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天使の願いを誰が知る  作者: you'ss
天使の願いを誰が知る
5/10

5話


 霊宮公園は、天隠の村の中心に位置している。

 魔獣などの危険な生物は生息していない森。そこを這うように森中に伸びる遊歩道。中心地には噴水が鎮座しており、よくデートなどの待ち合わせに指定されるスポットでもあった。

 そこに、少女が一人。

 子供たちの声があちこちから聞こえてくる中で、その少女──四ノ宮天音は、私服姿でベンチに座って、忙しなく辺りをキョロキョロと見回していた。

 詩織からデートのお誘い受けた次の日である。

 詩織との約束通り──一方的なものだったが──天音は待ち合わせの場所に来ていたのだった。

 詩織に怪しまれるため、ギンは顕現していない。が、代わりに、どこかで氷華が天音の事を見守ってくれているのだろう。


『……なんか、もう死にたい』


 そんな中で、頭の中に、鬱にまみれた氷華の声が響く。

 今、天音たちは霊宮公園で詩織を待っているところだった。

修祓の霊術を発動するためには、詩織に憑りついている天霊の精神が、最も無防備な状況を狙わないといけない。そのためには、なるべく、詩織の近くでそのタイミングを狙った方が、遥かに効率が良いのだ。

 だから、詩織のこのデートの誘いは、堂々と近くにいる口実ができるので──天音と氷華は万全に用意して臨んでいたのだが。

 何故か、まるで明日この世界が終わることを知らされたように、氷華の声は暗いものだった。

 思わず気になってしまい、天音は声に出して訊ねる。


「どうしたんですか、氷華ちゃん? 何かあったんですか?」


『……昨日椅子に縛られた状態で、親に見つけられたのよ』


「…………」


 氷華の返答に、天音は何とも言えなくなって押し黙った。

 そう言えばそうだった。

天音は氷華を縛った状態で放置していたのだった。

 当然、一人では抜け出せないので──親に解いて貰ったのだろう。


「でも、良かったですね。縄から解放されて」


『何が!? 何も良くないわよ!? 親には憐れむような視線で見られるし、あんなこと言われるし!』


「……あんなこと?」


『「……あんた、それが趣味だったの? それは流石に娘としてちょっと……」って、違うわよ! 趣味なわけないでしょ! 確かに、天音にされてると思ったら、何かに目覚めそうだったけど!』


「……目覚めそうだったんですか」


 呆れた声を漏らす。

 本格的に、氷華は駄目そうだった。


「……でも、大丈夫でしょうか?」


 不安を隠しきれずに、天音は感情を吐露した。

 詩織の無防備な瞬間をついて霊術をかけ、天霊を祓う──こんなに、大雑把では何の対策も立てていないに等しい。

 そんな状態で──天霊に挑むなんて。


『大丈夫よ』


 頭の中に、氷華の力強い声が響いた。


『私は式神を放って、逐一、天音の行動を見ているし、それで天音たちの声は拾えるし──今、天音と私には、霊術で経路ができているから、こうしてお互いに会話もできる。天音の傍には、私がいるのと同じよ』


「……氷華ちゃん」


『それに、あなたをサポートするのは私だけじゃない。天音教の信者が皆ついているわ』


「……えっ?」


 聞きなれない言葉に、天音は問い返した。

 天音教。もちろん、そんな言葉は聞いたことがない。

 だが、何となく、いやーな予感をヒシヒシと感じる。


「……え、えーっと、その……天音教っていうのは何なんでしょうか?」


『もちろん、天音の可愛さと凛々しさに惹かれて集まった、私の同志たち──』


 そこで、氷華の声が途切れた。

 霊術による経路を、天音は一方的に遮断したのだ。

 すると、氷華が霊術を行使したのか、経路が繋がって再接続される。


『ちょ、ちょっと、何するのよ!』


「それ、私の台詞ですから! 氷華ちゃん、何してるんですか! 何さりげなく、とんでもないもの作っているんですか!」


『え、ええ。確かに、とんでもなかったわ……天音は可愛い凛々しいと、昔から思っていたけど、まさか、あんなに同志が集まるなんて。くっ……天音の可愛さは、この村では測れないという証拠を垣間見たわ』


「変なことを口走らないでください」


『ええ、もちろん、私はわかってるわよ。間違いだって言いたいんでしょ。天音の可愛さは、既に世界ランク──』


「誰もそんなことを言ってません!」


『なっ、天音には世界すら眼中にないってこと!?』


「氷華ちゃんの中の私っていったい何ですか!?」


 ことごとく、会話が噛み合っていなかった。

 というか、天音教が本気で気になってしまう。

 ……まさか、天音の写真の中に、布教用があったけれども、本当に布教をしているわけではあるまい。


「……氷華ちゃん、真面目にやってくださいね」


 天音が窘めるように言うと、氷華の真剣な声が返ってくる。


『私は至って真面目よ。私たちはこれから大事な任務を遂行しなきゃいけないでしょ。でも、ほら、天音は緊張してガチガチだったから──そんな態度を取っただけ。今はもう、そんなことないでしょ』


「あっ……」


 確かに、天音の身体からは力が上手く抜けていた。

 先程まではずっとキョロキョロ辺りを見渡していた、というのに。

 まさか、氷華はそれを狙って……


「それも、全て計算で──」


『いや、たまたまよ』


「…………」


 何というか、色々台無しだった。

 ──と。


「おはようございます、天音ちゃん」


 天音に、そう声をかけたのは──もちろん、天音の学校の先輩・篠崎詩織。

 氷華と話し込んでいたので、いつの間にか、詩織が近づいたのに気付かなかったのだろう。

詩織の格好は、楚々としたイメージを全く崩さないものだった。制服も似合うが、私服も十分と似合っていた。

 思考をすぐさま切り替えて、天音も挨拶を返す。


「おはようございます、篠崎先輩」


「あら、私の事は詩織で良いですよ。そんな他人行儀な呼び方をしなくても──私達は、恋人同士なんですよ」


「いえ、私は別に本当に、恋人になりたいわけじゃ──」


「──ん、何ですか。今、聞き逃せない単語が聞こえたような気がするんですか」


 にっこり、と。

 天音の台詞を遮って、詩織は笑いながらそう言った。

 強烈な圧力が、天音にのしかかる。


「すみません。もう一度言っていただけますか?」


「いえ、たぶん、先輩の勘違いです。私は先輩と恋人になりたくないなんて微塵も思っていません。ええ、微塵も。シノザキ先輩の恋人になれて、私はトッテモウレシイです」


 怖い。怖い。怖い。

 間違ってもあれは冗談で了承した、なんて言えるわけがない。


『……くっ、天音の恋人ですって……この女舐めた真似してくれるじゃない』


 歯軋りとともに頭の中にそんな声が響くが、そちらは無視だ。

 相手している暇なんてない。


「まあ、気になる言い方ですが良いですよ。最初から、私にデレデレでも、それはそれで面白くありませんし。でも、名前ぐらいはちゃんと呼んでくださいね。ですので、気を取り直して、もう一度、私の名前を呼んでくれますか?」


「……し……お、り」


 途切れ途切れで、詩織の名前を紡ぐ。

 女性同士ではあるが。

 こう、面と向かっては言うのは何とも恥ずかしかった。


「では、次は十回連続で」


「し、詩織詩織しおり……って、これ本当に十回言うんですか?」


「あなたが世界で一番で好きな人は?」


『天音ッ!』


 耳元がうるさい。

 天音が躊躇っていると、詩織はふふふと笑った。


「まあ、今回は見逃してあげます。では──行きましょうか?」


「行くって、どこにですか?」


 天音の疑問に、詩織は当然の如く答えた。


「もちろん、デートにですよ」






 詩織とのデートは至って一般的なものだった。

 最初がぶっとんでいたのだから、デートの内容までもそうなのかと思ったが──そんなことはないらしかった。

 普通。

 それが、一番当てはまる言葉だろうか。

 流されるままに、詩織についていって──いつの間にか、天音たちは元の霊宮公園に戻っていた。

 一周──とまではいかないが、一通り回ったらしい。


「天音ちゃんは将来どうするつもりなのですか?」


 霊宮公園の噴水の前で、詩織は不意にそんなことを口にした。


「まあ、私のお嫁さんというのは前提にして」


「そんなことを、前提にしないでください」


「お婿さんの方が良いと?」


「そういう意味でもありません」


 この先輩の感覚が怖すぎる。

 何故、女同士で結婚する前提なのだろか。

 詩織は続ける。


「──私が言っているのは、それ以外の将来のことです。天音ちゃんがこの村で何をしていくつもりなのか、何をしたいのか、ということですね」


「私が何をしたいのか……」


「この村を支配したいとか」


「そんな選択肢は有り得ません!」


「天音教の教主様として」


「何で、それ知っているんですか!?」


「最近噂になっている新興宗教らしいのよ。てっきり、天音ちゃんが主動として活動しているのかと思ったけど……違うの?」


「ええ、違います。全然違います。同名の別の誰かでしょう──氷華ちゃん、後で痛い目に遭わせます」


『…………っ』


 最後の部分をボソッと呟くと、頭の中でびくりとした音が響いたような気がした。

 精々怖がってくれれば良い。


「で、どうですか? 何か考えているんですか、天音ちゃんは?」


「……え、えーっと、私はこの村を守っていけたら良いなあとは思っていますが……」


「四ノ宮家の次期当主として?」


「はい」


 そのために、幼い頃から霊術の修練をしているのだから。

 それこそが、天音の存在理由で──天音の負う責務だ。

 と、不意に、詩織が一軒家の前で足を止めた。

 突然、詩織はパタパタと手で仰ぎ始める。


「天音ちゃん、天音ちゃん。少し暑くないでしょうか」


「はぁー、そうですね……」


 急な話題転換に戸惑いつつも、天音は返答した。

 ここまで移動手段は全て歩きであったため、天音は多少なりとも汗は掻いている。

 加えて、今日は雲一つない快晴。

 暑くないわけがない。

 すると、詩織はわざとらしく視線を横にやると。


「あー、こんなところに、私の家がありますね」


「…………」


 これ以上ないくらいの棒読みだった。

 初めからこれを狙っていたのが、バレバレである。

 だが、そんなこと関係なしに、詩織は天音を見やって言う。


「──ちょうど良いので、入っていきませんか?」


 詩織の提案に、天音は思考を高速で巡らせ始めた。

 暑いので、涼しくなれる場所で休みたいのは山々だが。

 しかし、ここは詩織の家──天霊が僅かと言えど過ごしている拠点なのである。そんな場所にのこのこと入っていったら、どうなるかわかってものではない。

 だが。


「どうしましょうか、氷華ちゃん」


 天音は、詩織に聞こえないように小さく囁いた。

 無論、氷華の考えを聞きたいためだ。


『私はこの提案乗った方が良いと思うわ』


「どうしてですか?」


『確かに、天音が危惧している通り、この家に入るのは危険が高いわ。でも、天霊が拠点として家なら、天霊の精神的な緩みが現れる可能性が高くなるわ。だから、今はその危険を踏まえても、入るべきよ』

「なるほどです」


 頭に響いた声に、天音は小さく頷くと、詩織の方に向き直った。


「私もちょうど休憩したかったところです」


「そう、それは良かったです。なら、入りましょうか」


 詩織の家は、ごく普通の一軒家だった。

 家を書いてください、と、初等部の生徒に言ったら、百人中九十人が描きそうな普遍的な住居。二階建ての一軒家だ。

 天隠の村は、一般的に田舎と呼ばれるような場所だが、しかし、こういった住居がないわけではない。

 あくまで、景観を損なわない程度にだけれど。


「さあ入ってください、天音ちゃん」


 詩織からそう言われるものの、天音の足は詩織の家の一歩手前で止まっていた。

 なんといっても、学園一美少女で憧れの先輩の家に入るのである。

同性と言っても、気後れしない方がおかしい。


「……何とかなりますか」


 そんなことを口の中でゴモゴモと呟くと、天音は足を一歩踏み出した。

 詩織の家の中はとても綺麗でお洒落に彩られていた。

 玄関から真っ直ぐ廊下が伸び、その突き当りにリビングと思わしき部屋が見える。廊下のサイドには幾つか部屋があるのか、壁に扉が取り付けられていた。廊下は光が反射してピカピカと光り輝き、塵一つ見当たらない。

 古風で不便な、天音の家とは大違いだ。

 詩織に誘われて、一つの部屋に入ると、そこはファンシーなグッズがやたらと置いてあった。手紙もそうだったが、こういうものが好きなのだろうか。


「荷物はその辺りに置いてくださいね」


「あ、はい……」


「では、私ちょっと飲み物を取ってきますから。楽にして待っていてください」


 そう言って、詩織は自室と思われる部屋に、天音を案内すると部屋から出ていった。

 一人で部屋に取り残される。


「…………むぅ」


 天音は小さく唸った。

 憧れの先輩の部屋に一人。

何とも言えない気まずい感覚に陥ってしまう。

楽にして待て、と言われても──どこに視線を置いておけば良いかわからないし、何をして待っていれば良いのかもわからない。


「……どうすれば良いんでしょうか、氷華ちゃん」


『今のところは何もおかしな様子はないけど、それもいつまで続くかわからないわ。だから、今のうちに、天霊の特性を調べておくべきよ』


「天霊の特性……ですか?」


『ええ、天霊が何を好んでいて何を嫌っているか。それがわかれば、無防備になる瞬間を作りやすくなるでしょう』


「そんなのいったいどうやって調べるっていうんですか……?」


『それは簡単よ。短い期間だけど、天霊がこの家で過ごしたからには、その痕跡が残っているはずでしょ。もしかしたら、その痕跡から天霊の好みが推察できるかもしれないわ』


「……それって、私に家探しとしろってことですか?」


『簡潔に言うとそうね』


「……むぅ、本気ですか」


 確かに、今ちょうど、この家の主である詩織はこの場にはいない。家探しするタイミングとして絶好の機会だろう。

 なら──やった方が良いのか。


「……まずは、どこから探しましょうか」


 覚悟を決めると、天音は詩織の自室を見回した。

 詩織がいつ戻ってくるかわからないので、探す場所は限られてくる。ある程度狙いを絞ってしなければ効率が悪い。


『まず、怪しそうなのはベッドね』


「そうなんですか?」


『ええ、大抵の人間はそこに物を隠すから。まあ、天音はベッドには物を隠さないからわからないかもしれないけれど』


「なんで、氷華ちゃんが、私のベッドのこと知っているんですか?」


『……と、取り敢えず、探してみて! 何か大事なものが隠れているはずだから』


「……本当ですか?」


『本当よ。これは、絶対』


「流石、ベッドから、私の写真がたくさん出て来た人が言うと説得力が違いますね」


『…………』


 氷華が黙ったのに満足すると、天音はベッドの上に手を伸ばした。


「…………ん?」


 早速、天音の手が何かを掴んでピタリと止まる。掛布団の下に隠されていたそれを引っ張り出して、自身の視界の前に曝け出した。

 小型の漆黒に染まった物体。大きなレンズが真っ直ぐと、天音を捉えていた。時折、ジジッと音がするので今も動いているのだろう。


「…………これ、何でしょうか?」


『ビデオカメラね。どうやら、この部屋に入ったときから、天音をずっと撮り続けていたようだけど』


 違う。違う。

 そんなことが聞きたいわけではない。

 天音が聞きたかったのは、何故こんなところに監視カメラもどきがあるのか、ということだ。それで、天音なんかを撮って、どうしようというのだ。


「……………………」


 なんだかそれ以上は考えたらいけないような気がして、天音はそっと元の位置にカメラを返した。


 続けて、ベッド下を探る。

 出てきたのは、数冊の本。

天音はその内の一冊を掴むと、題名に視線を落とした。

 題名は──『好きな子を引き留めておく十の方法』。

 あの篠崎詩織でも、こういうものを持っているのかと思うと安心してしまう。学園一の美少女も、ただの年頃の少女なのである。

 中身が気になった天音は、本を捲って最初のページを読む。



 好きな子を引き留めておく方法・その一──縄で縛りつけておく。



「物理ですかっ!」


 その後もパラパラと捲って目を通していくが──全てが似たり寄ったりの内容。中には、監視カメラで好きな子の行動を全て把握せよ、なんてものをある。


『大丈夫、天音?』


「…………だ、大丈夫です」


 天音を慮るような氷華の声に、震える声で返す。

 この部屋に来たときよりも遥かに、天音の身体から汗が大量に噴き出ていた。

 気のせいだ。全ては気のせい。

 きっと、詩織は題名だけを見てあの本を買ったに違いない。内容は知らなかったのだ。だから、あの本は見えないところに隠してあったのだ。決して、天音に使おうだなんて微塵も思っているわけない。


「う、うん。き、きっと、そうですね。そうに決まっています」


 自身を納得させるように繰り返し呟くと、天音は本をベッド下に戻した。

 ぐるりと、部屋の中に視線をはしらせる。

 もうそろそろ、詩織が帰ってきてもおかしくない。探せるのは、あと一つといったところか。なら、最後に探すのは──


「……クローゼットの中ですね」


 クローゼットは比較的に何かを隠しやすい場所だ。

 だが、あの中を最も開けてはいけないと、天音の本能が囁いている。

 何が──あの中に入っているのだろうか。

 普通に考えたら衣類だ。だけれども、あの中には、天音などが想像もできないようなモノが入っているような気がするのだ。

 だけど。


「えい」


 可愛らしい掛け声とともに、天音は一気にクローゼットを開け放った。

 最初に視界に入ったのは、沢山の衣類。

 しかし、天音がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間──ドサッと、クローゼットの奥から様々なモノが、天音の眼前に転がり出てきた。

 小型カメラ。ナイフ。大量の縄────

 天音がそれらを見ていられたのもそこまでだった。


「何するつもりなんですか!? 私何されるんですか!?」


 後退りしながら、天音はドアに向かっていった。

 逃げろ、逃げろ。と、本能が盛大に警告を発している。

 しかし──


「どうしたの、天音ちゃん?」


 ドアを開けた天音の視界に映りこんだのは、何故かバスタオルだけを巻き付け、縄を片手に握った詩織だった。


「あ、あの……どうして、そんな格好を?」


「ふふ、汗を掻いていたので、ちょっとシャワーを浴びていたんです」


「何故、片手に縄?」


「ふふふ、縛りたいものがあるからですよ」


 それが何かは敢えて聞かない。

 どうやら、天音が家探しする十分に時間があったのは、詩織がシャワーを浴びていたおかげらしい。よく見ると、詩織の頬が上気して身体からは湯気が立ち昇っている。


「今からそっちに行こうと思っていたのですか……どうかしましたか、天音ちゃん?」


 怖いから逃げ出そうとしていたなんて言えるわけがない。


「い、いえ、何でもないです」


「ふふ、変な天音ちゃんですね」


 詩織が妖しく嗤った。

 これが、憑りつかれている状態なのだろうか。先よりも、性格がおかしなことになっている。

 だとすれば──今、目の前にいるのは、篠崎詩織ではなく、天霊そのものが表面に現れた可能性が高い。


「…………っ」


 小さく息を呑んで、天音は身構えた。

 そろそろとゆっくりと手を伸ばして、首からかけられた《武装霊具》を掴むと、静かに問いかける。


「……あなたは何がしたいんですか?」


 唸るような低い声が、天音から漏れ出た。

 先程の興奮はもう残っていない。

思考が切り替わり、完全に冷め切ったものへと変わる。


「……あなたは何が目的なんですか? どうしてこんなことを、先輩にさせるんですか」


「ふふふ、天音ちゃんは変なことを言うのですね。私はただ天音ちゃんが好きなだけですよ。それ以外に理由がありませんよ」


「とぼけないでください。天霊は《憑代》に目的を刷り込ませる──私の祖母が言っていたことです。だとすれば、あなたは先輩にいったいどんな目的を刷り込ませたんですか?」


 これは、京子から話を聞いた時からずっと考えていたことだった。

 何のために、告白したのか。

 何のために、デートをしようと言ってきたのか。

 何のために、天音に近づくのか。

 それに相応しい理由があるはずなのだ。

 だが、詩織はきょとんとした表情を晒して。


「何を言っているんですか、天音ちゃんは?」


「…………えっ?」


「天霊? 憑代? いったいなんですか、それは? 何かの小説の話ですか」


 詩織の表情を伺うが、嘘を言っているようには見えない。

 とぼけているフリをしているのか。

 それとも、本気で何も知らないのか。

 ……天霊が憑りついていない? いや、でも、そんなわけが──


「…………先輩、一つ聞いても良いですか?」


「はい、良いですよ。何でも聞いちゃってください。天音ちゃんのためなら、何でも答えますよ」


「……先輩が私のことを好きになったのはいつからですか?」


「もぅ、天音ちゃんはそんなことを知りたいんですか? でも、そういうのは聞いちゃ駄目──」


「お願いします、大事なことなんです」


 天音の切羽詰まった様子に、詩織は「もうしょうがいないですね」と言って。

 頬を赤らめながら答える。



「──一年ぐらい前ですかねぇ」



「……一年、前……?」


 呆然と、天音はオウム返しに繰り返した。


「そうそう、ちょうど一年前ぐらいです。その頃に、天音ちゃんのことが突然好きになって、それからは日に日にその思いが強くなっていったんですよ。で、先日、勇気を振り絞って告白した──」


 そこから先の詩織の台詞は、天音の脳内に入って来なかった。

 おかしい。何かがおかしい。

 天音を好きになったのは、一年前。詩織は今確かにそう言った。


 だが──それでは、おかしいのだ。


 詩織が天音のことを好きになったのは、天霊による性格改変。そうであると、既に結論は出ていたはずだ。なのに、一年前となると辻褄が合わない。だって、天霊が舞い降りたのは数週間前の話なのだから。

 ……何かを勘違いをしている。とんでもない何かを──


 ──と、そのとき。


 詩織の背後に氷華が立っているのを、天音の瞳が捉えた。

 もしかして、通信していた向こうで、こちらが何かおかしいことに気づいて来てくれたのだろうか。

 氷華は詩織の死角にいるため、まだ気づかれていない。

今なら、詩織に知られることなく、氷華に状況がおかしいことを身振り手振りで伝えることができる──

 が、


「……氷華ちゃん……?」


 なにやら、氷華の様子もおかしいことに気づいて、天音は怪訝な声を漏らした。

 顔を俯かせたまま、上げようとはしないのだ。手も懐に隠した状態。まるで、何かを隠し持っているかのように。


「……いったい何を──」


 天音が氷華に呼びかけようとした瞬間。

 氷華が動いた。

 隠していた右手に、幾何学的な文様が刻まれた短剣を持って。



「──ごめんなさい」




 その声に、詩織がようやく背後に誰かいることに気づいて振り向く。

 だが、もうその時は遅かった。


「────っ」


 ざくっ。

 氷華が突き出した短剣が、詩織の腹部に刺さった。

直後、それが発動の条件だったのか──詩織の腹部に霊法陣が刻まれると、一瞬明滅して消え去った。

すらりと、詩織の腹部から短剣が抜かれた。

 血が噴き出て、床を赤黒く染め上げる。

氷華を視界に捉えた詩織が何かを紡ごうと、パクパクと口を動かすが、しかし、それは不明瞭な音となって漏れ出ただけだった。


「──先輩ッ!」


 そこでようやく状況を半分ほど飲み込んで、天音は詩織に駆け寄った。

 詩織の身体を揺さぶる──が、その身体は恐ろしく冷たかった。

 手が赤黒く染まるのも構わず、天音は詩織の胸に手を置いて。


「……止まってる」


 だが、そんなわけがない。

 詩織は腹部を刺されたのだ。即死するわけがない。

 もっと別の何か──その後に発動した霊術の方なのか。


「……何をしたんですか、氷華ちゃん」


 無意識の内に、そんな恐ろしく低く冷たい声が、天音の口から吐き出された。

 理解ができない。まったく状況が飲み込めない。

 いったい、目の前で何が起こっているのだ。

 どうして、氷華は詩織を刺したのだ。その短剣に刻まれた霊術で詩織に何をしたのだ。

 天音の知らないところで、何が行われているのだ。


「訊いているんですよ、氷華ちゃん! 先輩にいったい何をしたんですか!」


 烈火のごとき怒りを吐き出しながら、天音は立ち上がった。

 それに、氷華はびくりと身体を震わせて一歩下がる。


「答えてください、氷華ちゃん。あなたは──」


「ごめん、ごめんね、天音。騙すつもりはなかったの。でも、私にはこうするしかなかった! じゃないと、天音を守れない!」


「何を言っているんですか、氷華ちゃんは。私を守るって、どういうことですか……?」


「後でいっぱい怒られるから! だから、ごめんなさい! 今だけは──」


 謝罪の言葉を口にして、氷華は涙を両目に溜めながらそれを口にする。


「──術式解放」


 霊術の発動。

 そう認識した刹那、天音の視界の端に霊法陣の輝きが映って。

 氷の弾丸が頭部に迫り。

 直後、天音の意識は鮮やかに刈り取られた。





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