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3.たどたどしい

 まだ戦闘の興奮が冷めていないのか、振り向いた獣の瞳は不吉に赤く染まっていて、あたしの体を竦ませるには十分だった。


「……あぁ、この姿はダメだったな」


 アレを呼ぼう、と獣は屋敷内に視線を移した。その両腕が血に染まっているのを見て、あたしの胸がズキンと痛む。


「―――何だ?」


 あたしは、獣を引き留めようと、その腰に抱きつくような形で飛び込んだ。さっきまで抱きしめていたカラクリ人形がカランと乾いた音を立ててバルコニーに転がった。


「ありがとう」


 毛皮に顔を埋めたまま、素直な感謝が口を突いて出た。


「守ってくれて、ありがとう。それと、ごめんなさい。あの人形じゃなくても、もう、大丈夫だから」


 その言葉をどう捉えたのか、獣はあたしを引きはがし、両脇に手を入れて、自分と目線が合うように持ち上げた。


「!」

「何が大丈夫だ」


 赤い瞳は落ち着いた茶色になってきていた。

 そう、獣の興奮は落ち着いてきているのだ。だが、それでも鋭い犬歯にハルピュイアの羽が挟まっていたりして、それはそれで―――


「確かに、まだ、ちょっと、いや、かなり怖いですけど! でも、大丈夫なんです!」


 自分でも何を言っているか分からなくなっていたが、決して目を逸らすまいと踏ん張った。

 茶色だった獣の瞳が、少しずつ藍色に沈んでいくのをじっと見つめる。視界の端に映っている凶悪な犬歯は、見ないフリを決め込んだ。


「なるほど、アレを動かす手間は省けそうだな」


 獣はそう言って、あたしを地面に下ろした。庭にはいつの間にか十数体のカラクリ人形が、壊された窓を調べたり、漆喰をこねていたり、舞い散った羽根を掃き集めていたり、勤勉に働いていた。


「それは修理だ。片づけておけ」


 その言葉に、あたしを庇って壊れてしまったカラクリ人形が、何体かの同類によって運ばれていった。


「さて、オレはまた寝るが、お前は自由に……」


 言葉を途中で止めた獣は、あたしをじっと見下ろし、次いで、空を見上げた。


「おいオンナ。さっきの『大丈夫』に嘘はないな?」

「え? は、はい……」


 改めて確認をとられると、ついつい肯定の声が小さくなる。

 と、いきなり持ち上げられた。

 じゃがいも袋のように、肩にかけられ、あたしは勢いそのままに獣の背中に顔をぶつける。


「いつ、あの鳥女が戻って来るかも分からん。しばらく側にいろ」

(側に、って、あなたさっき、これから寝るとか言ってなかった?)


 あたしの困惑をよそに、獣は膝をぐっと曲げて、強く地面を蹴った。軽々と3階のバルコニーに着地するも、あたしの視界は、すっかり遠くなった地面しか見えてない。つまり、すごく怖い。


「後で対策は講じるが、今は眠い。今日はオレの部屋で過ごせ」


 ずかずかと歩く獣に、自分で歩けるからと暴れて主張してみようかと思い、――やめた。さっきから視界の端に映る赤い腕が痛々しい。

 そんな鉄錆の臭いに混じって、なにやらいい匂いが漂ってきた。そう思ったら、ドアの開く音がして、その香りがいっそう強く鼻を刺激した。


(バラ…?) 


 部屋に入ってすぐのところに、大きな花瓶にたくさんのバラが生けられているのが見えた。

 獣はあたしを床に下ろすと、まっすぐに寝床に向かった。ベッドなどではなく、もこもこと綿を敷き詰めた所に、シーツをかぶせてあるだけの場所だった。その真ん中にある大きなくぼみに腰を落とす。


「……って、待って! 傷の手当ては―――」

「いらん。放っておけば治る」

「でも、せめて傷口を洗うぐらい」

「うるさい。オレは眠いんだ」


 不機嫌な声にあたしが怯んだ隙に、まるで犬がそうするように腹ばいになって手を枕にして目を閉じる。

 もう、なにを言っても聞いてくれそうにはなかった。

 寝ようとする獣のそばにしゃがみ込み、しげしげと傷口を見る。血に濡れてよく分からないが、それほど深い傷でもないようにも見える。ただ、何度も切りつけられているせいか、見ているだけで痛々しい。

 あたしは、やんちゃな弟によく歌ってあげたまじないを思い出した。



「痛いの 痛いの 飛んで行け


 遠くの山の そのまた奥に

 大壷あると 人の言う

 いたる所の いたる傷

 痛みを吸って 膨れるそうな」



「なんだ、その歌は」

「え、これは……って、えぇっ?」


 目の前の獣が銀色に輝いていた。


「なんで、光ってるの?」

「歌を食うとこうなる。それより、質問はオレが先だったぞ」

「あ、えぇと、転んでケガした子供によく歌うおまじないなんだけど、気に障った?」


 歌に好き嫌いがあるとは知らなかった、よく覚えておこう。


「違う。そういう意味じゃない。……自分で気がついていないのか?」


 そこまで言って薄目を開けていた獣は、大きく口を開けた。凶悪な牙があたしの眼前に広がり、思わず上半身を引く。


「あくびごときで、ビクつくな。まぁいい。そのまま歌え」


 それだけ言うと、獣はまた目を閉じた。


(ほんっとうに、眠いのね)


 あたしは気を取り直して、続きを歌う。



「痛いの 痛いの 飛んで行け


 痛みの壷が 膨れ上がると

 お山の仙人 術をかけ

 遠い夜空の 果て目指し

 はるばる飛んで 燃えるそうな


 痛いの 痛いの 飛んで行け


 遠い夜空の 星の住処に

 痛みの壷は 燃え上がり

 星の光と なるそうな

 遠い夜空で 輝くそうな


 痛みを燃やして 見守るそうな……」



 あたしは、ふぅ、と息をついた。穏やかな呼吸を繰り返す獣の毛皮が、目映く光る銀色から、いつもの灰色に戻っていく。

 あぁそうか。

 いつも食後に歌うたびに、衝立の後ろやカーテンが光っているように見えたのは錯覚なんかじゃなかったんだ。

 あたしを怖がらせないように、隠れて『食事』をしていた獣が、こうやって光っていたんだ。

 なんだか、ビクビクしていた自分がおかしくて、小さく笑った。そうやって気が緩んだのだろう。ようやく自分がお腹を空かせていることに気づいた。


(そういえば、朝食前だったっけ)


 文字通り朝飯前の散歩が、とんでもない事態に発展してしまったんだった。部屋にいろと言われているし、頼みごとのできるカラクリ人形もいない。きょろきょろと室内を見回してみるが、食べ物が置いてあるようには見えなかった。代わりと言っては何だが、窓辺や寝床の脇など、いたるところにバラが飾られていて、風が吹く度に香気が鼻にまとわりついた。


(意外に、バラ好きなんだ)


 そんなことを考えつつ、あたしは朝食を諦めることにした。よくよく考えたら、食事を抜くことに、それほど抵抗はない。


(まぁ、いつもは夕食か昼食を抜くんだけど)


 ギリギリの家計の中で、食事を抜くことは月に何回かあったが、一日の始まり、朝食を抜くのは初めてだった。

 あたしは、眠る獣の隣で、膝を抱えるように座り込んだ。食事を摂らないなら、なるべく動かない方がいいに決まっている。


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