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ゾーンの向こう側  作者: ライターXT
国体編(スピンオフ)
145/207

第143話   クロスの行方

「一週間後、覚えてたら合格な。」



それは高橋秀典に初めて言われた台詞(ことば)

なぜ今思い出してしまったのか?

そんなことを考えるべき場面ではないはず。


(なん)せ今、千葉県代表として途中出場した小野健介(おのけんすけ)は、自分の渾身(こんしん)のクロスを、高橋が走るであろう手前側(ニア)奥側(ファー)かのどちらに放つべきか、考えなくてはいけない勝負の瀬戸際。

不要なことを考えている暇は・・・無い。

そんな想いとは裏腹に、高橋との思い出が、走馬灯(そうまとう)のごとく駆け巡ろうとする。


それを払拭しようとする理性を、小野は()えて振り払った。

この思い出を回想することが、現状の局面を打開するヒントに繋がるのでは?という直感の元に。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


小野の進学した市井第二中学は、千葉県内有数のサッカー強豪校だった。

本中学OBの多くは桜台東高校に進学し、近年では花野江高校にも進学するエリートサッカー校である。

とはいえ、それはクラブのジュニアユースや地元強豪クラブを除いた競争率。

必ずしも最上位の者たちが集うとは限らない。


それでも、初めてグランドに立った時には緊張した。

特に噂を耳にしていたから。

年代別日本代表にも名を連ねる高橋秀典が、本サッカー部に入部するという噂を。


初めて彼の姿を見た時、名前しか聞いた事の無い相手のはずだが、絶対にこの男が高橋秀典だと直感できた。

全身からオーラというか、自信が(みなぎ)っていたからだ。先輩たちを含めた全選手の中で、誰よりも。

すぐに話しかけた。緊張や恐れ以上に、有名人と話せるという好奇心が(さいわ)いとなって。


「やぁ、日本代表もやってる高橋くんだろ?オレは小野健介。同級だよ、よろしくな。」


「一週間後、覚えてたら合格な。」


「え???何を覚えてたら???」


「名前。」


「だ・・・誰の?」


「お前の名前だよ。一週間後、まだお前の名前覚えてたら、合格レベルだから。」


「・・・は???」


「下手クソだったら、すぐ忘れるぞ。お前の名前。オレに覚えといて欲しかったら、精々(せいぜい)頑張れや。」


「・・・・・・。」



幸いしたはずの好奇心は、後悔へと変換された。

高橋秀典とは、その高い知名度に比例した自己陶酔者(ナルシスト)だったのである。


無論、口だけの選手なら言い返せた。

だが、彼は違う。練習初日に痛感した。


技術(テクニック)が、著しく突出していたから。



「これが、本物・・・。」


先輩相手でも徹底的にプレスを回避し、ゴールをバンバン決めていく彼に抱いた感情は、憎悪とも感動とも断定できない不思議なもの。


それは小学校時代はチーム内で抜きん出た才能を見せていた小野が、初めて出会った壁。越えられない壁。

初日にして、折れる心。


しかも市井第二中は、才能至上主義。強豪高校へ選手を送り出すことを第一目標とする本校は、余りに抜きん出た才能を持つ高橋を、放牧状態にしてムラなく成長させようという方針としてしまう。


一年生ながら王様のような態度を崩さない高橋。

当然、上級生は良い気分ではない。全員から総スカン。一瞬にして、彼は干された。



一週間後の朝、高橋と再び顔を合わせた小野。


「お・・・おはよう。」

「おぉ。オッス。」

「よく寝れた?」

「寝るのは得意だかんな。」

「あ、そう・・・。」

「・・・・。」

「・・・・・。」

「お前・・・。」

「・・・ん?」

「小野健介で合ってるか?」

「お・・・覚えたんだ!!」

「あぁ、ギリな。」

「ぎり???」


「オレが名前覚えとくには、ギリギリの才能(レベル)だわ。」


「!!!!!!!」



状況によっては、(なぐさ)めてやろうとまで思ってた。なのに、またしても裏切られた温情。


怒りをも通り越した小野を気にもせず、高橋はこの日から、少しプレースタイルを変えた。


味方が欲しいと思った場所に、思ったタイミングでパスをする光景が見られだしたのだ。


次々に決定機もしくは得点を手にする上級生たち。

少しずつ着実に、高橋は信頼を取り戻していく。自分の性格は一切変えずに。



先輩たちが帰った後、グランド整備をしながら、高橋はいつもグチった。

「別にアシストに回るのは構わないけどよぉ、ボールもらいに走り回るのが、面倒(めんど)くさいわ。」

「でも、信頼回復出来てんだから、良かったじゃん。」

自身はどこまでもお人好しだと感じつつ、話し相手になる小野。


「なんで俺より下の人間たちのために、走らなきゃいけないんだよ。体力は出来るだけとっときたいんだっての。シュートのために。」

「でも、そのシュートもパスが来なけりゃ出来ないだろ?」

「まぁ、そうだけどさぁ。疲れるの嫌なんだもん。」

「贅沢言ってられないって。」

「でもよぉ・・・。」

「ん?」


「贅沢な才能なんか一切(いっさい)持ってない小野(おまえ)に言われても、説得力無いぜ。」

「ん!!!!!?」



卑屈(ひくつ)も、ここまで来るとどうしようも無い。


入部一週間にして地位を築いた高橋は、結局1年生からレギュラーでい続けた。

必死にあとを追った小野。2年の前半から試合に出られるようになり、後半からはスタメンになれた。


小野は決して劣等生ではない。才能は十二分にあった。2年生でスタメンになれたのは、高橋以外は彼のみ。ただ、そばにある天秤の(おも)りは、あまりにも大きすぎ、重すぎ、偉大すぎた。


いつしか考えたのは、『自分は自分』という発想。密かに抱いておきたかった自己逃避の先。


「小野!オレ走らせるんじゃなくて、お前が走って苦労しろ!俺と一緒に試合出らるんだから、こんな技術(テク)で満足すんな!」


なのに高橋の逃げ場も作らせてくれない鬼畜ぶり。内心ウンザリしていた。



中学3年生の秋、進路を決めねばいけない頃、小野は考えていた。

桜台東に行くべきか、花野江に行くべきか。


高橋は花野江一本に絞っているのは知っていた。

もう彼とは違う道を進みたくなっていた小野は、周囲に桜台東に進学を考えていると告白する。


返事は意外なもの。


「なんで高橋と違う所なの?」



なぜ今、高橋の名が出てくるのか・・・。全く理解出来ない小野。周囲の解答は予想外なものだった。



「だって、高橋と一番仲いいのってお前じゃん。」



この時、小野は初めて気付いた。高橋が、自分以外の人間と会話している時間の短さに。それに対し、自分と会話する時間の長さに。勿論(もちろん)それは消去法。

ただし、差は歴然だった。

当時補欠だった高井などに対しては、高橋は存在すら無視する態度を見せていたのだから。



「俺って・・・認められてるのか?」



歯痒(はがゆ)く思うべき状況。

なのに込み上げた感情は、(かす)かな高揚感だった。


考えてみれば、自分はこの中学3年間で、技術も身体能力も随分向上できた。

可能だっただろうか?高橋無くしてここまでの成長が。

実は今の自分があるのは、彼の存在有ってなのでは・・・。


翌日の進路面談で花野江高校を希望した理由は、ほとんど勢いに(かま)けたもの。


高橋は余裕で合格した推薦入試を、イチかバチかの賭けで受けた小野。


幸か不幸か、彼も合格出来た。直後は幸に包まれる。


だが、不幸はすぐに降り注いだ。



県内の猛者たちが集う花野江高校サッカー部に入部した小野。高橋と共に。


先輩たちは尊敬に価する才能(ポテンシャル)ばかり。

すぐに飲み込まれそうになった。


だが、共に進学した高橋は、彼らと肩を並べるどころか、凌駕(りょうが)するほどの技量。

ランニングばかりする自分と違い、彼はすぐにレギュラーに定着した。市井第二中時代の先輩も数名いたことで、連携も支障無い。


一緒に切磋琢磨するような立場ではない。彼は彼。自分は自分。わかっていたこと。いつの日か、また一緒に試合に出られればいい。そんな絵空事(シーン)を抱く小野。



4月の中頃だった。


練習を終えた後、久しぶりに高橋と顔を合わせる。

「よ、久しぶりだな、高橋。」


中学時代のように、軽く挨拶した。当時を懐かしむように。


なのに、彼の返事は驚きを超えて、(おぞ)ましくすら感じる言葉だった。




「えぇっと・・・。お前、誰だったっけ??」




思わず持っていたスパイクを落とす。

3年間、一緒にいたのに。一番関わっていたのに。どうすれば忘れられるのか?

何も返事できず、通り過ぎる高橋の背中を追うことも出来なかった小野。今までの思い出も、今までの努力も、積み重ねた友情も、全て否定されたと考えた小野少年。あまりに悔しすぎて、家路を急ぎながら彼は、泣いた。


翌日から、小野は誰より走り、誰よりグランドを綺麗にする。また認められたいからでない。最早、ただの意地。

3日後、高橋と再び会った時、彼はこう言った。


「思い出したよ。お前、小野だったよな。てか、同中(おなちゅう)だろ?」


殴り飛ばしてよければ、今すぐそうしてやりたかった。半殺しにしてよければ、喜んでそうする。だが、天才児と世間で騒がれてる彼へ、そんな仕打ちは許されない。


翌日から、小野は再び高橋と会話するようになった。

しかし、そこに心はない。いくら自分の名を出そうとも、一度離れた心はもう戻る気配も無かった。まるで、離婚届けに判をついた主婦のように。

いつの頃からだろう?同じ中学ということで、先輩たちから自己陶酔者(たかはし)のお目付け役に自然と指名される。

別にやっても構わない。演じるだけだ。心はもう、そこにないのだから。


「そういうこと言うなっての!高橋!!」「喧嘩売る態度はやめろっつーの!」「文句ばっか言うんじゃねぇ!」


この国体代表になってからもそうだった。軽口に対しての説教。それが自分に課された役割。演じ続ければいいだろう。


故に、この兵庫県代表との試合に途中出場する直前、彼を形容した言葉は『自己中のクソ野郎』。


ただし・・・朝比奈監督はそう思っていない。

自身の持ち味は、高橋との連携が容易に出来るという認識にある。実に・・・実に不幸なことに。


それはいつしか、彼に一つの反骨心を植え付けた。

『だったら、どんな方法だろうと輝いてみよう』と。


『ただの高橋のお目付け役ではなく、試合で魅せられる選手になろう』と。

それが、どんな形であろうとも。どんな状況であろうとも。


それが自分に出来る、唯一の抵抗だから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



上記の回想録を巡らせたのは、実際は時間にして3秒足らず。



さて、走馬灯のごとき回想を終えた小野は、何をしたか。



ただただ慌てた。




「ヤバい!!!こんなに思い出したのに、高橋がどっちに走るかのヒントが一個も無い!!!!!!」




手前側(ニア)奥側(ファー)。高橋がどちらに走るのかが焦点だったのに、回想の中でヒントになるような素材が一つも無かったのだ。

考えてみれば高橋の気持ちなど、今まで(ろく)に理解できたことは無い。

収まらない動揺。



「うわ!!!ボール来る!!!目の前くる!!!どうしよ!!!」


考える猶予をもう少し欲しいが、鈴木のボールは微塵のミスも無い精度。


刹那、再び思い出そうとした過去の情景。されど、再び浮かんだのは高橋の悪態ばかり。


「走り回るのが、面倒(めんど)くさいわ。」

「体力は出来るだけとっときたいんだっての。」

「疲れるの嫌なんだもん。」

「オレ走らせるんじゃなくて、お前が走って苦労しろ!」




ボールが自身の眼前まで落ちた時、小野は、ふと考えた。




「あれ?そろそろ高橋・・・【疲れた】んじゃね?」




落下するボールをダイレクトにて、小野は左足で蹴ってクロスを放つ。


彼が狙った先は、高橋の手前側(ニア)奥側(ファー)か。





(いな)




小野が選択したのは、第三の場所。



高橋は、どちらにも【走りこまない】だろうと選択したのだ。

出羽の体力消耗を考慮して、大っ嫌いな運動量の浪費を代行した高橋は、そろそろ【休みたく】なっているだろうと。


その予想は皮肉にも、【的中】した。



走り込む素振りを見せていた高橋は、小野がクロスを上げる寸前にブレーキをかけたのだ。

必死に追いかけようと走っていた平岡は咄嗟のことにブレーキをかけるのが遅れる。

二者の間に距離を(もう)けることに成功出来た。



バランスを崩しながらも左サイドから放った小野のクロス。見事なものである。

2011年に開催されたアジアカップ決勝で、李忠成に送った長友のクロスと瓜二つ。直後の決勝点となるボレーシュートの情景と重ね、観衆は吠えた。

フリーとなって自身に向かってくるボールを眺める高橋。彼はつぶやく。



「ったく。妥協せずに必死こいてりゃ、マトモなこと出来んじゃねぇか。小野なりによぉ。」



マークを外され、顔が青ざめる平岡。兵庫県代表キーパーは急いで飛び出すも、微妙な距離。



「撃てぇーーーーー!!!!!」



観衆も、スタメンも、ベンチも、小野も。千葉県代表を応援する全員が叫ぶ。



少し体を後方に捻り、落下するボールを目で追う天才児。


眼前にまで降下したボール。


高橋は全力で、右足を振った。





スカッ




「え???」



ボールを直撃(ミート)出来なかった、高橋の右足。


まさかの空振り。



「うっそ・・・」


会場全員が驚きのあまり失語した。

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