7話
次の日──詩織を供物として捧げると言われた日。
天音は学校に行く気にもなれず、村の中をぶらぶらと歩いていた。
儀式が始まるまで、あと数十分。
そんな時だというのに、天音は家の中に籠っていたくなかった。
「…………良い天気ですね」
見上げると、視界に広がるのは雲一つない群青色の空。
本当に何か良いことがありそうな、嫌味なほど良い天気である。
結局──天音は選ぶことができていなかった。
詩織を救うのか。村を救うのか。それとも、天音が救われないのか。
どれかを選ぶなんて、天音にはできない。
しいて選ぶのであれば、天音が供物となることなのだろう。そうすれば、全ての悩みから解放される。もちろん死ぬことは怖いが、残りの二つからどちらから選ぶよりかはずっと甘美なものに思えた。
けれど。
──いいか、自分から死ぬなんてつまんねー手段取ってんじゃねーぞ。そんなことするぐらいなら最後まで足掻いて、戦って死ね。
「……戦って解決できるなら、とっくにやっていますよ……」
本当に、それで解決するならどんなに楽だったことか。
しかし、事はそんなに簡単ではないのだ。
たとえ、元凶たる天霊を倒したとしても、村人たちが精霊を使えなくなり、村は事実上崩壊してしまうだろう。それがなかったとしても、天霊の加護がなくなったこの村に、魔獣が攻めてきて村人が殺されてしまう。
そして、そもそも、天音如きの霊術では天霊に太刀打ちできるはずもない。
それぐらいは、あの地下室に溜まっていた霊力の残滓からでも計り知ることができた。
と。
いつの間にか、天音は見覚えのあるところに出ていた。
小さな開けた空間。
周囲は木々で覆われて、外から見ただけでは、このぽっかりと空いた不自然な空間を探し当てることは、知っていない限り不可能だろう。
ここは、天音が母親とともに幼い頃一緒によく遊んでいた──言わば、秘密基地的な場所だった。今こそあまりしないものの、幼い頃は、天音は男の子のように活発だったのだ。
「……懐かしいですね」
言って、天音は中に入って行った。
母親がいなくなってここに来ることはなくなっていたため、本当に久しぶりだ。
秘密基地の中で、天音は落ち着く場所に座り込むと周囲を見渡した。
木々は生い茂り、記憶の中のこことは全く様相が変わっていたが、母親と一緒に遊んでいた時の記憶は色褪せてはいない。視線を次々と移しながら、天音はあの頃に意識を飛翔させる。
「……私は、どうしたら良いんですか……?」
気が付くと、天音はそんな弱音を漏らしていた。
記憶の中で笑いかけてくる母親に、聞いて貰いたかったのかもしれない。あるいは、どうして、母親は天霊に立ち向かって行ったのか知りたかったのかもしれない。
涙を滲ませながら、天音は幻想の母親に語り続けた。
が、当然、答えが返ってくるまでもなく──。
「…………?」
と、そこで、天音は視界の端で何か光り輝いたような気がして口を噤んだ。
銀色の光。最初は、地面に落ちた涙が陽光に反射したのかと思ったが──違う。明らかに、地面に何かが埋まっている。
思わず、天音は立ち上がって地面を掘り返した。
何が埋まっているのかなんてわからない。ただ、天音は心の中に湧き上がった義務感に従って地面を掘り返した。
そして──
「……箱、ですか……?」
地面の下から出て来たのは、アルミ製の箱だった。
形は直方体で、少し汚れているものの綺麗な銀色である。
試しに蓋を開けてみると、中に入っていたのは一冊のノートだった。几帳面な人だったのか、名前の欄にはちゃんと名前が書かれており、その名前は……
「……四ノ宮、雫……」
間違いない。見間違えるはずもない。
だって、これは天音の母親のものだ。
そこから何かを感じるようにノートの表紙を一撫ですると、天音はそれを開いた。
たくさん書きこまれた文字が視界に飛び込んでくる。
そして、最初に書かれていた文はこうだった。
『未来の天音へ』
◇
未来の天音へ。
あなたの母親の四ノ宮雫です。
さて、そちらでは、私が消えてから何年経っているのかな?
一年? 三年? それとも、十年? 二十年以上?
どちらにせよ、わかっているのは、あなたが何かの困難にぶつかっていることと、私がとっくに死んでいることぐらいかな。私が生きているなら、このノートは回収しているはずだからね。
だって、恥ずかしいし。
えーと、こうして天音に手紙を書くというのは初めてなので、何から書いて良いのかわからないけれど、まず、謝っておきます。
勝手にいなくなってごめんなさい。
何も言わずに行ってしまってごめんなさい。
勝手にいなくなった私を、天音は恨んでいるよね。
でも、それでも。
私がいなくても、天音はちゃんと、私が思う通りの優しい子になっていると思います。
だって、天音は私の自慢の娘なのだから。
母親として天音の成長が見ることができないのが、唯一の心残りだけど──後悔はしていません。
私がこれからするのは、誰のためでもない。
他でもない我が娘・天音の未来を創るためなのだから。
さて、話は変わりますが──今、天音はどんな状況なのかな。
私の予想通りであれば、天音は今重要な選択に迫られているはずです。
誰かを供物へとするか。
村全体を救うか。
それとも、天音自身を供物へとするか。
今、これを読んでいる天音が、もう既にこれらを乗り越えたのであれば何も言うことはありません。あなたが選んだ道を全力で悔いなく進みなさい。
もし、まだ起こってすらいないのであれば、その時になったらわかります。その時に、もう一度このノートを見返してください。
そして、この可能性が一番高いのだろうけど──今、さっき書いた通りの展開になっている場合の天音に私は話しかけ、いや、書き綴ります。
天音、あなたはきっと優しい子だろうから悩んでいると思います。
誰を救うべきかで。誰を犠牲にするかで。
けど、そんなの考えなくて良いんです。
大事なのは、誰かを救うかでも、誰を犠牲にするかでもなくて、天音がどうしたいかです。
救う人を選ばなくてはいけないなら、全員救いなさい。
犠牲にする人を選ばなくていけないなら、誰も選ばなくても良い。
──といったら、未来の天音はそんな簡単なことではないと怒るかな?
けれど、それで良いのです。
例えば、古の契約を反故にしてしまった場合、村の人たちは精霊を使役できなくなってしまうよね。そうなると、精霊に依存しているこの村は混乱してしまうかもしれません。
けれど、それ以上には絶対になりません。
精霊がいなくとも、人間は生きていくことができます。
『外の世界』に出て行った人間のように。
本来、人間は精霊の加護がなくとも、生きていくことができるほど強い生物なのですから。
二つ目に、魔獣が攻めてきたなら──天音、あなた自身の手でこの村を守りなさい。大丈夫。あなたなら、きっと守り切ることができます。
言ってしまえば、問題なんてそれだけしかありません。
全部、取るに足らない問題です。
もう一度言います。
大事なのは、誰かを救うかでも、誰を犠牲にするかでもありません。
天音がどうしたいかです。
そして、最後に。
もし、ここまで読んで、あなたが戦う選択肢を取るならば──あなたには強力な助っ人を用意しています。私と最後まで一緒に戦ってくれた最高のパートナーで、私が知る限り最強の精霊です。
母からの最期のプレゼントだと思ってください。
ちょっと、性格はあれだけどきっと頼りになるはずです。
では、天音の幸運を祈って。
あなたの母・四ノ宮雫より
◇
「…………」
天音は読み終わると、ノートを閉じて箱の中に丁寧に片づけた。
いつの間にか両目から際限なく溢れだしていた銀色の雫を、天音は服の袖で拭うと、ゆっくりと立ちあがって秘密基地を出た。
天音の頭上に広がるのは、雲一つない蒼穹。
絶好の戦闘日和である。
『──どうやら決めたようだな』
不意に隣から響いた聞き慣れた声に、天音は頷いて。
思い出したように付け加える。
「そういえば、ギンが私の前に現れたのは、ちょうど、私の母親がいなくなった時でしたね?」
『そうだったか? 生憎、昔のことはあまり覚えちゃいねーんだよ』
「そうですか」
ギンの返答に、天音は満足して笑みを漏らした。
一緒に同じ歩調で、同じ方向を目指しながら、天音は訊ねる。
「……一つ訊いても良いですか?」
『俺に答えられることならな』
「ギンから見て、母はどんな人でしたか……?」
『俺が知る限り最高の精霊使いだったよ』
「だった、ですか……ってことは、今は私が一番ですね」
『はっ、勝手に言ってろ』
いつも通りの軽口を叩いて、天音とギンは同時にくくくと笑い声を漏らした。
学校に通い、こうして軽口を言い合う日常から、そんなに離れていないわけではないのに、随分と昔のことに感じる。
「……ふふっ、はぁはぁ、久しぶりに笑いました」
『そうだな……で、天音。お前はどうするつもりだ?』
確認するように、ギンが言ってくるのに、天音は一切の迷いなく言い放つ。
「もちろん、選択肢その四です」
『ほぉ、で、それはなんだ?』
「──天霊をぶっ飛ばして、先輩を救います。そして同時に、この村も救います。私の前では、誰も不幸にはさせません」
『欲張りだな』
「駄目ですか?」
『いや、最高の答えだと思うぜ』
そこで、天音は一度立ち止まって。
腰を下ろすと、銀色の毛並みを持つ獣に手を差し出した。
「これから、今までで一番厳しい戦いになると思います。それでも、ギンは私について来てくれますか?」
『誰に言ってるんだ、お前は? 俺は天霊を超える精霊だぜ。それに、前に言ったはずだぜ──お前が決めたことには文句は言わねーよ。俺はそれに従うだけだ』
「そう言えばそうでした。愚問でしたね」
言って、天音はゆっくりと立ちあがった。
瞳に強烈な意思の炎を輝かせて。
「じゃあ──行きましょうか。もう良いように躍らされるのは十分です」
宣言する。
「──さあ、反撃開始です」




