10話
全てに決着がついた次の日。
「……はぅ」
可愛らしく欠伸を漏らしながら、天音はいつも通り通学路を歩いていた。
隣では、子犬サイズのギンがてとてとと同じ歩調で足を進めている。
「……でも、残念でしたね」
『何がだ?』
不思議そうに言ってくるギンに、天音は言う。
「せっかく、元のサイズに戻ったのに……また、そのサイズになっちゃたんですから」
『まあ、本来の銀狼の姿も好きだが──こっちの方も悪くないさ』
前向きな発言に、天音は頷きながらも昨日のことを思い出す。
あの後──。
鏡火を倒した──否、祓った天音とギンは、魔獣をこの村に入れさせることはなかった。
すなわち、天霊と同じことを、ギンがやってのけたのだ。
ギンが言うには、効力は数年しか続かないらしいが──それで良い。
負の連鎖は止まったのだから。
魔獣のことは、これからの数年で解決すれば十分だ。
けれど、そのせいで、ギンは霊力を使い果たしてしまって──元のサイズに戻ってしまったのだった。片腕が対価では、あれぐらい限界ということなのだろう。
次に、京子の身体は無傷とは言い難いものの無事戻ってきた。
最後に、天音が発動させた霊術。
あれは、《修祓》に近い斬撃だったのだ。──といっても、霊力の量に物を言わせた強引な技で、何度も使えるような代物ではないけども。
だが、そのおかげで、京子の身体からは鏡火の意識は消え去った。京子が目を覚ますかはどうかわからないが──それでも数年以内には戻るだろうと、ギンは言っていた。今はその言葉を信じて、天音は待つしかない。
そして、三つ目に、精霊たちのことである。
結論から言うと、ほとんど精霊はこの村に残ったのだった。
まあ、元より、鏡火から命令を下されたといっても──ほとんどの精霊は自分の意思でこちらの世界に来ているものが多いらしい。精霊たちは勝手に来て、勝手に村人と交流しているのだ。精霊使いと精霊の絆は、天霊が倒された程度では揺るぐことはないらしかった。
加えて、最後に。
天音の左腕は──
「うーん、見た目とか感触は前と変わらないですね」
ぺちぺちと左腕を叩きながら、天音はそんな感想を漏らした。
なんてことはない。
ギンの霊力がなくなる寸前に、膨大な霊力を使って、天音の左腕を創ったのだ。もっとも、ギンが言うには「おいしくない」らしく、もう対価には成り得ないのだけど。
反則に近い技だが、天音は内心ではホッとしていた。
あの状況ではやむを得なかったとは言え、左腕を対価に捧げたことは若干後悔していたからだ。
──と。
「おはようございます、天音ちゃん」
学校の校門を潜り抜けるために、ギンにはあちらの世界に帰ってもらって。
不意に、校門の前で、天音は詩織から声をかけられた。
詩織の身体には所々包帯が巻かれおり、ちらちらと見える傷は生々しい。だが、顔に浮かんだ笑みを見る限りではそんなに心配する必要はないだろう。
「……大丈夫ですか、詩織先輩?」
「ええ、すぐに、天音ちゃんがしっかりと治療してくれましたから。もう、走ったり跳んだりもできますよ」
「……それは一応やめてくださいね、先輩」
「はい、もちろんわかっています──でも、その代わりにぃ」
詩織の妖しげな瞳が天音を捉えた。
「今日、天音ちゃんは私とデートです!」
「へっ?」
「大丈夫です、安心してください。氷華ちゃんの許可は取ってありますから」
「何故、私よりも先に氷華ちゃんの許可を!?」
「では、放課後霊宮公園で待ち合わせですよ」
天音のことなんて聞くことなく言って、詩織は校舎の中に入って行った。
その姿をどこか諦めながら見つめて。
「……どういうことですか?」
誰もいなくなった校門の前で、天音は静かに疑問を発した。
本当に誰もいないのなら、意味のない問いかけだが──それはない。
返答の声がないので、天音は校門の影に向かって呼びかける。
「黙っていても無駄ですよ──氷華ちゃん」
「……どうして、わかったのかしら」
校門の影から、何だか納得していない様子で、一人の少女──四ノ宮氷華が、ぬぅと出てきた。
「氷華ちゃんの行動ぐらい簡単に読めます」
「つまり、それは私と天音の思考がシンクロするほど、愛が深まったってことね!」
「気持ち悪い解釈をしないでください」
言って、天音は氷華を見やった。
「で、どういうことなんですか?」
「な、何のことかしら……?」
「とぼけないでください! どうして、私のスケジュールを氷華ちゃんが管理していることになってるんですか!?」
「しょうがないでしょ、天音。あなたは今四ノ宮家の当主なのよ。あなたは忙しい上に、色々と予定が詰まっていているんだから。誰かがスケジュールを管理した方が良いでしょう?」
「それはそうかもしれませんが」
「ということで、今日の放課後は、私や詩織先輩と一緒にデートよ」
「氷華ちゃんも来るんですか!?」
「当然でしょ」
氷華は小さく笑う。
「──だって、私と詩織先輩は友達なんだから」
「ねぇねぇねぇ、天音。天音が四ノ宮家の当主になったって本当?」
二年二組の教室の席に座った瞬間に、天音の前の席に座っている涼香は、そう言ってきた。
うずうずとして、早く訊きたい、というのが全身から溢れ出ている。
狭い村である。こういう話題は当然回りやすい──のであるが、そのあまりの耳の早さに、天音は苦笑した。
「本当ですよ、涼香ちゃん」
「なら、四ノ宮家の権力とか使えちゃうってこと?」
「使えちゃうんですかね……?」
言いながら、天音は首を傾げた。
四ノ宮家は、この村を取り仕切る四名家に数えられる。それ故に、この村ではある程度の権力を宿しているのだが。
しかし、天音は四ノ宮家当主にはなったばかりで詳しいことはわからない。
しまった、その辺のことも鏡火に聞いて倒すべきだった──と、よくわからない思考を脳内の片隅で行いながら、天音は涼香を見やる。
「権力が使えたら、何かあるんですか?」
「うーん、何というか、知りたいことがあるんだよねぇ」
「それなら、学校の先生に訊けば良いじゃないですか?」
「いやいや、それじゃ駄目なの。たぶん、四名家のお偉いさんたちしか正確なことは知らないと思う」
「……いったい、何が知りたいんですか、涼香ちゃん」
天音が訝しげな表情を向けると、涼香は答える。
「天霊について」
「天──霊」
「そうそう、天霊のことが知りたいの。天霊って実は、天使のことじゃないかなぁと思って」
「……へっ?」
予想外の方向の疑問に、天音はきょとんとした表情を晒した。
「……どういうことですか?」
「いやいや、この村は、昔天霊が舞い降りたってことで、天隠の村じゃん。でも、天霊っていう言葉には、あんまり馴染みがないよね。天使の方だったらあるけど」
「…………」
「でも、ほら、天使って外国の文化じゃん。だから、たぶん、昔この村に住んでいた人が、外国嫌いか、何なのかわからないけど、許せなくて勝手に日本風に変えちゃったんじゃないかなぁって。この村には、天使が舞い降りたはずなのに、天霊が舞い降りたって」
「……そんなことがあるんですか?」
「あるところにはあるんだよ。だって、ギリシャ神話ではゼウスだけど、ローマ神話だったらユピテルだったり。ローマ神話だったらヴィーナスだけど、ギリシャ神話だったらアフロディテでしょ」
「いえ、でしょ、と言われても、私わかりませんし」
「そういうものなんだよ。歴史や、宗教や、本人の都合で勝手に変えられたりするもんなんだよ」
「都合ですか」
「うん。そうそう」
涼香はにっこりと笑う。
それにつられて、天音も笑みを浮かべた。
涼香が前の席に向き直る。
しかし、その寸前。
小さく呟かれた涼香の言葉が、天音の耳にこびりついた。
「でも、だとしたら、私たちが普通だと思っていることも、常識だと思っていることも──ただ、そう思い込んでいるだけで、全て『嘘』かもしれないね。この村も、大人が言うことも、何もかも──『嘘』で創られていたりして」




