3.疲労困憊
最悪の朝を迎えたあたしは、朝食もそこそこに、庭へ向かった。
「ニワニ デルノデスカ?」
「う、ん。あの、ほら、せっかくだから、朝露に濡れている所を見たいな~って」
苦しい言い訳をするあたしをどう判断したのか、カラクリ人形はあたしの後ろにぴったりとくっついて来た。
(うぅ、このやり取りも筒抜けになっちゃうのよね)
昨晩、あれから寝台に再び潜り込んだ後も、やっぱりごろごろじたばた悩んで、一睡もできなかったのだ。たぶん、今、あたしはひどい顔をしているのだろう。
(こんなんじゃ、直接会わせる顔もないよ)
そう、あたしは、ラスから逃げる選択肢を選んだ。嘘の下手なあたしが、この先ずっと彼を欺き続けるなんて、できるはずがない。だいたい、歌えば心の動揺は全てバレてしまうだろう。
ハルピュイアの誘いを良しとしたのではなく、ラスから逃げるために。
あたしは屋敷から離れ、庭の端にあるあのユリの所へ近づいた。庭のどことは指定されていない。ただ、庭のどこに居ても、鳥の目は捉えられるだろうという確信があった。
「ソノユリヲ カザルノデスカ?」
「うぅん、ただ、見たかっただけなの。摘むのは、ちょっと勿体ない気がするし―――」
ガタンッ
大きな物音が聞こえたのと、あたしが強い重力に体を軋ませたのは、たぶん同時だった。
「え、え、えぇーっ!」
いつの間にかあたしは庭を屋敷を見下ろすぐらいの高さにいた。
「応じてくれたのネ。感謝するワ」
その足の鉤爪であたしをがっしりと掴んだハルピュイアが、甲高い声でそう言った。
「悪いけど、ここでもたつくわけにはいかないのヨ。あのケダモノが追って来ないうちに、とっとと行くわヨ」
「行く、って、どこへ?」
「アタシの巣に決まってるじゃなイ。そこで具体的な取り決めについて話をしましょウ」
しましょうと言われても、たぶん、あたしには拒否権がない。
この高さから落とされたら、まず間違いなく命も落とす。そんな状況で冷静に答えることもできないまま、血の気の引いたあたしは、ただ、遠く小さくなっていくラスの屋敷を眺めていた。
◇ ◆ ◇
―――どれぐらい飛んだのだろう。
山を一つ二つ越え、ラスのものよりも幾分小さな屋敷が目に入った。ラスのが豪邸だとすれば、こちらは別荘と言ったところだろうか。
「あそこヨ」
そう口にしたハルピュイアは、その庭先へと急降下をかける。正面から打ち付ける風と気持ち悪い浮遊感で、あたしの体中を寒気が襲った。
「少し乱暴だったかしラ?」
気遣う言葉をかけてくるも、その声は明らかに笑っていた。ただ、それが分かったところで、あたしに何かできるわけでもないけど。
バサバサと羽ばたき、スピードを緩めてあたしを庭に置くと、すぐ隣に着地をした。
「お茶でも用意させるわネ」
へたりこんだあたしを置いて、ハルピュイアが一足先に屋内へと向かう。その後に付いて行こうとしたあたしは、立った途端にめまいを感じて、ふらり、とよろけた。
(……あれ?)
足がガクガクしている、というのもあるが、今のはまるで体に力が入らないような感じだった。それでも何とか屋敷の中へと向かう。
あたしが到着した時には、庭のよく見えるサンルームでは、既にお茶の支度が整っていた。
勧められるままに、紅茶に口をつける。目の前にはおいしそうなスコーンがあるが、口に運ぶ気にはなれなかった。
「どうしたノ?」
「……いえ、なんか、ちょっと疲れたみたいで」
「そうネ。昨晩は寝ていないんじゃなかっタ?」
「え? なんでそれを―――」
「見ていたワ。フクロウの目を通して」
そうか、鳥の中にも夜行性のものがいるんだ。
「あちらの部屋にベッドがあるワ。寝ちゃいなさイ。今後の話はそれからでもいいわヨ」
指差された先には、白木の上品なベッドがあった。だが、来て早々寝てしまうのも、さすがに失礼ではないかと常識が告げる。
「今後のことを話すのに、お互いベストな状態の方がいいでしょウ? 女同士、気にすることはないワ」
あたしの躊躇を見てとったのか、ハルピュイアが重ねて勧めてくる。
昨晩の寝不足と、空での移動で疲れていたあたしには、とてもよい申し出のように思えて、あたしは素直に従うことにした。
「ゆっくりお休みなさイ。その代わり、次に目が覚めたら、歌ってちょうだいネ」
ベッドに潜り込んだあたしの脳裏にラスの姿が浮かんで、胸がちくりと痛んだ。それでも、睡魔はあたしに手を伸ばしてくる。
(何も考えたくない……)
あたしは睡魔の手を取り、眠りの淵に沈んで行った。




