Act.61「誓い」
やがてトラック運転手が呼んだ救急車によって千歳お嬢さんは病院へと搬送された。
傍目で分かる程の大怪我を負った彼女は、直ぐに緊急手術となった。
「申し訳ございません!俺が、俺が彼女を・・・・」
駆けつけた三城院会長の前で床に額をこすりつけて謝罪する俺の頭上で、彼の静かな声が響いた。
「・・・・・・頭を上げなさい」
顔を上げると、彼は静かに、けれど固い声で言った。
「私は一方的に君だけに責任をなすりつけるつもりはない。今はとにかく、一緒にあの子が助かる事だけを祈ってくれないかね?」
俺は頷き、手術室の扉を見つめた。
助かって欲しい。ただそれだけを祈りながら・・・・。
それからどれくらい経っただろう。やがて手術中のランプが消え、中から手術衣を身に纏った医師が現れた。
「先生、千歳は?」
静かに尋ねた三城院会長に、医師はぐったりとした声で答えた。
「・・・・安心して下さい。傷の縫合は完了しました。命の危険もありません」
ただ・・・・・と医師は言葉を濁らせた。
「なんですか?はっきりおっしゃって下さい」
静かに、しっかりした口調で言う三城院会長に、医師はゆっくりと告げた。
「・・・・両脚を、複雑骨折していて、神経にも損傷が見られます。もしかしたら、今後障害が残るかもしれません・・・・」
――――障害!!
「つまり先生、千歳は、あの子は・・・・」
「・・・・リハビリ次第では良くなる可能性も有りますが、最悪の場合、一生、歩けなくなるかもしれません」
白い廊下に、医師の言葉が、重く、響いた。
「三城院会長・・・・・・」
「・・・・一君、悪いが、今は帰って貰えないか。後ほどこちらから連絡させて貰う」
肩を震えさせ、こちらを振り向きもせずに言った彼に、俺はそれ以上何も言葉がかけられず、その場を後にするしか無かった。
――――翌日。
俺は三城院会長からの連絡で病院へとやって来た。
目覚めた千歳お嬢さんが俺を呼んでいるから、との事だった。
病室の前。俺はすぅと息を吸い込み、ドアをノックした。
「どうぞ」と声がするのを確認し、ノブを回して扉を開けた。
そこは病室というには不相応なくらい広い、ホテルの一室のような造りの部屋だった。
だだっ広い豪華な部屋には、小型の冷蔵庫にお洒落なクローゼット、大型テレビに立派なソファ、テーブル、そしてクイーンサイズの大きなベッドが設置されていた。
上半分を起こした状態のそのベッドの上に、腰から下に布団をかけた患者服の千歳お嬢さんがいるのが見え、その横には、静かに佇む三城院会長の姿があった。
「一さん、来て下さったのね」
ベッドの上のお嬢さんが、嬉しそうに笑った。
頭に包帯を巻かれ、綺麗な顔にも白い絆創膏が貼られているのが痛々しい。
そんなお嬢さんの隣に立っていた三城院会長が、こちらを見て静かに言った。
「・・・・こちらへ来なさい」
「は、はい。失礼します」
俺は一礼し、中へと足を踏み入れた。
促されるまま千歳お嬢さんの傍らに置かれた椅子に腰かけると、彼女は嬉しそうに微笑んで口を開いた。
「ふふ。良かったですわ。もうあの方の元へ行かれてしまったのかと思いましたもの」
その笑顔を見て、複雑な気持ちになる。
確かにあの時までは沙織のところに行くつもりだった。あの後だって、行こうと思えばすぐにでも行けた。だけど・・・・・・。
「おじい様、ちょっと席を外して下さるかしら?」
「千歳、だが・・・・」
躊躇う三城院会長に、千歳お嬢さんは真剣な顔で言った。
「お願い。一さんと二人で話したいの」
その表情を見て、三城院会長はしばらく黙っていたが、やがて頷き部屋を出て行った。
パタリと部屋のドアが閉められ、だだっ広い病室には俺と千歳お嬢さんの二人だけが残された。
お嬢さんはこちらを見てにっこりと微笑んだ。
「ようやく二人きりになれましたわね。一さん、聞きまして?わたくしの脚の事・・・・」
俺は無言で頷いた。
「そうですの・・・・・・」
目を伏せ、黙りこんだお嬢さんに、俺は何も言葉が掛けられず、重い沈黙が流れた。
やがて静寂を打ち破り、お嬢さんは静かに口を開いた。
「・・・・わたくし、もう、満足に歩く事さえ叶わないんですわね」
「・・・・すまない。俺の所為でアンタは・・・・」
思わずうつむくと、俺の頬をお嬢さんの手が包み、強引に上を向かせた。
お嬢さんはまっすぐに俺の目を見つめ、微笑みながら静かに言った。
「ねえ一さん、そんな顔なさらないで。貴方が傍にいて下さるならわたくし、例え歩けなくたって構いませんの」
「えっ・・・・」
驚く俺の口をお嬢さんが塞いだ。
そのまま歯列を割って熱い舌が口内へ入り込み、俺のそれと絡み合った。
熱い息が漏れ、しばらく後にようやく唇を解放された時、お嬢さんは頬を紅潮させながら静かに言った。
「・・・・あの方の事はお忘れになって。本当にわたくしのものになって下さい。それで全ては帳消しにしますわ」
その目に宿る真剣な光を見た時、俺は覚悟を決めた。
「・・・・お嬢さん。・・・・わかった。約束する。アイツの事はもう・・・忘れる・・・・」
その答えに、お嬢さんは満足そうに微笑んだ。
「一さん、キスして下さいな。貴方から。私への誓いの証として」
その細い肩が微かに震えるているのを見た時、思わずドキリと心臓が跳ねた。
お嬢さんの顎をくいと掴み、上を向かせると、そのままその形の綺麗な紅い唇を塞ぐ。
歯列を割り、中へ滑り込ませた舌を、お嬢さんのそれと絡ませ、ゆっくりと時間をかけて熱を味わう。
「・・・・・んっ・・・ふっ・・・・」
甘い声が漏れ出したお嬢さんの上体をそっと抱き寄せた。
その細い身体が少しだけビクリと震え、それからスッと俺の背に腕が回った。
――――もう沙織には会えない。
その現実の冷たさを打ち消すように、俺はただ、貪るように熱に身を委ね続けるのだった。