Act.59「魔性」
あの見合い以来、お嬢さん【三城院 千歳】は、しょっちゅう俺の前に姿を現すようになっていた。
「一さん、ごきげんよう」
サラリ。揺れる長い黒髪を掻きあげ、彼女は美しく微笑んだ。
今日の彼女は、あの日のような和装でなく洋装だ。綺麗なワインレッドのドレスワンピースに、上質な白いファーを纏い、開いた胸元には美しいダイヤのネックレスが輝いている。
恐らく彼女なら、たとえジーンズにTシャツというラフな服装も問題なく着こなしてしまう事だろう。まったく、美人というのは凄い。
そんな、例えるなら大輪の薔薇のように美しい彼女を前に、俺はいつものごとくふぅと溜め息を吐き、書類の束から視線を外さずに答えた。
「悪いが、今手が離せないんです。用がおありなら早くおっしゃって頂けませんか」
通常の会社業務を終え、夜になってから子会社のオーナー業務にとりかかっている俺には、正直このお嬢さんの相手をしてやれる時間も心の余裕もない。
早く片付けて、今日こそ沙織のところへ行って話したいのだ。
(沙織・・・・・・)
もう2週間近く、顔を見る事はおろか、話す事さえ出来ていない。
アイツが何を考えているにしても、俺はもう限界だった。とにかく会って話したい。
その為には、こんなお嬢さんの相手をしている暇など一分たりともありはしない。
「ふふ。相変わらずお仕事熱心でいらっしゃいますのね。わたくし、そういう男性は嫌いじゃございませんことよ」
いかにも楽しそうな弾んだ声で言う彼女に、俺はあからさまに顔をしかめた。
「それはどうも。しかしあのお話はあの場でお断りした筈です。いい加減毎日ここにいらっしゃるのはおやめ頂けませんか」
冷たく返すと、彼女はさも楽しそうに笑みを漏らした。
「ずいぶんつれないんですのね。いいんですの?フィアンセであるわたくしにそんな態度をとり続けていると、いずれ後悔する事になるかもしれませんわよ?」
その言葉に、俺はピタリと手を仕事の手を止め、ギロリと睨みつけた。
「後悔ね・・・・。面白い。どういう後悔をする事になるのか、教えて頂きましょうか」
「やっとこちらを見て下さいましたわね。ふふ。そんな顔なさらないで。本当は最後まで手札は見せないつもりでしたけど、ワンサイドゲームじゃつまりませんものね」
妖艶に笑う彼女に、ゾクリと悪寒が走る。
――――何だ?一体何を考えている?
「沙織さん・・・でしたかしら?あの方、最近富士乃宮のおじ様の系列病院を利用なさってるんですのね」
――――どうして沙織の事を!?
まさか・・・・。嫌な予感が駆け巡り、俺はツカツカと彼女に歩み寄った。
「・・・・どうしてアンタがアイツの事を!?」
「ふふ。顔色が変わりましたわね。三城院の力で調べられない事などございませんのよ?あの方と一さんがどういう関係かも、ね・・・・」
唇が近付き、甘い香りが香る。
「同じ女性として同情しますわ。あんな事、人に知られてはきっと生きていくのも辛くなりますもの」
「アンタっ、まさか・・・・!」
ギリリと拳を握り締めた俺に、彼女はにっこり微笑んだ。
「ご安心なさって。まだ何もしておりませんわ。ただ・・・・」
緊張が走る。目の前のお嬢さんは、相変わらず美しく微笑みながら言葉を続けた。
「・・・・もし破談になるような事があったら、このお話、誰かが広めてしまうかもしれませんわね」
「綺麗な顔して脅迫か。三城院家のご息女ともあろう方がそんな手段に出られるとはね」
ギロリと睨みつけたが、彼女はまったく動じた様子もなくサラリと返してきた。
「わたくし、欲しいものを手に入れるのに手段は選ばない主義なんですの」
サラリ。肩にかかる髪をかきあげ、妖艶に微笑む。
ゾクリ。
悪寒が走る。怪しいまでの美しさがそこにあった。
「ねえ一さん、悪いお話ではないでしょう?わたくしと婚姻を交わせば、三城院の権力はいずれ貴方のもの。その上このわたくしも手に入る・・・・」
白く細い両腕が首に絡みつき、その美しい顔が間近に寄せられた。
「・・・・怖い顔。ふふ。何をお考えでいらっしゃるのかしら?」
この女は、やると言ったら本当にやるだろう。躊躇いなく。
――――沙織・・・・。
『おにいちゃん』
彼女の笑顔が、浮かんで、消えた。
「・・・・・・わかった」
低く呟くように言った後、すぅっと一息吸い込み、目の前の魔女の瞳をまっすぐに見つめた。
「アンタと結婚しよう。ただし、アイツに手を出して見ろ。俺がアンタを、地獄に叩き落としてやる!!」
目の前の魔女は、満足そうに微笑み、唇を塞いだ。
ねっとりと、味わうように絡むそれを、俺は無機質に受け止めた。
「・・・・ふふ。誓いの口付けです。一さん、これから妻として宜しくお願いしますわね」
そう言って妖艶に微笑む彼女は、魔性そのものだった。