Act.40「笑顔の裏」
やがて病院へ辿り着いた俺は、夢中で玄関の受付窓口へと走った。
「すいません!あの、こちらに搬送された杉崎加代子の病室は!?」
「面会ですね?こちらの用紙に記入してお待ち下さい」
受付の警備員から、ボードに挟まった面会申し込みの用紙とペンを手渡された。
俺は焦る気持ちを抑え、それに必要事項を記入し始めた。
名前、住所、電話番号に、面会する患者の名前etc・・・・。
記入が終わってそれを手渡すと、警備員は中身を確認してパソコンを操作したかと思うと、何やら見取り図のようなものを渡してくれた。
「312号室です。その、赤マルをつけた場所になります。わかりますか?」
見取り図を良く見ると、3階の部屋の一角に確かに赤マルがつけてあるのが目に入った。
「多分大丈夫です。有難うございました」
そのまま中へと踏み出し、下足置き場でスリッパに履き替えて院内へと進んだ。
「エレベーターは・・・・あっちか」
ちょうど着いたエレベーターに乗り込み、【3】のボタンを押して扉を閉めた。
(カヨ・・・・・・)
心配でたまらない。早く顔を見て安心したいんだが。
やがてチンッ!と独特の音をたててエレベーターが開いた。
俺はすぐさま外へ飛び出し、見取り図を見ながら駈け出した。
「ちょっと!院内では走らないで下さい!!」
白衣のナースに咎められたが、気にしてなどいられなかった。
(カヨ!カヨ!!)
やがて目的の病室へと辿り着き、俺は扉の横に【杉崎 加代子】のプレートがあるのを確認して扉を開けた。
「カヨ!!」
ガラリと引き戸を引いて中へ足を踏み入れると、ベッドに横たわったカヨの姿が目に入った。
「イチ・・・・。来ちゃったのね」
弱々しい声に、俺は駆け寄って顔を覗き込んだ。
「カヨ!どうしたんだ一体!?俺、倒れたって聞いて心配で・・・・」
「ん・・・・。ちょっとね、過労と貧血だったみたい。救急車なんか呼ばれたから大事になっちゃってビックリしたよね。ごめんね、仕事中だったのに」
過労と貧血・・・・。
そう言われて、俺はホッと胸を撫でおろした。
「そうか・・・・。良かった、俺、てっきり何か大きな病気かと・・・・」
「馬鹿ね。私がそう簡単に病気になる訳ないでしょ。今まで一緒にいて、風邪ひとつひいた事ないじゃない、ね?」
確かにカヨはこれまで一緒に暮らしていて一度たりとて体調を崩した事がない。
質の悪い流行り風邪をうつされて倒れた俺を横目に「自己管理が違うのよ」なんて誇らしげに胸を張っていた事もあるくらいだ。
「けど、万が一って事もあるだろ。今まで大丈夫だったからって、今度も大丈夫とは限らないじゃないか。ちゃんと検査してもらったのか?」
するとカヨは弱々しいながらもこちらを見て微笑んだ。
「ありがとう、イチ。心配いらないわ。ちゃんと検査してもらったけど、異常ないって」
「そうか・・・・。なら、いいんだけど」
「うん。今日は念の為一日だけ入院していきなさいって言われてるけど、明日には退院出来るから心配ないわ。イチ、今日のご飯、一人で大丈夫?」
心配そうにこちらを見るカヨに、俺は優しく頬を撫でて言った。
「大丈夫だよ。俺の事なんか心配しなくてもいいから、ゆっくり休んで。カヨ、この頃あのプロジェクトの事で一緒に残業ばっかりしてたろ?顔色も悪かったし、相当疲れたまってたんだろ。頼むから、これを機にゆっくり休んでくれよ、な」
「あは、ごめんね。イチ、ずっと少しは休めって言ってくれてたもんね。わかった。今日はお言葉に甘えてゆっくり休む事にする」
弱々しいながらも笑顔を浮かべたカヨに、俺はようやく安心してその唇にチュッと軽く口付けた。
「ごめんな、もう少し一緒にいてやりたいけど、早めに会社戻らないと。来週の準備、まだ終わってないからさ」
「ん、気にしないで。どうせすぐ退院出来るんだし。あ、山田君や皆に、迷惑かけてごめんって言っといてくれる?もう大丈夫だからって」
「わかった、伝えとく。じゃあ、行くな。ちゃんと安静にしとくんだぞ」
そう言ってもう一度口付けし、身体を離した。
「うん。イチも、無理しないで、たまには早く帰って休んでね」
ベッドから手を振るカヨに見送られ、俺は病室を出た。
それから一応念の為、と思い看護師を捕まえて担当医に話を聞けないかと尋ねてみた。
「貴方は杉崎さんの御身内ですか?」
「いえ。俺は彼女の恋人です」
すると看護師は「少しお待ち下さい」と、俺をフロアの待合ロビーに残して去って行った。
しばらくして白衣を着た医師が看護師と共にやって来て、「別室で話しましょう」と言われた俺は、医師と看護師に先導されてカンファレンス室へとやって来た。
「・・・・それで、彼女はどうなんでしょうか」
真剣な顔で尋ねた俺に、医師は静かに口を開いた。
「貴方は杉崎さんの恋人、だそうですね」
「ええ。そうですが・・・・」
それが何か?と尋ねた俺に、医師は少しだけ間を置き、それから口元を緩め、優しい声で言った。
「ご安心下さい。ちょっと疲労と貧血が重なってしまっただけです。少しお休みになられればすぐに回復されると思いますよ」
その言葉に、俺はようやく胸を撫でおろした。
カヨの言葉だけでは不安だったが、医師がそう言うなら本当に大丈夫なのだろう。
安心した俺は、医師にお礼を言い、くれぐれもカヨをよろしくお願いしますと言ってから病院を出た。
医師の瞳に暗い影が宿っている事に、最後まで気付かないまま・・・・。