべるのだった。
一年が過ぎた。
振り返ってみればあっという間の一年だった。しかし、激動の一年でもあった。
俺が主人公の呪縛、世界の強制力から無事解き放たれたのも一重に師匠のおかげだ。今振り返って、あの時師匠に俺の素性をばらして協力を要請していなかったならどうなっていたのかを考えると寒気がする。
そして、記念すべき終業式の日。俺は図書室に来て、一足先にここに来ていた師匠こと皆下京子さんに頭を下げていた。
「本当にお世話になりました。師匠が居なかったら、こんなにスムーズにいくことは無かったと思います」
そういうと、師匠は夏休み以降から良く見せるようになったどこか歪な笑みを浮かべ「よかったね」と祝福の言葉を送ってくれた。
「まぁ、でも、あなたのことだから、私が居なくても案外何とかなったかもしれないわね」
「いやいや、師匠のゲーム知識がなかったら、俺なんて他の攻略対象と変に絡んで主人公にあっさりと捕まっていましたよ」
「ふふ、確かにそれは有り得るわね」
そんな風に俺は師匠と二人静かな図書室で雑談にふける。
ふと、俺は壁に掛けられている時計に目をやった。時間が思った以上に経っており、もうすぐ約束の時間が迫っていた。
「あ、そろそろすいません。ちょっと約束があるので」
「彼女さん?」
「はい。俺がようやく愛せる様になった相手です。こういう風に心から恋愛を楽しめるようになったのも、一年間主人公から逃れて世界の呪縛から解放される手助けをしてくれた師匠のおかげですよ。本当に感謝しています」
「ふふ、そんなに煽てても何も出ないよ。」
それは、依然聞いた覚えがあるセリフだった。それに釣られるように、俺は師匠との間に結んだ一つの約束を思い出す。
「そう言えば師匠、約束の件。何か決めておいてくださいね。俺にできる事なら何でもしますので。」
俺がそう言うと、師匠は眼鏡を持ち上げて「私は、君と彼女が末永く幸せに暮らしていってくれればそれで十分」と言うのだ。
本当に、彼女は良く出来た人間だと思う。同じ転生者だとしても、ここまで人間として差が出るのかと俺は敬服した気持ちで彼女に再度頭を下げ、図書室を出る。
しばらくして、待ち合わせの場所。図書室のすぐ下で俺を待つ彼女の姿を見つける。
彼女も俺の方に気が付いたようで、手を振って応えてくれた。
俺も手を振り返しながら、足の速度を速め彼女の元へと急ぐ。
俺はこの世界のルールに立ち向かい、見事勝つことに成功した。その証拠に、彼女と半年以上にもわたり交際しているにもかかわらず、中学の時に感じていたような違和感を覚えていないのだ。
俺の足から鎖が解き放たれたためか俺の体が今まで以上に軽く感じる。心から奴隷と言う重圧が取り払われたためか鼓動の高鳴りが今まで以上に感じられる。
俺は駆け寄ると同時に愛しの彼女を抱きしめる。
彼女も楽しそうに俺の腕の中でニコニコ笑っている。
俺は、自分の人生を世界から奪い返したのだった。
終業式の日ということもあり図書室に明かりはなく、外からの日差しが唯一図書室の中を照らしている。そんな薄暗く不思議な雰囲気をまとう図書室の窓から階下を見下ろしそっとつぶやく。
「去年初めてあった時の彼にこの様子を見せたらどう思うかしら」
一人の女子生徒が窓の外で抱き合っているバカップルを眺めていた。
その光景は端から見たら物憂げな文学少女が憧れの男子生徒を眺めているようにも見えたかもしれない。だが、その光景を見ていた彼女の口は、その見た目からは想像できない程醜く歪んだ笑みを形作っていた。
「ふふ、彼、実はかなり頭悪いんじゃないかしら」
眼下に広がるカップルの片割れは全国模試一桁から落ちたことが無い、まだ歴史が浅いとはいえこの学校創設以来の秀才である。だが、一年間彼を騙し続けてきた彼女にとって、そんな数字は彼の知能指数を計る上では何の意味も持っていない。
「あんな馬鹿が悠馬君って呼ばれていると思うと殺したくなるけど……」
彼女は誰も居ないことを良いことに堪えきれないと言った感じで静かな図書室に笑い声を響かせる。
「ふふふふ、アーハハハハハハハハハハハ!! 本当に、ほんとぉぉぉうにお馬鹿な子。あんたみたいな奴が悠馬君の体を持っているなんて虫唾が走るけど、けど、まぁ、この一年間あなたが晒してきた醜態の数々でチャラにしてあげるわ。寛大な私に感謝しなさい!」
彼女の言葉を鵜呑みにし、主人公の親友ポジションである赤髪の子を主人公だと思い込み、避けようとしていた主人公に自ら迫り、あまつさえ本当に攻略されてしまったのだから可笑しくてたまらない。
「世界の強制力だとか、自分の人生を取り戻すだとか、くだらないくだらないくだらない。あんたなんか乗っ取られた悠馬君の分だけ精々苦しめばいいんだ。まぁ、この様子じゃあ自ら鎖に嵌まりに行ったってことにも気が付かないんでしょうけどね。アハ、アーハハハハ、アーハハハハハハハハハ……」
彼女の狂った笑い声は誰に聞かれることも無く響き続ける。
静かな静かな叡智の中、虫の様に、毒の様に、ただひたすら木霊し続けた。