第88話 伏兵達
地図が使えない。
これは致命的だった。県外までは40キロを越える。どうやって住所を書いてある紙切れ1枚で行き着けばいいのか、部員たちは諦め半分に近い状態だった。
「無理じゃね?流石に。」
「俺もそう思うんだけど。」
「どう・・・します?先輩。」
2年生からの言葉にも、木村は一切返事をしない。何か考え込んでいる。
「・・・木村先輩?大丈夫です?」
「ちょっと待ってろ。・・・ここに何時までに行けばいいんです?監督。」
「この場所に一度行ってから、夜7時までに国巻に帰ってくればいい。一度この場所に着いたら電車でもタクシーでも何でも使っていい。」
美津田の返事を聞いた途端、木村は紙切れを握り締めた。
「時間が惜しい。行くぞ。」
木村はそれだけ言って1班全員に情報収集をさせた。
木村たちだけで無く、全ての班はとりあえず県外までの最短ルートを街行く人々から聞き出すことを第1目標に掲げた。
住所だけを聞いてもそれが判る者は皆無に等しい現状では、それが常套手段である。
3班の引率者となった星飛馬は、淡々と情報収集をこなして模擬地図を作る部員たちをみながら、こう思っていた。
「本当ですか?みっつぁん。」
話は今日の早朝に戻る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「じゃあ今日は頼んだぞ。星。」
「みっつぁんに頼まれたんじゃ仕方ないですよ。でもコンセプトも分かりましたけど・・・ちゃんと到着できますかね?」
「まあ、上手く行けばな。まぁ序盤は問題ないだろう。問題は中盤からだ。」
「何故です?」
「必ずどの班でも内乱が起きる。」
「必ず!?だってこの班のメンバーって組み合わせ良いでしょう?昨日のメンバー表見せてもらいましたけど、オレが知ってる3年生だけでも絶対に昨日のメンバーの方が相性悪いと思いますよ。」
「本当にそうか?」
「いや・・・だって大下と木村は昔から仲良いし、望月と竹下は正確悪くないし、久保と中林は似た者同士だし。」
「だからモメるはずだ。」
「??????」
「今まで溜まった膿が、ドっと流れ出るぞ。中盤が見所だ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
美津田の予想通り、各班共に序盤は好調だった。
県外への道など、道路標識を確認しながら国道を真っ直ぐ進めばいいのだから道を訊ねる必要は然程無い。
資金も地図を購入しない分、食費を少しは贅沢に出来た。
このまま順当に進めるのでは。そう皆が考えるようになった。
その思いが膨らめば良かったが、残念ながら美津田の予想通りになってしまう。
午後2時、まずは2班がモメだした。
「てめぇ!なに勝手にフライドチキン買おうとしてんだよ!!」
「だから!!バナナばっかしは嫌だっていってんだろが!!!」
残金が500円ほどしか残っていないこの2班の3年生久保が、こっそりコンビニで惣菜を買おうとしているのを中林が見つけたのである。
「何かあった時のために、残金は残しといた方がいいに決まってんだろが!!しかもてめぇ!コッソリ自分一人で食べようとしてただろ!!」
「違うわ!!みんなで分けるに決まってんだろ!!サプライズだよサプライズ!!」
「俺らの金勝手に使って何がサプライズだ!馬鹿野郎!!!」
「うっせー!!滝沢さんのいる前で大きな声出すなコラァ!!!」
この3年生二人の喧嘩を止める者が中々現れない。ちょうど2年生の松田と坂田も口論を始めていたからである。
「いちいちうっせーんだよ!お前!!」
「大丈夫かって聞いただけだろ?何怒ってんだよ。」
「お前みたいな役立たずに心配されるのが腹立つんだよ!!」
「・・・もう違う。」
「あぁ?」
「俺はもう役立たずじゃ無い!」
普段温厚な坂田が松田の胸ぐらを掴んだので、1年生の長井は急いで止めに入った。
「なんだ?どうしたんだ?みんな。」
滝沢と1年生の鈴木だけが冷静にその様子を眺めていた。
変わってこちらは3班。
「・・・違ったみたいだな。」
3年生の望月はそう一言だけ口にした。
先ほど望月に道を教えた老人が、どうも間違ったルートを伝えたようで、行き止まりに差し掛かってしまったからである。
「また元の道まで戻ろうか。望月。」
「いや、結構進んだから戻るのは勿体無い。この近辺で聞き込みをしよう。」
竹下の助言をバッサリ切って、望月は後輩たちに指示をする。
しかし、一向に有意義な情報は聞き出せない。
「やっぱり、元の道まで戻ろうか。」
望月がそう言うと、竹下が噛み付いた。
「だから言っただろ。」
「・・・どうした?竹下。」
「さっきオレは『元の道に戻ろう』って言っただろうが。」
「・・・そうだな。」
「それに、さっきのジイさんに聞いた道も、『本当にあってるのか?』って俺聞いたよな。」
「・・・だな。」
「なに指揮ってんだよ。」
「え??」
「一回部活辞めた奴が、なに指揮ってんだよ!」
「竹下・・・お前。」
「俺なら反論しないだろうから、偉そうに言っても大丈夫とかって思ってたか?」
「いや・・・俺はそんな・・・。」
「俺は別に、お前らの中で1番下じゃねぇんだよ!!」
「・・・どうしたんだ?竹下・・・。」
この光景を見ながら、星は美津田との会話の続きを思い出す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「何故、中盤で騒動が起こるって思うんです?」
「【不安】だからだよ。星、高校の時のマラソン大会で一番不安だったのってどこら辺だった?」
「どこら辺?」
「そう。何キロ走ったくらいだ?そして何年生の頃が一番そうだった?」
「・・・まぁ、そりゃ1年生の時でしょうね。何キロ地点までかは・・・。」
「じゃあ、折り返し地点を越えてからはどうだ?厳しいか?楽だったか?」
「そりゃ、楽でしょ。もう半分過ぎたっていうのも有るし、もう街並みも少しは記憶してるし・・・!!!!!!」
「そこなんだよ、星。だからアイツ等はどんどん不安になるんだ。」
「そうか・・・ゴールがどこかも、今どれくらい進んでいるかもわからないし、折り返し地点も無い。どこまで進んでも、手応えを感じられない。」
「そういうことだ。ルートを知らないで走るマラソンは恐ろしい。自分が今いる場所が正しいかどうかが分からないまま進むのは、常にストレスが付きまとう。そのストレスは、一緒に行動していく仲間にぶつけ易くなる。どんなに気の小さい奴でも、これまでそれなりの成績をサッカーでおさめてきたから自信も付いた。つまりプライドが増したってことだ。だから肉体的にも精神的にも疲労感が押し寄せてくる中盤で、必ずぶつかり合う。必ずな。」
「何で、そんなことさせようって思うんです?」
「ここが正念場だからだ。外側の精神力を鍛える為のな。」
「??????」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一方、1班の木村たちにも、ついにその時が訪れた。
「2年生たちが疲れてるみたいだし、一旦休憩しよう。木村。」
大下のこの言葉に、木村は納得しない。
「時間が惜しい。付いて来られない奴は、この先も当てに出来ないような奴になっちまう。さっさと行こう。」
「じゃあ、せめて水分補給をさせてやろう。本当に辛そうだからな。」
「ダメだ。勿体無い。取り敢えず、あと10分走って様子をみよう。それでどうだ?」
「・・・・・・。」
「・・・?何で黙ってるんだ、大下。」
「何て言えば、満足だ?」
「????」
「何て言えば、お前は俺の話を聞くんだよ。」
「・・・・・・なんだよ突然。一体・・・。」
「それとも、また『お前は黙ってろ』って言う方が先か。大剛戦の後みたいに。」
「・・・お前、どうしたんだ?女々しいぞ。何言ってんだよ。」
「・・・楽しかったからだ。」
「はぁ???何が???」
「小さい時からお前と一緒にいたのは、楽しかったからだ。でも、もうそうじゃない。」
「え??」
「いつから・・・だよ。」
「何が・・・だよ。」
「俺はいつからお前の【オマケ】になったんだよ!」
「は?んなの誰が言ったんだよ。」
「言ってねぇよ誰も!言うとかじゃねぇんだよ!!感じるんだよ!!!いつからだよ!!!いつから俺らは対等じゃ無くなったんだよ!!!」
「そ・・・そんなことないだろ。」
「じゃあ何でお前はずっと、俺の話に耳を貸さないんだよ!!!」
「!!!!!!」
不安というストレス材料がピークに達すると、人はそれを他者に向けようとする。
それが普段仲の良い者であろうと、ストレス材料が存在すれば起きることもある。
それは強いコンプレックスを抱いている者に特に顕著に現れる。
昨日の『国巻に戻る』というようなゴールを意識して走る状況よりも、今回のようなゴールをイメージしないで走るという状況は、遥かにストレスが生じてしまう。地図が無いため、見通しが立たないのも大きな理由の一つと言えるだろう。
さらには、普段屈託のない話をする間柄だからこそ、些細なミスや言葉にも繊細になる。
これらの要素が生じたことで、各班ではイザコザが発生してしまった。
今朝の美津田と星は、更にこうも話していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「で、内乱が起こった後はどうするんです?そのまま進むんです?」
「いや。保険を用意してある。」
「保険?」
「そう。伏兵とも言うべきか。それも考えてのメンバー構成だからな。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時は戻って現在。バナナとフライドチキン論争を繰り広げていた2班の中で、突如1年生の鈴木が大声を出した。
「すいません!!!先輩たち!!!」
普段は冷静で温厚な鈴木が大声を出したので、喧嘩をしていた2,3年生は手を止めた。
「・・・・・・何だ!?今取り込み中だぞ!!」
「解決方法、考えてみたんですけど。」
「何のだよ!」
「バナナのことです。」
「は!??」
同刻、3班の望月と竹下が口論する最中に、2年生の片部が異変に気付く。
「あれ?・・・綾篠がいない。・・・1年生の高井も長井もいない。」
喧嘩をしていた二人もそれに気付いた。
「・・・おい。高井とか綾篠がいないぞ!」
「え?・・・本当だ!」
3人が驚いていると、遠くの方から「おーい!」という声が聞こえる。綾篠ら3人の声である。
「何勝手に動いてんだ!お前ら!!」
「すいません先輩。勝手ついでに、こんなもんそこのコンビニで買ってきました。」
「は!?勝手に金使ったのか!?何考えてんだ!お前ら!!」
「怒るのは当然でしょうけど、とりあえず【食べてください】。」
高井の手に持ってたのはチョコレートだった。
「は!?チョコ!!何でチョコレート買ってんだよ!!」
「いいから。これ食べた後に深呼吸して下さい。」
「は?」
「いいから!」
「・・・。」
3年生2人はチョコを食べて深呼吸をした。すると、不思議と体がリラックスする。
体内ストレスを取り除くのに、糖分や酸素は効果的と言われている。強豪校の市井第二中学校で試合に出せてもらえなかった高井は、ストレス対策としてこの方法をよく放課後に利用していた。
あれだけモメていた3年生二人は、体内に糖分と酸素を取り込んだことと、それに勝る後輩達からの心配そうな視線を受けて冷静さを取り戻す。
「・・・悪かったよ。望月。言いすぎた。」
「いや、俺の方こそ、星キャプテンの前ってのがあっていきがってた。済まなかった。」
これによって3班の内乱は決着した。
「よく・・・あのタイミングでチョコ買おうなんて思ったな。」
片部の言葉に綾篠はこう返す。
「最悪、オレが考えたってことにしようと思ってさ。だから高井についていった。」
「???」
「高井の考えなんだよ。チョコ買おうって案。でも勝手にチョコ買ったってこと知った時に、もし高井が殴られたりしたら可哀想だから。俺もついて行って、オレが買わせたってことにすれば、高井は殴られないだろ?」
「いや綾篠!お前が殴られるじゃん!」
「だな。でも、高井は大丈夫だから。」
守備に必要なものは状況判断能力だといわれる。国巻サッカー部でも、綾篠は守備力が高い。
高井の案に即座に賛同し、最悪の場合も自分がかばってやろうとした綾篠の行動は、普段の守備と同じくいぶし銀な物だった。
さらに同刻。1班では1年生の園崎が激しい形相で怒る大下をよそにウロウロ動き続けていた。
「目障りだな!園崎!!あっちに行ってろ!!!」
大下に怒鳴られた園崎は、間髪入れずにこう返した。
「無理です。」
「あぁ!?いいからあっちに行ってろ!!」
「無理なんです。だってもう・・・出そうなんです!」
「何がだよ!!」
「そ・・・その・・・出そうなんです・・・ウ〇コが。」
「はぁ!!?」
「もう我慢出来ないんです!でもここ国道一本しか通ってない所だし・・・一面畑ばっかだし・・・近所にコンビニとか見えないし・・・どうしたらいいです!?オレ。」
「し・・・知るかよ。」
「もう・・・もうここら辺で出しちゃってもいいですか?そこの草むらとかでなら・・・アリですよね。」
「い・・・いや。無しだろ。てか絶対無しだろ!」
「いや、もう無理です!オレもう無理です!!すいません!失礼します!!」
園崎はそう言って草むらに逃げ込む。
彼はズボンをおもむろに下ろしてしゃがみこんだ。
「おい!!やめろって!!!マジで!?マジでここですんの!?お前!!」
木村が慌てふためく中、園崎は叫んだ。
「小鳥遊先輩!すいません!!何でもいいから紙を貸してください!!」
「え!?オレ!?」
「すいません!お願いします!!」
小鳥遊は嫌がりながらも持っていたメモ帳を園崎に渡そうとする。しかし、彼は異常に気付いた。園崎はズボンを下ろしてはいるが、パンツを下ろしていなかったのだ。
「何でだ!?そのざ・・・。」
「シー!!小鳥遊先輩、お願いが有ります!」
「え?」
「笑ってください。ワザとでいいから、何でもいいから俺のウ〇コを見たと思って笑って何か言って下さい。」
「え!?」
「いいから!!」
言われた通りに小鳥遊は大声で笑い出す。
「ははは!!!!」
「その調子です!そのまま何か言って下さい!大下先輩たちの方を見ながら!!」
小鳥遊は偽りの笑い声を出しながら肯くと、更にこう言った。
「ははは!!!こいつ!すんげーデカいのが出てる!!!すんげーデカいぞ!!こいつのウ〇コ!!」
小鳥遊が笑い続けるので、つい二年生の五条と柿崎が吹き出してしまった。
彼ら二人の吹き出し笑いに、ついに大下も敗れてしまう。
「ふ・・・そんなに凄いのか?」
「凄いですよ!・・・うわ!!!くっせー!!!マジ吐きそう!!」
小鳥遊のアドリブに、ついに大下も口元が緩んできた。
「おいおい。マジかよ。そんなに昨日の晩飯食ったのか?」
「はい!!すいません先輩たち!!!もうちょっと・・・もうちょっと・・・。」
「もうちょっと・・・何だよ。」
「もうちょっと出・・・ブビ!!」
園崎の大きな放屁に、1班の緊張した空気は完敗した。全員が腹を抱えて笑い出す。
「上手く・・・いったみたいですね。」
園崎はそう言いながら、小鳥遊の顔を笑顔で覗き込んだ。
作り笑いを見せながら、この1年生の発想力の凄さに小鳥遊は驚きを隠せない。
ストレス解消において、笑いは驚異的な手段となり得る。
今までサッカーに無知だった代わりに中学まで陸上部だった園崎は、父のアドバイスで自主トレ中にはお笑いのCDを聞くようにしていた。これを聞きながら走ると自然と足は前に進み、フォームも綺麗になるので園崎はずっと継続してきた。父からのアドバイスが、意外な形で生かされたのである。
爆笑が終わった後、1班の蟠りは無くなった訳では無いが、随分と雰囲気は変わった。
それぞれの班の揉め事が解消されて10分後、2班の久保は1年生の鈴木を賞賛していた。
「すげーよ!鈴木!同じバナナでもこれなら何とか食べれるわ!」
「よかったです!先輩!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「バナナの解決方法って、何なんだよ!!」
「買って来ましょう!」
「何をだよ!!!」
「ケチャップですよ。」
「はぁ!?」
「ケチャップで味を変えれば、飽きないで済みますよ。ミニサイズでいいんなら、ケチャップとマヨネーズ一緒に買っても良いじゃないですか。」
「マジで言ってんの!?」
「騙されたと思って、一先ず買うだけ買ってみましょうよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「思ったより、イケるな!ケチャップバナナ!!」
「この味オンチが。」
「あ!?何か言ったか?中林。」
「まぁまぁ、どんどん進んじゃいましょうよ。先輩たち。」
1班、2班、3班共に難局を乗り越え、それぞれが県境を目指していく。
午後7時まで残り4時間を切っていた。




