第38話 ゾーンは頭に痛し
「なんだ?これ。」
頭部の鈍痛に襲われ続ける坂田は、困惑している。
熱も出ていないし体調は万全だったはずなのに、頭痛に見舞われている現状は未経験だし納得できない。
「出れるかな?この後。俺は・・・絶対に出たい。」
試合はまだ1戦残っており、本人は出場する気満々だ。何よりGKは彼1人しかいない。
そばに寄ってきた美津田は守護神に話しかける。
「痛みはどれくらいだ?」
なぜわかったのか驚きながら、
「ちょっと・・・です。」とだけ答えると、
「さっき飲ませたの、バ○ァリンだから。そのうち良くなるさ。」
といって監督は口元を緩ませた。
なぜ起きる前から頭痛に気付いたのか疑問に思いながらも、坂田は少し安心する。
澱前対本田橋戦は、互いにこの大会への憤りをぶつけるかのように攻め合い、3-2で澱前高校が勝利した。
記者たちは雑談をしたり、カメラの手入れをしている。
「世知辛いですよね。本当にあなたたち記者って。」
呆れ気味に滝沢が里崎に言い放つ。
「いや、まだマシだよ。」
「どこがです?」
「本当なら、ほとんどの記者はもう帰ってるはずさ。」
「なぜです?」
「花野江や高橋目的に来た奴がほとんどなんだよ。花野江戦はさっき終了したんだから、残ってるほうが不思議なくらいだよ。」
「そっか。なのに残ってるのは・・・。」
「善戦した国巻を観たいから。」
滝沢は後輩たちの健闘が、記者たちを留まらせたことに胸高々になる。
今大会最終戦、国巻対本田橋戦が開始されようとしていた。
優勝は全勝の花野江で確定していたが、実は今シーズン無失点記録を続けていた花野江から得点をした国巻の攻撃力に、記者もギャラリーも期待している。
スタメンはFWが片部、攻撃的MFは久保,竹下,五条、ボランチが,松田,望月、DFは左から綾篠,柿崎,木村,中林となり、もちろんGKは坂田である。
坂田の頭痛は中々納まらなかったが、バ○ァリンを飲んだことからか、多少気分は楽になる。
「なんで頭痛がするってわかったんです?」
「あぁ・・・ゾーンが起きた後に頭痛が起きる症例がいくつかある。いわゆる副作用だ。」
「ゾーンのせいで?」
「そう。原因は2つある。1つ目は普段脳の10%くらいしか使ってないのに、急に100%近くを引き出してしまったことに、脳が疲れるってこと。」
「脳の筋肉痛みたいなもんですか?」
「まさに。そして一つは、極度の緊張状態が続いたことによる偏頭痛だ。」
「それって・・・。」
「ん?」
「バ○ァリン効きます?」
「後者ならな。前者のみなら意味は無い。」
「・・・。」
「ただな、気休めにはなる。」
「そっか。」
若宮もやっと美津田の行動に納得できた。しかし、ここまでゾーンに詳しい理由を彼女は知りたくて堪らないといった表情である。
今大会最終試合が開始された。
「いきいきやらせてもらおっか!」
そう思った松田はエラシコで相手を避わしてドリブル突破をし、ペナルティエリア手前でシュートをする振りをして、ヒールパスで後ろの望月にボールを渡す。望月は上がっていた左MFの五条にスルーパスを出す。五条はすかさずクロスを上げた。片部が囮になったことで、フリーになった久保がヘディングをする。これはキーパー正面のためキャッチされたが、攻めの形がしっかりと出来ている展開に、監督も納得の表情だ。
本田橋のカウンターは、素早く望月と竹下が詰め寄って防ぐことが出来た。
「前の試合、ほとんど小鳥遊に任せっきりだったな。」反省しながらの望月たちのプレスは果敢で、抜かりが無い。
決定機で決められなくても、カウンターを素早く防ぐゾーンプレスによって圧倒的ボール保持率を誇った国巻は前半残り10分でついに片部のシュートにより1点先取する。
1-0
坂田は2つのことを考え込んでいた。
1つ目は、ずっと視界の外側を包み込んでいた白い世界がゆっくりと狭まっている理由。
2つ目は、このピンチの少ない試合でどうモチベーションを保つかということ。
激戦の中で、長きに渡って彼を守護神にさせてくれたゾーンは、心身ともに出し切ったパフォーマンスによって出口に向かっていた。
「何にこの力をぶつければいいんだ?」
そういう思いだけが溢れようとしている。
このまま前半が終了する。
圧倒的に攻めながらも、決めきれない国巻の試合展開に失望し、記者たちは少しずつ席を後にする。
「どうする?この後。」
美津田の問答に、沈黙を破って綾篠が話し出した。
「俺らって・・・無失点試合したこと無いですよね?」
言われてみればそうだった。
美津田が監督になってから、失点しなかった試合はこれまで1つも無い。
「いいじゃねぇか!このまま無失点で勝ってやろうや!」
「どう戦って?」久保の気合の一言を木村が止める。
「え?」
「守って戦うのか?攻めて戦うのか?どっちでいくんだ?」
「そりゃ・・・。」答えを見つけられず、ストライカーは黙り込んだ。
「お前ら、どう思う?」木村は1,2年生の目を見ながら問答する。
「確実になら、守るでしょ。」小鳥遊が言い放つ。
「この1点守りきって、勝ちきったら自信になりますよね!」鈴木が同意した。
柿崎も肯く。しかし、テクニシャンの松田は反論した。
「ちょっと待って下さい。」
「どうした?松田。」
「俺らのゾーンプレスって、攻撃的なプレスが持ち味でしょ?」
「そう・・・だな。」
「貫きましょうよ、攻撃的に。ここまできたら・・・。」
松田の発言には一理あった。それ以上に、今まで一番守備を嫌っていた彼が激しいディフェンスを続けようと持ち出したことに、メンバー達は驚愕している。誰もが沈黙し、納得せざるを得なかった。
「想像以上だ。」問答を見つめていた美津田は、選手達にそう言った。
「このチームは、この大会でバラバラになる可能性もあった。それはお前達自身がよくわかっているだろ?」
花野江高校戦で前半に悪夢を見た少年達は深く肯いた。
「よくここまで駆け上がった!お前達は、俺たちの世代をもう越えた。」
「ど・・・どこがです?」滝沢を目標にしている久保には納得の出来ない賞賛だった。
「チームワークがだよ!」
選手達全員の目に、鋭くも優しさのある覇気が感じられ始める。
それは坂田も同じだった。
「無失点!そうだ!無失点するんだ!最後まで役に立つんだ!!」
そう目標を決めると消えかかっていた白い幻影が、またゆっくりと外側から広がり出す。
「坂田、もう30分頑張ってくれるか?」
「はい!!やってやります!!!」
坂田は治まらない頭痛を堪えるために、たびたび頭を叩きながらゴールマウスへと向かっていく。
木村に代わって小鳥遊がCBに入り、中林に代わって鈴木がSBに入った。
小鳥遊は柿崎との連携のためだが、中林は単純にスタミナ切れだった。
「結局アシストゼロじゃん。・・・情けねぇ。」
こんなにみんなが頑張ってるなかで、自分一人がスタミナ切れで途中交代をしているのが、情けなくて仕方ない。
中林は美津田の隣に座ると、
「俺、本気で卒業します!」
と言う。他のメンバーは何のことかわからないが、監督は
「そうか。」と答えた。
美津田はポケットからガムを取り出すと、「食べろ」と中林に勧める。
「え?」
「普通のガムじゃない。」
中林はこのガムが治療薬なのだと理解し、口の中に放り込んでクチャクチャと噛み続けた。
「一日の使用回数をしっかり守れ。厳しかったら俺に相談しろ。グッズは色々ある。」
「はい。」
ピッチに立つ仲間達を、悔しそうに中林は見つめている。
「これは坂田のようにはいかない。一歩ずつ、しっかり進もう。」
冷たい言い方だったが、その言葉の中に精一杯の優しさが詰まっていることを感じ取った中林は下を向くと、周りに気付かれないように静かに泣いた。
後半は守備的にくる。
そう読んでいた本田橋のイレブンは、前半よりも攻撃的な国巻に右往左往する展開を強いられる。
五条のパスをニアに走りこんでいた久保がシュートするが、これはキーパーが弾く。
しかしこぼれ球を、威力の低いシュートだったが竹下が放って2点目をもぎ取った。
2-0
帰り支度をし始めた記者たちは、再びカメラの準備を急ぎ始める。
国巻の攻撃は止まらない。
片部がキープしたボールは竹下に渡り、右サイドに開いてドリブルしていく。シュートを放つと見せかけて、中央にショートパスすると、貰った久保はヒールで松田に送った。松田の狙いすましたシュートはキーパーの手に触れず、ネットを揺らす。
3-0
観客席も騒然としだす。
滝沢は立ち上がり、
「くーにまき!くーにまき!!」と大声を出し始めた。
滝沢と共に観戦にきていた彼のチームメイト達も一緒になって「くーにまき!!」と国巻コールを始める。
すると、花野江高校応援席にいた老人が立ち上がり「くーにまき!!」と滝沢達に続いた。それは市井第二中学のサッカー部監督だった。
花野江応援席の周りでも、「くーにまき!!」と国巻コールが始まり出す。
「くーにまき!くーにまき!!くーにまき!!!くーにまき!!!!」
国巻コールが会場を包み込むのに、時間はかからなかった。
「す・・・ごい。」つい最近まで帰宅部だったデータ収集専門のマネージャー南部は、この圧倒的な歓声にただ圧倒されるしかない。
「勝つぞ!このまま!」笑顔で言う久保の目には楽しみまでもが感じられ、松田たちは「はい!!」と力強く賛同した。
長かったこの大会も、そろそろクライマックス




