現実的魔法使い その2
"摂"氏は基本的に、古典的書物を読むようにしていました。
それも、千年も昔のものです。
しかし、体系的にある程度カバーして
「基礎は十分だな」
と考えると、より<現代>に近い時代にあらわれた著作探求に移っていきました。
――それでもまだ、『古典』とよばれる時代です。
現代に近づけば近づくほど、言い回しというものは、単調であったものが複雑化し――そして概念の謎を追求すればするほど、それまで普通に使われていた語との差異を明確にするために、新しい語がうまれます。
そしてその新たにうまれた語を解説するため、長い文章が補足として書かれるようになるのです。
――そう考えると、現代文というものは、必然的に長いのです。
[もし、うまれた後、言葉はぜったいに死なない、と仮定した場合の話ですから、この話は半分です]
だから人間の歴史の中、年月を経て<近世>とよばれる時代くらいになると、それまで古典的で単調であった語以外にも、同じ意味でも別の、<多種多様>な言い回しというものが現れるようになり――同じ事柄を伝える場合でも、より具体的に物事を記述するため、より多くの言葉で尽くすことがあるのです。
注:言葉を短くすれば、必然的に文から<曖昧>が排除されて分かりやすくなる、と考える人もいますが、同時に具体性を文脈は失ってしまうケースもあるのです。
何はともあれ、ちょうどそんな「近世」に生まれた有名な学者――その名、"脂"氏――が、英語圏人であるのに英語ではなく、<ラテン語>で書いた書物があります。
それは一般に流通しているのですが、誰も本気にとっていません。
「当時はまだ科学の発達していない時代だから」
「当時の技術は、未熟だから」
で斬り捨てられているのです。
「ありえん」
そう斬り捨てている一人が、"華"氏でした。
その書物を捲れば、指先から火を起こす方法を見つけることができます。
現代科学の観点から云えば、ある物質を含んだ素材を<指輪>の形にして、指の静電気と接触させることによって発火現象を起こす、という説明がつくものなのだそうです。
その著作にある記載を、これまでほとんどのヒトは本気にしませんでしたが、"摂"氏はやってみました。
――暇だったので。
そして、指先に小さな火を起こすことができました。
しかし、それ一度だけで、止めてしまいました。
――"摂"氏のそばには、ライターがありましたから。
それに、"摂"氏は炎系の呪文に関心がなかったのです。
――炎を当てて攻撃したいヒトも、物も、モンスターも、現実にはいなかったので。
さらに"摂"氏にとって、火を起こすことはあまりにも<当たり前>のことでしたから、
「だれかに見せびらかしたい」
と思うこともありませんでした。
ですから、近しい間柄であった"華"氏ですら、"摂"氏が指先に火を灯すことが出来た――そのことを恐らく、知らなかったでしょう。
氷系の呪文の場合も同じです。
別の本をひも解けば、氷を作る魔法が書いてあります。
しかし、氷が欲しかったら、冷凍庫がありました。
よって、"摂"氏は必要性を感じず――実験をすることさえなく――読み飛ばしました。
回復魔法や、ヒトを眠りに誘う魔法であったなら、より強力なものを探すために研究をしたかもしれませんが――それらの方法も多くの本に書いてありましたが、"摂"氏は一度として、成功させることが出来ませんでした――現代に生きる"摂"氏は、基本的に魔法など、必要としなかったのです。
――その他、古代の幻想世界や、パラレルワールドに於いて多くの魔法使いが出来るという不思議なコトでさえ、現代においては、だれかが科学技術を使って出来ることがほとんどでしたから。
ちょうどこの頃、"摂"氏のセンセイであった"華"氏は、教え子が自分よりもラテン語とラテン文学の知識について上回ることが示された出来事に何度か会いましたので、
「やっぱり賢いやつは、ラテン語だけじゃなく、シェイクスピアを学ばなきゃ」
と方向転換を促しました。
相手を尊敬していた"摂"氏は、センセイによって暗示された指示通りに、英語の古典を学び始めました。
――もちろん、ラテン語を読まなくなったわけではありません。
そんな"摂"氏は、シェイクスピアのフォリオをすべて、原文で読み終わった後、思いました。
「みんなこれを褒めているけれど、具体的に、どこが、どの様に良いというのだろう?」
「すばらしい」
「感動する」
「深い」
「楽しい」
"華"氏が言ったこれらどの意見も、シェイクスピアを読んで"摂"氏が思ったこととは違いました。
しかし、"摂"氏は"華"氏が正しいと信じていましたから、
そういうものなのだろう
と思ったそうです。
そして、分からない自分が悪いのだろうと思い、何度も何度も――分かる様になるまで――読み返しました。
その頃でした――"摂"氏のまわりにバリアが発生し始めたのは。