1.5:(サム・グレイ視点) 彼女が少しでも幸せであるように。
本日2本目の投稿です!
主人公アイリスの執事サム・グレイ視点をお楽しみください。
*あくまで閑話なので読まなくてもメインストーリーに差支えはありません。
少年は、生まれながらにして名を持っていた。父はロイゼン公爵の遠縁――正確には、分家筋の男爵家の三男であった。
本来なら、貴族の血筋を継ぎつつも、その家の栄誉に連なることなく静かに生きるはずの子供。だが、兄たちの下で家を継ぐ道は閉ざされており、少年――サムは幼くして“選ばされた”。
「おまえは、ロイゼン家へ仕えに出るんだ。貴族の子が執事になるなど本来なら異例だが……おまえなら、その器だろう。」
父の声には、愛情と諦めが同居していた。
そうして十歳の年の春、サムはロイゼン家へと送られた。彼は、子どもとしてではなく、“仕える者”として扱われる訓練を受ける。言葉、姿勢、礼節、剣術――そして、忠義の在り方。
最初のうちは周囲からも一歩距離を置かれた。「貴族の血を持った執事」などという立場は、どこにも馴染めない。
けれど彼は、黙々と己を律し、ただ与えられた任を果たした。
やがて、周囲の者たちも彼の誠実さと確かな能力を認めるようになり、若きロイゼン公爵から、ある役目を仰せつかる。
「おまえは、我が娘――アイリスの側仕えとなれ。彼女の成長を見守り、導くことができる者を求めていたのだ。」
この言葉に、サムは初めて“役目”以上の何かを覚えた。
少女――アイリス・ロイゼンは、最初から不思議な存在だった。
気高く、美しく、そしてどこか孤独だった。完璧な礼儀の裏に、小さくうずくまるような本心を隠していた。
年が近いせいか、彼女は他の使用人よりもサムにだけよく話しかけた。ときに皮肉っぽく、ときに素直に。気を許しているというより、“気づいてほしい”というような視線で。
それを感じながらも、サムはあくまで一歩引いたまま、彼女の成長を見守り続けた。
令嬢としての彼女を見届けることが、自分の役割――そう信じていた。
だが、やがて彼は気づく。彼女の婚約話が本格化し、王子との関係が冷えきっていく中で――彼の心のどこかが、静かに、だが確かに揺れていた。
令嬢を守るのが執事の役目。けれどそれだけでは足りない感情が、心に生まれてしまったことに。
彼女が誰かに軽んじられるたび、笑顔を顔に張りつけて孤独に耐える姿を見るたびに、「自分が傍にいたい」と、願ってしまう。
執事としては、あまりに不遜な願い。貴族社会において、叶うはずもない恋。
(それでも……)
彼女が、王宮で冷えた日々に疲れきった夜、袖を掴んで「行かないで」と言ったあの瞬間。サムの中にあったすべての理性と距離は、音もなく崩れ落ちていた。
それでも彼は言葉にはせず、ただ静かに、手を取っただけだった。彼女の決断を促さず、代わって選ぶこともせず。その弱さすら、受け止めようと心に誓っていた。
(彼女の幸せを願うならば、自分の想いなど、最も遠い場所に置かなければならない。)
それが、執事としての最後の一線。けれど、心の奥には小さな灯がひとつだけ灯っていた。
――もし彼女が、自らの意思で誰かを選び、その傍にいてほしいと望んだとき、そのときだけは、この手を差し出しても許されるだろうか。
そんな夢のような願いを、胸の奥にしまいながら、サムは今夜も、変わらぬ距離で彼女を見守っていた。
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次回は18時頃の投稿を予定しております。