縁日は、なぜたのしいのか? その3 ――オチ――
それ以来、"摂"氏は忙しくなりました。
ずっと取り組んでいた難問解決において、急転回が見られのです。
それでもまだ、難問を解くためには決定打に欠けていたのですが、"摂"氏が思い描いていた
「もう少し」
の距離は、確実に狭まっていました。
そんな日々――いつの間にか、<雲が綿あめである>ことを、忘れてしまいました。
そんな日々――その間に、いろいろなことがありました。
叔父の飼っていた犬が死にました。
「寿命だったみたいだね」
家族に看取られて、幸せそうでした。
それから、叔父が死にました。
ずっと糖尿病でしたから、誰もがその日を、より衝撃が少ない状態で、受け止めることができました。
葬式後の飲食会では、成長した甥が、<昔話>と称して、"摂"氏を馬鹿にしました。
「たしか、雲って わたあめ なんだよね?」
対し、"摂"氏は、
「そうですよ」
家族中で笑いました。
"摂"氏は、
「もちろん、あなたは実際に雲を食べて、甘さを確かめたのでしょうね?―-それに、科学的分析は行ったのですよね?」
と言うことができました。
――言いませんでしたが。
"摂"氏は笑声の中、隙間をぬって聞こえてきた、
「昨日未明、飛行中のヘリコプターのプロペラが焼き付いて制御不能となり、山の中に不時着した」
という、その日のニュースに釘付けでしたから。
部屋に籠った笑いの熱気は収まりそうにないと、空気を読んだ親戚のひとりが、すぐに話を変えます。
「そういえば、○○さん("摂"氏の叔父)は、ワンちゃんをすごく可愛がっていたね」
「そうだった――お利口さんな犬で」
「そうそう――○○さんのあとを、いっつもくっついて」
「そうそう――なぜか雪を食べるのが好きだった。『お腹を壊すよ』って言っても、ずっと雪を食べていて――だから夏になってかき氷をつくると、跳びはねていたっけ」
「そうそう」
「そうそう――死んだ日も、雪の日だった。外が雪なのに、ストーブの傍で、もう動けなくなっててね。もう目も見えなくなってて――でも『雪だよ、外は雪だよ』って言うと、ぴく、って耳を動かしてた。賢い子だったよ」
「そうそう」
そうそう――その時、"摂"氏は、断片的に提示されている情報をまとめることが出来ました。
そして――"アルブス"氏に頼んだ願いとその結果を、知りました。
「失礼」
と"摂"氏は中座します。
その時代――たしか――携帯電話がもう普及していました。
しかし、"摂"氏は公衆電話を探しました。
相手が出ると、久しぶりですね、を省略し、すぐに願いを取り消すよう、頼みました。
「またか?」と"アルブス"氏。
「お願いします」と、"摂"氏――十円玉を入れながら。
その後、"アルブス"氏は小馬鹿にした態度を内包した鼻息を、電話線を通じて、送ってきました。
そして、何も言いません。
願いは叶えられたのでしょう。
――目に見えた変化はありませんが。
電話はつながったままです。
息遣いさえ、聞こえません。
そして、いつまで経っても電話機の向こうから"アルブス"氏が、
「これで最後だからな」
等と、ケチくささを表明することはありません。
お互い、黙ったままでした。
"アルブス"氏は、童話に出てくる悪魔の様に人間の願いを叶えますが、ヒトから何の見返りを求めることもなく、そして、成就に条件をつけることもないのでしょう。
どちらが切ったのか――やがて電話は切れました。
それから、"摂"氏はニュースを確認しました。
不時着陸したヘリコプターの乗組員は、全員無事だということです。
しばらくして、"摂"氏は、学生時代から取り組んでいた難問を解くことができました。
――"アルブス"氏の助けを借りることなく。
――"華"氏の力を借りることなく。
自力で、解いたのです。
"摂"氏は、にんまり、しました。
"摂"氏はすぐに電話をかけました――そして"アルブス"氏に、事実を伝えました。
他に伝えるヒト――そもそも証明過程を理解できるヒト――など周りにはいないのです。
伝えても、相手を不満にさせるだけなのです。
"アルブス"氏は、願いを望まない"摂"氏に向かって
「人間――久しぶりにわたしを呼んだかと思えば、お前はずっとそんな簡単な問題に苦しんでいたのか? わたしに頼めば、すぐに助けてやったのに。
お前は、馬鹿だ」
そう、笑いました。
甘い声でした。
その朗らかさは、"摂"氏に十分、伝わりました。
しかし、続けて"アルブス"氏は、"摂"氏が行った難問証明における<欠点>を指摘しました。
"アルブス"氏によると、
「それは"摂"氏が仮定的にたてた前提に、自動的に――そして不可視に――孕まれているもので、それを無視しているから証明は成立しては見えるが、その部分を吟味しないと、完全に証明したとは言えない」
"摂"氏は苛立ちましたが、相手の言い分を黙って聞いていると、その指摘に説得力を感じた為、御礼を述べるとすぐに電話を切り、確認の為、計算をし直しました。
"アルブス"氏の指摘は、正確に云えば、取るに足らないものでした――証明は、やはり為されていたのです。
しかし、"アルブス"氏は、長くはない"摂"氏の寿命を少しだけ、先延ばしにしたのでしょう。
次の機会に"摂"氏が、<欠点>が欠点ではなかったことを論じると、
「そうだ――お前は正しい」
とだけ言い、豪快に笑いましたから。
そして、"アルブス"氏は、嫌味ではありません。「お前は正しい」の後、
「――生き方において、間違ってはいるが」
と付け加えなかったのですから。
このエピソードの間、"摂"氏のセンセイである"華"氏は、ずっと忙しい毎日を送っていました。
――同時代の他人が行った翻訳文の粗探し、という足踏みに。
――縁日は、なぜたのしいのか? の了――