4話
詩織に襲われた次の日。
天音はいつも通り学校に、ギンとともに登校していた。
通学路の途中で、また襲われるかと思い警戒していたが──それは、どうやら杞憂だったようで、まるで昨日のことが嘘だったように、何も起きることはなかった。
まあ、普通に考えて、この広大な天隠の村の中で偶然遭遇することはほとんどない。
ましてや、片方が避けているとあれば、よほどのことがない限り遭遇することはないだろう。
「ねぇねぇ、天音……って、どうして、ギンがそこいるの?」
ギンを机の横辺りに待機させて、天音が席に座ると──早速とばかりに、前の席に座る涼香が話しかけてきた。
が、やはり、ギンは目立ってしまうらしい。
涼香の視線がギンに注がれる。
「天音は校則知っているよね?」
「もちろんです」
学業の邪魔になるため、また、学校の安全を守るために、学校の敷地内で精霊を顕現することは禁止されているのだ。
が、今日ばかりはそうは言っていられない。
いつ、どのタイミングで襲われてしまうかわからないからだ。
そのためには、ギンに常にこちら側の世界にいてもらい、いざという時のために備えるしかない。
「まあまあ、涼香ちゃん気にしないでください」
『そうだ、俺のことは気にするな』
「いや、そうは言っても……これ、先生にばれるでしょ」
「大丈夫です、作戦はちゃんとあります──ギン」
天音が呼びかけた瞬間、ギンがピシッと固まった。
微動だにしない。
まるで、置物のようだ。
これこそが、天音の考えた完璧な作戦──『子犬の置物のふりをする作戦』である。
「いやいやいや、流石に無理あるでしょこれ! 絶対、先生たち騙し通せないから!」
『舐めるな、涼香。俺は天霊を超える精霊だぞ! 置物のふりをするぐらい造作もない!』
「なに変なところで意地を張ってるのっ!?」
『勘違いされると困るから言っておくけどな、涼香。俺とて、もちろんこんな格好したいわけじゃない。だが、天音の出した条件が魅力的すぎてな……』
「……なにを言ったのよ、天音は……?」
涼香の疑問に、天音は肩を竦めて答えた。
「私の爪を切った時のゴミです」
『くっ、反則的だろ……まさか、天音の身体の一部を交換条件に出してくるとはな。俺も初めて聞いた時には思わず身震いしちまったぜ』
「ギン、本当にそれで良いの? 何か違わない? 激しく間違った方向に進んでない?」
「涼香ちゃん、四ノ宮家が何故この村の四名家に数えられているか教えてあげましょうか? 精霊の扱い方が上手いからですよ」
「いや、絶対それそういう意味じゃないよね!?」
天音がポーズを決めて宣言したことに。
涼香は叫んだ後、呆れた様子で声を漏らした。
「……もう良いよ、勝手にしなさいよ。私、知らないからね」
「ありがとうございます、涼香ちゃん。じゃあ、ギンはそのまま置物に成りきってください」
『…………』
「もう、始まってるんだ……」
「流石、私が契約した精霊です。お利口さんですね……ところで、前から思っていたんですけど、涼香ちゃんって精霊と契約していませんよね? どうしてですか?」
「なんか、私ってこういうのって決められないんだよね、あははー。だから、もうちょっと先かなぁ……」
涼香のように、精霊と契約していない人間も少なからずいる。が、それでも、仮契約は一度はしたことがある人が大半だ。だというのに、涼香は仮契約をしているのすら見たことがない。
まあ、人には人の事情があるのだろうけど。
「で、そういえば、天音って大丈夫なの?」
「ん、どうしてですか?」
「いや、どうしてって……昨日、天音学校休んだじゃん」
「ああ」
そういえばそうだった。
昨日あんなことがあったため、すっかり忘れていたが──天音は学校を休んでいたのだった。
涼香の表情を見る限り──一応、心配はしてくれているらしい。
「見た感じ、風邪とじゃなさそうだし。ねぇ、なんで、学校を休んだの?」
「ちょっとした諸事情です」
「諸事情? ……ははーん、なるほどね」
天音の言葉に、涼香は意味ありげに呟くとニヤリと笑みを浮かべる。
「なるほど、なるほどなぁ」
「……何ですか、その言い方は?」
「いや、遂に天音も大人の階段を登ったんだなぁって。ふふん。昨日は、篠崎先輩とのデートだったんでしょ」
「…………」
微妙に掠っていた。
当たらずも遠からず、というところか。
実際は、死と隣り合わせの戦闘を繰り広げていたわけだが。
そんな天音の心境はお構いなく、涼香は続けていく。
「でも、よく考えてみると、女の子同士っていうのもありかもね。そうなった場合、働くのは篠崎先輩で、家事をするのが天音かな?」
「なんで、いきなり結婚しているんですか」
「そして、篠崎先輩が帰ってきたら、天音が言うの──『私にする? お母さんにする? それとも、お・ば・あ・ちゃ・ん?』って」
「選択肢が地雷ですっ!」
「お婆ちゃんでお願いします」
「私負けたんですか!?」
詩織の声色を真似る涼香に、思わず叫ぶ。
「そういえば、話変わるけど──なんで、幼女萌えとかあるのに、お婆ちゃん萌え、とかないんだろうね」
「本当に変わりましたね……」
しかし、天音は律儀に答える。
「……新ジャンルすぎて、誰もついて来れないからじゃないですか? だいたいどこに、萌えるんですか?」
「あの、上腕二頭筋から分離した皮の皴がたまんねーぜっ! ……とか?」
「気持ち悪いです」
「もう、やだやだ。こうやって理解できないからって、本質を知ろうともせずに一方的に頭ごなしに否定する人。少なくとも、ある程度知ってから否定して欲しいよね。そういう人がいるから、社会が良くならないんだよねー」
「なんか、いきなり話が大きくなりましたけど……じゃあ、涼香ちゃんは、お婆ちゃん萌えなんですか?」
「なに、それ。無理に決まってんじゃん。気持ち悪い」
「さっきと言っていること違います!」
「まあ、それはともかく、私が言いたかったのは、心は広く持って欲しいってこと。ストライクゾーンは、生まれたてから墓場までみたいな」
「ストライクゾーン、地面めりこんでますけど」
呆れるように言う。
しかも、全く違う話に変わってしまっていた。
最初は何の話をしていたのかも忘れてしまいそうだ。
「で、何の話だったんだっけ? あ、そうそう、天音と天音のお婆ちゃんとの禁断の恋の話だっけ?」
「そんなものは早く忘れてください」
そして、そのまま二度と思い出さなくても良い。
「冗談だって。ちゃんと覚えてるよ、諸事情があったから学校を休んだんだよね。あれ、でも、昨日四ノ宮氷華も休んでたから、もしかして……」
涼香が怪訝な視線で、天音を見る。
まさか、たったそれだけで──感づいてしまったのだろうか。
細部までわかるはずもないが──何かを感じ取ったかのように、涼香から得も知れぬオーラが噴き出る。
「もしかして、天音……」
「は、はい」
ごくり、と喉を鳴らす。
涼香の眼が妖しく光った。
「──四ノ宮氷華ともデート?」
「違いますよっ! 違います! なんで、そっち方向に行くんですか!」
「だよね、天音そこまで器用ではないし。せいぜい、一人が限界だよね」
「……おかしいです。どうして、最初に、私が女の子付き合わないという考えが出てこないのでしょうか」
何故か、暗黙の了解みたいになっていた。
一度も、天音はそんな宣言はしたことがないというのに。
──と。
天音と涼香が楽しく話していると。
氷華が教室の扉を開けて入ってきた。
「────」
一瞬、天音と視線が合う──が、氷華はスッと視線をずらすと、自分の席に向かって歩いて座る。
それを見て、天音は小さく溜息を零した。
昨日、少しでも、氷華との距離は縮んだと思っていたのだが。
これでは、これまでとは何も変わらなかった。
「どうかした?」
天音の様子をいち早く察知した涼香が、声をかける。
それに苦笑して誤魔化すと、天音は教科書を取り出すために机の中に手を突っ込んで、
「…………ん?」
何かを掴んだ。
机の中に入っているので、それが何なのかわからない。
涼香にばれないように、天音は機会を伺うとこっそりと取り出す。
それは、やたら、ファンシーな封筒に包まれた手紙。しっかり封をしてなかったのか、手紙が封筒から少し覗いていた。
中を開いて、手紙を覗き込むと──そこには、丸っこい文字でこう書いてあった
『明日の午前十時、霊宮公園の噴水前で待っています。篠崎詩織』
「さぁ、入っても良いわよ」
氷華のその声で、天音は久しぶりに──氷華が言うには、およそ五年ぶりに──氷華の自室へと足を踏み入れた。
時間帯は、学校の授業が終わって放課後。
あの後、天音の机の中に手紙が入っていたことを、氷華に伝えると──作戦会議をすることになり、こうして学校により近い氷華の家に行くことになったのだった。
部屋の内装は、天音がよく訪れていた幼い頃と、そう大して変わることはなかった。
しいて挙げるとするならば、壁一面に取ってつけたような布が掛かっていることぐらいだろうか。
何かを隠しているのは一目瞭然だったが──人間とは、人に隠しておきたいことが一つや二つはあるものである。わざわざ、天音はそれを指摘するようなことはしない。
適当に座って、という氷華の言葉に、天音はベッドの上に腰かけた。
勉強机の椅子に、氷華が座るようにして顔を向かい合せる。
「それで」
天音が問題の手紙を取り出すと、氷華が口火を切った。
「さっきの手紙は、どう考えても、あれよね。あれ」
「デートのお誘いですね」
天音のそれに、氷華は小難しい顔で小さく頷く。
氷華は氷華で何か思うことがあるらしい。
天音としては、最初のデートのお誘いが、まさか女性の先輩とは思いもよらなかったけど。
「でも、やっぱり、これは……篠崎先輩が憑りつかれているんですよね」
天音が漏らした呟きに、氷華は無言で首肯した。
異常。おかしい。
それは、あの詩織に襲われた時に結論が出ていた。
もう、詩織が天霊の精神操作によって、天音に恋愛感情を抱いているのは間違いなかった。
紛れもない事実。
何故、天霊がそんなことをするのかはわからないが──しかし、案外理由などないのかもしれない。
「……なんか、でも、おかしいです、これ。昨日、あんなことがあったのに」
つい、昨日の朝、詩織とは命懸けの戦闘を繰り広げたばかりなのだ。あの時、詩織は烈火のごとく怒っていた……ように見えた。
なのに、この文章からではそれを全く感じさせることはない。
……もっとも、これが天音を呼び寄せる罠で、あえて昨日のことについて触れていないという可能性もあるけれど。
それを伝えると、氷華は首を横に振る。
「それは有り得ない。だって、天霊はあの程度の事、どうも思ってないから」
「どうも思ってない……?」
「そう。天霊にとって、昨日のことは些細なことに過ぎないの。ほら、天霊も言ってたでしょ──『お仕置き』だって」
確かに、そんなことを言っていたような気がする。
「天霊が正直、何をしたいのかわからないわ。でも──このチャンスを逃す術はない」
氷華の言葉に、天音は頷いた。
天霊を祓う。実は、それ自体はそんなに難しいものではない。
おそらく、至って簡単な霊術で済むはずだ。加えて、祖母の京子から習った最初の霊術──今、思えばこれのためだったのだろうが──でもあるのだ。
だが、最大の問題はその霊術の発動条件である。
対象は一体で、発動のタイミングは「対象が最も精神的に無防備な瞬間」なのだ。それ以外のタイミングでは、霊術は全て失敗してしまう。
つまり、それは──天霊が精神的に無防備になるのをずっと待っていないといけないわけで、このデートのお誘いはある意味僥倖とも言えた。
──と。
天音がベッドに手をついて考え事をしていたからか。
無意識に動かした手が、壁に垂れ幕のように掛かっていた布を引っ張ってしまい──地面に落としてしまった。
それだけでなく。
「…………ん?」
天音の顔に沢山の紙のようなものが、桜吹雪のように頭上から落ちてきた。
ポスターの類だろうか──と思案するが、それは思った以上に小さく、しっかりしている紙だった。
まるで、写真をプリントする時に使う紙のように。
何気なく裏返して、天音が紙に写ったものを見て。
「…………」
あまりの驚愕に、天音は声ひとつ漏らすことなく硬直した。
だって、頭上から落ちてきた紙──写真全てに、『天音』の姿が写っていたのだから。
それらには、天音の顔、髪、腕、足──身体の全て、隅から隅まで映り込んでいた。あろうことか、天音がお風呂に入っている時の写真まである。しかも、全てのアングルが、天音を隠し撮りしたことを示していた。
「……氷華ちゃん、これは──」
「っぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────っ!」
天音が絶句する横で。
突然大声を上げたのは、目の前の椅子に座る氷華だった。
視線が左右に忙しなく動いて、かたかたと震えながら声を漏らす。
「ち、違うのよ、天音。これは何というか、その、決して悪気があったわけじゃないの。ただ、ちょっと監視の仕事を頑張りすぎたみたいな? 全然いかがわしいことなんかに使ってないから! 本当にそうだから! だから、誤解しないでっ!」
かなり焦っているのか、氷華は今までの冷静なポーズを崩して、わたわたと手を動かした。
「本当だから! 今、天音が思っているようなことは微塵もないから! お願い、私を信じて!」
「大丈夫ですよ、氷華ちゃん。私、ちゃんとわかっていますから」
「ほ、本当っ!? う、うん、良かった、良かったよ。私、天音ならきっとわかってくれると信じてた」
涙を流しながら感慨深げに頷く氷華に、天音は続ける。
「ところで、氷華ちゃん」
「ん、なに?」
「なんで、同じ写真が三枚もあるんでしょうか?」
床に落ちた写真を差しながら、天音が問うと。
氷華はものすっごく良い笑顔で応える。
「当然、それは分ける必要があるからよ。まず、鑑賞用でしょ。次に、布教用。最後に、私もこれだけは言いにくいんだけど、ペロ────」
「ほら、私って完璧者主義者じゃない?」
椅子に両腕と両足を縛られた状態で、氷華は言い始めた。
何故、縛られているのか。
そこに、犯罪者がいるからである。
氷華を迅速かつ手際よく、丈夫な紐で縛りつけた(何故か氷華の自室に大量に常備されていた)後、天音は氷華の自室を徹底的に捜索した。
結果、天音の目の前には、大量の写真が山積みとなることになった。
当然、それらの写真全てには、天音の姿が写っており──一枚も、カメラ目線のものはない。
つまり、全て隠し撮り。
犯罪の匂いしかしなかった。
「だからというか、一度やると決めた仕事は徹底的にやりたいわけ。それが、天音の監視とかいう仕事でもね。私だって、ね。最初に当主様に言われた時は、とっても反発してやったのよ? 猛反発よ。確かに監視は引き受けたけど、私は写真まで取ることないって。そんなことは出来ないって、言ってやったわけ。でも、ほら、私みたいな分家の人間は、本家の人間に逆らえないというか────」
「これは、警察に電話した方がいいですよね」
「聞いて! 私の話聞いて! お願いだから早まらないで!」
凄まじい形相で、氷華が叫ぶ。
縛りつけられた椅子ごとガタガタと鳴らして叫ぶ姿は、軽くホラーだ。
「聞くも何も、犯罪者の言う事は信用できませんし……」
「だから、誤解なの! 私は当主様の命令で、渋々、天音を監視してただけなんだから!」
「どの辺が渋々なんですか。超ノリノリじゃないですか。コレクションまで出来てるじゃないですか」
「違うっ! それコレクションじゃないっ! バイブルよっ!」
「どうしましょう、氷華ちゃんが錯乱しています……」
憐れむような視線を、氷華に向けた後。
目の前にどっさりと積み重なった写真の山に、天音は視線を落とした。
問題は──この写真の山である。
これだけは放置するわけにもいかない。かといって、その処理を、氷華にだけは絶対頼むわけにもいかない。
自分の手で、手っ取り早く処分する方法は……
「──燃やしますか」
「やめてやめてやめてえええぇぇぇっ! 神を! 私の神を燃やさないで!」
「いや、写ってるの、神じゃないですから。私ですから。氷華ちゃん、正気に戻ってください」
呆れるように、天音が言う。
氷華の容態は相当重傷のようだった。もう、手遅れといっても良いほどに。
しかし、だからといって、そんなことで、天音は幼馴染の氷華を見捨てることもできない。
何か、正気に戻せる手段があれば良いのだが。
「……うーん、どうしましょうか」
呟いて、天音はちらりと氷華を見やると。
そこには、椅子に縛られた状況で、頬を上気させ、ハアハアと荒い息を繰り返す氷華の姿。
……前言撤回。もう、処置の施しは無理のようだった。
「…………」
無言のまま、天音は立ち上がるとバッグに写真全てを詰めて。
氷華に向かって軽く頭を下げる。
「取り敢えず、今日はここまでにしておきましょう。また、明日ですね」
「え、あー、うん。また、明日ね」
「さようならです、氷華ちゃん」
「えーあー、えーっと。さようなら、天音……でも、その前に、この縄から私を解放してくれた嬉しいかなぁって……」
「さようならです」
「え、ちょ、ちょっと待った! 待って、天音! 黙ったまま、部屋から出て行かないで! 私を縄から解放して行って!」
「…………」
「カムバック、天音! カムバアアァァァァッッッッ────クッ!」
部屋から出て行く天音の聴覚に、断末魔のような氷華の叫びが届いた。




