Act.35「幸福の先に」
カヨと付き合うようになって3年目。
俺達は周りが羨むくらいの仲の良い公認カップルになり、もう一緒に暮らし始めていた。
時々喧嘩もするけれど、それも仲の良い証拠みたいなもので、すぐに仲直り出来た。
カヨと過ごす時は本当に楽しくて、幸せで、何もかもが輝いて見えた。
仕事の方も充実していて、俺が担当したあの3カ年の新規開発プロジェクトもようやく終盤となり、後は発表を待つだけという所までこぎつけていた。
「おめでとうイチ、ついに来週には一般公開ね」
「ありがとうカヨ。やっと俺も肩の荷が下りるよ」
二人の食卓で、ささやかなお祝いのシャンパンを開けながら、俺達は笑みを交わした。
「なあカヨ、俺さ、お前に渡したい物があるんだ」
「なあに?あらたまって」
俺は、ポケットからベルベットの小さな箱を取り出し、パカッと蓋を開けた。
「これ、受け取って貰えないか」
「イチ、これ・・・・」
中に入っていたのはキラリと光る美しいダイヤの指輪だった。
「結婚しよう、カヨ。これから先も、ずっと隣にいて欲しい」
「イチ・・・・・」
カヨは目を潤ませ、はにかみながら言った。
「・・・・大好きよ、イチ。これからもずっと、そばにいさせて」
「ああ。ずっと、一緒にいような」
スッと指輪をカヨの指に嵌めた。カヨの左の薬指で、キラリとダイヤが光った。
「愛してる・・・・・・」
「私も・・・・・・」
溢れる幸せの中、俺達は目を閉じ、唇を重ねた・・・・。
――――事が起こったのは、そんな幸せな夜を過ごした数日後の事だった。
いつものようにオフィスで仕事をこなしていると、目の前の内線電話が鳴りだした。
俺はパソコンに向けていた手を止め、受話器をとった。
「はい、笹宮ですが」
『笹宮 一さんですね?』
電話の相手は、よく通る透き通った女性の声だった。
「はい、そうですが」
『私は会長秘書の磯貝と申します。はじめまして』
会長秘書!!電話の向こうにいる相手を思い、背筋を正した。
「は、はじめまして!あの、一体今日はどんなご用件で?」
『はい。御忙しいところ恐れ入ります。最初に申し上げますが、この電話は極秘事項です。この電話が私からだということも含め、内容はけして誰にも口外しないと御約束願えますか?』
「は、はい・・・・」
極秘事項。その言葉に、俺はゴクリと唾を飲んだ。
『では本題に入りましょう。実は、会長が貴方に内々にお話があるとの事です。もし宜しければ、これから会長室までお越し頂けませんでしょうか?』
「わ、解りました。すぐに参ります」
『くれぐれも内密に。行き先を尋ねられたら、監査部の査定だ、と答えておいて下さい。監査部には通達がいってますので、問題ありませんから』
「り、了解しました」
『では、まずは本社ビルの第10会議室までお越し下さい。私がお迎えにあがりますので』
電話を切った俺は、その足ですぐさま本社ビルへと向かった。
俺が勤めているのは技術開発棟で、技術開発員が終結した、いわば開発の為の特別施設だ。
会長室があるのは本社ビル。技術開発棟からは社内バスで10分ほどの距離にある、新しい大きなビルだ。俺も打ち合わせなどでよく足を運んではいるが、会長室に呼ばれたのはさすがに初めてである。
(一体何の為に?まさかここに来ていきなりプロジェクト中止とか!?)
しばらく考えながら歩いている内、目標の本社ビルへと辿り着いてしまった。
「お疲れ様です。第10会議室で打ち合わせなんですが・・・・」
受付に申し入れると、鍵は既に開けてある、との返事が返って来た。
俺は不安なまま歩を進め、ロビーから更に奥に進んだところにある第10会議室へと向かった。
「・・・・ここだな」
【第10会議室】のプレートを見て、俺は深呼吸をした。
これまで何度も打ち合わせに使った事があるここは、外部に声を漏らさない為の完全防音会議室だ。
見なれたドアを見つめ、俺は緊張しながらノックをした。
普通なら返事を待つところだが、ここは内側からの声は聞こえないので、俺はいつものようにきっかり10秒待ってからドアを開けた。
「失礼します」
ドアを閉め、一礼してから顔をあげた。
「お忙しいところお呼びだてしてすみません。あらためて初めまして、会長秘書の磯貝と申します」
そこに立っていたのは、きりりとした美しい顔立ちの女性だった。
セミロングの黒髪、長いまつ毛、整えられた眉に、通った鼻筋。けして派手ではなく、美しく控え目にほどこされた化粧に、かっちりとしたグレーのスーツ。黒ぶちの眼鏡がまた、彼女の理知的な美しさによく似合っていた。
「・・・・は、初めまして。笹宮です」
「早速ですが、会長室にご案内致します。着いて来て頂けますか?」
「は、はい・・・・」
戸惑いながら頷くと、彼女はにっこりと笑い、会議室のドアを開けた。