プロローグ 俺がテッケンに入った訳
「1年C組、相羽奏・・・っと。」
この春から晴れて高校生デビューを果たした俺は、ただ今部活動の入部希望調査に記名中だ。
高校生活のスタートと同時に新しく買い揃えた文房具。その中のひとつ、ボールペンをはしらせる。
――――実のところ高校では部活をやらないつもりだった。
しかし、入学してから知ったことだが、この琴吹高校の方針は「本校の生徒は全員1つ以上の部活に加入すること」というものだ。
残念ながら入学早々学校に歯向かうほど、俺は肝が据わっているわけではないので、ここは大人しく従うしかない。
中学のときは野球部に入っていた。
毎日遅くまで汗だくで厳しい練習に耐えていた。
しかし、次の3年間もそれに耐えて頑張ろうとは正直思えなかった。そこで、高校ではゆる~くやっていこうというのが俺の考えだ。
しかし、決して怠惰な高校生活を送ろうという訳ではない。キツイ部活とゆるい部活、両方を経験しておきたいという、よく言えば一種の人生経験としての選択だ……これはまあ、建前ではあるけど。
周りにわりと驚かれ、親にわりと心配され、自分でわりと悩んだ結果、そういう運びになった。
普段シャーペンばかり使っていると、ボールペンで何か書くとき変に緊張する。消せないという理由が大きい。これ、意外と学生あるあるなんじゃないだろうか。
そんな緊張から解き放たれ一息ついていると、後ろから不意に肩を叩かれる。これは余談だけど、俺の苗字が「あいば」なので、このクラスでは出席番号1番。したがって俺の前に人はいない。
肩を叩かれた俺は当然のことながら後ろを振り向く。
――――肘打ちのサービスつきで。
俺の後ろにいる「クラスメート」改め「標的」はためらいと手加減の皆無な俺の肘打ちを難なく避けた。彼のくせっ毛がふわりと揺れる。
「なんだよ、龍治」
「いや、お前何部に入るのかなぁと思って。」
俺と「標的」、井野龍治は何事もなかったかのように会話を続ける。
なかったかのようにというか、二人にとってはこの「肩とん&肘打ち」という一連の流れは、中学時代から続いているのだから本当に何事もないのだけれど。
相変わらずこいつは人懐っこそうな目をしている。
龍治と俺は小学校からの腐れ縁だ。家も近かったし、同じクラスになったときは常に席も近かった。
彼は「チャームポイント」と自身で紹介しているくせっ毛をいじりながら俺に問う。
「なあなあ、お前マジで野球部に入らないの?」
「まあ、そのつもり。」
「なんで?」
「文化部にも入ってみたかったからさぁ。」
「なんだよそのフワッとした動機は……。」
「人生経験ってやつだよ。」
何度も言うがこれはあくまで建前だ。
「中学の時にはそんなそぶり見せなかったのにな。高校デビューってやつ?」
「それあんまり聞こえよくないな。」
とまあ、日常会話を繰り広げていると、いつの間にか俺の入部届けはヤツの手元に渡っていた。
「えぇと・・・テッケン?」
俺の入部届けを勝手に隅々まで読んだ龍治は顔をしかめる。
「お前なあ、こういう書類にはちゃんとした部活名書けよ。鉄道研究部ってさあ。」
こいつに指摘されるまでも無く、俺もおかしいとは思っている。
テッケンといわれたら鉄道研究部だというのは、まあ大体誰でもわかることなのだが、略名を書き込むのは少々いただけない気がするのだ。
でも、
「この部活動一覧表あるだろ?これ見て部活動名記入しろって配られたやつ。それにはテッケンって書いてあるんだよ。ほら」
と、藁半紙に印刷された表を、わざわざテッケンのところに線まで引いて、龍治に見せた。
「……マジだ。」
見せられた表のなかで唯一テッケンだけが略されているという状況に龍治は依然釈然としない様子だが、というか俺も釈然としていないのだが、とにかくこの表の表記に従うしかなかった。
「鉄道研究部……やっぱお前には似合わないな。」
「うるせえ。」
再び炸裂した俺の肘打ちはまたしても空を切った。
「それにしても、似合わない文化部の中でなんでわざわざ似合わないテッケンを選んだんだよ。いくら文化部が似合わないといっても、他にいくらでもあるだろ。」
「3発だな?よし任せろ。」
確かに部活動が比較的充実しているこの高校なら、文化部の中にも他に選択肢は山ほどあった。その中からテッケンを選んだ理由はまあ一応ある。
◆
ステージ上ではついさっき、バスケ部の部活紹介が終わった。屈強なお兄さん方が自分たちの部活のアピールをし、舞台袖に引き上げていった。正直、ボディービルの大会かと思った。
入学式の次の日、この高校には部活動紹介という、簡単に言えば勧誘の場が設けられていた。各部がステージ上に上がりそれぞれ2、3分程度でアピールするというものだ。
前半は運動部。先ほどの男子バスケ部や、黒コゲのサッカー部、折り目正しい野球部などのアピールタイムだったが、俺はあまり聴いていなかった。
と言うのも、
「なあ、サッカー部のマネージャー超可愛くね?俺あそこに入ろうかなぁ。」
とか
「なあ、バスケ部って男女で合同練習とかするのかな、だとしたらバスケ部も魅力的だな!」
と、俺の隣にいる色欲の塊、もとい龍治が動物的本能に従順すぎる思考をぶちまけ続けていたせいなのだが。
配られたプログラムに目を落とすと、どうやらさっきの男子バスケ部が運動部の中では最後だったらしい。次はいよいよ文化部。
「続いては文化部です。」
司会は放送部だって言ってたな。放送部だけここでもアピールできるってずるくないか?
「まず初めに、テッケン、よろしくお願いします。」
テッケン?というと鉄道研究部か。電車の写真とか撮りに、休日はいろんなところに行くんだろう。そうなると忙しそうだからこの部活はナシだな。
舞台袖、小豆色のカーテンを少し揺らして、猫背の男子生徒が登場した。一目見てわかる。覇気がない、というか起きてるのかさえ怪しい。
先ほどバスケ部がダッシュで登場し、2秒でたどり着いたマイクまで、フラフラと10秒近くかけて到着すると、その男子生徒はマイクの角度を直すとか、スイッチを確認するとか、そういうことを一切せずに
「テッケンです。以上です。」
恐らく半分寝ながら言った。
いや待て待て、それ紹介になってないし。マイクにたどり着くまでのほうが時間かかってますよ!
俺の内心のツッコミは当然届くはずも無く、ステージ上の男子生徒はフラフラと引き返していく。当然周りからはざわめきが生まれ、広がっていった。
「ねえ、あの人超カッコよくない?」
「わかる!超カッコいい!!」
いや、そっちかよ。
確かに覇気のなさを差し引いても世間で言う「イケメン」には属する、と男の俺でも思う。
と言っても「そちらの気」がない俺にとって、少しうらやましいなと思うくらいだけど。
「おい、奏。」
先ほどまでひな鳥のごとく騒いでいた龍治が急に声のトーンを下げ、耳打ちしてきた。
「なんだよ。」
「俺、あの人になら抱かれてもいいわ。」
お前の色欲は見境ないのか。
俺の内心のツッコミが本領を発揮している中、一方で俺はある決心をしたのだった。
――――俺はテッケンに入る!
それは、俺がこの3年間をとにかくゆる~く過ごしたいという思いが無ければ絶対にありえない決断。
ステージ上に上がるのは恐らく各部の部長、あるいはそれに準ずる人。テッケンの場合はあの、やる気のなさ全国選手権で上位に食い込むであろう男子生徒。
だとしたら、あの部がゆるくないはずがない。
ならば俺はテッケンに入って、幽霊部員になってバイトとかして過ごそう。まさに青春だ。
俺はそんな考察を終え、再びステージに目をやる。
――――あの男子生徒はまだ舞台袖へ引き返す途中だった。
◆
「まあ、なんとなくだよ。」
全部を説明するのは面倒なので、龍治には直感で選んだことにしておく。
しかし龍治は俺の説明に満足しなかったらしく、あごに手を当ててプチ探偵ごっこをはじめた。
その隙に先ほど得た、3発分肘打ちを食らわせる権利を行使しようか考えていると
「あ!」
龍治の中で答えが見つけられたらしい。
彼の人差し指はピンと伸ばされ、天を向いた状態からゆっくりと俺の方へ下ろされていく。「犯人はあなただ!」みたいなことがやりたいらしい。
そんな大仰なジェスチャーをされたら、事実上出題者の俺もわくわくせざるを得ない。
一呼吸おいて龍治は告げた
「お前、あのイケメン部長目当てだろ!」
満面のドヤ顔を浮かべて。とんだドヤ顔の無駄遣いだ。
俺はそのドヤ顔を深海に沈めたくなるのを我慢して
「またご冗談を、貴方でもありませんのに、オホホホ」
優しく教えてあげた。
「いや待てよ……奏、それいい考えかもしれないぞ?」
何が?どこが?何のどこが?
龍治は周りをキョロキョロし、盗み聞きしている人が確認すると――――というかいるわけ無いけど、いたって真剣に俺に説明した。
「あのイケメンの先輩、絶対モテる。あの人の周りには女子がたくさんよってくるだろう。なら、あの人の近くにいれば、そういう女子との接触の機会が増える。つまり……おこぼれを貰える可能性もあるんだ!」
ああ、なんと惨めな高校生活を送るつもりだろう、こいつは。
高校生活にまあ恋って言うのはあったほうがいいだろう。けどこいつ、最初からおこぼれ狙いかよ。
「決めたぞ!おい、奏!俺もテッケンに入る!」
「やめとけ。」
「いや、入る!」
「やめてくれ。」
「絶対入る!」
「やめてくださいお願いします。」
俺にこいつを止める権利も、特別な理由も無いわけだが、ゆるく過ごすはずがこいつに振り回されるという確信だけはあった。
当然俺はこの世の言葉の限りを尽くして龍治を説得しようとしたのだが、結局龍治は入部希望調査に「テッケン」と書いて提出した。
「お前、そんな不純な動機で部活選んだら絶対後悔するぞ。」
あれ?俺もそんなこと胸張っていえる様な動機だったっけ?
ついに最後まで龍治の意思を変えることは出来ず、入部希望調査の回収が始まった。
「体験入部は明日からですよ~。」
つい先日自分達の担任になったばかりの加賀天音先生が紙を回収しながら言った。
この先生、若い割には穏やかで落ち着いた雰囲気を感じさせるが、究極のおっちょこちょいだ。入学式の担任挨拶で、自分の挨拶を終えてステージから降りるまでに転ぶこと3回、マイクを落とすこと2回、新入生の呼名をしたときには半分以上が名前を噛まれ、早くも伝説になっている。
ちなみに俺は「アイヴァ」と呼ばれた。そっちの発音のほうが難しい気がするんだけど・・・。
今回は何をやらかすのだろうかと、少し観察してみる。ふと見ると彼女の進行方向に電気コードがあった。
ああ、あれでこけるに100円。
相手のいない賭けを始める。
天音先生は部活希望調査を回収しているので足元はお留守だった。あの状態ならおっちょこちょいでなくとも転ぶ可能性は十分にある。
そしてその時は来た。
「ぅわぁ!」
コードに足を引っ掛けた天音先生はそのまま前のめりになった。
人の不幸を喜ぶのはよくないことだが、俺は予想の的中に少々顔を綻ばせていると、
「うわああ!」
先生の体はそのまま重力に引かれて地面に激突する……ことはなく
「うわあああ!」
空中で1回転して着地した。
いや、なんでそうなる!
一気にクラスの注目を集めた天音先生は、少々顔を赤らめながら
「コードに足引っ掛けちゃいました・・・」
俺が説明して欲しいのはそこではない。足を引っ掛けた勢いそのままにメダルが狙える宙返りをきめたことについてだ!
「アイヴァ」発言といい、今の宙返りといい、この先生のおっちょこちょいは何か違う。あ、賭けに負けた。
相手もいない賭けで、擬似的に100円を失った俺は視線を窓の外に向ける。満開の桜や散り始めの梅。春のテンプレが広がっていた。
ともあれ明日からは、まだ体験入部ではあるが、俺のゆるい部活動生活が始まる!
――――そう思えていた頃は幸せだった。
正確には、体験入部に行くまでは。