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レインキス  作者: 七瀬 夏葵
第三章「軋む歯車」
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Act.27「約束」

あれから一週間の時が過ぎた。

あれからずっと塞ぎこんでいた沙織も、ようやく笑えるようになった。

あの後すぐ、あの女は入院中の沙織を残して実家へと戻ったらしいと医師から聞かされた。

一人残された沙織を、俺は毎日見舞いに訪れていた。


「沙織、どうだ調子は?」


俺が病室を訪ねると、沙織はぎこちなく笑った。


「お兄ちゃん、今日も来てくれたんだね・・・・」


「当たり前だろう。良くなるまで毎日来るって約束したし、それに、俺もお前に会いたいからな」


すると彼女は顔を赤くして微笑んだ。


「お兄ちゃん・・・・。ありがとう・・・・」


「でも、今日もすぐ行かないといけないんだ。悪いな、いつも長居出来なくて」


本当はずっといてやりたい。けれど、今はまだ、何とか仕事の調整をつけてほんの少しでも顔を見せに来るのが精一杯の状態だ。

“一年前のあの時”に選んだ選択肢を、今更ながら悔やむ。

あの時はもう、アイツ以上に大切に思えるものなどないと思っていた。

だから俺は・・・・。


「ううん、いいの。来てくれるだけで嬉しいから」


つい暗い顔をしてしまった俺に、彼女は遠慮がちに笑いかけてくれた。


「沙織・・・・。ごめんな・・・・」


「謝らないで。こうしてお兄ちゃんに会えるだけで、あたし、凄く幸せなんだから」


彼女の怪我は順調に回復している。問題なのは、怪我よりも心の傷の方だと医師は言っていた。

彼女は、実家にいた頃から母親に度々虐待を受けていたらしい。

それでも彼女は、母親が自分に辛くあたるのは全部自分の為なんだと言い聞かせ、誰にも言わずに堪えて来たのだという。

彼女はただ、母親に愛されたいだけだった。その、子供として当たり前の感情を、あの母親は全く理解しようとせず、長い間虐待を繰り返したあげく、彼女にあのどうしようもない言葉を投げつけたらしいのだ。


『あんたなんて、産みたくて産んだんじゃない。仕方なく産まされたのよ』


それを聞いた時、俺は思わずあの母親に対する怒りで我を忘れそうになった。

母親を慕い、酒に酔っては暴力を振るう父親から救い出してやりたい一心で一年間必死に節約してお金を貯め、ようやく母親を呼び寄せた彼女の想いに対する、その見返りがそんな言葉だなんて、あんまり酷過ぎる話じゃないか。

俺がその場にいたなら、即刻あの女を殴り倒していただろう。


彼女が酔い潰れたあの夜に何があったかも聞いた。

あの日彼女は、あの母親が吐く暴言に耐えきれず逃げ出したのだという。

あの母親は、自分がどれだけ苦労してきたかを切々と語り、沙織がいなければさっさと別れて離婚出来たのにと零したらしいのだ。

それを言われた時の彼女の心情を思うと、胸が張り裂けそうだった。


どうして彼女だけがそんな思いを味わう必要があるのだろう。

最初の子で、男じゃなかったから。

ただそれだけの理由で、蔑まれ、存在の全てを否定された。

それはどれほどの痛みだったろう。

彼女がどれほど傷付き、苦しんだか。

俺はそれを想像するだけでもう、いたたまれない気持ちになった。

笑顔の裏に隠された彼女の深い悲しみと苦しみ・・・・。


「ねえお兄ちゃん」


ふいに彼女が声をかけて来た。


「ん?どうした、沙織」


「あのね、お願いがあるの」


「お願い?何だ、言ってみな」


「うん、あのね、今度、山に連れて行って欲しいの」


遠慮がちな彼女の申し出に、俺は二つ返事でOKした。


「じゃあ、退院したらすぐ山に行こう」


「うん!楽しみだな。あたし、お弁当作って行くね」


彼女が笑った。久しぶりの、明るい笑顔だった。


「弁当か。それは楽しみだな。お前の料理、地味に美味いし」


「あー、地味って何よ、もう、お兄ちゃんてば!」


少し頬を膨らませてそんな事を言う彼女は、それでも楽しそうで、俺はようやく胸をなで下ろした。


「あはは。悪い悪い。褒めてるんだよ。家庭的な料理が美味いって、重要だろ」


「うーん、それならいいけど」


「そうだよ。俺と一緒になったら、毎日料理作ってもらうんだからな」


俺の言葉に、彼女がポッと頬を染めた。


「い、一緒になったら?」


「ああ。お前と一緒に暮らして、毎日下らない事で笑いあって、たまには喧嘩して、またすぐ仲直りして。子供は、2人くらいかな。男と女、どっちでも、元気ならそれでいい」


彼女と二人で築く幸せな家庭を夢見て、俺は思わず顔を綻ばせた。


「・・・・お兄ちゃん」


瞳を潤ませた彼女を、俺はそっと抱き寄せた。


「結婚しよう、沙織。今じゃなくてもいい。お前が落ち着いたらでいいから・・・・な」


彼女は何も言わず、ためらいがちに俺の背に手を回した。

俺は彼女の頭を優しく撫で、そっと唇を塞いだ。

窓から見える病院の庭からは、鈴虫の声が聞こえ始めていた。

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