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戸惑いの少女と歌喰らう獣  作者: 長野 雪
Ⅱ.出会い
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1.邪魔される

ある日、森の中、野獣さんと、出会った。

 見上げれば、真っ青な空で、あたしは、大きく深呼吸した。少し冷たい空気が肺の中に染み渡るのを感じると、自然と笑みがこぼれる。


「お姉ちゃーん!」


 街道の脇にある林から、弟が走ってくるのが見える。籠を背負って小走りで来る様子は、本当にかわいらしい。

「今年は、キノコがたくさん生えてたよ。豊作みたい」

「本当? あ、でも、採りつくしちゃだめよ?」

「もちろん、僕だって分かってるよ。ちゃんと半分ぐらい残しておいたから」

「それでこの量? 今年は本当に豊作みたいね。助かるわ」


 ニコニコと報告する弟の頭を、あたしはそっと撫でた。


「お姉ちゃんも、結構、摘んだね」

「そうね、でも、あと少し、必要かしら?」

「そうなの? じゃぁ、僕、水汲んでくるよ。張り切っちゃったら、水飲み尽しちゃってさ」

「あっちの小川まで行くのね。……じゃぁ、ついでにお姉ちゃんのも頼んでいいかしら?」


 あたしは、腰にくくりつけていた竹の水筒を弟に渡す。


「うん、じゃぁ、行ってくるね」


 背負っていた籠を置いて、弟はさっきよりも軽やかに駆け出した。昼食を食べてから、まださほど経っていないのに、今年で十一歳になる弟は元気の塊だ。


(お腹が痛くならなければいいけど……)


 秋の日差しの中、駆けていく弟の背中を見送って、あたしは手持ちの籠に目をやった。


(香草はこのぐらいで良いとして、……あとは、いつもの薬草があればいいんだけど)


 街道とは名ばかり、馬車も通れないような獣道の脇に、この野原はあった。獣の王が住むとされる山、その麓にあるこの場所には、昼間も滅多に人が来ない。あたしだって、夜だったら絶対来ないし、必要に迫られなければ、来たくはない。

 だが、貧乏という二文字には勝てない。

 父親や弟妹たちを飢えさせないため、ここで木の実や香草、薬草なんかを摘んでは売っているのだ。人が来ないだけあって、他の人に先を越されることもない。山の実りを独占できるのだ。


(やっぱり、そろそろどこかに嫁いで、食い扶持を減らした方がいいのかもしれないわね)


 二つ年下の妹も、ずいぶんとしっかりしてきて、家の中のことを任せられるぐらいになった。弟も商家の跡取りとして、その知識や力を育んでいる最中だ。


(でも、この間、持って来られた縁談は……ちょっと)


 イヤなことを思い出してしまって、あたしはぶるぶると首を振った。ダメだ。思考を切り替えよう。

 あたしは、大きく息を吸った。



「沢辺で水草をつみましょう

 愛するあなたが帰ったとき

 これで「おいしい」と言ってもらうため

 それだけが楽しみで仕方ないの」



 あたしは歌が好きだ。

 こうやって薬草を探していても、変な風に落ち込んでしまったときも、歌を歌うだけで、心が解放される。



「沢辺で会った旅人から

 愛するあなたのことを聞いた

 二つ向こうの山で会ったって

 あなたいつ頃帰ってくるの」



 歌の内容なんて、どうだっていい。時には詩に心を重ね、思いを乗せて歌ってみるのもいい。ただ、口が紡ぐままに、無心で歌い続けたっていい。



「わたしはずっと知ってたの

 愛するあなたが遠くの人と

 愛し合ってる仲なんだよって

 お隣さんが教えてくれたから」



 この歌だって、浮気に悩む奥さんの歌だ。もちろん、あたしは夫を持っているわけでもないし、恋人がいるわけでもないから、こういう感情とは無縁だけど、それでも、歌うだけで―――



「みつけたぞ」



 低く、くぐもった声が聞こえ、あたしは歌を止め、辺りを見回した。

 誰もいるようには見えない。弟も、まだ帰ってきていない。

 ガサリ、枯葉を踏む音が聞こえ、林の方へ視線を移した。


「――!」


 自分の足が、一歩、よろめくように、後退した。

 視線の先に居たのは、全身が灰色の毛で覆われ、二本足で立つ獣。

 身長2メートルはあるだろうか。だが、熊ほどの体格をしたその獣の顔は、どちらかというと狼に近い気がした。


「今、歌っていたのはお前か、ヒトのオンナ」


 ふたたびくぐもった声がした。それと同時に、獣の口も動いた。口の端から覗く犬歯が動くのをみるのは、正直、怖くて仕方がない。


(この獣がしゃべっているの……?)


 緊張のせいか、指先は冷たくなり、心臓はばくんばくんと跳ね上がっている。頭の後ろから背中にかけて、冷たい水をかけられたような、そんな感覚が襲う。


「聞こえなかったか? 今、歌っていたのは、お前かと聞いている」


 声音が最初よりも不機嫌になったような気がして、あたしの心臓がまた、ばくん、と大きく鳴った。このまま、心臓が破裂して死んでしまうのではなかろうか。


「……確かに、歌っていたのは、あたし、です」


 その答えに何を思ったのか、ゆっくりと獣があたしに歩み寄ってくる。


(そうか、『獣の王』――)


 あの伝承は本当だったのか。そして、これは、テリトリーを荒らした罰なのか。

 殺される、そう思いながらも、あたしの足は恐怖のあまり、とても動ける状態ではなくなっていた。

 その鋭利な爪で、凶悪な犬歯で、あたしは、殺されてしまうのだ。

 その獣はゆっくりとした足取りで、あたしの目の前まで来た。


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