華氏と摂氏
むかしむかし――といっても何十年か前――ある処に二人、ひとがいました。
ちなみに、おじいさんとおばあさんではありません。
仮に、その名を"摂"氏と"華"氏としましょう。
"華"氏は、"摂"氏のセンセイでした。
二人は――初めは――うまくやっていました。
"摂"氏は、普通の学生と違って、勤勉でしたから。
"華"氏にとって、教えれば教えた分だけ知識を吸収して応えてくる"摂"氏は、教えがいのある生徒だったのでしょう――生徒が努力する姿は、どの教師にとっても微笑ましいモノの様ですね。
しかし、ある日、"華"氏は気付いたのです――話があわないこと。
同じ専門の、同じ話題をもって"摂"氏と会話を行っているはずが、どこか、ずれている様に思われるのです。
それは単なる
「性格の問題だ」
とその時、"華"氏は思いました。
月日は流れ、二人の話題がより専門的に、より複雑になるにつれて、その食い違いの幅は広がっていきました。
"華"氏は、それが無いフリをしていました。
「単なる意見の相違だ」
しかし、"華"氏は、何故か、焦っていました――反面、"摂"氏は泰然自若。
そして、そんな"摂"氏は、ひどく難しい専門用語を大量に使って、"華"氏に話し続けるのです。
"華"氏は、相手の言っていることが分かります――しかし、もう"華"氏は、"摂"氏が何を考えているのか、分かりません。
――他人の考えは本来、すべて分からないものですがね。
それでも教師である"華"氏は考え、相手を理解しようと努めました。
それでも、そうなった原因に気付くことができませんでした――たとえ気づいていても、認めることができなかったでしょう。
プライドが高いヒトだったので。
その原因とは、簡単にいえば「努力」です。
"摂"氏は、教師に教わる分を復習――予習――するだけでなく、得た知識を応用してさらに独学を続けていました。
対し、"華"氏は教えることに一生懸命で、前進するための努力をしませんでした――疲れて家に帰ったら、休んでしまうのは当たり前のことです――だから、"摂"氏の、独学に基づいて進められる独創的な論理展開が追えないのです。
食い違いがはじまり――食い違いが深刻化してから追っても、遅すぎるのです。
勿論ずっと、"華"氏は彼なりに努力をしていました――しかし、それは単なる足踏み運動に過ぎないのです。
ある日、"摂"氏は、ひどく難しい問題について、"華"氏にアドバイスを求めました。
その日、"華"氏は口ごもり、話題を変えました。
その時、"摂"氏は気づきました。
「このヒトは、わたしの言っていることを理解していない」
それでも"摂"氏は、相手にあわせようとしました――少なくとも、尊敬はしていましたから。
しかし、"摂"氏はひどく苛立つようになりました。
世間では、"摂"氏の話は専門的すぎて、多くのヒトには理解が難しく、敬遠されているのです。それなのに、
「数少ない理解者すらも理解してくれない……」
八つ当たりこそしませんでしたが、"摂"氏は以前より、冷たくなりました。
それ故なのか、二人の関係は悪化していきました。
最後に"摂"氏は、"華"氏を見限りました。
「お前なんか、お話にならない!――いらない!」
それを聞いて、顔を紅潮させた"華"氏は、いやがらせをして、"摂"氏を業界から追い出しました。
いま、"華"氏は業界の重鎮です。
"摂"氏は死にました。
"摂"氏は、データを残しています。
それを公開しようと思います。