第34話 マハリクマハリタヤンバラヤンヤン・・・
「なんです?その【ぞーん】って?」
若宮は初めて聞いた単語の意味を美津田に解説してもらう。
「さっきお前は『魔法のような力』について俺に質問しただろ?」
「はい。」
「俺は『存在する』って答えたな。」
「えぇ。」
「坂田が今なっている状態がまさに『魔法の力』だよ。スポーツ力学ではアレを【ZONE】という。」
「・・・。」
「【ゾーン】・・・これは極めて高い集中力によって、飛躍的に身体能力を高めた状態のことだ。【フロー】や【ゾーン状態】とも言う。」
「へぇ~。」
若宮にとってはトリビア感覚の専門用語を、監督はさらに掘り下げて解説していく。
「普段、我々の脳は一割程度しか使われていないという説がある。それはリミッターといえるもので、普段から脳を100%使い続けていたら、寿命分まで脳が持たないからというのが理由だそうだ。ただし、この脳を一瞬だけ100%に近い状態にまで引き出した状態が存在する。それがゾーン状態だ。集中力を極限まで高めた時に起こせる奇跡の力だな。」
「そんなものが・・・。」
「ん?」
「そんな集中力を高めたら出せる能力が・・・ごく最近にできたんですか?」
「どういうことだ?」
自身が解説した単語に対して、突拍子も無い質問をしてくるマネージャーに、美津田はつい聞き返してみる。
「いや今の話、初めに『スポーツ力学では・・・』って言ってたから、もっと科学的な方法で引き出さなきゃいけないものなのかなって・・・。」
「なるほどな。安心しろ。ゾーンは昔から存在していたし、俺たちも引き出せる可能性を秘めている。」
「私でも?」
「そうだ。例えば、痩せ細った母親が炎の中から必死に大きい我が子を救い出す話があるだろ?」
「火事場の馬鹿力ですか?」
「そのとおり!ゾーン状態の和訳は火事場の馬鹿力みたいなもんなんだ。」
「・・・。監督?」
「どうした?」
「サッカーの監督って・・・みんなそんなに【ゾーン状態】に詳しいんですか?」
「え?」
「しかも『須賀くんや久保先輩が先にするかも』とか、目星をつけてたみたいですけど、そんなゾーン状態を引き出せる候補まで考えられるもんなんですか?」
「・・・後者だけは答えてやる。ゾーンの引き出し方は主に3種類ある。1つ目は、極限まで集中力を高めた・・・数値的には200%くらい高めた時に発生するもの。火事場の馬鹿力もこれが発生条件だ。2つ目は肉体的コンディションが200%くらいの最高潮の時に誘発されるもの。嘗ての短距離走記録保持者であるカール・ルイスはこれでゾーン状態を引き出したそうだ。そして3つ目は、精神も肉体も100%の状態で引き出せると言われている。」
「だからだったんですね?」
「何がだ?」
「監督よく言うじゃないですか。『メンタリティとクオリティ』って。あれって精神と肉体を100%まで引き出して、ゾーン状態にしやすくするための言葉だったんですね。」
若宮は話を【理解していない】から、いつも唐突な話をしだす。今まで美津田はそう思っていた。しかし今の会話を受けて、若宮の唐突さは【理解していない】ことでなく【鋭い】ことからに起因しているのだと確信する。
ここまで話して、美津田は再び坂田に注目した。
普段無表情で冷淡な監督が、高揚感を剥き出しにして話す姿に、若宮以外のベンチメンバーには興奮と緊張が相まっている。
花野江高校の高橋は考え込んでいた。
「ビューンの後にドーンやってもグウィーンやっても止められちゃったなぁ。どーする?パパンやってから・・・。」
考えを少し声に出していることに気付いてない天才は、結論を導き出すと、WGの只野とアイコンタクトをした。
高橋は下がり目でボールを受けると、只野にパスを出す。今回は距離感が短かったので上手く通った。
只野にボールを出した瞬間に、高橋はトップスピードで走り出す。その高橋に素早くパスが返ってくる。
ワンツーパスが通った高橋は、そのボールをヒールですかさず只野に返した。
戻ったボールは、再度高橋にスルーパスとして返される。
国巻DF陣全員が翻弄された連続ワンツーパスは、坂田も予想できず飛び出せなかった。
「ここでこれなら!!」
そうつぶやきながら、高橋は坂田の股を抜いたシュートを放った。
「・・・終わった。でも・・・坂田は頑張った。」
そう木村は考えて下を向いた。しかし、小鳥遊や鈴木が大声で喜びを爆発させていたので坂田の方を向いてみる。
坂田は股の間を抜かれながらも上半身を背面に仰け反らせ、後方にあるボールを右手一本で防いでいた。
ゴールを割るまであと数センチだった。
「す・・・すっげぇ・・・。」
これには天才高橋も興奮した。坂田の連発するスーパーセーブからの憤りは頂点を越え、ついに賛辞に変わったのだ。
「何か対策を施さないと・・・。坂田がどうなるかわからん。」
「なんでです?」
「あいつが回数制限型なのか時間制限型なのか限定条件型なのか・・・わからんから。」
「え??」
「・・・。」
若宮が再び言葉の解説を求めても、監督にはもう返す余裕が無かった。
美津田は立ち上がると、大下を呼び出す。
「大下!ちょっと来い!!」
「え?なんです?監督。」
「小鳥遊とポジションチェンジしろ!」
「え!?」
「お前がCB!小鳥遊がボランチ!松田が左MFだ!」
「こんな場面でですか?」
「この瞬間だからだ!!」
拒否をしようとすら考えたが、美津田の確信を持った眼光に、この3年生は一瞬で根負けした。
「高橋が何をするか考えなくていい!!木村が何をするかだけ考えろ!!!」
「木村が?」
なぜ木村のことを考えるのかわからないまま、大下はCBにポジションチェンジした。
国巻からまたまたボールを奪った花野江は、横パスを繰り返しながら一瞬フリーになった高橋にボールを繋げる。
「もうこうなったら何回もビューンでドーンだ!」
高橋は木村と対面すると、左に素早く動いて抜いた。しかし、ボールはクリアされてしまう。
木村にカットされたのではない。大下にカットされたのだ。
「木村なら、『左に抜かれるくらいなら右を』って考える・・・。」
その予想がピッタリと当て嵌まり、木村のカバーにいった場所にボールが転がってきた。
大下の特化した人の心を読む力が、意外な形で反映された。
「ここで防ぐからな!坂田!!」大下の言葉に、巨体の守護者は小さく頷いた。
「いい加減にしろよ。虫が!」
そうボヤいた高橋はスローインからボールを貰うと、木村を高速シザースから右に避わそうとしたが、スライディングで止められる。
「うっとうしいなぁ!足、短いくせに!」
ピキッ
木村の中で、突然何かの線が切れた。
高橋にとってはいつもの独り言だったが、その中に決して口にしてはならない言葉があった。
木村は足の短さをコンプレックスにしている。中学校の時、これを他校の生徒にからかわれた彼は、大下が必死に止めなければ半殺しにしてしまう程にボコボコに熨した。相手は3人だった。
高井からボールを奪った花野江高校はまた細かいパス回しから高橋にボールを渡す。
天才はゴールに正面を向けようと体を反転させた瞬間、激しい衝撃で吹き飛ばされた。
木村のタックルである。
あまりの激しさにイエローカードが出された。
起き上がろうとした高橋に木村は手をさし伸ばすと、もの凄い握力と腕力で彼を起こした。
そして小さく
「今度足のこと言ってみろ。二度と・・・サッカー出来ない足にしてやるぞ。」
と耳元でささやく。
口の悪い天才は今までに小さく脅された経験など山ほどあったが、そのどれよりも殺意が込められていたので凍りついた。
その後、高橋がボールをもらいに動く姿が激減する。時間は残り10分だ。
「何だかわからんが、チャンスだぞ。」
美津田はそう口にしながら、木村を見つめて口元が緩んでいく。




