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【小話】日向ぼっこ

その後の二人。砂を吐きそうな甘い空気にご注意ください。

 ふわふわぬくぬくと、あたしはまどろみの中にいた。

 標高の高いこのお邸で、春にはまだ遠い季節。空が晴れて雲ひとつない良い天気だったとしても、外は雪が深く、とても散歩もできやしない。

 あまり良い思い出のない場所だったが、くつろぐには最適の場所。それがこの温室だった。


「むー……?」


 お日様の光を受けて、この温室だけは、まるで春が来たように暖かく保たれている。ちいさく唸ったあたしは、ふかふかの毛布に頬ずりするように身じろぎをした。


「やめろ、くすぐったい」


 低くこもった声があたしの頭全体に響くように届いた。


「……だめ?」


 薄目で視線をさまよわせると、少しだけ困ったような表情を浮かべた彼の姿が目に入った。


「まぁ、それほど、でも、なくもない、が」


 珍しく歯切れの悪い返事に、あたしはゆっくりと上半身を起こした。その下には、毛布、もとい毛皮、いやいや、灰色のとても素敵な毛皮を持った大きな獣が仰向けで寝そべっていた。


「昼寝は終わりか?」


 大きな獣=ラスが意外そうに尋ねて来た。


「……もう少しだけ、いい?」

「別に構わん」


 あたしは胸元の柔らかい毛の中に顔を埋めた。ひなたの香りがする空気を吸い込み、先ほど注意されたばかりの行動――頬ずりを繰り返す。


「こうされるの、実はけっこう好きでしょ?」

「……別に」

「嘘、ヒゲで分かるもの。あと尻尾」

「……」


 ラスは視線を彷徨わせた。


「ラスも昼寝しちゃえばいいのに。いつも昼は寝てるじゃない」

「それは、そうだが……」

「あたし、やっぱり邪魔してる? それなら少し離れて」


 もう一度起き上がろうとしたあたしの腰に、太い腕がからみついた。


「ここでいい」

「でも、寝られないでしょ?」

「まぁ、うっかり寝ると、寝返りを打った拍子に潰しそうだからな」

「だったらなおさら―――」

「いいから、ここにいろ」


 久々の直球なセリフに、あたしは火照った顔を三度毛皮に埋めた。意識して息を整え、もう一度反論する。


「べ、別に上で寝てなくても、近くにあたしがいればいいわよね? だったら隣で優しい旋律の歌を歌うわ。それなら―――」

「オレに何度も同じことを言わせる気か?」


 少しだけ機嫌を悪くして、その口元から獰猛な牙を見せたラスは、そのまま威嚇するように低く唸った。


「……同じことでも、もう一度聞きたいな、って言ったら?」


 少しだけ恥ずかしくて、声が小さくなってしまったが、彼の精度の良い耳はきちんと聞き取ってくれたようだった。口元がへにゃり、と緩んだように見える。


「それなら交換条件だ。もう一度言って欲しいなら、お前も―――」


 続く要求に、あたしは思わず上半身を跳ね起こしてラスの顔をまじまじと見つめた。最初の頃こそ怖くて正視もできなかった顔だが、今は全く別の理由から正視できない時もある。


「え……と」

「どうした?」


 先を促すラスの声は、少しだけ意地が悪い響きを含んでいる。


「ラスの胸で寝るのは、その、とても安らぐの」

「別にオレの胸でなくてもいいんじゃないのか?」


 聞き返すラスの声は、やっぱり意地が悪い。どうしてもその言葉を言わせたいらしい。


「そんなことないもの。その、……大好き、なラスの胸だから」

「声が小さくて聞こえないなぁ?」


 今日のラスは随分と意地悪だ。もしかして、昨日の夜、食後にとっとと自分の部屋に戻ってしまったことを根に持っているんだろうか。

 ぐぐぅ。あれは、ちゃんと理由があったんだけど―――


「どうした?」


 えぇい、もうヤケだ。


「大好きなラスの胸の中だからいいの!」


 半ば叫んでしまったあたしの頬が熱く火照る。


「よくできたな。オレもお前以外のやつとこんな風に寝そべる気はない。だからここにいろ」


 人間だったらニヤリと笑っているような状況なんだろうけど、ラスの顔はどちらかと言うと狼に近いからそこまでの感情表現はできない。でも、そのぐらい「してやったり」な表情をしてるんだろうな、と思うと、なんだか悔しい。



 ◇  ◆  ◇



 あぁ、お父さん。

 なんだか親不孝にも親元から離れてしまったあたしだけど、なんだか幸せになっちゃってます。

 そのうち手紙とか書かせてもらうように交渉してみるから、待っていてください。



 ◇  ◆  ◇



「今夜は久々に恋愛がらみの歌が聞きたいな」

「……ねぇ、ラス。あたしをいじめて楽しい?」

「いじめてるつもりはない。だが、お前のそういう顔を見るのは実に楽しい」


 それをいじめていると言うのだけど。


「――お前がオレのことを想っているということが、よく分かるからな」


 あたしは今日何度目かの撃沈をした。

 昨晩、生理痛に苦しむあたしが、ラスに刺々しい歌を聞かせるわけにはいかないと、そそくさと退室したというのに。

 未だ私の下腹部はずくずくと重い痛みを訴えている。それでも、ラスの上に寝そべっている状態の今は、痛みも和らいでいる気がした。


「え、と、その、今夜じゃなくて、せめて、その……明日とかじゃ、だめ?」

「オレの言葉に逆らうか?」


 久々に怒気を孕んだ声を聞いた。


「逆らう、とかじゃなくて、その、今は歌っても、おいしくないと思うの」


 歌う時はどうしてもお腹に力が入る。そして、今、お腹に力を入れると、痛みがひどくなったり、その、中から出る感覚が気持ち悪かったり、って何考えてるんだ、あたし!


「そんなことはない。試しに今歌ってみるか? お前も言っただろう、隣で優しい旋律の歌を歌ってくれると」


 ぐ、そういえばそんなことを言った気もする。

 まぁ、ゆったりした子守唄ぐらいなら、そこまで力まないだろうし、大丈夫、かな。

 あたしは、ラスのお腹の上に座ったまま、上体だけを起こしてすぅっと息を吸い込んだ。



「ねむれ よい子 しじまのやみに

 たゆたう うみの なみにゆられて

 

 ねむれ しずかに しずかなよるは

 おまえの ねむりを じっとみまもる

 

 ねむれ よい子 あしたのあさは

 かがやく おひさま でむかえるから」



 きらきらと銀色に輝くラスの毛皮が、風もないのにそよいでいた。

 春風を全身に受け止めるようにに気持ち良さげに閉じられていた瞳が、ゆっくりと開く。


「だ、だいじょうぶ、だった?」

「あぁ、やはりお前の歌は美味しい」


 元の灰色に戻ったラスの手が、そっと私の頬をなでる。固い肉球の感触にも、あたしはすっかり慣れてしまっていて、むしろ自分から頬をすり寄せるぐらいだ。


「たとえ体調が悪かろうが、お前の気持ちのこもった歌は極上のワインのようにオレを酔わせる」

「……っ!」


 あたしの頬どころか首筋まで真っ赤に火照るのを、ラスは上機嫌で見つめてくる。

 ちょ、見ないで欲しいんですけどっ!

 ……て、あれ?


「ラス、今、体調が悪い、って」

「あぁ、月の障りだろう?」

「知って、た、の?」

「お前はオレをなんだと思っている。血の匂いをそんなにさせていて、気が付かないはずがないだろう」


 ふん、と尊大に鼻を鳴らすラスに、とうとう耐え切れずにあたしは突っ伏した。いや、突っ伏す先も彼の胸なんだけど。


「~~~~~~!」


 言葉にならない悲鳴を上げながら、額をぐりぐりと彼の胸に押し付ける。

 穴掘って埋まりたい。カラクリ人形に頼めば、あたし一人入るぐらいの穴は掘ってくれるだろうか。


「何をそんなに気にする必要がある?」


 えぇ、そうですね。獣の王たるあなたに、乙女の心の機微とか理解させようなんて思っちゃだめですよね。

 深呼吸をして、何とか心を落ち着かせる。


「……ユーリア?」


 くぐもった低い声で名を呼ばれ、落ち着いたはずの心臓がドクドクドクと騒ぎ出した。

 もうだめだ。この人はあたしを殺したいらしい。


「あの、お願い。名前で、呼ばないで欲しいの」

「どうしてだ?」

「え。いや、その、……恥ずかしい? イヤじゃないんだけど、いやでも、ちょっと心臓に悪いというか」

「つまり?」


 どこか意地悪く口の端を持ち上げたラスがあたしを見上げてくる。

 ぐぅ、完全に遊ばれている。抗えないのは分かっているんだけど、なんだか悔しいじゃないか。

 いや、悔しい以前に恥ずかしすぎる。このままじゃ死にそうだ。恥ずか死だ。


「もう、知らない!」


 あたしは勢いよくラスの上から立ち上がり、温室から出て行こうとする。


「ユーリア?」


 背中にかけられる、低い、声。


「呼ばないでって!」


 あたしは逃げるように駆け足になった。

 でも、それは無駄なことだった。


「獣の本能を知らないのか? 逃げる獲物を追わないわけがないだろう」


 いつの間にかあたしの腰には太い腕が巻きついていて、耳元に温かい息がかかる。

 捕らえられ、囁かれているのだと気づいた時には、もはや逃れられない状態だった。


「お願いだから、放して?」

「だめだ」


 背中に当たるのは温かい毛皮。ついさっきまであたしが寝そべっていた場所だ。

 後ろから抱きしめられたまま、あたしは身体を捩ってラスを見上げる。


「ラス?」


 見上げた彼のヒゲはピンと立っていて、その大きな耳はあたしの言葉を聞き逃すまいと懸命に動いている。

 深い藍色の瞳が、あたしを真っ直ぐに射抜いていた。

 思わず視線を避けるように俯けば、上機嫌にパタパタと揺れる尻尾が視界に入った。


 あぁ、これはあたしの負けだ。

 あたしは、自分を落ち着けるために、何度か深呼吸を繰り返した。


「あなたに名前を呼ばれるのは苦しいの。だって、あたしが―――」


 ゆっくりと顔を上げて、ラスを見つめる。


「あたしが大好きな、あなたの声だから」


 彼の藍色の瞳が驚きで丸くなる。

 あたしは、ゆっくりと言葉を紡いだ。だって、負けたままなのは癪だから。


「大好きよ、ラス。―――うぅん、愛しているの、サイラスティ」


 ゆっくりと背伸びをして、唖然としたままの彼の口先に自分の唇を押し付けた。



 ◇  ◆  ◇



 あたしのいつにない行為に、動揺しまくった彼があたしの身体を放り出し、それを控えていたカラクリ人形が見事にキャッチするのは3秒後。

 いきなり宙を舞うことになったあたしが、ささやかな勝利感に浸るのはその後すぐ。

 それでも、いつもの態度を取り戻したラスが、どこか嬉しげに意地悪く恋の歌をねだってきて、結局ひどい目に遭うことになった。


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