『実力』と、それを包む邸宅 その4 ―自己正当化―
"摂"氏は"ジュネス"邸のポーチを踏みしめてから、呼び鈴がどこにあるのか、目で探りました。
――しかし、完了する前に、ドアは自動的に開きました。
――中から、私服姿の"ジュネス"が。
身をすこし、屈めています。
そして、ドアノブを掴んでいない方の手で、誘います。
「遅かったやん」
「申し訳ない」と返す"摂"氏。
「迷った?」
「タクシーで来たので」
誘われるがまま、"摂"氏は住居に入りました。
そして、"ジュネス"が扉を閉めました。
――後ろ手で。
ドアは、ガラス製でした。
建物の内側へ<観音開き>に開くタイプで、その枠には木が使用されています。
[値段を見積もるだけの知識はありませんので、その価値というものを見定めることは大変難しいのですが、"館"(やかた)程の大きさの家に相応しい素材という点で考えると、安くはないのでしょう]
そして、ドアに隣り合って、同じ背丈の、同じ素材の窓が、壁一面に埋め込まれています。
それぞれ、カーテンが、かかっています。
――それも、豹柄の。
しかし、それは"ジュネス"邸玄関の黄色い壁――"摂"氏には、壁紙かスタッコかを見分ける審美眼はありませんでした――に、大変マッチしていました。
ほとんどの窓ガラスはカーテンで覆われ――外の様子をすっぽり隠しているのですが――、一枚だけ例外として、軽く絞られているものがありました。
"摂"氏は近づき、観察します。
――ガラスの向こうに見えるものは、これまで来た道。
――それを見せる、高級であろうガラスは、汚れていました。
特に、室内側の面は雑巾等で何度か拭いた痕跡が見られますが、外の面(ポーチ側)は、埃が波紋の様に薄く重なり――闇が背景でも可視的で――掃除が頻繁でないことが明らかでした。
<<掃除夫、または掃除婦を雇っていないのだろう>>
<<大掃除という習慣が家庭内にあるかないかは分からないが、少なくとも掃除をするとき、部屋の隅まで細かくやらない家族である可能性がある>>
その様に、"摂"氏は推測しました。
実際、玄関の隅を見やると、観葉植物の鉢の下、枯れ葉が数枚、落ちています。
"摂"氏は、玄関で――大邸宅にはじめて訪れた庶民の様に――天井を見上げることは、ありませんでした。
玄関の天井は、見上げる程、高くないのです。
<吹き抜け>であったならチープな大金持ち像の典型として説明し易いのでしょうが、その様な豪邸を建てられるほど、"ジュネス"家は<富豪>ではないでしょう。
――<大金持ち>ではある様ですが。
見上げる代わりに、"摂"氏は下を向いていました――舌を巻いていましたから。
床が、<大理石>だったのです。
この時こそ、"摂"氏が初めて、<大理石>というものを床に敷いて暮らしている人間が本当にいることを、その眼で確認した時でした。
それまで、世界中の韻文家が美しいものを<<大理石の様な肌>>と表現をしていて、それがもう陳腐に聞こえることを、"摂"氏は確認していました。
しかし、"摂"氏には、<<大理石の様な肌>>がどのようなものか、ずっと分かりませんでした。
想像することは出来ます――しかし、その想像によって頭の中に形作られたそれは、常に、具体に乏しいものでした。
石なのでしょうが、
「どんな石?」
美しい、高価な石なのでしょうが、
「どんな石?」
それ故に、"摂"氏の頭の中にあった<<大理石の様な肌>>らしき産物の横にはいつも、「?」が付いていて――消えませんでした。
それ故に――その時――実際に
「足の下にあるこれは、<大理石>ではないか?」
そしてそれが、
「冷たいのか温かいのか、触れてみたい」
という願望に駆られたそうなのですが、
「勉強進んでる?」
と"ジュネス"に切り出されたので、
「そうですね」
と、無難と視線を返しました。
「オレは全然集中できなくて…」
と、"ジュネス"は何か自虐の色を帯びた表現をしたので、
「じゃあ、いまから始めましょうか?」
と"摂"氏が荷物を大理石の上に下ろすと、
「待った。その前に、部屋に案内するよ――先に荷物置いた方がいいだろ?――それに、飯、食うだろ?」
"摂"氏にはどちらでも良いことだったのですが、その家の主に従うつもりでした。
因みに、"ジュネス"邸の玄関は、ひとつの、横に長い部屋でした。
ええ――<玄関>というより、応接間を擁する、ひとつの大きな部屋でした。
しかし、"ジュネス"邸には、そことは別に<応接間>なる部屋があるので、その玄関を玄関としか呼びようがないのです。
その玄関スペースは、入口の(ポーチ側)ドアに対して、
右手が、ダイニング・ルーム
左手が、書斎と"ジュネス"の父親の仕事場
につながっています。
玄関に靴を脱ぐ為のスペースは無く――ドア脇の窓の足元に、靴が横に並んでいます。
靴箱はありません。
その長方形の玄関スペースの真ん中には、二階へと上がる為の階段が――長く――あります。
――それも、横に。
それは、ヒトの通行を邪魔するかの様に、あります。
そして、階段の背後――入口に対して正面(反対)の壁に――バック・ドアがあります。
そして、バック・ドアの先は、裏庭に繋がっています。
[端的に云えば、"ジュネス"邸の母屋には、奥行きがないのです]
そのバック・ドアの方へ、
「こっち」
と"ジュネス"は先に進んで、誘います。
「普段は<親のお客さん用>だから使えないんだけど、今日は特別に使ってもいいってウチの親が言ってたから」
そして、バック・ドアを開けました。
その時、"摂"氏の目の前に広がったもの
――それは、屋外プールでした。




