第1話 祝福はあるが、祭りはない
目を開けた瞬間、知らない天井があった。
木の梁。白い布。乾いた薬草の匂い。起き上がろうとして、体が思ったより軽いことに気づく。寝汗はあるのに、妙に頭が冴えていた。
「目が覚めましたか」
澄んだ声。
薄い青髪の少女がいた。細身で、年の頃は十代後半。
白い神官服は袖口まできっちり整えられていて、目だけが妙に落ち着いている。
「……ここ、どこですか」
「ファルナ村です。丘の麓の小村。あなたは……森の縁で倒れていました」
言い方が丁寧なのに、距離の取り方は近くない。
彼女は少しだけ目を細め、観察するような視線を向けた。
「私は神官のセレアと申します。では失礼します」
次の瞬間、セレアの指先が光り、小さな板――空中に浮かんだ「表示板」らしいものに触れる。
『鑑定:成功』
『対象:風祭 新太』
『脅威判定:判定不能』
『スキル:条件未達成』
彼女――セレアの眉が、わずかに動いた。
「……脅威判定が、判定不能……」
セレアは感情を自分に言い聞かせるように静かにつぶやいた。
「え、俺……危ないんですか」
「分かりません。だから困っています」
困っているというより、疑問を抱いてるような表情でセレアは答えた。
「あなたは名前を覚えていますか。出身は?」
「風祭 新太です。日本……日本から来た……と思う」
言った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。確かに覚えている。
体の芯に響く太鼓の音、熱気に重なる掛け声、遠くで鳴るお囃子、
――詳しく思い出そうとすると何故か遠くなる。
「日本、という国……もしかして異世界でしょうか」
セレアが言うにはこの世界では、稀に「異世界人」が迷い込んでくるらしい。
「今は休んでください。村長には話を通してあります。私がしばらく、あなたの面倒を見ます」
有無を言わせない口調は、見掛けの若さから程遠かった。
昼過ぎ。
セレアは新太を小さな祠を囲んだ村の広場に連れて行った。
村人が十数人おり、祠の前に集まっている。
どうもセレアを待っていたようだ。
皆がとても静かで、どこか厳かな雰囲気があった。
「皆さんこんにちは、では祈りを捧げましょう」
セレアは小さな祠の前で、短い祈りを捧げた。
指先で印を切り、言葉を結ぶ。空気がすっと澄む。
集まった村人たちが手を合わせ、膝をつき、静かに祈りを捧げる。
祈りが終わった後でセレアが新太に声をかける。
「これがこの村の日常です。こうして静かに日々祈りを捧げています」
「じゃあ……祭りとか、あるんですか。祝福の――」
セレアが首を傾げた。
「……まつり?」
「いや……なんでもないです。気にしないでください。それより村を見てみたいです」
新太が頭を下げてお願いすると、セレアは軽く微笑みながら村を案内してくれた。
五十人ほどの小さな村だが、周囲の畑で農作業をして、日々質素に暮らしているようだ。
荷馬車に荷物を積む若者。水を汲みに行く女性。走り回る子供たち。それを見守る老人。
新太はどこかで見た日本の田舎を思い出す。
どこかなつかしさを感じると共に、ここがどこか遠い異郷である事を感じていた。
村を見回っている内に日が落ちた。
どうやら今日は満月で、辺りを見渡せるくらいには明るい。
新太はぼんやりと満月を眺めていた。
隣にいるセレアの薄い髪と、満月の色がよく似ている。
――突然、村の中で鐘が大きく鳴った。
ひとつ、ふたつではない。乱打だ。
村の空気が、一瞬で変わる。
「ゴブリンだー!」
村人の誰かが叫んだ。
村の外側、畑の奥の森から、遠く何かの声が広がってくる。
「クギャーッ!」「クギャーッ!」
まるで塊のように、叫び声が増えていく。
森の中から松明の光が揺れ、子どもの背丈ほどの何かが蠢いていた。
「丘へ! 安全な境界門へ避難して下さい!」
セレアは村人たちに指示を伝えまわる。
「子どもや年配の方を先に!荷物は後です!」
「急げ!」「逃げろ!」「ゴブリンが来るぞ」
村人の焦りが場の空気を重くしていく。
転んで泣くこども、荷物を取りに戻ろうとする若者、杖を落とす老人、
われ先に逃げようとする人で、村の入り口が混雑する。
村人が群衆と化し、場の混乱が広がっていく。
セレア一人の声では届かなくなっていた。
新太はその光景を目の当たりにして、立ち尽くしていた。
――『スキル:条件未達成』
その文字だけが、目に焼き付いている。
自分には何かできる事があるではないか。
新太は近くの家の木のドアに手を当てた。
その瞬間。
胸の奥が、かっと熱くなった。
ぞくりと、熱が背中を駆け上がる。
どこかで太鼓が鳴った気がした。
新太は思いっきり、そのドアを叩いた。
――ドン。ドン。ドン。
叩かれた音が大きく響く。
――ドン。ドン。ドン。
何の意味があるかは、答えられない。
ただ、
音が揃うと、息が揃う。
息が揃うと、足が出る。
――ドン。ドン。ドン。
子どもが泣き止み、母親の腕の震えが収まり、抱きかかえる。
群衆は落ち着きを取り戻したかのようだった。
セレアはその様子を見つめていた。
新太に声を掛けようと思ったが、今は為すべきことがある。
「皆さん!落ち着いて移動して下さい!」
気が付いたら新太の視界の端に、淡い表示板と文字が浮かんでいた。
『スキル:条件一部達成』
『周囲:恐怖耐性 付与』
「風祭さんも早く!」
セレアと共に新太は村を抜ける。
あぜ道を先に進むと道が急に細くなった。
丘へ続く坂の入口に着いたが、地形が関所みたいに狭まっている。
人の背丈ぐらいある石壁に囲まれ、門のようになっていた。
セレアは振り返って声を張った。
「坂を登って境界門に入れば大丈夫!ゴブリンたちは入って来れません!」
セレアは門の手前で足を止め、短い杖を三本、地面に押し当てた。
月光の下で、淡い光が彼女の体から杖へ走り、そのまま門を覆う結界となっていく。
「私がここで食い止めます。風祭さんは皆さんと先へ行ってください!」
ゴブリン達のざわめき。
逃げる村人達のあせり。
セレアの凛とした宣言。
淡青の月の下、新太は自分の中に熱が灯るのを感じた。
(第2話へつづく)




