8話
「入りなさい、氷華」
そう言われて、幼い氷華はおずおずとその部屋の中に入り込んだ。
その部屋は簡素としたものだった。
必要以上の調度品は存在せず、一目ではっきりと地味と感じてしまうような部屋だ。
そして、その奥に。
絶対的な君臨者が正座で座っていた。
「座りなさい」
有無を言わせぬ声音に、氷華はびくびくしながら正座で座った。
ここは、四ノ宮本家の敷地。
その最も奥の建物の中にある、四ノ宮京子の部屋だ。
四ノ宮の分家である氷華は、普段本家に訪れるようなことは滅多になく──この京子の部屋の中に、足を踏み入れることなど皆無に等しい。
それどころか、当主である京子と、こうして面と向かって話すことも初めてだった。
「あ、あの……ごめんなさい」
「何がですか?」
「い、いえ、別に何というわけではないのですが……」
京子の鋭い視線に、氷華は首を竦める。
こうして、直々に呼ばれるという事は、知らぬうちに、何か大変なことをしてしまったのかと思ったが──どうやら、そうではないらしかった。
「ここにあなたを呼び出したのは他でもありません。あなたに頼みたいことがあるからです」
前振りもなしに、京子は単刀直入にそう切り出した。
「……わ、私にですか」
「そうです」
京子が重々しく頷く。
「わ、私は何をすれば良いのでしょうか」
「そんなに難しいことではありません。ただ、ちょっと、天音を守るための力を付けて欲しいのです」
「天音ちゃんを守る……?」
訝しげに、氷華は首を傾げた。
天音を守る。──とは、氷華の口からはとても言えるものではなかった。
天音の前では氷華は強がっているものの、天音の方が遥かに強く、むしろ、氷華はいつも守られている方だ。
「あ、あの、天音ちゃんは私なんかが守らなくても、十分に強いです……」
「今は、そうかもしれません。けれど、あとあと、天音一人では対処できないような事態が起こるかもしれないのです。その時のために、氷華。あなたは天音を守れるほど、強くなって欲しい」
「私が──」
「そう、あなたがです。幸い──あなたは天音以上に霊術の素質があるようですから、そこは心配していません。もう既に、あなたの武器となるはずの《武装霊具》も用意してあります。あとは、あなたのやる気次第です」
「私の……」
呟いて、氷華は京子の瞳を見つめた。
相変わらず、何を考えているかはわからない。瞳が秘める色は厳しく冷たい。だが、その時だけは──ほんの少し、温かい感情がそこに見えたような気がした。
「私は、天音ちゃんが守れるようになりますか?」
「ええ、きっと」
「なら、私は」
私は。
私は──
◇
青白い光を放つ地下室で、氷華は無言で祭壇を見つめていた。
祭壇に刻まれた霊法陣の真上。厳かな空気を放つ社の前。
そこに、詩織は両腕を縛られたまま立たされていた。
無論──詩織の顔から笑みが消えることはない。
儀式の準備は全て終了していた。あとは、天音が来て儀式を執り行えば、それで決着がつく。
が、
「……天音が来ない」
小さく囁いて、氷華は少し離れた場所にいる京子の顔を盗み見た。
もう、約束の時間から一時間が経過しようとしている。だというのに、天音が現れる気配は一向になかった。
しかも、京子の我慢も限界が近づいて来ている。京子の顔は無感情に彩られているものの、内心は怒りに満ちていることが、遠くからでも、氷華にはわかった。
──と。
「……そう、それがあなたの選択というわけね、天音」
誰に聞かせるわけでもなく呟いて、京子が氷華の方に視線を移した。
幼い頃から浴びせられてきた威圧するような視線。
反射的に、氷華はびくりと身体を震わせる。
「もう、我慢できません。氷華、儀式はあなたが執り行いなさい」
「──わかりました」
四ノ宮家当主の言葉に、氷華は頷いた。
実を言うと、この展開を予想していないわけではなかった。
あの優しい天音である。選ぶことができずここに訪れない可能性も、氷華は一考していた。
そして、その場合、氷華がやり遂げるのだと。
だが、これで良いのである。
自分が詩織に引導を渡せば、天音に与える心労は圧倒的に減る。汚れ仕事は、自分の領分だ。天音にやらせるわけにはいかない。
だって、天音を守ることが氷華の存在理由なのだから。
それが、分家の少女であり、幼馴染としての役目。
意を決すると、氷華は祭壇に向けて一歩足を踏み出した。
網膜に、笑みを浮かべた詩織が映る。
一歩。一歩。また、一歩踏み出す内に、詩織の寿命が縮んでいくような気がして、氷華は唇を噛み締めた。
体感では数十分経過した頃。
ようやく、氷華は詩織の目の前に立った。
「……篠崎、先輩」
「私は氷華ちゃんと呼んでいるんですから、詩織で良いですよぉ」
「……詩織、先輩……」
よくよく思い出してみれば、面と向かって詩織の名を呼んだのは、これが初めてかもしれない。
そんなどうでも良い思考を脳内に巡らせながら、氷華は震える声で、京子には聞こえないように囁く。
「……詩織先輩が、ご両親に伝えたいことがあったら教えて。たぶん、先輩は失踪扱いということになるだろうけど、私が何とかして伝えてみせるから」
「と、急に言われてもですねぇ……」
「何でも良いから。何かないの?」
「いや、何でもは良くないと思いますが……」
「良いから。何でもいいの、私は何かあんたの役に立ちたいの」
「……うーん、じゃあ、こう伝えてくださいね」
満面の笑みとともに、詩織はそれを紡ぐ。
「──私は私が選んだ道を進むから。何も心配はいらないよ。じゃあ、またね」
「…………っ」
何気なく紡がれたそれの裏に潜んだ思いに、氷華は血が溢れんばかりに拳を握り締めた。
「こんな感じで良いんですかねぇ。それとも、何かもうちょっと言った方が良いんですかねぇ、こういうのって」
「いえ、十分だと思うわ……」
十分すぎるほど、十分だ。
私は私が選んだ道を進むから。
なら──氷華はどうなのだろうか。
天音を守る。確かにそれは、氷華自身が幼い頃に誓い、そして今まで遵守してきた誓いでもある。
氷華が選び、氷華が進むと決めた道である。
だけど、本当にそれだけで良いのか?
ここで詩織を切り捨てて──果たして、氷華は自分が選んだ道に誇りを持って進むことができるのか?
「……でも──でも、しょうがないのよ」
そう。しょうがない。その結論はとっくに出た後だ。
分家の少女である氷華には、無力で愚かな氷華には──取れる選択肢なんて最初から存在しないのだから。
だけど──と、ぼんやりとした頭に残った僅かな知性が、氷華に囁く。
自分が進むべき道を選ぶとは、そういうことなのだろうか。
大勢を救うために、詩織を切り捨てる。
そこに、氷華の意思は介在していない。氷華の思いはない。ただ、与えられた選択肢に従って、氷華は選ばされただけだ。
違う。選ぶとはそういうものじゃないはずだ。
選ぶとは、自分の意思で、自身の思いをこめて決めること。
例えば、天音の母親が、天霊に、運命に刃向かったように。
例えば、詩織が、天音のために最後まで笑みを絶やさないことを決めたように。
自分で選んだ道を進むとは、そういうものであるはずだ。
なら──氷華は何を選ぶべきなのか。
「──んなの決まってんでしょ!」
叫んで、氷華は片足を地面に叩きつけると横にサッと手を振った。
その手の真下に青白い幾何学的な文様──霊法陣が現れる。続けて、霊法陣から氷華の手に向かって、一本の青白い光が伸び──実体化した。
氷華の手に握られたのは、一本の杖だった。
それは身の丈ほどもあり、まるで氷細工のように透き通るような色。氷のように見えるそれは、実際に冷気を撒き散らしていた。杖を握っている氷華は全く寒くないが、その周囲はピキピキと音をたてて凍りついていく。
そして、これこそが、氷華の最大の武器──《武装霊具》であり。
京子から天音を守るために渡された《霊具》。
「……氷華、ちゃん……?」
視界の中央で、詩織の驚愕の顔が。
端では、京子の驚愕の顔が映るが──構わない。
たとえ、氷華では力が足りなかったとしても。
無力だったとしても、愚かだとしても。
これは、氷華が選んだ道だ。
|邪魔立てするなら強引に突き通る《・・・・・・・・・・・・・・・》。
「──来て!」
氷華の呼びかけに応じるように、背後で空間が蠢いた。
続けて、青白い閃光が何度も明滅すると。
氷華の隣に現れたのは、氷で創られたような龍──氷華が契約している精霊。
「──フェイ、行ける?」
言いながら、氷華がフェイと命名した龍の体躯を撫でてあげると、フェイはぐるると喉を鳴らした。
天音のギンのように言葉を喋るわけではないので、確認しようがないが、今のは了承したと受け取っても良いだろう。
「……驚いたわ。氷華、あなたまで愚かな選択をするなんて」
流石、四ノ宮家現当主といったところだろうか。
一度は驚愕の表情を晒したものの、京子は既に平静を取り戻していた。
双眸には、老いなど一切感じさせない冷たく鋭い意思の光が秘められており、この状況で自分がどう動くべきか冷静に分析している。
「今なら許してあげます、氷華。さっさとその供物をこちらに渡しなさい」
「は、……嫌、です」
現当主の命令。
それに、氷華の口が反射的に肯定の意を示そうとしたが、氷華は全精神力を振り絞って自らの意思を口にした。
「たとえ、誰から何と言われようとも──私は詩織先輩を助けたいから助ける。守りたいから守る。私の前では、私が守ると決めた人は絶対に傷つけさせない!」
それが、氷華の選択。選んだ道。
邪魔は誰であろうと絶対にさせない。
「そう」
氷華の意思を黙って聞いていた京子が、短く声を漏らした。
何の感情の色も含まない視線で、氷華を見やって。
「──なら、あなたはもういらないわ。死になさい」
その台詞が紡ぎ終わると同時に。
突如、氷華の足元に霊法陣が刻まれた。
「────っ」
──ノーモーションの霊術っ!?
そう脳が認識した時には、氷華の身体は既に動いていた。
「──術式解放」
霊法陣の効果範囲から逃げながらも、氷華は詩織の拘束を解く霊術を発動した。詩織の拘束が解けると、そのまま離れておくように、氷華は詩織に視線で促す。
無事避難するのを見届けると、氷華はそこでようやく顔を前に向けた。
「随分と手荒ですね、当主様」
「……ほぉ、霊術の練度だけで見れば天音よりも上ですか。昔に比べれば、かなり上達しましたね──ですが」
京子がサッと横に手を振った。
合わせるようにして、京子の周囲の空間に霊法陣が数十個出現した。標的は、当然──氷華。
「──行けっ!」
それが発動の合図だったのか、京子の宣言とともに、霊法陣から紅蓮の槍が一斉に射出された。その槍は業火で構成されているのか、遠くにいるはずの氷華の下にも、強烈な熱気が届いてくる。
が、
「フェイ!」
氷華に呼びかけに、氷龍が口を僅かに開いた。
強大な霊力が、フェイの口元に収束していき──十分に、業火の槍を引きつけたところで、フェイは一筋の霊力の奔流を撃ち放った。
細い柱とも言うべき一条の霊力の塊は、全ての業火の槍を飲み込むと──一撃で跡形もなく霧散させる。
直後。
「────」
それを開戦の狼煙としたように、京子が老いを一切感じさせない速度で地を蹴り上げた。
無論、身体強化の霊術を施しているのだろうが、それでも速い。
ほとんど地面を低空飛空するように駆けて、京子は目測で十メートルもない距離を一気に詰める──
「第一術式解放──」
それを一瞥すると、氷華は霊術の起句を口にした。
霊術とは、霊力と複雑な術式で成り立っている。物体を燃やすのも、凍らせるのも、いちいち演算と構築、そしてその時間が必要となるのだ。
しかし、それでは実戦では使えない。
相手が動き、攻撃してくるのに、術式を構築している暇なんてないからだ。
だから、霊術を使用するときには、あらかじめ、精霊に時間を稼いでもらうことや、術式そのものを武器や何かに設定しておくことが必要となる。
氷華は、その処置を《霊具》である杖に施しているのだ。
それによって、氷華は起句を口にするだけで霊術を発動できる。
「──《氷撃重槍》」
静かに紡ぎ終わり、氷華が杖で地面をトンと蹴ると。
氷華の眼前の地面に青白い霊法陣が刻まれ──霊法陣から飛び出した巨大な氷の槍が、京子に向かって襲いかかった。
京子の方はというと、視界にそれが入った瞬間地面を蹴って急激に方向転換した。
氷の槍が空をきる──が、続けて、氷華が杖で地面を叩くと。
回避する京子を囲むように、次々と、青白い霊法陣が空中に出現した。
京子が微かに目を見開く──
「──散れ!」
京子の驚愕など意にも介さず、氷華は宣言した。
それを起句にして、霊法陣から一条の閃光となった氷槍が放射された。まるで、それは光線のようで呆気なく京子を貫く──
ことはなかった。
氷槍が着弾したことで巻き上がった砂塵から現れたのは──真紅のオーラを纏った無傷の京子の姿。
「第二術式解放──《氷撃連弾》」
それを視認した同時に、氷華は新たな霊術を発動した。
杖が地面に触れた瞬間。
今度は、氷華の前方に、小さな霊法陣が空中に埋め尽くして──京子に向かって、一斉に無数の銃弾を吐き出した。
幾条の閃光が空間を直進し、京子の体躯を狙う。
が。
「──ハッ!」
鋭く迸った気合いとともに、京子の身体を覆う真紅のオーラが一瞬明滅すると、それ自体が盾となって、触れた氷の弾丸を溶かし尽した。
「…………っ」
ことごとく霊術が打ち破られるのに、氷華はほぞを噛んだ。
真紅のオーラ。
それはおそらく、氷華──正確には、霊力を供給してくれているフェイでは、比較にならないほどの膨大な霊力量を宿している証だ。そして、その壁は金属製の盾よりも遥かに丈夫な防御。
──なら。
氷華の考えを察したかのように、フェイが再度口を開いた。
しかし、先よりも霊力は濃密だ。口の前で球体を作るように霊力が渦を巻きながら、一点に集積していく。やがて、その球体は徐々にその半径を大きくしていって。
咆哮を響かせると、フェイは青白い霊力の光芒を撃ち出した。
轟!!
周囲の空間を無理矢理突っ切るかのような音を撒き散らしながら、霊力砲とも表現すべき一撃は突進した。
即座に、京子が霊術によって結界を展開する。
直後、結界と霊力砲が衝突した。交錯した地点から火花と眩い光が生まれる。それは、お互いの領域を主張するようにせめぎ合い、硬直状態をもたらした。
そこを、氷華は見逃さなかった。
「第三術式から第五術式までの術式構築工程を削除」
空間上を滑らせるように、手を細かく動かして、氷華は鋭い叫びを放つ。
「──第六術式解放──」
杖で地面を叩いた直後、氷華の左右の空間に二つの霊法陣が浮かんだ。今までで一番の強い輝き。フェイから供給されるありったけの霊力を注ぎ込んだのだ。
「全霊力解放──《氷撃双龍》!」
氷華が強烈な意思をこめて起句を吐き出すと。
二つの霊法陣から、フェイとほぼ同等のサイズの氷龍が飛び出した。
「グルオォォォォォ────ッ!」
凄まじい咆哮とともに牙を剥き出しながら、双龍は少女めがけて空間を突進する。
強大な呪力を秘めた双龍が滑空すると、冷気を吐き出して地面を凍らせた。波状に広がっていく冷気の波動に触れる祭壇や壁はまとめて氷漬けになる。通り過ぎる空間すら、凍り尽してしまいそうだった。
何故か精霊を顕現しない京子は一人であるが──こちらは、二人いるのだ。今なら、氷華の攻撃を、京子に防ぐ術はない……
しかし。
迫りくる氷の双龍に対し、京子は無表情で小さく息を吐き出すのみだった。
「もう、遊びは終わりにしましょう」
そんな言葉が響いた刹那。
京子の広げた片手の前に、眩い紅蓮の光が収束して。
「────」
フェイと同様の──否、それ以上の霊力の奔流を撃ち出した。
たった一撃。
だが、それによって、フェイが放っていた霊力砲も、氷華が霊術によって創り出した双龍も吹き飛ばされた。
真紅の光線が、氷華の顔を掠めて通り過ぎ──フェイの巨躯を穿つ。
苦悶の声を漏らす暇もなく、許容できるダメージ量を超えてしまったのか、フェイの巨躯が明滅すると、ガラスが割れるような音を撒き散らしながら、氷龍の精霊は向こうの世界に戻っていった。
「……う、そ……」
だが、氷華にそれに驚愕するだけの力は残っていなかった。ガクッと膝から力が抜けて、氷華は地面に崩れ落ちる。
霊力を全て使い果たしてしまったからだ。それらは、精霊から供給されているといっても使えば氷華にも疲労は残る。ましてや、全霊力を使ったとなれば、動けなくなるほどの疲労が発生するのも道理と言えた。
「ここまでですね」
全く疲労を感じさせない京子の声が響いた。
「やはり、随分と腕を上げたようですが……肝心の霊力の使い方がなっていませんね。普通であれば、もっと精進しなさいと言うところですが──あなたに与える機会はもうありません」
冷たい感情を秘めた瞳が、氷華を見下ろす。
「死になさい」
冷酷な死の宣告とともに、霊術から放たれた熱線が氷華の身体を幾度となく貫いた。
腹部に、両肩に、両足に、両腕に。これが、お前への罰だというように、いたぶるように、京子は淡々と氷華の身体を傷つけた。
けれど、氷華にそれを抗う術はない。
ただ、蹲った状態で全ての攻撃を受け入れ、氷華は悲鳴をあげる。
やがて、連続して与えられる凄まじい痛みに、脳が感覚として受け入れるのを拒否したのか、氷華は既に痛みすら感じなくなっていた。
「氷華ちゃん! 氷華ちゃん! 氷華ちゃん!」
氷華を気遣うような詩織の声が、どこからか響いてくる。
だが、氷華はその声に返答することはできなかった。
結局──守れないのか。
詩織を守ると言いながら、守ることはできないのか。
自分で選んだ道なのに。この足で進むと決めた道なのに。
そんなのは──
「……い、や、だ」
地面に手をつきながら、氷華は震える足でゆっくりと立ちあがった。
常に殴られているかのような激痛が、氷華の身体にはしる。
でも、それでもマシだ。自分が守ると決めた人が傷つくよりかはずっと。
霊力もない。腕も振り上げられない。
しかし、その状態でも、氷華は闘志を滾らせて立つ。
「ほぉ、その状態でも立ちますか」
「当り前、でしょ……」
が、
続けて、京子が放った容赦ない霊術が氷華を捉えた。
抵抗できるはずもなく、氷華は地面に叩きつけられる。更に、あちこちから血が噴き出して、氷華の意識は遠のき始める。
それでも、何とか立ち上がろうとする氷華を見て、京子は怪訝な顔をつくった。
「……何がそこまで、あなたを駆り立てるのですか? もう、あなたは半分死んでいるような状態なのに」
「……当主様、には、わからない、でしょうね」
蹲ったまま、氷華は唇の端を持ち上げた。
「私が、決めた、道、なんです……守る、って、絶対に、傷つけない、って……決めたん、だから……絶対に、守らなきゃ、いけないんです……!!」
「そうですか。でも、結局、無駄でしたね、あなたの頑張りは」
言って、京子は片手を掲げた。
赤い光の粒子が出現して、幾何学的な文様を象るように収束していく。
霊術の発動前兆。それを避ける、または抵抗する力は、氷華には残っていない。
──ここまで、なのか。
自身の無力さに打ちひしがれて、氷華は涙を滲ませた。
これでは、京子が言うように全て無駄だった。
氷華が殺されれば、次は詩織だ。そうなってしまえば、氷華の覚悟は全て水泡に帰してしまう。
「……ごめん、ね、詩織……」
守れなくて。守る力がなくて。
頑張ってみたけど、結局は守れなくて。
「……ごめん、ね、天音……」
あなたを守ると誓ったのに、それを破ることになって。
全部──全部滅茶苦茶にしてまって。
「……ごめん、なさい……!!」
氷華の瞳から頬を伝って雫が地面に落ちた瞬間。
突然、天井がひび割れて。巨大な穴が空いて。
目の前に。
二つの黒い影が舞い降りた。
タンッ、と。
音をたてて、その黒い影たちは氷華の真ん前に着地した。京子が乱入者を警戒して後ろへ跳んで間合いを取る。
その黒い影たちが振り返って、氷華の視界に初めてその相貌が映った。
影の一つは、獣だった。銀色の毛並みを持ちながら、どこか高貴な印象を与える獣。
そして、もう一つの影は──一人の少女だった。
可愛さと凛々しさを両方兼ね備えた相貌。
氷華が知る限り、誰よりも美しく、格好良く──そして、頼りになる少女。
氷華がかつて守る、と誓い、
誰よりも憧れた少女が。
そこにいた。
「──遅れてすみません、氷華ちゃん」
細剣のように幅広が狭い剣の切っ先を、少女──天音は京子に向けると、周囲を静かに見回して。
それで大まかな状況を察したのか、天音は氷華を安心させるように小さく笑みを浮かべた。
「──どうやら、氷華ちゃんが頑張ってくれたみたいですね」
「……天、音……」
「ありがとうございます、氷華ちゃん。戦ってくれて」
そんな天音の言葉に、氷華は小さく頷いた。
ああ──無駄じゃなかったんだ。
守る力がなくて。無謀に近い手段を取って。
でも、それでも、それは無駄なことはなかった。
「氷華ちゃんはゆっくり休んでください」
闘志の炎を、瞳の奥に煌々と燃え上がらせて。
天音は言い放つ。
「──ここから先は、私たちが相手です」




