黄昏と暗号 その4
以前、"Z"は暗号を使って授業中、クラスでメモをまわしていました。
最初は簡単な暗号でした。
文章の頭文字をつなげる、<アクロスティック>とよばれる技法です。
――ニッポン語で云えば、<あいうえお作文>なのでしょう。
たとえば、
あいしていると言った日が
しおにまみれた あの海辺での
たかい波に包まれてから
ずっとつづくと信じた――幸福
ここには、
「あしたず」
という暗号があるというのです。
――つまり、ニッポン語で<鶴>という意味だそうです。
この技法を使った暗号文を"Z"は授業中にまわしていましたが、すぐに、見破られました。
そこで、次の手法が検討されました。
それは、<プログレッシブ・アクロスティック>とよばれる技法です。
つまり、1文目は1文字目。2文目は2文字目、と斜めに文字をひとつづつ選択し、読んでいくのです。
上の例文からその技法で読むとすると、
「あおいつ」
が、<プログレッシブ・アクロスティック>による暗号です。
[注:ちなみに「あおいつ」なる言葉が、ニッポン語にあるかどうかは、知りません]
暗号記述方法が、この<プログレッシブ・アクロスティック>になってから、"Z"の仲間以外の同級生や教師は、内容を見破ることが難しくなりました。
――が、それも終わりを迎えます。
――あるヒトが気づき、暗号文の内容がクラスメイトでも簡単に読まれるようになると、"Z"は<プログレッシブ・アクロスティック>を使わなくなりました。
その、気づいた<あるヒト>が具体的に<誰か?>を、ここで言う必要はないでしょう。
暗号技法には、この<プログレッシブ・アクロスティック>より、さらに複雑な技法<ダブル・プログレッシブ・アクロスティック>という技法もあるそうです。
"摂"氏曰く、個人レベル――コンピューターを暗号解析のために使用する必要のないレベル――の暗号なら、この程度までを確認すれば、十分だということです。
「もちろんアナグラムや"脂"氏式五桁暗号やデジタルなモノ、ビジュネル式とかもあるけれど、それを仲間ウチで、誰もが完璧に法則を理解して、利用できるとは思えない――特に学生の間では」
とのことでした。
あと、暗号解読のためには、平易文全体の文字数を計算して――
これ以上は、この小話『黄昏と暗号』には関係がないので、省きましょう。
この、<プログレッシブ・アクロスティック>がクラスメイトに見破られてから"Z"は考察を重ねて、新しく独自の文字を開発し、その暗号解読のための原則が書かれた紙を、<仲間>にだけ配布しました。
それをキーボードで入力することはできませんので、ここに記しません。
しばらくの間、その新しい文字によってつくられた暗号が、教室に出回りました。
誰もが、その
「変な文字」
で書かれた手紙が廻ってきた時、訝しく思いました。
――といっても、そこに書かれていた暗号の内容は、学生が考えることですから、
「あした くじ えきまえに しゅうごう」
程度の――つまり、連絡網で十分なこと――で、反社会的活動や陰謀の計画となることは、一切ありませんでした。
そんなある日のことでした。
"Z"の仲間のうちひとりが、暗号解読に必要なメモを流出させてしまったのです。
なぜなら――流出相手は、<友達>でしたから。
「友達なら、隠し事は何もない」
と、云うことです――世間では。
友達なら、どんなことも隠してはいけないそうなのです。
――それをもって、その友達に脅迫されるようなことがあっても、相手が<友達>なら、仕方のないことなのだそうです。
上の抽象を言い換えると、"Z"の暗号仲間のうちひとりが、その友人に――その<友人>という人物は、"Z"自身の友人ではなかったにも関わらず――秘密を暴露した、というです。
こんなことは、社会では、ままあることの様なのでしょう。
――"摂"氏にはよく理解できない様でしたが。
ベルトコンベアーの様に動く床の振動音かと思っていたら、そうではない事に気付きます。微かに、遠くで、電話の呼び鈴。しかし、手を伸ばす事は出来ません。身体を起こす事は出来ません。すると、耳に
「ぶち」
という音が衝突し、破裂しました。
痛みはありません。そして、
「もしもし?」
という声がしました。遠い昔に、聞いた事がある声です。すごく懐かしい声でした。
それは家族の声ではありませんでした。
恋人の声ではありませんでした。
友達の声ではありませんでした。
それは人間の声ではありませんでした。
何か、涙が溢れてくる様なカンジが頬に熱く来た様に思われましたが、実際には、もう体液は出尽くしていました。明らかに冷静ではなかったのですが、どうしようもないのです。
「元気か?」
と声の粒が、先程と同じ様に、鼓膜に届き、破裂します。
死んだのに元気もへったくれもないとは思いましたが、"摂"氏は答えませんでした。答えられなかったのです。すると、声が伝えてきました。
「お前はこれから、自分が何処へ行くのかわかっているだろうな?」
わかりませんでしたし、何処でも良い様に思いました。
「地獄だよ」
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