Act.30「海辺の丘」
山を後にした俺達は、再び車を走らせていた。
「ねーえ、一体どこに行くの?」
「着いてからのお楽しみ」
そんなやりとりをしながら、車は滑るように街の中を進んで行った。
それから数時間後、もうすぐ陽も落ちるという頃になって、ようやく目的地へとたどり着いた。
「ほら、着いたぞ。降りて」
そこは、海が見える丘に建つ別荘だった。
白い壁と紅い屋根の、飾り窓が可愛らしい小さな一軒家だ。
シーズンオフだからか、周囲には車はおろか人も全く見えない。
俺は手にした別荘の鍵で扉を開けた。
「どうした?入れよ」
「う、うん・・・・」
何やら緊張した面持ちの彼女を、中へと促した。
ピカピカに磨きこまれた床に、ぱちぱちと赤く燃える暖炉。
置かれた家具は俺の趣味でイタリアから取り寄せたオーダーメイドで、この部屋に合わせた小さめの寸法で仕上げて貰っている。
オープンキッチンの台所は埃一つなく、ピカピカに磨きあげられている。
使わない間もきちんとハウスキーパーを頼んでおいた甲斐があったようだ。
「ここって・・・・」
戸惑い気味の彼女に、俺はにっこりと微笑みかけた。
「ああ。俺の別荘。しばらく使ってなかったんだけど、管理はお願いしてあるから、ちゃんと掃除はしてあるし、安心して使っていいから」
「そ、そうなんだ・・・・」
俺の言葉に、彼女はぎこちなく頷いた。
「どうした?こういうところ、キライだったか?」
「え!?いや、そうじゃなくて、その、ビックリしたっていうか・・・・。別荘なんて持ってたんだね、お兄ちゃん」
「ああ。別にこれくらい、大したもんじゃないよ。こんな小さいやつくらい、誰でも持ってるんじゃない?」
「だ、誰でも!?」
鳩が豆鉄砲を食らったような驚きの表情を浮かべた彼女に、俺は少しだけ考えを巡らせた。
(ちょっと待て。この反応。もしかして、あんまり喜んでないんじゃないか?)
「あの、お兄ちゃん、もしかしてお兄ちゃんて、すっごいお金持ちさんだったりするの?」
何やら遠慮がちにそんな事を尋ねられた。
「いや、別にそこまで金持ちじゃないよ。どうして?」
「だって、別荘とかって、普通、個人で持ってないと思うから」
「ああ、そういう事か。いや、ここは安かったから買っただけで、幾つも別荘持ってる訳じゃないよ。お前の給料でも買えるんじゃないかな」
すると彼女はほっと溜め息を吐いた。
「なぁんだ。そうだったんだ。でも安いって、いくらくらいだったの?」
「んー。たしか、中古で土地込みの1000万円かな」
「いいい、一千万円!?」
「いい値段だろ。普通ならもっと高いからな。それよりお前、お腹減ってないか?ダイニングの方に食事用意しておいてくれるよう頼んでおいたんだけど・・・・。お、あった」
ダイニングテーブルの上には、美味しそうなオードブルがズラリと並んでいた。
「手を洗って、食事にしよう。あ、洗面台はこっちだから」
彼女を伴って洗面所へ移動し、二人で手を洗ってからダイニングへと戻った。
「さ、お嬢さん、こちらへどうぞ」
椅子をサッとひき、彼女を席へと促した。
「あ、ありがと・・・・」
彼女が席に座り、俺はその向かい側の席へと着いた。
テーブルに用意されたシャンパンを開け、グラスへと注ぐ。
「さ、グラス持って」
俺に促される形で、彼女はスッとグラスを持って掲げた。
「乾杯!」
シャンパングラスなので、カチンと合わせる事はせず、ただ互いの目の前に掲げるだけに留まらせて口に含ませた。
芳醇な味わいが口の中に広がり、俺はふーっと感嘆の声を漏らした。
目の前には彼女がいる。
俺は、幸せな気持ちでいっぱいだった。