『実力』と、それを包む邸宅 その6 ―え とぅ?―
点灯。
背の低い、芝と同じ程度に青々と萌える生垣がダイヤの形に囲っている中――立っている――白いその小屋の内部には、海がありませんでした。
しかし、白い壁に白い床――言ってみれば、地中海風のデコレーションです。
ただ、白いシーツが皺の発生を最小限に抑える為、丁寧に折りこまれたベッド、そのヘッドが押し付けられた壁だけは、赤煉瓦
――それだけ、部屋の<メール>な基調にミスマッチ。
ベッドの真上には、写真が数枚、飾られています。
写真を調べますか?
→いいえ
「まだ早いのです」
写真の両脇に、ティファニーの蜻蛉の様なカオス模様のガラスランプが、壁にアゲインストに二つ、眼の様に在り、仄かな、淡い照明を、壁に落として――煉瓦の赤黒さに緑を混ぜて――際立てています。
ベッドのある方の壁とは正反対の壁――そこには、
木をくべて部屋の温度を上げる為に使われる道具である、あの――旧式<暖炉>もあるのですが――そして、煙突が、屋根に向かって伸びています――芽を出した球根の様に――ずっと使われたことがないのか、料理が苦手な主婦のいる家のオーブンの様に、ただ黒く――汚れなく――口内を隠しています。
クーラーや暖房の類は、無い様です。
"摂"氏は床に、荷物を置きました。
背後から、
「奥がバスルームだから、風呂に入りたかったら、あとで入れれば?――ってこんな暑い日に、熱い風呂に入りたいヤツなんかいねぇか…」
と、"ジュネス"。
この発言は、ある個人が一人で話し、一人で答える、<独り言>というものに分類されるべき例なのでしょう。
現代語では、「一人つっこみ」とも言うのかもしれません
――知りませんけど。
実際、奥には木製ドアが、ありました。
ただ、閉まっていました。
"ジュネス"はその先を、"摂"氏に実際に見せて確認させることなく
――話は、ずれて、進んでいきます
――話題にしていることと、議論の間、一貫性を持つべき論点双方に、領域的に重なる部分が絶対的に無いか? としたら、<在る>としか、言わざるを得ないのですが。
「一応、あっちの――」
そう言われ、"摂"氏は振り返ります。
"ジュネス"は、母屋のある方角を指しています。
「――家の方にはシャワーがあるからよければ」
早口でした。
「ありがとう」と"摂"氏。
「こっちのバスルームは、風呂とトイレだけだから――」
そう"ジュネス"は、既に言ったことを再び言って、額の汗を手の甲で拭います。
「ありがとう」
「それじゃ――あっちで勉強しようぜ。ちょうどウチの親が買ってきたパイとかあるし――ミートパイは好きだったっけ?――"摂"って、炭酸大丈夫だったよな?――確か――で、夕食は、中華でもいいっしょ?」
"摂"氏は答えませんでした
――しかし、何も問題はありませんでした
――"ジュネス"は"摂"氏に疑問を投げかけながら、返事を待たずに一人で、相手がこう答えるだろうと想定し、それが無言の"摂"氏、そのヒトの答えであるとして一人で消化し
――次から次へと繰り返し、話を勝手に進めていきましたから。
そして、それに、"摂"氏が不都合を感じたり
――ヒステリーを起こしたりはしませんでした。
[要するに、"ジュネス"としては、"摂"氏には母屋の方で勉強を進めてもらって、寝る時だけ、この<離れ>に来て欲しい様です――要点が分かれば、それ以上の会話は中心的話題に具体性を持たせる為の、単なる補足であり――大根のツマに過ぎません――が、"ジュネス"には、それが必要なのでしょう――ジュネスが求めていることは、<要点>だけでは無いのでしょうから]
"摂"氏が荷物から勉強道具を取り出すと、
「鍵は、内側から閉められるから――もし気になるなら」
そして、ドアノブを見せてきました。
ドアノブは――部屋の内側からは――ツマミを横に捻る形で施錠する鍵になっていることが分かります。
「誰かが襲ってくることなんかないだろうけど、<もしも>の話ね。それから」
そして息を継ぎました。
「もし寝るとき暑かったら、窓を開けてくれればいい――このゲス――この小屋は風通しがいいから、扇風機もいらない位なんだ。ホントはオレもこっちで普段寝たい位だよ」
「海のにおいがする」
――それは、内陸に住む者が電車に乗っている時、
「海だ!」
と突然、目的への接近を教えてくれる、あの、風の背に乗り、顔を叩く<潮>の類と言うよりは、
――あの、近隣にあるだろう漁村を微塵も連想させない高級リゾート地に宿泊している、海で遠泳をしたばかりヒトが脛から下を海に浸けたまま、髪を絞りながら上陸する時に放つ、あの、わざとらしい体臭の類でした。
――そしてその、人工的魅惑に包まれた香りコングロマリットは、ひとつの自然そのものには敵わないものだ
――そしてそれは、"ジュネス"のものでは、ありませんでした。
それは、部屋に籠ったニオイ――動物的ではない――寧ろ人工の――ただ生命の溢れた様な――香り。
<<ああ――柑橘がどこかに混ぜられている>>
「ああ、うちの母親が買ってきた、なんかの匂いだよ――オレはしらねぇけど」
と、"ジュネス"。
「どこに、かけているんでしょう?」
「かけてる?」
と"ジュネス"は訊き返します。
「この、香水らしき匂いは――どこから来るのでしょうか?」
そして、鼻孔を動かしました。
「くさい、って意味?」
と"ジュネス"は少し眉を顰めました。
「そうではないのです――すごくいい匂いだから」
「ああ、知らない――<どっか>だろ――それより、早く行こうぜ。オレ、テスト不安なんだよ」
"摂"氏が何故、これほど、この<匂い>を気にするのか?
――それは、"摂"氏が以前、嗅いだことのある匂いだった、というのは理由として十分でしょう。
<デジャ・ビュ>と言いたいのですが、<以前見たこと>ではなく、匂いの問題ですから、ここでは<デジャ・サンティ>としましょう。
そして、香源を突き止めず
――連想の源がどこにあるのか特定する作業を行おうとする暇もなく
「はやくはやく」
――"ジュネス"に促されて、母屋に向かう"摂"氏でした。
小屋のドアが閉まります。
鍵は、かかりません。




