第58話 30分前~1分前
得点は両者無失点のまま、後半が開始された。
松田は出羽を必死になってマークしながら、ハーフタイム中の南部の話を思い出している。
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「あの出羽君ね、短いんだと思います。」
「短い?何が?」
「【パスレンジ】が。」
「は?」
「彼はね、ほとんどのチャンスで近くの味方にばかりパスを出すんです。」
「そうか?前半も何回もロングボール放ってたぞ。」
「その通り。そこしか無いならね。」
「???」
「僕、ずっと何か違和感感じてたんですよ。でも中々気付かなかった。それもそのはずでしたよ。普通にロングパスも上手いんだから。」
「だから・・・。」
「だからこそです。」
「???」
「例えば最前線の選手と中盤の選手がボールを欲しがっていたとします。そんな時、彼は絶対に最前線にパスをしません。」
「絶対に?そんな・・・絶対は無いだろ。」
「いいえ。本当に絶対でした。いくつもの動画を見ましたけど。その全てで彼は近いほうの選手にパスをしていました。」
「マジか・・・。」
「上手いはずなのに、ロングボールを出来るだけ出したくない。これは彼の性格の問題だと思います。」
「性格?」
「彼はプレーを見たら一目瞭然で完璧主義者だとわかるでしょ?」
「だな。」
「当たり前ですが、ショートパスよりもロングパスの方が精度は下がります。それは距離が遠ければ遠いほど。」
「それも・・・だな。」
「恐らく、彼は100%を目指してるんです。」
「なにを?」
「パス成功率を。」
「は!!?んなの無理じゃん!!」
「でも現にこの試合、前半だけなら100%ですよね」
「そういえば・・・確かに。」
「ロングパスも並みの選手達より明らかに上手いですが、ショートパスほどの絶対の自信は無い。それが彼の弱点だと思います。」
「・・・・・・・・・。」
メンバー達はどう答えたらいいのかわからなくなった。
弱点とはいえ、それは当たり前に近いことであって、どう対処すればいいのかもわからないでいる。
「この南部の話を聞いて、一つ秘策を考えた。」
監督からの言葉に耳を疑う選手達だが、これまでの戦いから彼の言葉を静止しようという姿は見られない。
「この作戦は全員が鍵になるぞ。」
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松田は出羽にピッタリとくっつきながら、美津田の作戦を思い出す。
『まず最初の30分は、今までと同じことをして無失点を維持しろ。松田はとにかく必死にマークするんだ。手抜きは許さん。』
松田からのプレッシャーも、出羽は少し不思議な感覚を受けていた。
「グニャグニャしてるなぁ。」
出羽は自身の持つ【シナスタジア】と言われる能力を使い、松田がどの方向を一番にマークしているのか探ろうとしたが、その色ははっきりと見えるものの濃さがマチマチではっきりした方向がわからない。
「マークってちゃんとしたこと無いんだろうな、この選手。・・・残念。」
張り合いの無い相手がくっつく現状から、試合を楽しめないと感じた天才はつまらなそうに心の中でつぶやいた。
それでも松田は幾度と無く出羽に立ち向かっていく。しかし、ボールは奪えず、プレーの妨げも禄に出来ていない。
しかし5度目のマッチアップの際に、松田は気付いた。
「あれ?全部・・・。」
ボールが頭上を越えながら、彼はさらにつぶやく。
「全部・・・俺ならこうするって思ったプレーの1ランク上のプレーをする。」
国巻のファンタジスタは小鳥遊と交代する前に、美津田にこう言われた。
『お前ならどうするか考えろ。』
美津田の言葉は正解ではなかったがヒントにはなった。
17歳にもなると、自分の技量とその限界点は見えてくる。限界点の一つ手前のプレーを華麗に披露することが、彼の試合中の生きがいだった。
しかし、目の前の天才は松田が限界点に感じるプレーを淡々とこなしていく。
「認めないと。オレより1ランク上のプレーを出来る奴なんだ。こいつは。」
松田はその後も出羽に食らいつきながら、無失点を維持しようと奮闘した。
そして出羽が後半6度目のボールタッチをした時、こう考えた。
「両足がボール1個分しか空いてないなら、さすがに股抜きは狙わないよな。俺でも。」
出羽がヒールでボールを当てようとした瞬間、松田はさらに考えた。
「でも、こいつなら!」
松田は出羽がヒールキックで股抜きをしようとした瞬間、一気に重心を右に傾けて倒れこみつつ右足を転がるボールに向けてみる。その勢いでボールは股を抜けられず、弾き出された。
「え!!なんで!?」
出羽は絶句する。
松田が必死に弾いたボールは大下が受け取り、相手ゴールに一直線で向かっていった。
正面からボランチの臼田がボールを奪おうとすると、大下は外に逃げる素振りをしてから急いで中央に進入していった。
逆をつかれた臼田は急いで大下を追いかける。
今度目の前に立ちふさがるのはセンターバックの木浦。
大下は『寸前で止まってパスを出す』と木浦の考えの逆を突こうとするが、後方から出てきた足に邪魔をされた。
「あれ!?」
驚きながら倒れこんだ大下は後方を確認する。ボールを奪ったのは先ほど逆をとった臼田だった。
「あれが・・・大下の弱点だ。」
「弱点?」
美津田の言葉にいつものように若宮が食い付く。
「あいつは足が遅い。」
「・・・そうですね。」
「世知辛いスポーツだよ。サッカーは。どんなに相手の逆をつけるだけの読心術があっても、スピードがなければすぐに取り返される。しかも技術や読心術は経験である程度つめられるが、スピードはそうもいかない。」
「・・・じゃあ。」
「ん?」
「大下先輩は、どうすればいいんですか?」
「もっと速くすればいいのさ。」
「なにをです?」
「走力以外を。」
「???」
美津田の意味深な言葉が放たれた頃、再び出羽にボールが渡るが、これを松田がまたカットした。
2連続で出羽からボールを奪う選手は珍しい。桜台東側応援席からも、どよめきが聞こえてくる。
しかし、これで食い下がらないのが天才たる所以なのだろう。出羽はこれ以降、トリッキーなプレーをしなくなった。むしろシンプルにボールに触れて、松田の付け入る隙を瞬時に無くしてしまう。
「あの2回だけだったか。」
松田は悔しがったが、これはいい兆しであった。
出羽がシンプルにボールを回すようになったことで、ゴール正面を向いてのパスが減っていたのである。すなわちそれは、桜台東の決定機を激減させることに繋がったのだ。
「集中しきることが大事だ。」美津田はそれだけ言うと、息も絶え絶えの3年生 中林に代わって柿崎をサイドバックで入れた。
木村ほどの守備力は培ってないものの、柿崎は必死のディフェンスでピンチを防いでいく。
後半も0-0のまま、30分が経った。
美津田は立ち上がると、
「ふんばれーーー!!!」と言いながら、両手を叩き続ける。
「来た!!!!!!」国巻のイレブンたちが美津田の行動と共に動き出した。
動き出した理由は言葉では無く、行為にあった。
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『後半30分が過ぎたら、俺が両手を叩き続ける。それが合図だ。』
「合図?」
「そう。合図を送ったら、松田は出羽のマークから外れろ。」
「え!?外れる?」
「そうだ。そして全員合図が来た瞬間だけでいいから、出羽の周りの選手を全員マークしろ。出羽がボールを受け取る一歩手前で。」
「周りの全員を?」
「そうだ。そして・・・」
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美津田の合図に全員が気付き、【その時】を窺っていた。そしてそれは訪れる。
前線の諸星がかなり下がってボールを貰うと、となりの出羽へパスを出した。
出羽はボールを受ける直前に前方を確認すると、一瞬体が硬直してしまう。
さっきまで幾人もフリーだった近くの味方が、全員マンマークされていたからだ。
出羽が躊躇った時間は正確には2秒程度しかない。しかし、その一瞬の隙を突いて、松田は視界の外側からボールを奪い取った。
「頼んだぞ!鈴木!!!」
松田は倒れこみながら、1年生ディフェンダーの鈴木にパスを出す。
鈴木はボールを受け取ると最前線の久保に得意の左足でロングパスを出そうとするが、蹴り出す一瞬手前で足を止めた。
「まずい!このタイミングだとオフサイドになる!」
インザーギスタイルを貫いていた久保は、1チャンスで必死にオフサイドを取られないために密かにオンサイドエリアに戻ろうと、少しゆっくり目に走っていた。
久保の戻りが予想より遅かったので、鈴木は左足を振りぬく動きを急遽フェイントにし、少しだけ右にボールを転がした。
「このままじゃ右で・・・でも、仕方ない!!!!」
そう心の中で叫んだ鈴木は、苦手の右足でボールを蹴り上げた。
「届く!!!」
美津田が叫んだと同時に、ボール落下点へ向けて走りこむ久保の姿があった。
オフサイドギリギリを狙われた桜台東ディフェンス陣は必死に追いかけるが、追いつくことが出来なかった。
久保は鈴木からのパスを頭に当てると、サイドから走りこんでいた俊足の高井に送る。
高井はディフェンダーを置き去りにする快速でサイドラインを駆け上がると、中央に走りこんでいた久保にパスを出した。久保にギリギリ間に合った桜台東のディフェンダー竹内は、シュートコースを阻もうと、彼とキーパーとの間でスライディングをする。
しかし、久保はこれに全く動揺しない。彼は背後にヒールでパスを出した。これは練習通りのプレーである。
『久保と高井がカウンターをしかけて、ペナルティエリアに進入した時、プレスがきたらバックパスをしろ。そして、【お前】が必ず久保の後ろに走りこんどけ。』
久保がバックパスをした先には須賀が走りこんでいた。
【お前】とは須賀のことだったのである。
「勝つんだ!!!!自分のために!監督のために!!来てくれた母さんのために!!!!!」
75分間ボールを追い続けていた器用貧乏は、最早体力を使い切っていた。今このボールを受けるために走りこんだエネルギーは、残りカス程度の力と精神力しか無い。
そんな須賀はペナルティエリアギリギリの場所からシュートを放とうと、右膝をしっかり曲げた。
その瞬間、彼の左足は激痛に見舞われてしまう。
もう一人のセンターバックである木浦に、須賀は軸足である左足を狙われてスライディングをされたのである。
しかも一瞬ながら、左足首は普段曲がらないはずの方向に曲がってしまった。
「ぐぁ!!!!!!!」
息も絶え絶えに倒れこむ須賀がピッチの中にいた。
「こんな所で!冗談じゃねぇよ!!」
彼を味方と敵が囲む中、スタンドは一瞬沈黙に包まれる。
審判の笛が鳴った。
「PKか!」
南部が叫んだが、審判の判定は木浦へのイエローカードとフリーキックのみだった。
「ふざけんなよ!!!!!!」
久保が審判に詰め寄り、ピッチは騒然となる。明らかにペナルティエリア上での出来事だったからだ。
周囲が騒がしくなる中、倒れた須賀は必死に
「まだやらなくちゃ!!まだやらなくちゃ!!!!」と自分に言い聞かせる。
そんな中、視界の外側からゆっくりと赤い色が広がろうとしている光景に、まだ須賀本人は気付ききれていない。
もちろん周りの誰一人も、彼の中で何かが蠢いていることに気付いていなかった。
まだ、この時は。




