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天使の願いを誰が知る  作者: you'ss
天使の願いを誰が知る
2/10

2話

 2


 天隠の村の朝は早い。

 太陽が昇ると同時に、大半の村の人々は起床して仕事を始める。天音が学校へと行く頃になると、あちこちから賑やかな声が聞こえてくるほどだ。

 と言っても、仕事をしているのは、ほとんど精霊なのだけども。

 まあ、人間の方も霊術を使って仕事をしているが……身体は動かしていないに等しい。

 いつものように、田畑から声を投げかける村の人々に挨拶を返しながら、天音はギンとともに、ゆったりとした調子で登校していた。


『……おい、天音』


「どうしたのですか、ギン?」


『ゆったり登校しているのはお前だけで、俺はすっごく辛いんだが……』


 不満そうに、ギンが声を漏らす。

 それはそうであろう。

だって、ギンは天音のバッグを口に咥えて歩いているのだから。

 だが、台詞の内容に反して軽々とそれをこなしているようにも見える。


「でも、それにしても、ギンはよくそんな状態で喋ることができますね」


『そう思ってるなら、バッグぐらい自分で持て』


「いえ、そういうことではなくて──口に咥えているのに、どうして喋ることができるのか、ということです」


『さあな。そんなことを、俺に聞いてもわからねーよ』


「自分のことなのに?」


『人間だって、自分のことを全部わかってねーだろうが』


 そんな軽口を交わしながら、天音とギンは通学路を歩き続ける。

 家からは学校までは遠い。歩きだと一時間ほどはかかる。

 しかし、天音は一人でこの凸凹な道を歩くのは嫌いではなかった。新鮮な空気が肺を満たしながら、ぼんやりと歩くのはむしろ好きな方ですらある。

 通学路が長い階段に差しかかった。

 天音が通う青桜学園は山の上にある学校だ。

したがって、どこかで上へと登らなければいけないのだが──天音の通学路には、この高低差全てを一点に集めたような長い階段があるのだった。

 ずっと見上げていると、首が痛くなりそうな傾斜。


 それは、村の上に広がる天空にすら届きそう──なんてことは流石にないけれど、天音は唯一、通学路を歩く中でこの場所が嫌だった。

 小さく溜息を吐くと、いつも通り階段を登っていく。ギンもぴょんぴょんと一段ずつジャンプして登っていく。


 登る。登る。登る。

 上へ。上へ。上へ。


 学校に行っているというのに、まるで登山でもしているみたいだ。

 何故、あんな場所に学校を建てたのだろうか。立地がとても悪い、あんな山の上なんかに。

天音は事情など何も知らないけれど、学校を建てた輩に一言、文句言ってやりたい気分になってしまう。

 ──と。

 ぼんやりとした意識で登っていたためか。


『天音!』


 ギンの慌てた声が響く。だが、その時はもう遅く、


「────」


 天音は階段を見事に踏み外した。

 それによって、華奢な体躯がぐらりと傾く。


 ──落ち、る……


 が、そうなることはなかった。

 天音の落下が突如止まったからだ。

 決して、重力に逆らったとか、霊術を発動して浮いたからだとか──そういったわけではなく。

天音の身体は、背後に体重を預けた状態で落下を停止していた。

 おそらく、天音の背後から誰かが支えているのだろう。


「ありがとうございます──」


 天音は体勢を戻すと、お礼を口にしながら振り向いて。


「──氷華、ちゃん?」


 天音は背後にいたのは、氷華──冷たく、刺々しいオーラを纏う少女・四ノ宮氷華だった。

 不機嫌というわけではないだろうが、氷華はいつものように無表情で小さく頭を下げると、顔を上げて。


「大丈夫なの?」


 最初それが、氷華が発したものだと、天音は気付けなかった。

 それくらいに、それは、久しぶりに聞いた氷華の声であり──氷華と話していない証拠だった。

 天音が慌てて頷くと、


「そう。なら──良かったわ」


 呟くように言って、氷華は無言で天音を追い越して階段を登っていく。


「あ、あの……」


「なに?」


 目の前から去っていく氷華に、天音は無意識の内に声を漏らした。

 早速、昨日決意したことを、実行に移してみようとしたのだが。

 振り向いた氷華の冷たい視線が、天音を射すくめて。


「…………っ」


 天音の身体が硬直した。

 喉から潤いが消えて、舌も痺れて上手く動かせない。


「い……いえ、何でもありません」


「そう」


 氷華の声に、天音は何も言えなかった。

 頭が真っ白となってしまって、何を喋ろうとしたか忘れてしまう。

 昨日の夜から色々考えていたが、全て台無しだった。

 機会を失ってしまって、氷華がギンの方を一瞥すると、振り向いて階段を再び登り始める。


「──あ、……」


 天音は何とか声を振り絞って、氷華を引き留めようとするが──果たして、それは言葉となって口から出てくることはなかった。

 そうしている間に、氷華は階段を登りきってしまう。


「──はぁ……」


 視界から氷華の姿が消えると、思わず安堵の溜息が漏れた。

 氷華がいる時は緊張して何も喋れなくて──氷華がいなくなった途端これである。


『どうかしたのか、天音?』


 事情を何も知らないギンが訊ねてくるが、天音はそれには答えなかった。

 ギンと仮契約したのは、氷華と遊ばなくなってからである。それ故に、ギンは氷華のことを何も知らない。


「──でも」


 それにしても。

 どうして、氷華はあんなところにいたのだろうか。

 ここは、天音の通学路ではあるが──氷華の通学路ではなかった。

 この道から行くためには、氷華の家からではかなり遠回りしなくてはならない。それこそ、通学時間は二倍になってしまうほどに。


「……たまたま、ですかね」


 だとしたら、天音は幸運だったようだ。

 なにせ、氷華がいなければ、天音は階段を転がり落ちて地に真っ逆さまである。そうなれば、かすり傷では済まないだろう。

 やっぱり、後でちゃんと、氷華にお礼を言わなくては──

 瞬間。

 天音が階段を登りきった瞬間。




「ねぇ、天音ちゃん」




「────」


 ゾッ、と。

 寒気がはしって背筋が震えた。

 背中から聞こえた声。それから判断すると、天音の背後に立つのは、おそらく同年代の少女だろうが──問題はそこではない。

 振り向けなかった。

 まるで言葉自体が、天音を拘束しているかのように。

 微動することすら──許さない。

 そう思わせるほどの殺気が背後の人間から発せられていた。


「あ、あなたは誰ですか?」


 強張った舌を動かして、天音は何とか言葉を紡ぎ出した。そうでもしないと、この殺気に押し潰されてしまいそうだった。

 後ろから声が返ってくる。


「なんで、なんで、そんなことを言うのですか、天音ちゃん。私達は、こんなにも心を交わした──愛し合った仲なのに」


 知らない。そんな人間知らない。

 誰だ。誰なのだ。後ろにいる人間は。

 いったい──

 後ろからの声。


「まあ、今はそんなことはどうでもいいです。取り敢えず──」



「──いけないことをした、天音ちゃんにお仕置きしましょうか」



 感覚。

 背後から何かが迫ってくる感覚。


「────」


 振り向くと。

 視界の端で、天音の顔に向かって閃光が襲いかかってきた。


「────っ」


 思わず目を瞑る──が、それが天音に当たることはなかった。

 足元にいたギンが跳び上がって、バッグを盾にしたからだ。

 閃光がバッグを突き刺さる。が、そこまで威力はないのか、バッグを貫くまでには至らなかった。

 けれども。

 続く連撃が、ギンを捉えた。

 蹴り。──そう、天音が認識した時には、ギンは、バッグを放り出して宙へと大きく舞っていた。今さっきまで登っていた階段を、ギンは階段の斜面と平行に落ちていく。


「ギン!」


 叫んで、天音は脊髄反射のごとく地を蹴り上げた。

 意識を軽く失っているのか、力なく宙を舞うギンを、天音は手を伸ばして抱え込んだ。

 が、そうなるということは、天音も宙に浮いてしまうわけで。


「────」


 落ちる。落ちる。落ちる。

 下へ。下へ。下へ──


「──《浮天》ッ!」


 落下しながら、天音は空間に幾何学的な文様──霊法陣を刻んで、霊術を発動した。

 直後、天音の落下が、重力に逆らってゆっくりになっていき──やがて止まると、天音は地面に着地する。


「大丈夫ですか、ギン」


『……当たり前だ、俺は天霊を超える精霊だぜ。このくらいは、ダメージの内にも入らねーよ』


 天音が声をかけると、ギンはむくりと起き上がった。

 やや声に力強さがないが、そんなことが言えるということは、もう心配する必要はないだろう。

 ギンを地面に下ろすと、天音は階段の上にいるはずの人物に向かって問い掛けた。


「……いったい何ですか?」


 今のは、あまりにも危険だった。

咄嗟に霊術を使えたから、無傷で済んだが──それができなかった場合、打ちどころが悪いと最悪死ぬ危険性すらある。

 だが、返ってきた声は予想外のものだった。


「だから──お仕置き、です」


 階段の上にいたのは、一人の女子生徒だった。

プリーツスカートに、半袖のブラウスという格好。デザインを見ると、青桜学園高等部のものか。

 容姿は整ったもので、背まで伸びた長い髪が特徴。清楚などといった言葉がよく似合いそうな少女だった。手元を見ると刃が出されたカッターが握られている。先程の閃光は、それによるものなのだろう。

 そして、名前は──


「篠崎、先輩」


 天音が漏らした声に。

 当たり、と。詩織は嗤って応えた。

 数秒前まで、人を殺そうした人物には有り得ない反応だった。

 それくらいに、異常で。

 この先輩は狂っていた。

 まるで、何かに憑りつかれたように。

 が、異常はそこで終わらなかった。

 突如、詩織が握るカッターが膨らみ始めたのだ。

 それは徐々にシルエットを変えていくと──身の丈にも余るような巨大なものになる。

 巨大なカッター。文房具。

 いや、もう、それは文房具なんかじゃない。

 ──武器、だ。


「お仕置きの続き──です」


 宣言して巨大なカッターを構えると、詩織は階段の上から跳び下りてきた。半分落ちながら、詩織は天音との距離を詰める。

 上空から降ってくる詩織を、天音はただ見ているわけではなかった。

 詩織から視線を離さないように、天音は首からかけていた《霊具》を服の中から引っ張り出して。


「ギン!」


 その声に合わせるようにして、ギンが小さく咆えた。すると、ギンと天音を繋ぐ不可視の経路を通って、霊力が流れ込んでくる。

 小さな剣の形を象った《霊具》を固く握りしめると、天音は口元に持ってきて囁く。


「──術式解放」


 瞬間、天音の足元に銀色の霊法陣が描かれた。

 手に握った《霊具》が白銀に輝いて──眩い光が天音の手の中から消える頃には、一本の剣が《霊具》の代わりに握られる。

 幅広は、まるで細剣かと思わせるほど狭い。刀身は銀色で、透き通るようなもの。

万が一の時のためにと、祖母から渡されていた剣の霊具──《武装霊具》であり、いつも身に付けていたものだ。

 だが、それは魔獣のためで──まさか、人に対して使う時が来るとは思わなかった。

 天音に向かって落下してきた詩織が、位置エネルギー全てを乗せて、カッターを振り下ろす。

 それに──


「────ッ!」


 鋭い叫びとともに、天音は剣を一閃した。

 刃と刃が食い込み、火花を散らす。ギャリッと嫌な音が響き──剣を握る天音の腕に凄まじい衝撃がはしった。

足元の地面が陥没し、ひび割れて破砕する。

 だが。


「……ッ──アア────ッ!」


 裂帛の気合いとともに、天音は剣を振り切った。

 霊具に元々付加されていた霊術の効力もあって、天音は詩織の攻撃を完全に受け止めると──遠くの地面に向かって叩き落とした。

 目標を外し、詩織は地面に着地した。巻き上がった砂塵の向こうで、詩織は自然な動作でゆっくりと立ちあがる。

 少なくとも、骨折はしてしまうほどの衝撃だったというのに、詩織の身体には特に傷は見当たらなかった。


 完全な無傷。

 普通の身体だったら、そんなことは起こり得るはずはないが──カッターを巨大化させた詩織に、そんな常識を求める方がおかしいのだろう。

 明らかな異常。

 天音も霊術を使用すれば、その程度の異常は可能かもしれないが──詩織は霊術の使用に必要な起句すら唱えなかった。

 つまり、あの現象は霊術によるものではない、ということだ。

 もっと、別の何か。

 天音は、ゆるりと詩織の正中線上に剣を構えた。


「……ギン、行けますか」


 命を賭けたやり取りは、いざという時のために訓練を受けてきたが初めてだ。

 が、ギンはそんな天音の不安を吹き飛ばすようにグルルと唸った。


『お前が死んだら、俺も困るからな。当然、手伝うぜ』


「……ありがとうございます」


小さく呟くと、天音は鋭い視線を詩織に向けた。

 いつ、戦闘が始まってもおかしくない状況である。が、その前に、詩織には聞いておかなければいけないことがあった。


「……篠崎先輩。どうして、私にお仕置きをしようとするんですか?」


「だって、だって──天音ちゃん喋っていたでしょ」


「…………えっ?」


 聞き間違いかと思ったが──詩織は、ふふふ、と嗤って繰り返す。


「だ・か・らー、天音ちゃんいーっぱい喋ったでしょ。さっきの少女と。駄目、駄目、駄目なんです、天音ちゃん。天音ちゃんは、私のものなんですから。私だけのものなんですから、私以外と喋っちゃ駄目なんです。視線も交えちゃ駄目。何もかも、他の子には渡しませんから」


 あくまで、詩織の瞳の真剣で──本気だった。

 甘美な声で続ける。


「もう今日だけで、他の女の子と何回喋っていると思っているんですか? もう、天音ちゃんはしょうがないですね。でも、大丈夫です、私は寛容ですから。他の子と喋らないように、ちょっとお仕置きするだけで許してあげます」


「……お仕置き……?」


「そう、お仕置きです。天音ちゃんはどんなのが好みですか? 私、色々用意できますよ。でも、今、できることからやらないといけません、ね」


 ジャキっと、詩織が巨大なカッターを構えた。

 場合によっては滑稽な光景だが──今の状況では命の危険性しか感じない。


「取り敢えず、右腕からですッ!」


 地面を滑空するように駆けて、詩織はカッターを振り回した。それに合わせるように、天音も剣を一閃する。

 衝突。

一瞬遅れて、衝撃波があたりの空間を切り裂いて鼓膜を震わせた。二人が立つ場所の地面が大きく陥没する。地の欠片が、天音の頬を掠めて飛んでいく。血が頬を伝って、地面の数点を真っ赤に染め上げた。

 天音と詩織がお互いの武器を交錯させた状態で、顔を突き合わせた。

二人とも力任せに相手を吹き飛ばそうとする。

 その硬直状態を狙って、ギンが詩織に飛びかかった。


「────っ」


 ギンの体躯は子犬のそれと変わるわけではない。だが、それでも、顔に向かってきたら話は別だ。ギンが片足を振るうのに対し、詩織の力が一瞬緩んだ。

 天音はそこを見逃さなかった。

 ギャリ、と嫌な音をたてるのも構わず、天音が剣を振り抜くと──剣閃が直撃して、詩織は地面に叩きつけられた。


 だが、詩織はそこで終わらなかった。


 尚も追撃を仕掛けてくるギンを軽くいなすと、詩織は天音に再度迫った。

 身体を捻り、詩織は二撃、三撃目に続く連撃を高速で繰り出してくる。

天音は剣を掲げて防御に徹するが──一撃一撃に、凄まじい衝撃が剣を通して伝わって徐々に押し込まれていく。

 ──このままではいけない。

 天音は祖母である京子から、霊術から剣術まで一通り習っているが──それも、命を賭けた実践的なものではない。選択を間違えれば、死──というこの状況で、天音は臨機応変に対応する術は身に付けていないのだ。

 しかし。

 このままでは、いずれ天音に攻撃が通るのも、また事実だった。

 なら──


「──《風破》」


 賭けのつもりで、天音はトンとその場で地を踏んだ。

 霊法陣が足元に刻まれる。霊力が注ぎ込まれて──煌々と、銀色の輝きを放ち始めた。

 すなわち、霊術の解放。

 剣の霊具に刻まれた簡易型の術式であるが──注意を逸らすぐらいのことには使える。

 しかし、ここで、詩織がいち早く霊術に気づいたら全てが失敗に終わってしまうのだ。

 果たして──天音は賭けに勝った。

 詩織は霊術に発動に気づくが、その時はもう既に遅い。


刹那、霊法陣から噴き出した爆発的な風が、詩織を飲み込んだ。

 暴風に巻き込まれた詩織は、その場に立っていられずに後方に吹き飛ばされた。そこを狙うように、天音は地を蹴って勝負を決める──

 だが。

 吹き飛んだものの、詩織の視線は天音を捉えたままだった。

 ゾッ、と。嫌な感覚が身体にはしる。

 地面から跳ね上がるように起き上がった詩織が、巨大なカッターをすぐさま身体を捻って構える。


 思った以上に吹き飛ばしてしまったため、二人の距離は目測で十メートル。

 斬撃はどう考えても届かないはずなのに。

 既に、相手の領域にいるような──


 斬!!


 詩織がカッターを振り下ろした。

 けれど──それだけではなかった。伸びた刃がカッターから分離して直進し、天音を襲ってきたのだ。


「なっ──」


 異変に──異常に気づく。

 でも、急な方向転換はできない。詩織との間合いを詰めようとしていたせいか、相対的に凄まじい速度でカッターの刃との距離が殺される。

 刃が迫る!!


 ……当た、──


 が。

 それは現実として起こらなかった。

 その刃は横から受けた氷の槍によって、見当違いの方向へと飛んでいったからだ。

 氷の槍が飛んできた方向に視線を向けて。


「……氷華ちゃん?」


 天音は怪訝な声を漏らした。

 そう。そこにいたのは、四ノ宮家分家の少女であり、先程別れて学校に向かったはずの少女──四ノ宮氷華に違いなかった。

 何故、ここにいるのかはわからないが──これで、今日だけで氷華に通算二回助けられたことになる。

 氷華の手に握られているのは、身の丈ほどもある大きな杖──天音の剣と同じく《武装霊具》だった。

 《武装霊具》とは、それに霊力を注ぎ込むことによって、顕現できる強力な武装のことだが──そもそも、四名家の本家以外の人間は使えないはずなのだ。

 いや、もっと正確に言うならば──四名家の分家の人間使うことを許されていない。

 分家が本家に逆らわないために。


 謀反をさせないように、分家の人間はその使用を認められていていない。

 そんなことを、氷華が知らないわけではあるまい。

 下手をすると、四ノ宮家の当主命令によって、魔獣が生息する森への追放を命じられる可能性すらあるのだから。

 しかし、氷華は天音の疑問に答えようとはしなかった。

 代わりに、凍てつくような視線を詩織へ向けて。


「────」


 ぴしり、と。空間が割れたような音が響き渡った。

 霊力の──解放。

 無論、空間が実際に割れたわけではない。あくまでも、錯覚。されど、そうと錯覚させるほどの力の波動が、天音の身体を突き抜けた。

 やがて、氷華に向かって放たれた霊力が収束していく。


「──第二術式解放──」


 霊術の起句を口にしながら、氷華が杖で地面を軽く蹴った直後。

パッ、と。氷華の視界を埋め尽くすように、青白い小さな霊法陣が幾つも空間に刻まれた。

 危険を察知したのか、その霊術の領域から逃げるように、詩織は地を蹴り上げてその場から離脱する。

 が、その時には霊法陣は輝きを強め──氷華は霊術を発動させていた。


「──《氷撃連弾》」


 氷華が起句を紡ぎ終わった刹那、霊法陣から一斉に氷の弾丸が射出された。

 ちょうど、後方へと逃げるために、宙に跳んだ詩織に向かって。


「────っ」


 詩織の身体が、巨大なカッターが、弾丸に穿たれる。

 必死に、詩織はカッターを掲げて自身の身体を守ろうとするが──あまりにも、数が多すぎて全ては防げない。詩織の白い肌に次々と傷ができていく。

 血が空中に舞う──

 が。


「──邪魔です!」


 鋭い叫びとともに、身体が一瞬淡い輝きを放つと──詩織は、氷の弾丸に向かって、巨大なカッターを振り下ろした。すると、詩織に迫りつつあった全ての氷の弾丸が、突然重力を覚えたかのように地へと落下する。


「なんですか、あなたは? なんで、私と天音ちゃんとの触れ合いの時間を邪魔するでしょうか──?」


 たった一度の動作で霊術を無効化して、詩織は嗤いながら訊ねた。

 嗤っているが──詩織が烈火のごとく怒っているのは、天音は肌で感じた。

 それだけではない。

 よく見ると、詩織の傷は淡い光に包まれ──その光に舐められると、あっという間に傷が治ってしまっていた。

 あの程度は、攻撃として意味がないということか。


「それに、答える義務は私にはないわ。ただ……」


 氷華が詩織を睨みつける。


「──あなたが邪魔なだけ」


「ふふ、同感ですね。私もあなたのことが、邪魔で邪魔でしょうがありません。だから、ここで消えてください」


 言って、詩織が上体を前に倒して腰を低くした。

 地を蹴り──


「──術式解放──《氷牢》」


 氷華のその宣言に、詩織の眼が見開かれた。

 詩織の両足が地から離れる前に、霊法陣が詩織の足元に刻まれる。

 瞬間。

 シュバッ──、と。

詩織が反応する時間を与えることなく、足元の霊法陣から眩い青白い光が迸った。

 それに追随するように噴き出したのは、圧倒的な冷気。

詩織を取り囲み、冷気が纏わりつくと──それから僅か数秒で、詩織の動きを拘束して完全に氷の中に閉ざした。

 氷の牢獄。

 これでは、詩織がいくら治癒能力を宿していたとしても関係ない。


「…………っ」


 それらの現象を、汗一つことなく行った氷華を、天音は絶句して見つめた。

 これほどまでなのか。

 もちろん、氷華が《武装霊具》を使えることにも驚愕したが──それだけでなく。

 圧倒的な熟練度に、天音は目を見開いた。

 一朝一夕で身に付けた実力ではない。もっと随分前から、修練していないと出来ない芸当である。

 それも──天音よりも遥かに上手い。

否、この村全体で見ても五指に入るのではないだろうか。もしかすると、祖母の京子を押しのけてしまって。


「さぁ──今の内に、行きましょ」


 言いながら天音の方を振り返った氷華に、天音はキョトンとした表情を晒した。

 何を言っているか理解できなかったからだ。


「い、行くってどこにですか? それに、篠崎先輩はどうすれば……?」


「あんなのはどうでも良いわ。今の私じゃ、あれ程度の足止めが精一杯だし。あれ以上近づいたら、今度こそどうなるかわからないし。それに──今は、もっと、他にやるべきことがあるから」


「他にやるべきこと?」


「そう。だから、ちょっとついてきて」


 氷華はそう言うと、氷の塊に背を向けて歩き始める。

 まるで、詩織のことなど眼中にないようだ。

 いや、触れないようにしているだけか。触れてしまえば、あの異常と関わらないといけなくなるのだから。

 そして、おそらく、氷華は『あれ』について何かを知っている。

 何故、詩織がおかしくなってしまったのか。何故、いきなり襲いかかってきたのか。

 氷華はそれを知っていて、今はまだ天音に話すべきではないと判断しているのだろう。

 なら、天音が取れる最良の選択肢は──


「……ギン、行きますよ」


 その言葉に了承したというに、ギンが唸る。

 決意を確かにすると、天音はギンとともに氷華の背を追い始めた。


   ◇


「痛っ!」


 全身を襲う痛みに、詩織は地面から起きあがると辺りを見渡し始めた。

 一点の曇りもない青々とした空。近くには、ここから学校までの高低差を全て凝縮したような階段が鎮座している。

 村の中──であることは一目瞭然なのだが。


「……なんで、私こんなところにいるのでしょうか……?」


 それは最近頻繁に、詩織を襲う現象だった。

 ある日を境に、詩織は良く知らない場所に移動していたり、突然何かがしたくなったりするのだ。

 例えば、四ノ宮天音に告白とか。

 不意に、天音の顔が脳裏に浮かんで、詩織は顔を赤く染めた。


 四ノ宮天音。

 この村を大々的に取り仕切る四名家の一つ四ノ宮家の次期当主。

 そう言った意味でも、噂の絶えない少女である。

 だけれども、そんなことは関係なしに、詩織は天音のことが好きになってしまった。

 きっかけなどない。

 あるのは、無限の愛だけだ。


 しかし、それは実際比喩ではなく、ある時を境に、詩織は天音のことが恋しくて堪らなくなった。

 朝起きた時も、授業中も、夜寝る時も、天音の事しか考えられなくなった。

 そのせいで、今日の授業中も、先生に何度か指摘され怒られてしまったほどだ。

 これを、恋──と呼ぶのならそうなのかもしれないが、詩織は何かが違うような気がした。

 違和感、とでも言うべきなのだろうか。

 詩織の精神が、心が何者かに乗っ取られているような感覚があるのだ。


「──なんて、そんなことがあるわけないですよね」


 その詩織の呟きは、風に乗って消えた。




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