『地味で大工仕事ばかりするお前は廃嫡だ』と言われましたが、元宮大工の私に言わせればあなたの性根よりその王宮の柱の組み方のほうがよっぽどグラついてますわよ?
「ゲンティアナ・ル・ヒノキア! 貴様のように、女のくせに木材ばかり弄り回す不気味な無能は、我がヒノキア公爵家の恥だ。今この瞬間をもって廃嫡とし、寒冷な氷の辺境領へ追放する!」
煌びやかなシャンデリアが輝く夜会会場。大勢の貴族たちが見守る中、ゲンティアナの異母兄であるアウグストが、勝ち誇った顔であたしを指差していた。
その隣には、彼が新しく連れてきたこれ見よがしに派手な令嬢が、こちらを蔑むような目で見つめている。
「可哀想に……」
「公爵令嬢でありながら追放だなんて」
と、周りの貴族達からは同情と好奇の囁き声が漏れていた。
(――いや、そんなことよりさぁ)
ゲンティアナは、兄の怒鳴り声など一ミリも耳に入っていなかった。
視線は、アウグストの鼻先を通り抜け、はるか頭上――この夜会会場の天井の梁に釘付けになっていたのだ。
(あそこの梁の継手、完全に手抜きじゃねえか。荷重計算が狂ってる。木材の自重と、この大勢の人間の振動、さらに二階の重みを考えたら、梁のホゾ穴がじわじわ広がってやがるぞ。おいおい、数年……いや、今年の冬の積雪でドカンと落ちるぞ、これ。よくもまあ、こんな危ねえ欠陥住宅で大威張りできるもんだ。大工の面汚しめ)
あたしの前世は、日本の伝統建築に人生のすべてを捧げた宮大工、甲田源吉(享年七十二)。
タバコとヒノキの香りを愛し、釘を一本も使わずに何百年も持つ寺社仏閣を建ててきた、叩き上げの頑固一徹オヤジである。
不慮の事故でくたばったと思ったら、なぜか異世界の公爵令嬢に生まれ変わっていた。
鏡を見るたび、透き通るような白髪に琥珀色の瞳、触れたら折れそうなほど儚げな絶世の美少女が映る。
だが絶世の美女でも中身は今でも五十年モノの職人魂が詰まったおっさんだ。
前世の癖で、ついつい屋敷の木材をカンナで削ったり、柱の強度を補修したりしていたら、いつの間にか兄から「木材オタクの陰気な無能」扱いされて、このザマである。
「聞いているのか、ゲンティアナ! 言い訳があるなら聞いてやろう!」
アウグストが、あたしの沈黙を絶望して言葉を失っていると勘違いして、さらにニヤニヤと顔を近づけてきた。
(言い訳? あるわけねえだろ。こんなシロアリに食われかけのグラグラな家、こっちから願い下げだ。お前らと一緒にいたら、天井に押し潰されて二度目の人生が終わっちまうわ!)
あたしは心の中で盛大に毒づきながら、絶世の美女としての完璧なカーテシーを披露した。
白絹のドレスをふわりと揺らし、夜会中の殿方たちが思わず息を呑むような、儚くも美しい微笑みを浮かべる。
「――お兄様のご意志、しかと承りましたわ。わたくしのような不調法者は、喜んでこのお屋敷を去らせていただきます」
(合点承知! へっ、せいぜいその腐りかけた柱と一緒に、盛大に床が抜けるのを待ってやがれ、クズ野郎!)
「ふん、殊勝な態度だな。今すぐ荷物をまとめて出ていくがいい!」
アウグストは鼻で笑った。自分がどれほど恐ろしい建物の主治医を追い出したのか、その鳥頭では一生理解できないだろう。
こうしてあたしは、未練ゼロどころか、むしろウキウキとした足取りで公爵邸の門を潜った。
目指すは、まだ見ぬ未知の建材が眠るという、極寒の辺境領。ドレスのポケットに忍ばせた、お手製の墨ツボとカンナの重みを感じながら、あたしの異世界での第二の大工人生が幕を開けたのである。
(待ってろよ辺境。あたしが最高に頑丈で格好いい建物を、いくらでも建ててやるからな!)
ガタゴトと激しく揺れる粗末な馬車に揺られること二週間。
辿り着いた「氷の辺境領」は、噂に違わぬ大惨状だった。連日の大雨のせいで、泥水が茶色い牙のように渦巻いている。
馬車を降りたあたしの目に飛び込んできたのは、川の向こう岸へと渡るための巨大な『魔導大橋』――そして、その袂で泥塗れになって怒号を上げている男たちの姿だった。
「だめだ! 魔法の障壁が雨の質量に耐えきれん! 基礎の石組みがこれ以上ズレたら、完全に崩落するぞ!」
「くそっ、この橋が落ちたら領民の半分が孤立して飢え死にする!」
中心で指示を出しているのは、漆黒の髪に鋭い青い瞳を持つ青年だった。泥塗れの騎士服を着ていても隠せない、圧倒的な覇気と気品。
彼こそが、この地を治める「氷の辺境伯」こと、レオンハルト・フォン・アスガルドだ。
(ほう、いい面構えの若造じゃねえか。……だが、やり方がなっちゃいねえな)
あたしはぬかるむ泥を気にも留めず、ツカツカと橋の接合部へと歩み寄った。そして、じっと木と石の噛み合わせを睨みつける。
(なるほどな。石の土台に、魔法で強化した巨木をぶっ刺してやがる。一本一本の木材は上等だ。だが、繋ぎ目が甘い。ただ魔法の力だけで無理やり固定してやがるから、雨で土台が緩んだ瞬間に、魔法の負荷が一点に集中してへし折れかけてるんだよ。構造のバランスって実務を、魔法とかいう便利な手品でサボりやがって)
職人の血がフツフツと滾るのを感じた。目の前で上等な木材が、下手くそな施工のせいで悲鳴を上げている。
宮大工として、これを見過ごすのは死ぬより辛い。
「危ない! そこ令嬢、下がれ! 橋が崩れるぞ!」
あたしの存在に気づいたレオンハルトが、焦燥に満ちた声を張り上げた。白髪を泥風に揺らし、儚げに佇むあたしを見て、避難遅れの貴族の娘だと勘違いしたのだろう。
「――ご心配には及びませんわ、レオンハルト様」
あたしは極上の令嬢スマイルを浮かべ、お上品に一礼した。
そして、流れるような動作でドレスの裾を掴むと――バリィィィィン!と、景気いい音を立てて膝上まで引きちぎった。
「なっ……何をしている!?」
レオンハルトや周囲の兵士たちが、驚愕で目を丸くする。絶世の美女が、自ら生脚を露出してドレスを引きちぎったのだ。
狂ったとしか思えないだろう。だが、あたしに言わせれば、こんなヒラヒラした服で現場に立てるかってんだ。
安全第一、作業性重視だ。あたしは長い白髪を、馬車の御者から引ったくった手拭いで男前にハチマキのごとく結び直した。
「おい、そこのでけえ兄ちゃん! ぼさっと見てねえで、あたしの言う通りに動きやがれ!」
「お、俺……? 兄ちゃん……?」
「そうだお前だ! 地元の木大工と、ノミとカンナを持ってる奴を全員集めろ! あと、そこの魔法使い! 結界を張る位置が的外れだ! 橋の真ん中じゃねえ、土台のホゾ冷やして木を縮ませろ!」
圧倒的な現場監督のオーラに圧されたのか、百戦錬磨の辺境伯であるはずのレオンハルトが、なぜか
「は、はいっ!」
と直立不動で返事をした。
「いいか野郎ども、よく聞きやがれ! 魔法の力が万能だと思うな! 建物ってのはな、木と木、石と石がお互いに支え合うから何百年も保つんだよ! 今から釘を一本も使わねえ、本当の木組みって奴を教えてやる!」
あたしは懐から、公爵邸から持ってきた自作の墨ツボとカンナを取り出した。驚く大工たちからノミを奪い取り、自ら巨木へと飛び移る。
「わたくし、ゲンティアナ・ル・ヒノキアと申しますわ。これより臨時の総棟梁を務めさせていただきます。……オラァ! ぐずぐずすんじゃねえ、墨通りにさっさと刻めぇ!!」
ドレス姿の美少女が、追掛け大栓継ぎを彫り込んでいく。
カンナを引けば、シュルシュルと透き通るような美しい木屑が宙に舞い、雨の冷気の中でヒノキに似た芳醇な香りが爆発した。
その姿は、あまりにも美しく――そして、あまりにも男前だった。
建築と魔導構造のオタクでもあったレオンハルトは、その光景に完全に魂を奪われていた。魔法を使わない。
なのに、削られた木と木が、吸い付くようにカチリと噛み合った瞬間、あれほど揺れていた大橋の振動がピタリと止まったのだ。
重力を分散させ、しなることで力を逃がす、異世界の人間が誰も知らなかった日本の伝統工法の完成だった。
「美しい……。なんて、完璧な構造計算なんだ……!」
レオンハルトは泥の中に膝を突き、ゲンティアナを――いや、カンナを構えるおっさんの魂を、まるで神仏を仰ぐような狂信の目で見つめていた。
作業を終え、額の汗を拭ったあたしは、レオンハルトに向かって不敵に笑ってみせた。
「どうですか、レオンハルト様? これがわたくしの『無能の力』ですわよ」
この日、氷の辺境伯は、恋ではなく技術への絶対的な崇拝によって、目の前の美少女に一生の忠誠を誓う狂信的ハイスペック旦那へと変貌を遂げたのである。
*
あたしが辺境の総棟梁(兼・レオンハルトの婚約者)に就任してから、数ヶ月が経った。
辺境伯領は、今や空前の建築ラッシュに沸いている。
「ゲンティアナ、見てくれ。他国との交易で手に入れた『神樹の霊木』だ。乾燥具合も反りの少なさも一級品だぞ!」
「ほう、こいつは上等な檜みてえな良い香りがしやがる大変素晴らしい木材ですわ、レオンハルト様!」
冷徹と恐れられていた氷の辺境伯は、今やあたしに最高級の木材や一級品のノミを貢ぐだけの木材溺愛マニアと化していた。
見た目は最高に凛々しいハイスペック男なのに、あたしがカンナを引くたびに
「その刃の角度、ミリ単位の狂いもない……! 美しい、君の技術は至高だ!」
と目を輝かせて限界化している。腕のいい施主を持てて、あたしとしても職人冥利に尽きるというものだ。
そんなある日、王都から一通の手紙が届いた。差出人は、あたしを追い出したクズ義兄のアウグスト。
内容は「公爵邸の新築祝いの夜会を開くから、お前も辺境の貧しさを呪いながら泥水をすすりに来い」という、極めて頭の悪い自慢だった。
手紙を読んだあたしの脳裏に、あの夜会会場のグラつく梁の映像が鮮明に蘇る。
(……新築じゃなくて、あの欠陥住宅の『増築』をしやがったな? あそこの構造でさらに上に重みを乗せたらどうなるか、素人でも分かりそうなもんだが)
「ゲンティアナ、行きたくなければ断って構わない。あんな奴ら、俺の私兵でいつでも握り潰して――」
「いいえ、レオンハルト様。せっかくのお誘いですもの、喜んで出席させていただきますわ」
あたしはとびきり邪悪な笑みを、完璧な淑女の微笑みで隠しながら頷いた。
そして迎えた、王都のヒノキア公爵邸での夜会。新しく増築された大広間は、金ピカの装飾で彩られ、大勢の貴族たちでごった返していた。
「ハハハ! ようこそ、辺境の垢に塗れたゲンティアナ! どうだ、この我が公爵家の栄華を象徴する大広間は! お前のような不気味な大工女には、一生縁のない輝きだろう!」
アウグストが、新しい婚約者の令嬢を連れて、これ見よがしにあたしを嘲笑う。周囲の貴族たちも、クズ兄に調子を合わせてクスクスと笑い声を上げた。
だが、あたしと、あたしの隣に立つレオンハルトは、アウグストの顔など見ていなかった。二人のプロの建築マニアの視線は、天井の接合部へと注がれている。
(……始まったな)
耳をすませば、賑やかな音楽の裏で、かすかに響く音が聞こえる。
『み、み、み……』
木材が限界を超え、自重に耐えかねて繊維が千切れかけている悲鳴だ。
「この増築、どこの業者にやらせた?」
レオンハルトが、冷徹な声で問い詰める。
「フン、王都で一番安上がりな『ゴールド組』だが? 魔法で一瞬で柱を固定する最先端の建築法だ!」
(ゴールド組の魔法は持続が弱い。柱に魔法をかけたのが二ヶ月前とするなら……そろそろだな)
「魔法での固定だと? バカめ。接合部の強度が足りていない。金ピカの装飾で隠しているが、梁のホゾが完全に破断している。……ゲンティアナ、あと何分だ?」
「ウフフ、レオンハルト様。お上品な淑女たるわたくしには分かりかねますが――あと三十秒ってところかしら」
あたしはレオンハルトの腕を掴み、さりげなく、しかし迅速に一番頑丈な外壁の太い柱の影へと避難した。
「おい、何をブツブツと――」
アウグストが不機嫌そうに声を荒らげた、その瞬間だった。
ゴギギギギギギギギギギギッ!!!!
地響きのような、凄まじい破壊音が大広間に轟いた。
「な、なんだ!?」
貴族たちがパニックに陥る。シャンデリアが激しく揺れ、天井の隙間から大量の漆喰の粉が雪のようにドサドサと落ちてきた。
「ひっ、天井が、天井が降りてきて――」
「嘘でしょ!? 魔法の柱が折れたわ!?」
アウグストが自慢していた最新の魔法建築は、大勢の人間という荷重に耐えきれず、一瞬でバランスを崩したのだ。
ドシャァァァァァァァァンッ!!!!
凄まじい爆音と共に、大広間の天井と、増築された二階部分が文字通り真っ二つに大崩壊した。金ピカの装飾は粉々に砕け散り、大量の泥と瓦礫がアウグストたちの頭上に降り注ぐ。
「ぎゃああああああっ!? 俺の家が! 俺の公爵邸がああああ!」
アウグストや手抜き業者、彼らをそそのかした貴族たちは、怪我こそ免れたものの、頭から泥水と埃をモロに被って泥人形のようになっていた。
新築の公爵邸は、一夜にして無惨なゴミの山と化したのだ。避難勧告を無視し、建物のメンテナンスを怠り、手抜き工事に大金を叩いたアウグスト。
これで公爵家は巨額の負債を抱え、破滅へと転がり落ちることは確実だった。瓦礫の隙間から、泥塗れのアウグストが、無傷で美しく佇むあたしを見上げて絶叫する。
「なぜだ……! なぜお前がいた時は、この屋敷はビクともしなかったんだ! ゲンティアナ、戻れ! 戻ってこの屋敷を直せぇ!」
そんな間抜けな遠吠えに、あたしはドレスの裾をエレガントにつまみ、本日最高に美しいカーテシーを捧げた。
「お兄様、もう遅うございますわ。建物の悲鳴を聞き落とすような方に、職人の神聖な木組みを触らせるわけにはまいりません。シロアリ以下のクズ野郎はせいぜい瓦礫の中でケツでも拭いてくださいまし」
数日後。王都の騒がしさを完全に置き去りにして、あたしは辺境領の新しい作業場にいた。窓からは満天の星空が見え、室内には切り出したばかりの極上の霊木の香りが満ちている。
ドレスをハサミで切り裂き、頭に手拭いを巻いたあたしは、嬉々として巨大な大黒柱にカンナをかけていた。
「シュルルルル……」
透き通るような美しい木屑が、小気味よい音を立てて床に落ちていく。
「ゲンティアナ、夜更かしが過ぎるぞ。職人は体が資本だろう」
呆れたように、しかし愛おしそうに笑いながら、レオンハルトが温かいお茶を持って入ってきた。
「ウフフ、ご心配なく、レオンハルト様。わたくし、とっても健康ですわ」
あたしはカンナを置き、ふう、と汗を拭った。中身は五十年間、むさくるしい大工仕事しかしてこなかった頑固親父だ。
それがまさか、異世界でこんな絶世の美女に生まれ変わり、自分の技術を誰よりも理解して、最高級の木材をいくらでも与えてくれる男に出会えるなんて、夢にも思わなかった。
「ゲンティアナ。君が建ててくれたこの領地を、俺は一生をかけて守る。だから――生涯、俺の隣で、君の好きな建物を建ててほしい」
氷の辺境伯からの、あまりにも直球で、建築マニアらしい極上のプロポーズ。あたしは手拭いをバッと外すと、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
「ええ、喜んでお受けいたしますわ、旦那様!最高の建材に、最高の施主。大工冥利に尽きますわ。一生かけて、世界一頑丈で格好いい国を建てて差し上げますわね」
ドレス姿の美少女の皮を被った、世界一男前な総棟梁の職人魂は、これからも異世界の地で、カチリと固く、美しく、新しい未来を組み上げていくのだった。




