43. 三方よし
穏便に、かどうかは意見が分かれるところだが、後妻業の女を追い返したユグドランド島。ところが、もっと大物が来てしまった。本物の、正真正銘の皇族だ。アミーリャ帝国のレオン第四皇子。
「招待されてないけど、来ちゃった」
来ちゃったが、また出たー。来ちゃわないでよー。島民たちは心の中で悲鳴を上げる。もちろんマーゴットとマーティンも大慌てだ。
「ええっ、この間、あんなゴタゴタがあったのばかりなのに。なんで来るのかしら。意味が分からない」
「あああ、あの、陛下は帝国との交渉について、何か仰られて?」
「のらりくらり玉虫色、としか聞いておりませんわ。大至急、お兄様に連絡しなくては」
「しかし、追い返すわけにはいきませんよね?」
「いかないんじゃないかしら。帝国の皇子を追い返すのは、さすがにちょっと」
「なにはともあれ、直接お話しするのがよろしいかと」
頼れる執務補佐官のベネディクトが、ワタワタしているふたりを落ち着かせる。
***
「親父殿の望みを叶えるには、さて、どういう方向で攻めようか」
ユグドランド島のそれなりに豪華な応接室でゆったりくつろぎながら、レオンは思案する。
「マーゴット王女を口説き落とし、アミーリャ帝国とノイランド王国の関係を改善する。そして、人狼ナヴァロを返してもらう。それが親父殿の希望だと思うが」
なかなか難易度が高い。王女を落とすのはお手の物だが。島に攻め入って領主マーティンを誘拐しようとした賊を返してもらうのは、不可能に限りなく近い。
「そもそも、ナヴァロを返してとは言い難い。うちの手の物と告白するのと同じだからな」
ナヴァロを手下と認めれば、他国の領地に攻め入ったことをも認めることになり、保障だ補填だ賠償だと面倒なことになる。
「マーゴット王女と婚約し、獣人好きな俺がナヴァロに興味を示したということにするのがよかろう」
どうやって落とそうか。レオンはマーゴット王女の情報を頭の中で整理する。
「平民の母を持つ第七王女。ハズレスキル持ちで追放されたが、実は有能だった。意思が強く、王女らしくない言動をし、平民の庭師を恋人に持つ」
簡単にはなびきそうにはないな、レオンはソファーのひじかけをトントンと指で叩く。
「種だけまいてサッと引けば、大抵の貴族女性は勝手に引き寄せられてくるのだが」
なにせレオンは顔がいい。花に蝶やハチが群がるように、レオンの周りにはいつも美女がいる。かすかに気のあるフリを見せるだけで、女性たちはバタバタと落ちたものだ。
レオンは己の美貌を帝国の領土拡大に大いに活用してきた。皇帝が狙っている小国にレオンが先に入り込み、王妃か王女あたりを落とすのだ。レオンが水を向ければ、彼女たちは国家の秘密や重要人物など、機密事項をボロボロと漏らす。武力で力尽くのナヴァロと色仕掛けのレオン。帝国の隠し兵器ふたりが、皇帝のために競うように暗躍してきた。
父の執務室には大きな地図が貼ってあり、領土を落としたのがレオンなら赤、ナヴァロなら黒で印をつけた。
「ふっ、さすが狂犬ナヴァロ。あの山国を落としたか。さすがだな」
「フハハ、そういうレオン坊ちゃんは、聖公国の聖女を落としたとか。やりますな。そのうち誰かに刺されないか、心配だ」
「きれいに別れているから心配無用だ。俺には決められた婚約者がいる。君とのことを一生の思い出にする。君の幸せを遠くから祈っているよ、と言って、涙を少し流せば悲恋物語みたいだろう」
「ひどい話だ。婚約者なんていないくせに」
「仕方ない。嘘も方便。これも仕事だから」
「お互い、汚れ役が板についてきたもんだ」
「親父殿に」
「リッキー皇帝に」
ふたりで地図を見ながら軽口をたたき、乾杯した日々。だから、ナヴァロが失敗し、捕らえられたと聞いたときは、信じられなかった。
「ナヴァロがしくじっただと。ユグドランド島のマーゴット王女、何者だ」
それからマーゴットについて調べ上げ、父とナヴァロのためにひと肌脱ごうとやってきた。人伝に聞いた情報である程度の作戦は立てられるが。実際会ってみないと、どんな女性かは分からない。
「恋の駆け引きが好きな感じなら距離を縮めるのも簡単だが。生真面目な女性なら、弱みを見せて悩み相談を重ねていけばいいだろう」
場合によっては、最初から腹を割ってまっすぐ婚約を申し込むのもいいかもしれない。マーゴットと会ってから、対応を決めよう。レオンはいくつか方針を立てたうえで、あとは出たとこ勝負にすることにした。
***
のらりくらりとしらを切られてはいるのだが。アミーリャ帝国リッキー皇帝の命で人狼ナヴァロたちがユグドランド島に来て、領主マーティンをさらおうとしたのだ。マーゴットが奥の手を使って誘拐を阻止し、人狼ナヴァロたちは王都で取り調べを受けている。そして、帝国とはグダグダと交渉をしている、はずだ。はずなのだ。なのに、なぜ、のほほんとアミーリャ帝国の第四皇子が遊びにくるのだ。
いったいどの面下げて、なにしに来とるんじゃ。マーゴットの心の中は疑問符が渦巻いている。精いっぱい、社交用の王女仕草でレオンの前に座ってはみたものの。腑に落ちない表情は隠しきれなかったのだろう。レオンが察して、あっさりと赤裸々に暴露してくれた。
「ああ、この前は色々と、うん。ま、それは親父殿に任せてるんだけど。俺はね、君を口説きにきたんだ。マーゴット王女」
「はえー」
あまりに唐突かつ直球の言葉に、マーゴットは奇声を発してしまった。
「いえ、結構です。私、恋人がいますから」
マーゴットは驚きのあまり、こちらもまっすぐに返答してしまう。隣に座っているマーティンは咳き込み、後ろに控えているベネディクトは一瞬目をつぶった。マーゴットにとって社交とは、社交辞令とは、いったいなんなのか。マーティンとベネディクトは気が遠くなる。
「ああ、平民の庭師の彼だね。うん、別にいいよ。俺は二股でも気にしないから」
「いや、そこは気にしましょうよ」
皇子と王女の会話って、こんなざっくばらんでいいんだっけ。マーティンは喉がカラカラになる。
「俺も他に好きな人ができるかもしれないし。お互い、愛人を作ればいいのではないかな。そこは、割り切ってさ、ね」
「ね、と言われましても。それは私の人生観とは相いれません」
「結婚って、妥協の産物だからさ。特に皇子や王女ともなると、国のために結婚するのが当然。なにせ揺りかごから墓場まで、税金でまかなわれている存在だから」
「そ、それは、確かに、そうかもしれませんが。でも、私は兄から許しを得ておりますし。自力で稼いでおりますし」
いつになく、マーゴットの言葉から勢いが消えた。正面切って言われてみると、確かに王女である自分が、平民のトムとすんなり結婚できるのか、してもいいのか。一抹の不安がマーゴットの心に忍び寄る。
「その点、アミーリャ帝国で最も顔がいいかもしれない皇子、つまり俺との結婚であれば、誰に反対されることもないわけで。両国にとって、願ってもない縁談だ」
「でも、私は結婚するなら相手はトムって、ずっと昔から決めていて」
「だから、トムは愛人にすればいいんじゃないかなって、さっきから言っている」
「あ、兄に相談します。いずれにしても、今の時点で私からの答えは、ひとつです。あなたとは結婚できません」
マーゴットは少し涙目になりながらも、きっぱりと言い切った。レオンは楽しそうに笑っている。
その日から、ことあるごとにマーゴットを口説くレオンと、逃げ回るマーゴットが見られるようになった。
「ちょっと、悪いけれど、ここで休憩させてくれないかしら」
メイドたちの秘密の愚痴部屋に、疲労困憊のマーゴットがヨレヨレと入って来る。
「もちろんよ。ゆっくりして」
「お茶入れるわね」
お茶とお菓子をマーゴットに差し出し、皆が興味津々に集まる。
「それで、どうなのかしら?」
「あんなキレイなお顔の皇子様に口説かれまくっているわけですけれども」
「正直、うらやましい」
「女冥利に尽きるとは、このことかと。ついニマニマ観察しちゃう」
うっとりしている皆の前で、マーゴットはグッタリとテーブルに突っ伏した。
「もう、本当に無理。勘弁してほしい。いっそ、刈ってしまおうかと何度思ったことか。でも、それはさすがにダメじゃない」
「何をどのように刈るつもりかは聞かないけれど。早まらないで」
「刈ったら、戦争になっちゃうー」
「戦争はイヤー」
うっとりトローンとした部屋の空気が、一転してざわざわ慌てた感じになる。
「みんな、落ち着いて。私にも理性はあるから。皇子を刈ったりしないわ。それは、あくまで最終手段」
マーゴットがスッと座り直し、まあまあと手を広げる。
「最終手段を取る日が来ませんように」
女たちは真摯に祈った。
「聞くまでもないことだけれど、やっぱり念のため聞いておくわね。トムを愛人にして、皇子と結婚するという選択肢は」
「ないわよ。絶対ない、と言いたいところだけれど。お兄様の返事を待たないと。でも、そんなことするぐらいなら、トムと駆け落ちするかも」
「どこに?」
「冥界」
「ああー」
なるほど、それなら誰も追えない。
「マーゴット、あったまいいー」
「ふふーん。しばらく冥界で新婚旅行して、ほとぼりが冷めたころに地上に戻ってきてもいいかなって」
「いいじゃない。その手があったかー、やったね」
メイドたちは両手を胸の前に出し、マーゴットと手を打ち合わせていく。
「でもね、できればそれも最終一歩手前の手段にしたいわけよ。もっとこう、穏便に諦めてもらえたらいいなと思って」
みんなで座り直し、お茶を飲み、頭を絞る。
「ごめん、そこまでモテたことないし。嫌われなきゃいけない局面も経験ないわ」
「あの顔に口説かれたら、彼氏がいてもすぐよろめいちゃう自信がある」
「だって、皇子様だよ。確実に白馬が似合う、超優良物件だよ。女子の夢が詰まった存在じゃん」
「名前の響きもいいわよね。レオンだよ、レオン。名前からして、いい男じゃない」
「贅沢し放題、愛人作ってもいいっていう懐の深さ、そして美形。やっぱり美形」
なんだかんだ言って、美形には弱いメイドたちであった。
「アタシだったら、はいってすぐ言っちゃうな。結婚して、飽きたら愛人作る」
「分かるー、それ最高ー」
「本気で言ってるの? 両国のために政略結婚しよう。愛はなくてもいい、お互い別に愛人を作ってもいいって言われてのよ。そんなの、ちっとも嬉しくない」
マーゴットが言うと、「まあねえ、それは確かにそうかもねえ」と女性たちは顔を見合わせる。
「それにね、私はね、トムがね、いいんだってば。だって、ずっとお互い思いあってて、最近やっと公に恋人になったんだもん」
シクシク泣くフリをするマーゴットを、よしよしと頭を撫でてなだめる女たち。
「トムってば、もう。王女にここまで一途に愛されるトムって、いったい」
「トムは確かにかっこいいけど、マーゴットをそこまで夢中にさせるのは何かしら?」
注目され、マーゴットは少し赤くなりながらノロケ始めた。
「トムといるとね、心が安らぐのよ。この人は絶対に裏切らないって信じられるの。何があっても、待っていてくれる。私のことを好きでいてくれる。裏切りが当たり前の王宮で、トムは癒しの存在よ」
「そうねー、浮気しない男って、いいわよねー」
「ハラハラドキドキはしないけど、フワフワのんびり癒されるのね。そういうのもいいわね」
「あら、私はトムといるときは、いつだってハラハラドキドキしているわよ。誰かに取られたらどうしようって。油断はしないわ」
マーゴットはダンッとテーブルを叩く。
「あのね、この島でね、トムに手を出そうと一瞬でも思う女はいないわ。だから、安心して」
「島民はそうだけど、魅力的な宿泊客が来たら、目を光らせていないと」
マーゴットの大きな瞳がギラギラと輝く。ああ、そういえば、この前に変なのを追い返したところでしたね。マーゴットの悋気を目の当たりにしたばかりでした。皆はポンッと手を打つ。
「というわけで、私はトムを魔の手から守ったり、魔植物を刈ったりするので忙しいの。手がいっぱいなの。チャラい皇子の相手をしてる場合じゃないんだってばー」
一途なマーゴットの切実な叫びに、メイドはじーんときて、ハンカチで涙をふいた。
「なんとかしなきゃね」
「そうね」
心はひとつになった。だが、策がない。マーゴットと仲間たちが途方に暮れているとき、助け船が、文字通り船に乗って近づいている。
***
ジゼルはとある小国の公爵令嬢。才色兼備の代名詞とも評される美貌と頭脳を持つ令嬢。王子の婚約者として、努力し続けてきた。国母となり、国を、民を導くことに生涯を捧げる覚悟もあった。
「それなのに、あのあっぱらぱーな王子ときたら。同じくらい頭が軽やかな女にコロリと騙されるだなんて」
こともあろうに、男爵令嬢にうつつを抜かし、ジゼルとの婚約を一方的に破棄してきたのだ。
「許すまじ。理想的な王妃になれるわたくしを捨てるだなんて、言語道断」
そのうち過ちに気づき、泣いて謝ってくるだろう。そうなったら、たっぷり嫌味を浴びせた上で、許してやってもいい。
「でも、それまで王都で待っているのはしゃくにさわるわ。どうせ待つなら、南の島がいいわ」
そういえば、招待状をもらっていたわね。思い出したジゼルは、さっさと王都を後にした。
「予約はしてないけれど、途中で手紙を出しておきましょう。いつ頃に着くのでよろしくって書けば、なんとかしてくれるでしょう」
それで無下にされた経験は、ジゼルにはない。だって、公爵令嬢だし、王子の婚約者だし。
「もう、ただの公爵令嬢だけれど、きっとまだ他国までは婚約破棄されたことは伝わっていないでしょう」
使えるものは、王子でも使う。ジゼルは強く美しく、割と図々しい女であった。
***
ユグドランド島に着き、無事に世界樹のホテルに荷物を置き、ジゼルはメイドと散策に出かけた。
「突然思い立ってきたけれど、部屋が空いていてよかったわ」
「手紙の中に、招待されてはいますが、代金は無料ではなくて結構です。通常の倍お支払いします、と書いたのが功を奏したのかもしれません」
「さすが、わたくしの腹心。頼りになるわ」
「フフフフ、お嬢様。それほどでも。フフフフ」
褒めるとどこまでも機嫌がよくなるメイドを、更に褒めちぎりながら、ジゼルはのんびりと島を歩く。
「だから、イヤだと申し上げております」
「あら、何が?」
ジゼルはメイドを見下ろす。メイドは首を振り、木立の向こうを指差した。可憐な少女が、きれいな青年に手を取られている。少女はイヤイヤと身をよじっている。ジゼルはカッと目を見開き、しっかりと吟味する。
「あれは、イヤよイヤよも、ではないわね」
「本気で嫌がっているように見受けられます」
いつも的確な助言をくれるメイドが、ジゼルの見立てを後押しする。ジゼルは、じりりと近寄り、注意深く観察する。
「あれは、マーゴット王女と帝国のレオン皇子。まさか、レオン皇子はマーゴット王女を狙っているだなんて。あの二国はつい最近ぶつかっていたはずね。それ絡みかしら」
立派な王妃になる予定だったジゼル。各国の情報はきっちりと頭に入っている。
「割って入るべきか、見て見ぬフリをするべきか」
ジゼルはためらった。ジゼルの理性は、立ち去れと言っている。他国の王女と皇子の惚れた腫れたに関わって、いいことはなにひとつないはずだ。でも、ジゼルは見てしまった。マーゴットの目に光る涙を。ジゼルの何かがブチッと切れた。
「無理強いはダメー、絶対」
ジゼルは拳を握りしめ走り寄り、間際で拳はマズイと少しばかり理性が戻り、平手にしてレオン皇子の頬を叩いた。ペチン。間抜けな音が、爽やかな初夏の青空に吸い込まれて消えた。
「大変失礼いたしました。レオン皇子。お詫びに髪を切ります」
ジゼルはまとめていた髪をほどき、足首から短剣を抜き取って髪を切ろうとする。
「ダメです」
「やめるんだ」
マーゴットとレオンが同時に叫ぶ。ジゼルはほっとした。首を切られるぐらいなら、髪を切ってお茶を濁したいと企んでの行動だった。髪を切らなくてすむなら、ありがたい。ジゼルは跪き、沙汰を待つ。
「度が過ぎたようだ。マーゴット王女、悪かったね。君も、止めてくれてよかった」
レオン皇子は鷹揚に言うと、立ち去って行く。
マーゴットはジゼルの手を取り、助け起こした。
「助けてくださって、ありがとうございます。でも、無茶ですわ。相手は皇子ですのに」
「可憐な令嬢を泣かせる男は、たとえ皇子でも許しません」
ジゼルは小声で答える。
「お優しい上に、勇敢ですのね」
「いえ、どちらかというと、計算高い方です」
「まあ。ホホホ。おもしろい方ですわね。えーっと、お名前を教えてくださる?」
「ジゼルと申します」
「ああ、ジゼル様。部屋が空いておりまして、よかったですわ。ようこそ、ユグドランド島へ。助けていただいたお礼に、島をご案内いたしますわ」
ジゼルは、さっさと島に来たいきさつを話してしまう。こういうのは、人づてに伝わると誤解を生みやすい。隠し立てすることなく、事情は言ってしまう方がいい。どうせすぐにウワサは広がるのだから。
「まあ、婚約破棄ですか。最近、流行っているとは耳にしておりますが。自分の望み通りにならないと、極端な手段に出る方が多くて困りますわね。私も追放された口ですし。あ、今は和解しておりますのよ」
ホホホとマーゴットは笑う。つい先日、冥界に駆け落ちという究極の案を披露したことは、都合よく忘れているマーゴット。
「レオン皇子が強引に口説かれるとは、驚きました。女性には不自由しない御仁で、どちらかというと受け身、別れ方も後腐れなく、そう聞いておりました」
「この島の利権を狙っているのではないでしょうか。私を得れば、世界樹が手に入ると思っていらっしゃるのかもしれません」
「宝の山、いえ、宝の島ですものね。おひとりで行動されるのは、危険ですわ」
「大丈夫です。気配を消してもらってますが、とても頼もしい猫がすぐそこに、ほら」
ツァールがモフッと現れる。ジゼルが丁寧に礼をすると、ツァールも意外なほどに優雅な礼を返す。
「ジゼル様が割って入ってくださので、ツァールが間に入らずに済みました。レオン皇子に、ツァールは見せたくありませんもの」
「宝だらけですわねえ」
ジゼルはため息まじりにツァールと世界樹を交互に見た。
「そろそろ草刈りの旅に出かけたいところなのですが。レオン皇子を放置しておくわけにもいきませんし」
「レオン皇子の接待となると、身分的に釣り合うのはマーゴット様かマーティン様ですものね。レオン皇子に誘われては、マーゴット様も断りにくいでしょう」
「そうなのです」
マーゴットは弱り切った顔で肩を落とす。
「もしよろしければ、その都度、わたくしにお声がけいただければ、参加して盾になりましてよ。わたくし、公爵令嬢ですし。王妃教育も受けておりますから」
マーゴットは思わずジゼルの両手をガッと握る。
「本当ですか? ご迷惑ではございませんか?」
「大丈夫ですわ。ワガママ王子の相手は慣れております」
そんなわけで、マーゴットはジゼルという最強の盾を手に入れた。
背が高く、黒髪で、キリリとした瞳を持つジゼル。気品があり、マーゴットよりも威厳がある。マーゴットはほんわかとして隙があるが、ジゼルはいつもピシリとつけ入る隙がない雰囲気。
「ジゼルがいると、調子狂うなあ」
レオンは困ったように眉を下げる。ジゼルは優美な曲線を描く眉を大げさに上げると、嫣然と微笑む。
「それはようございました。世界各国の令嬢からモテモテのレオン皇子殿下が、マーゴット様を強引に落とそうとしているだなんて。そんな醜聞はこの島だけで封じ込めなければいけませんわよ」
「だから、悪かったって。反省してるよ。ごめんね、マーゴット王女」
「このまま、礼儀正しい紳士らしく、距離を維持していただければ許して差し上げますわ」
「心がけよう」
「そこは、約束しよう、ではありませんこと」
ジゼルがすかさず突っ込むと、レオンは両手を上げて空を仰ぐ。
「分かった。約束する」
「素敵ですわ、さすがですわ、かっこいいですわ」
ジゼルが拍手喝采すると、レオンは立ち上がって、舞台俳優のように何度もお辞儀をした。
「ジゼル様って、猛獣使いみたいですわ」
ポロッとマーゴットが不敬そのものの発言をすると、レオンは輝くような笑顔をふたりに向ける。
「ジゼルの前では、俺は借りてきた猫のようになってしまう。さあ、いい子にしている俺に、ご褒美をくれたまえ、ジゼル。王妃になったらやりたいこと十箇条。今日こそはつまびらかにしてもらおうか」
「まずは、女性でも家督を継ぐのが当たり前の世の中にしたいですわ。政治や統治が得意な女性だっているでしょう。男性でも裁縫や洗濯が好きなら、好きな道に進めばいいと思うのです。男女で職業をくっきり分けるのは、そろそろやめるべきです」
「しかし、当主はいざとなったら戦の最前線に立たねばならないぞ。女性には酷であろう」
「そこも含めて覚悟のある女性が当主になればよいのです。マーゴット様だって、自ら魔物狩りに出られているではありませんか」
「あ、私は草刈りです。狩猟ではありませんわ、念のため」
レオンとジゼルが、和気あいあいと政治の話を始める。マーゴットはホッとひと息吐いて、ニコニコしながらふたりを見つめる。侃々諤々、丁々発止と意見を交わすふたりを見ているのは、楽しい。政治の話は、マーゴットはさっぱりなのだが。美しい男女が活き活きと議論しているのは、目の保養になる。たまに合いの手を入れながら、マーゴットはふたりの会話に耳を傾ける。
ジゼルは着実にレオンを手なずけ、いつしかマーゴット抜きで会うようになった。
***
「お嬢様、今日はどのお召し物になさいますか?」
「あなたにお任せするわ」
いつも通りにメイドに答え、カッチリとした紺色のワンピースに着替える。ジゼルは鏡を見ながら、ふとつぶやく。
「そうね、休暇中ですもの。髪はおろしておこうかしら。どうかしら? はしたないかしら?」
「お嬢様とはしたないという言葉が結びつくことは一切ございません。大丈夫です。お嬢様なら寝巻きのまま外に出ても、威厳と気品があふれかえりますよ」
メイドがいたって真面目な表情で言いながら、ジゼルの髪を丁寧にとかし、耳から上の髪だけゆるく編み込んでいく。耳から下の髪は背中にストンと流したまま。
「首に風が当たらないわね。少女時代時に戻ったみたい」
ジゼルは子どもっぽくないかしらと、色んな角度から鏡で確認する。
「お嬢様は、今でも少女と言える年齢ではございませんか。王妃教育のおかげで、すっかりあどけなさが消えてしまいましたが。さあ、お嬢様の知的な部分はそのままで、かわいらしさが加わりました。控えめに言っても、今のお嬢様は最強です」
メイドが誇らしげにドヤ顔を見せる。
少し恥ずかしくて、顔を赤らめないように注意しながら、レオンの座っているテーブルに歩いて行く。
「おはようございます。レオン殿下」
「おはよう、ジゼル。いつものキリッとした髪型もいいけど、今日の髪型も似合うね。妖精みたいだ」
「お上手ですこと」
「ジゼル、いいことを教えてあげよう。男に褒められたら、ただニッコリ笑って、ありがとうございます、と言えばいいんだ。美しい花は、いちいち謙遜しないだろう。花が水を吸い込むように、スッと誉め言葉を受け止めたまえ」
「まあ、そうですか。そうですわね。そういたしますわ。ありがとうございます、レオン殿下」
「素直でよろしい。よくできました」
ジゼルが微笑むと、レオンも花のような笑顔を返してくれる。ジゼルは頬が熱くなった気がして、持ってきた本に目を落とす。
「この本、貸してくださってありがとうございます。とてもおもしろいです。全部読みたかったのですが、夜更かしはダメとメイドに怒られまして。でも、今日で読み終えますわね」
「焦らずゆっくり読みなさい。どこがおもしろかった?」
「各国の成熟度を、税収、所得の格差、寿命の切口で比較しているところです。よくこのような数字が取れたものだなと」
「父の肝いりでね。父が権力を使って支配国に数字を出させた。統計学に強いピケットが粘りよくまとめたのだ。ピケットは知の巨人として後世まで称えられるであろう」
「リッキー皇帝陛下は、悪ぶっていらっしゃいますが、本当は無私無偏のお方なのでしょうね。照れ隠しですかしら?」
ジゼルはそこまで言って、ハッと口に手を当てた。帝国の皇帝になんて失礼な発言を。
「そうなんだよ、ジゼル。よく分かってくれたね。父は世界中の人が少しでも幸せになれればと思っているのだ。世界中は難しくても、せめて支配国の民には幸福であってほしいと。あ、でもこれは内緒だよ。弱腰とみられると、舐められて謀反を起こされるから」
レオンが人差し指を口に当て、シーッと言ってから、いたずらっぽい顔でジゼルを見る。
「レオン殿下は、お父上が大好きなのですね」
ジゼルが笑って言うと、レオンは珍しく慌てた。
「いや、まあ、そんなことは、あるけど。やめてくれないかな。俺の評判が下がる。これも秘密にしてくれたまえよ」
「もちろんですわ。レオン殿下の弱みを握れてよかったですわ」
「あっ、ずるいぞ。ジゼルの弱点をみつけないと。なんだろう。誉め言葉に弱いのは知ってるけど。他にないかな」
レオンが観察するようにジゼルを眺める。ジゼルは本で顔を隠した。
「乙女の秘密を探るだなんて。紳士のなさることではございませんわ」
「そうだね、確かに。悪かった」
レオンが頭を下げ、ジゼルは本の陰からそれを見た。頭を上げたレオンとジゼルの目が合い、ふたりで吹き出す。レオンはひとしきり笑い、涙を拭きながらジゼルの方に身を乗り出す。
「それにしても、ジゼルはよく各国の政治を学んでいるね。感心するよ」
「そういうレオン殿下こそですわ。わたくしの知っていることは、全てご存じではありませんか」
「それはそうだろう。俺は帝国の皇子だから。吸収合併した国を、どう統治すればいいかは、常に考えている。元の政治形態から変えすぎると、ひずみが出るからね」
レオンは真面目に答えた後で、からかうように言った。
「ジゼルの婚約者は大変だっただろうね。どれだけ学んでも、君の方が上をいく。男としては立つ瀬がないかもしれない。一緒にいると息苦しいって言われない?」
「言わ……せないですわ」
ジゼルはピシッと返すと「あのわたくし急用を思い出しました」と言って、スクッと立ち上がり、スタスタと部屋まで戻り、ベッドに潜り込んだ。
「わたくしって息苦しい女でしたのね」
ふとんにすっぽり包まれて、くぐもった声でつぶやく。
「お嬢様、私はたっぷり息ができます。大丈夫です」
「あなたは強いから。殿下はわたくしといると、息苦しかったのかしら。だから、わたくしとは正反対の、アホの子っぽい男爵令嬢に乗り換えたのかしら」
ジゼルとつき合いの長いメイドは、賢明にも返事をしない。ただ黙ってそばにいて話を聞いてくれる。
「わたくしったら、すっかり調子に乗っちゃって。レオン殿下に呆れられていたのだわ。恥ずかしい。消えてしまいたい」
今まで、これほど政治について一緒に話せる人は、教師以外にいなかった。ジゼルが何を言っても、煙たがらずに聞いてくれるレオン。打てば響くとはこのことかと、心地よい会話の応酬。ジゼルの知的好奇心を否応なく高めてくれるレオン。顔がいい上にに頭までいいレオン。どんな女性からも好かれているレオン。そんなレオンが自分と楽しく会話してくれるものだから。いい気になっていた。
「わたくしは、なんてみっともないことを。ああ、もうダメだわ。明日には島を出ましょう。レオン殿下に合わす顔がありませんもの」
ウジウジグズグズ、ジゼルのボヤきはしばらく続いた。
パタパタ、トントンと音がして、メイドが誰かと話をしているのが聞こえる。
「お嬢さま。コボルトがレオン様からのプレゼントを届けてくれました」
「え、プレゼント?」
「手紙が入っていますが、お読みしましょうか?」
「自分で読むわ。ありがとう」
ジゼルはふとんの中から顔を出す。小さなバスケットに、色とりどりのバラの花。ハンカチと手紙も入っている。ハンカチにはイガグリが刺繍されてある。ジゼルは手紙を開き、声に出して読んだ。
『親愛なるジゼル
先ほどは、不用意な言葉で君を傷つけてすまなかった。君は帝国の皇子である俺になんの忖度もせず、政治や制度について忌憚のない意見をくれる。それが心地よい。なのに、心無いことを言ってしまった。すまなかった。
君は国を良くしたいと、本気で思っているのだろう。説明してくれた十箇条でよく分かる。君の十箇条は、君にとって大切なものなんだね。だから、それを変えようとする意見には、頑なになるところが、少しあるかもしれない。バラがトゲで美しい花を守るように、クリがトゲでおいしい実を守るように、君も君の大事なものを守ろうとしているのだ。
忘れないでほしい。国にも、民にも、それぞれ大切にしたい、変えたくない部分があることを。何かを変えるには、時間と力と愛が必要だ。ゆっくりと対話し、妥協や譲歩もときには必要だろう。愛があれば、良くしたいという思いがあれば、少しずつ改善できる。俺も、君の手伝いをしたいと思う。もし、君が許してくれるなら。
そして、君は少し急ぎすぎているように思う。何かに追われるように学び、必死で成長しようとしている。もっとゆっくりでいいんだ、ジゼル。焦らないで。君は、十分がんばっている。それは俺にはよく分かる。自信を持って、焦らずに。
もし傲慢で鼻持ちならない世間知らずの俺と過ごすのがイヤでなければ、明日も一緒に散歩しながら議論をしたい。君と話すのは楽しいから。君の理解者になりたいと心から願っている。レオン』
「こんな手紙、初めてもらいました」
「よかったですね、お嬢さま。お返事なさいますか?」
「そうね。そうするわ」
ジゼルはベッドから出ると、紙を前に考え込む。
***
海の見える丘のベンチで、ひとりの男が憂いに満ちた目で寄せては返す波を見つめている。アミーリャ帝国の麗しの皇子レオン。泣かせた女は数知れず。
「ああーしまった。あれは言い過ぎだ。俺としたことが」
頭の回転が速く、皇子であるレオンにも臆せず、舌鋒鋭い令嬢ジゼル。肝の据わっているところ。国の過去と現状を冷徹に分析し、未来のために為すべきことを冷静に見据えているところ。国を良くしたいと本気で思っているところ。好ましいと思っている。
「恋が終わったときは、バッサリ別れることにしているから」
基本的にはきれいな別れができるレオンであったが。泣かれ、すがられ、ときには平手打ちや脅しなんかもあるにはあった。
「女の涙には耐性があるはずなのだが」
平然とひどいことを言うレオンの顔には、苦悩の色。
「傷つけるつもりはなかった。うっかりの軽口で女性を傷つけてしまった。女心は熟知しているなどと図に乗っていたが。不甲斐ないものよ」
ジゼルは元々、表情豊かな方ではない。いつも冷静沈着。政治の話をしているときは、少し早口になる。身振り手振りが大きくなり、目が輝き、頬が紅潮する。レオンの顔を見てウットリと頬を染める女は、枚挙にいとまがないが。国の仕組みを恋物語のように話す女は、なかなかいない。
「俺が好きになりがちな、おもしれー女の亜流と言ってもいいかもしれない。好きなのだろうか、俺は、ジゼルを」
嫌いではないのは、間違いない。王女マーゴットを口説き落とすという、父の命も後回しにするぐらいだから。
「どうすればいいだろうか。親父殿の言いつけを守りつつ、俺の望みを叶えるには。帝国にとっても、マーゴットにも、ジゼルにも。三方よしにする奇策。思いつけ、俺」
***
ノイランド王国の王宮では、マーゴットの兄であるフィリップ国王が手紙を開いている。
「アミーリャ帝国のレオン皇子からではないか。マーゴットには、とにかく言質を取られるな、逃げ回れという、その場しのぎの対応を指示したのだが」
どうしたものかと考えあぐねている間に、当の本人から手紙が来てしまった。どんな無理難題をふっかける気だろうか。読む前から眉間にシワが寄るフィリップであったが、読み進めるうちに、声を上げて笑い始める。周囲の部下が驚いたようにフィリップを見つめた。
「レオン皇子、なかなかおもしろい人物のようだ。興味深い提案が書かれてあるので、乗ってみようと思う」
部下たちに手紙を差し出し、フィリップは立ち上がった。
「いくつか処理しなければいけない。法務と外務担当を呼んでくれ」
フィリップは窓の外を眺めながら、レオンと妹になんと返事を書こうか考える。
***
アミーリャ帝国では、皇帝リッキーが大笑いして祝杯を挙げている。
「レオンがついに、俺の命令を断ったぞ」
いつも、父である自分の顔色を読み、意図を瞬時に察し、先回りして対応する卒のない息子レオン。顔の良さが一番の武器だとうそぶき、女心を手のひらで転がしてきたレオン。
「いつまでも父親と国を優先して、結婚しない気かと心配していたが」
よかった。やっと、本気で好きになれる人が見つかったらしい。
「レオンもナヴァロも、俺のために進んで憎まれ役をやってくれる」
そんなレオンが、初めて父である自分の命令に背いた。使命に逆らいながらも、より大きな結果をもたらした。
「期待を遥かに超えてきたな、レオン。立派だぞ、レオン」
リッキーはユグドランド島の方面に向かって杯を高らかに掲げた。
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ジゼルの元婚約者である、ゆるふわ頭の王子様。ジゼルが行方をくらませてから、針のむしろであった。
「血迷ったか。王家と公爵家の関係を台無しにするとは」
「王妃にふさわしい才媛。才能に溺れず努力を惜しまない令嬢と、貴族たちからも評判でしたのに」
「居場所を探し、真摯に詫びて、連れ帰ってくるのだ」
両親からこってりと怒られた。仕方なく、重い腰を上げようとしたとき、とんでもない手紙が国王宛に届いた。
「アミーリャ帝国のレオン第四皇子が、ジゼル公爵令嬢と婚約だと。そんなバカな」
「ユグドランド島で運命の出会いを果たした、ですって」
国王と王妃は手紙を何度も読み直す。
「ジゼルと貴国の王子は既に婚約破棄済みとのことで、問題はないと判断。ジゼルの父である公爵家当主も了承済み」
「なんてこと。公爵家が王家を見限って、帝国につくということですか」
「王国を揺るがす事態だ。至急、宰相や大臣たちと会議を開かなければ」
考えなしだった王子は、責任を取って王位継承権を下げられ、男爵令嬢にも逃げられたのであった。
***
ユグドランド島の花畑で、ジゼルとマーゴットがはしゃいでいる。
「はい、投げますわよ」
ジゼルが後ろ向きに花束をポーンッと投げる。マーゴットは急いで走り、花束を受け取る。
「取れましたわ」
「やりましたね」
ジゼルとマーゴットは手を叩いて喜ぶ。
「わたくしたちの結婚式に、マーゴット様をご招待いたしますからね。必ず花束を受け取ってくださいませね」
「そうすれば、次に結婚するのは私ってことね。平民トムとの結婚で有象無象が騒がないよう、レオン皇子殿下とジゼル様が根回ししてくださるのね」
「うまくやりますわ。お任せくださいませ」
「結婚式には、お祝いとして我が国とっておきのモフモフをお持ちいたしますわ。お兄様が許してくださいましたの」
マーゴットの言葉に、レオンがホッとした表情を見せている。
「マーゴット王女、ありがとう。それでは、こちらからのお礼として、毎年ふたりでユグドランド島を訪れよう。俺が愛する人と出会った思い出の地、縁結びの地として、大々的に宣伝する」
マーゴットは満面の笑みを浮かべてレオンとジゼルの手を握りしめた。
「これこそ、雨降って地固まる、ですわね。帝国と王国、仲良くやっていきましょうね」
アミーリャ帝国の後ろ盾があれば、ユグドランド島はもちろん、ノイランド王国も安泰だ。これから社交界の話題をさらうであろう、レオンとジゼルの結婚。そして新婚旅行の地として選ばれるユグドランド島。ホテルが大盛況になることは約束されたも同然。
さらに、策略上手なジゼルが帝国の権威を使って、マーゴットとトムの結婚に向けて地ならししてくれるのだ。王女マーゴットと庭師トムの結婚が、現実味を帯びてきた。マーゴットはその日を思い描き、ほてった頬を花束で冷やす。




