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39. おしどり夫婦

 とある王国の、きらびやかな侯爵家の私室で、ステファニーは一通の手紙を読み、思案にくれている。


「ユグドランド島ホテルへの招待。ユグドランド島といえば確か世界樹が現れ、奇跡の力を持つ領主と摩訶不思議な王女がいらっしゃるとか」


 最近、社交界でウワサになっていたところだ。


「いいかもしれない。もし領主の力が本物なら」


 ステファニーは窓から外を見下ろす。庭園で子どもたちと遊んでいる夫が、ふと振り返った。目が合うと、夫はいつも通りひょうきんな笑顔を浮かべ、手を振る。ステファニーは手にキスをすると、フウーッと夫にむけて吹いた。その途端、夫は子犬のように駆けだすと、パッと飛び上がり、手を高く上げ何かをつかんだように拳を握りしめ、軽やかに着地すると、そっと拳にキスをする。


「パピー、なにつかまえたの? ボクにもちょうだい」

 息子が夫の足にかじりつき、目を潤ませている。夫は指を顔の前で振り、「あっあっあっ」と言う。


「これは愛しい妻からのキスだからね。息子といえどもあげるわけにはいかないんだ。悪いな、イアン、お前もいつかマミーみたいな素敵な女性からもらいなさい」


 イアンはワーンッと泣き真似をしながら、夫のお腹をボカスカ殴る。ブライアンは、大げさに芝生の上に倒れ、ゴロゴロ転がって行く。和やかな光景に、ステファニーは胸が苦しくなり、窓枠にもたれ手で胸を押さえた。


「行きましょう、ユグドランド島へ。そして、奇跡を祈りましょう」


***


「ちょっとー、聞いてー、たいへーん」

 客室係が休憩部屋に駆けこんできた。ウダウダ会話していた女たちが顔を上げる。


「あの、美男美女のおしどり夫婦で有名なヴァンダー侯爵夫妻がいらっしゃるってー」

「ええー、うそー、すっごーい」


「オシャレで最先端で華やかで、おまけに愛し合ってるっていう奇跡の夫婦ね」

「どっちもモテモテで、誰とひっつくか賭けの対象にまでなってたふたりね」


「モテ界の頂点のふたりが結婚して、各国の貴族がひっくり返ったっていう、ウワサのふたり」

 ギャー、やったー、近くで見られるなんて夢みたーい。休憩室のかしましさが最高潮に達する。


「それで、それで、おふたりはホテルに何をお望みなの?」

 ひとしきり騒いだあと、女たちが客室係に問いただす。


「それがねえ、マーティン様にお会いしたいです、とだけ書かれてあったらしいのよ」

「へー、そうなんだ。マーティン様も、すっかり世界規模の有名人ね」

「そりゃあねえ。世界樹を生やした領主様だもの。他にはいないもの」


「ああー、あのときマーゴット様に誘われて、勇気を出してここに来て、よかったー」

「大博打だったけど、勝ったわね」

「おふたりに満足していただけるよう、全力を尽くしましょうね」


 ユグドランド島はやる気で包まれた。


***


「二度目の新婚旅行ね」

 ユグドランド島に向かう船の上で、ステファニーはブライアンの胸に頬を寄せる。


「子どもたちが生まれてから、ふたりで旅行なんてできなかったからな。子どもたちがいないのは、変な気分だけど」

「そうね、なんだかスカスカするわね」

「ああ、でも、久しぶりにステファニーを独占できて嬉しい」


 ふたりは見つめ合う。


「最初の新婚旅行は、確か、えーっと。どこに行ったんだっけ」

 ブライアンが頭を手で叩いた。ステファニーはブライアンの手を優しく握ると静かに言う。


「おいしいワインと料理が有名なホテルでゆっくり過ごしたのよ」

「ああ、そうだった。あのときは忙しかったから、一週間しかいられなかったんだっけ。今回はもう少し長く泊まれるといいのだが」

「そうね、ふたりで新婚気分に浸りましょう」


 ステファニーはブライアンに抱き着くと、目を閉じた。


 ユグドランド島に着くと、目を輝かせた人々に熱烈な歓迎を受ける。ブライアンは手を上げ、気さくに声をかけた。


「やあ、みんな。さては、世界で一番美しい女性を見にきたんだね。分かるよ。でも、残念ながら、彼女は売約済みなんだ」


 ブライアンは陽気にウィンクする。人々はワッと歓声を上げた。宿に着いても、ブライアンは気軽に冗談交じりの会話を繰り広げ、ホテル関係者は笑いが止まらない。


「え、この小さなコボルトが俺たちを上まで運んでくれるって? いや、動物虐待って俺たち夫婦の評判が下がってしまうじゃないか。君たちは、俺が運んであげるよ」


 ブライアンはちびっ子コボルトたちを一気に抱きかかえて、部屋まで駆け上がり、また降りてきて、今度はステファニーを抱え上げた。


「しまった、本命のお姫様を忘れるなんて。許してくれるかい、ステファニー」

「もちろんよ、ブライアン。でも、私を抱えて登るはやめて。あなたの膝が心配」


「なんだってー。今日のためにイアンを肩車して鍛えてきたのに」

「私とイアンの体重差を考えてね」


「仕方がない。では、お手をどうぞ、大事な奥様」

「ゆっくり上がりましょう、大好きな旦那様」


 華やかな美貌の夫妻は、仲睦まじく手を繋いで階段を上がって行く。見守っていた客室係たちは、手を口で押さえ「はー、ステキ」とつぶやきながら、顔を真っ赤にしている。ちびっ子コボルトたちは、「楽しいお客様だー」と飛び回る。


 ブライアンとステファニーは、あっという間に人気の宿泊客となった。



「優しくておもしろくて顔よし家柄よし、その上、妻命。最高かよ」

「アタシもあんな男性と結婚したーい」

「ステファニー様ぐらいの美貌があればねー」

「ねー」


 みんなは深々とため息を吐く。


「美人でいい匂いがして笑顔がめっちゃかわいくて、おまけにボンキュッボン」

「神よ、なんですか、二物を与えすぎではありませんか」


「我ら凡人にも、少しお恵みをー」

「明日起きたら、お肌がツルツルになっていますように」

「ステファニー様の十分の一でいいです。我らにも美をー」



 ホテル従業員が神に祈りを捧げているとき、ステファニーはマーティンの前で跪いている。


「ステファニー様、やめてください。さあ、座ってください」

 マーティンは冷や汗をハンカチで拭き、必死でステファニーを椅子に座らせる。


「どうか、助けてください。どうか」


 ステファニーがハラハラと涙をこぼす。マーティンは途方に暮れた。新しいハンカチは、ない。たった今さっき、汗を拭いたところだ。どうしよう。


 ステファニーが小さなカバンからレースのハンカチを取り出し、上品に目元に当てた。

よかった。ホッとしながらマーティンは椅子に座り直し、ズボンのシワを伸ばす。


「事情を話していただけますか。私にできることがあれば喜んで」

「夫が変なんです」


 ステファニーの言葉に、マーティンは固まった。確かに、貴族としてはおもしろすぎる御仁だとは聞いているが。変と言われても、なんと返してよいのか。


「忘れるはずのないことを、忘れるのです」

「ああ」


 そういうこと、と続けるのは辛うじて免れたマーティン。椅子から少し身を乗り出し、ステファニーを促す。


「最初はいつもの冗談だと思ったのです。早く結婚して子どもが欲しいね、なんて真顔で言うものですから。だって、私たち、もう三人も子どもがいるんですよ」


 ステファニーはまたハンカチを目に当てた。マーティンは腕を組んでうなる。


「うむむ、物忘れにしては度が過ぎるようですが」

「ブライアンはまだ三十代です。ボケるには早すぎます」


 ステファニーは必死の表情で、言葉を取り繕う余裕もなさそうだ。


「医者には相談されましたか?」

「ええ、侯爵家の主治医にはもちろん。色々調べてもらっていますが、原因を突き止めることは、まだ」


「私にできることは、手を握ることぐらいですが、それでよろしければ」

「ありがとうございます」


 ステファニーに感謝、懇願され、マーティンはブライアンに会いに行く。ブライアンは、海が見える庭園で椅子に座っていた。ちょうどそのとき、草刈りハサミを抱えたマーゴットがお世話猫と共に、草刈りから帰ってきた。


「マーティンさん」


 マーゴットがマーティンを見て手を振る。椅子に座っていたブライアンは、マーゴットを見るとすぐに椅子から立ち、マーゴットの前で跪く。ステファニーもブライアンの横まで早足で進み、隣で跪いた。


「ああー、お客様に跪かれては困ります。どうぞ立ってください」

「マーゴット王女殿下」


 マーゴットに促され、ふたりは立ち上がる。マーゴットが口を開こうとしたとき、海からビューッと風が吹いた。やや生温かい、塩っぽい風。ステファニーの髪がゆらめく。ブライアンが顔をしかめ、手で頭を押さえる。斧を当てられた木がゆっくり倒れるように、ブライアンの体が傾く。


 マーティン、ステファニー、マーゴット。三人の手が同時にブライアンの体を支える。


「おっ」

「キャッ」

「ダメッ」


 マーゴットが悲鳴を上げる。マーゴットは、たった今、ブライアンの命が体から離れて行くのを感じた。マーゴットの絶望的な目を見て、ステファニーがブライアンの頭をかき抱く。


「ブライアン?」

 ブライアンの手がダラリと力なく垂れ、ステファニーはブライアンを抱えたまま地面に崩れ落ちた。


「イヤッ、ウソ。そんなのあり得ない。ブライアン」

 ステファニーがブライアンを抱きしめたまま震える。マーゴットはお世話猫の手をガッとつかんだ。


「ツァール、教えて。今さっき、何か変だった。あってはならないことが、起こった、そんな感じがした」


 ツァールはヒゲをピルピルさせながら、マーゴットの手とマーティンの手を取り、モフモフの胸に当てた。


「ちっとも分からないけど」

「私とマーゴット様が同時に手を当てたのがよくなかったと言いたいのでは」


 マーティンを見て、ツァールがコクコクと頷いた。


「なんてこと。やっぱり私のせい。そんな感じがしたのよ。どうしよう」

 うなだれたマーゴットはすぐに頭を上げた。


「チャンカワンカたちー、来てー。冥界に行くわー」

「ええー」


 マーティンは叫び、ステファニーは呆然とマーゴットを見上げる。



 マーゴットの冥界行きは、大反対された。騒ぎを聞きつけてやってきたトムが、マーゴットの肩を両手でつかんでガクガク揺さぶる。


「マーゴット、気を確かに」

「トム、私はこの上なく冷静よ。私は破壊王。冥界の番人。冥界にちょっと顔を出して、ブライアン様の魂をひっつかまえて連れ帰ってくる。それほど難しいことではありません」


「だったら、僕も行く」

「それはダメ。普通の人が行っていい場所じゃないわ」


「マーゴットだって普通の人だろう」

「ほら、私は破壊王だから」


 トムとマーゴットの議論が堂々巡りをしている。


「トム、聞いて。冥界の扉の番人であるチャンカワンカとケルベロスが同行してくれるの。ちょっとした視察旅行だと思ってちょうだい。皆さん、私が新しい破壊王です、よろしくね。そう言ってくるだけよ。ついでにお土産をもらって帰ってきます。ええ、ブライアン様の魂を」


 服屋にワンピースを買いに行くぐらいのノリ。トムを筆頭に、皆が懐疑的な目でマーゴットをじっとり見つめる。


「チャンカワンカたち、ちょっと、なんとか言ってよ。誰も私の言ってること信用してくれない」

「皆さん、ご安心ください。破壊王は大丈夫です」


「無事に戻ります」

「ほらー」


 マーゴットが胸を張り、チャンカワンカたちと手を打ち合わせる。


「だったら、わたくしも一緒に行かせてください、マーゴット様」

 ステファニーがマーゴットとチャンカワンカの手を握りしめた。


「え、それはちょっと、どうかしら。ステファニー様は普通の人ですし」

「妻です」


「冥界ですよ。恐ろしい亡霊がいるかもしれませんよ」

「あああ、愛の力でなんとかします」


「いつ帰ってこられるか分かりませんよ」

「覚悟はできています」

「うー」


 マーゴットはチャンカワンカと顔を見合わせ、しばらくうーうーうなる。


「ステファニー様が同行するなら、俺も」

 トムがまた便乗してきた。マーゴットは、よしっと気合を入れる。


「ステファニー様は分かりました。一緒に行きましょう。トムはダメ。ここで待っていて。私、ふたりを同時には守れないわ。ね、ここでキレイな花束作って待っていて。必ず戻るから」


「破壊王の帰り道を照らす光りであれ」


 チャンカワンカがトムの膝をポンッと叩く。トムは渋々頷いた。


「分かった。俺は灯台になる。マーゴットは俺をめがけて帰ってきてくれ」

「約束する」


 待てる男トム。待つのは苦しいが、今回もぐっとこらえて待つことにした。


「それでは、行ってきます」

 マーゴットがあっさり言う。皆が目をむいた。


「えっ、もう?」

「早くしないと、ブライアン様の魂を見失ってしまう。必要なものはツァールが持っているでしょうし」


 お世話猫がフワフワの胸にモフっと手をうずめ、慇懃に礼をした。

「さて、扉はどこかしら?」


 マーゴットはチャンカワンカに尋ねる。チャンカワンカたちは大きく手を広げた。


「どこからでも。島全体が冥界の扉です。破壊王はどこからでも冥界に入れます」

「あらー、そうなの? 便利ね。まあ、そんなに頻繁に行くようなところでもないけれど。では、ふむ」


 マーゴットは脳内で扉の存在を探る。『開』ではない、『開』だと手が出ちゃう。えーっと、なるほど。マーゴットはステファニーとツァールの手をしっかり握った。チャンカワンカとケルベロスたちが周りを取り囲む。


「吸引」


 ズーゾゾゾゾゾゾ、砂漠のアリジゴクに飲まれるように、マーゴットたちは地面に吸い込まれていった。


***


 マーゴットたちが地面に吸い込まれていっている最中、ブライアンはブラブラ散歩していた。

「ステファニーはどこに行ったんだろう。おおーい、ステファニー、愛しの奥様ー」

 

 叫んでも、ステファニーからの返事はない。ブライアンは首を傾げながら歩き続ける。ふと、いい匂いが漂ってきて、ブライアンはそちらの方に引き寄せられていった。


「やあ、これは、うまそうなご馳走だ」


 巨大なテーブルの上にズラリと並ぶホカホカの料理たち。ブライアンは礼儀正しく尋ねた。


「こんにちは。ブライアンと言います。俺もご一緒してもいいですか?」


 座っている人々はガリガリでむっつりし、ブライアンを見向きもしない。ブライアンは、まあいいかと思いながら腰かけた。怒られたらお金を払えばいいだろう。


 ピカピカのお皿の横には、とてつもなく長いフォークやスプーン。巨大なテーブルの真ん中に料理が盛りつけてあるので、手では届かない。皆が長いフォークでお肉を突き刺し、口に入れようともがいている。


「こんな長いフォークでは口に入れられないですね。困りましたね。ハハハ」


 ブライアンは朗らかに笑う。誰も笑わず、フォークを振り回している。ブライアンは、パシッと手を叩いた。


「いいことを思いつきましたよ。やって見せますから、試してくださいね」


 ブライアンは長いスプーンを手に取ると、お肉をひとつすくい、ポーンッと空に投げ上げた。ブライアンは放物線をしっかり観察し、着地点まで走っていくと、軽やかに飛び上がり口で受け止める。


「うまい、料理も俺の腕も、最高」


 ドヤ顔のブライアンを、人々がまじまじと見つめる。やせ細った人たちは、長いスプーンでパンやリンゴをすくい、投げ上げる。でも、走るのが遅すぎて受け止められなかった。地面に手をつき、さめざめと泣いている。


「なるほど、そうなるか。そうだな、俺の腕ならできそうだ」

 ブライアンは人々をもう一度テーブルの前に座らせる。


「いいですか、上を向いて、口を開けてくださいよ。俺が投げ入れますからね」

 そらー、ブライアンは叫ぶと器用にパンを投げ上げた。パンは見事にひとりの大口の中に落ちる。


「ゴフッ、ゲホッ」


 せき込んではいたものの、なんとか咀嚼してゴックンと飲み込む。男は何度も頭を下げた。ブライアンは、桃を凝視している女めがけてひと切れ投げ上げる。モグモグと桃を食べると、女の目が輝いた。ブライアンは、次々と色んな口に肉やパンを投げ入れつつ食べつつ、自分も食べた。


「いやあ、どうなることかと思ったけど。うまくいったし、楽しかった。では、俺は先を急ぐんで、これにて失礼しますよ」


 ブライアンは満ち足りた顔をしている人たちに見送られ、テクテクと歩き出した。

 大きな川にたどり着き、ブライアンは手ですくって水を飲む。立ち上がると、虚ろな目をした人々が石を積み上げている。


「石の積み上げ競争ですか? 俺もやってみよう」

 ブライアンは平らな石を探しては積み上げていく。


「どうです、俺の石が一番高いのでは? さすが俺」

 見て見てと子どものように叫ぶも、誰も見てくれない。ピュウッと風が吹き、ブライアンが積み上げた石はグラグラッと揺れて崩れてしまった。


「おっと、崩れてしまった。では、次は」

 ブライアンは平たい石をせっせと川面に投げる。


「一回、二回、三回、四回。四回いったー。さすが俺。みんな、俺の水切り見た? ね、見た?」

 ブライアンは何度も石を投げる。ピョンピョンと水面を跳ねていく様を、他の人たちがどう見ているか確認するが、誰も見てくれない。


「なんだなんだ、ノリの悪い人たちだな。あなたたちも遊べばいいのに」

 次の石を投げようと持ち上げると、石の上で小さなクモが震えている。


「おやおや危ない。さあ、お前さんは向こうに行きなさい。石に潰されてしまうよ」

 ブライアンは小さなクモをそっと遠くに放してやった。しばらくすると、ブライアンの前にキラキラとした糸が降りてくる。


「なんだこれは。糸がある」

 ブライアンはグイグイ引っ張ってみた。


「すごい強度だ。これなら」

 ヒャッハー、ブライアンは糸をしっかり持つと、助走をつけてブラーンと揺れる。


「ワハハ、これは最高だ。子どもたちがいたら喜ぶのになあ」


 子どもたちとステファニーがいないことに寂しくなったブライアン。気を紛らわせるために、ズンズンと糸を伝って登っていく。フワフワの雲の上に着いた。


「なんて美しい花畑だろう。ステファニーや子どもたちに花冠を作ってあげよう」

 ブライアンはたくさんの花冠を作る。


「作りすぎたな。下の人たちにおすそ分けだ」


 上からフワッと石積みをしている人たちに向けて落とす。フンワフンワと緩やかに落ちた花冠は、下を向いている人たちの頭に優しくかぶさる。見上げてくる人たちに、ブライアンは叫んだ。


「おおーい、皆さん。上には素晴らしい花畑がありますよ。この糸を伝って上までいらっしゃい。俺が引っ張ってあげます」


 ひとりが立ち上がり、オズオズと糸を手に取った。ブライアンは渾身の力を込めて、糸を手繰り寄せる。


「いやあ、お兄さん、なかなか重かったよ。無事に持ち上げられてよかった」


 青年に花束を渡し、ブライアンはまた下をのぞき込む。次の人が糸を持っている。ブライアンは大汗をかきながら、全員を花畑まで引き上げた。


「石積み競争もいいけど、花冠作り大会も楽しいんじゃないですか? もちろん、優勝は俺のものですけど」


 ブライアンは特大の花冠を頭にのせると、家族分を腕に通し、皆に別れを告げた。


***


 冥界は、お花畑だった。


「あら、もっとおどろどろしい感じかと思っていたけれど。とても素敵なところじゃないの。トムとの思い出の丘みたいだわ」


 悪霊がきたら刈る気でいたマーゴット。拍子抜けして少し戸惑っている。


「冥界は、死者がありようを決める場所」

「心持ちひとつでいかようにも変幻する」


 チャンカワンカたちが重々しく告げた。


「ということは、おいしいお菓子をたくさん思い浮かべれば」


 わああー、マーゴットは感嘆の声を上げる。花畑の中に大きなテーブルが現れ、上にはたくさんのお菓子と果物が載っている。


「そういえば、お腹が空いていたんだったわ。少し食べましょうか」


 あーんとマーゴットがみずみずしいブドウをひとつつまむと、ペシッとチャンカワンカに膝を叩かれた。


「トムトムトムトム」

 チャンカワンカが呪文のように唱える。


「ハッそうでした。のんびりしている場合ではなかったわ。トムのところに一刻も早く戻らなければ」

「冥界は時の流れが地上とは異なる」


「意思を強く持ち続けるのも難しい場所」

「流されると、ここでうっかり長居、戻ると知っている人は誰もいない。そんなこともあり得る場所」


 チャンカワンカの言葉にマーゴットはステファニーの手を強く握りしめた。


「危ない危ない。先を急ぎましょう」

 ステファニーはなんだか、ボーッとしていたが、マーゴットに手を引っ張られ何度も目を瞬きする。


「わたくし、もう少しで眠ってしまうところでした」

「普通の人にはそぐわぬ場所」


 チャンカワンカがステファニーの空いている方の手を握る。


「これで大丈夫」

 頼もしいチャンカワンカと、元気いっぱいのマーゴットに挟まれ、ステファニーは歩き出す。


「ブライアンブライアンブライアン」

「トムトムトム」


 ふたりはブツブツと愛する人の名をつぶやく。


「あら? あそこに人がいますわ」


 ステファニーは目をこらすと、マーゴットとチャンカワンカの手を離し、駆けだした。

 巨大なテーブルの周りで膨らんだお腹をさする人々。


「こんにちは。皆さん、わたくしの夫に会いませんでしたか? とってもかっこよくて、背が高くて、優しくて。その上おもしろい男性なの」


 人々は顔を見合わせ、うんうんとうなずき、遠くを指さす。


「夫はあちらに行きましたのね? ありがとう」


 ステファニーがお礼を言っている間に、マーゴットはテーブルとフォークなどをしげしげと見る。


「お料理があんなに遠くでは食べにくいわね。それに、フォークやスプーンなんかも長すぎるわ。私が切ってあげますわね。幸いテーブルもスプーンも木でできているみたいですから。木なら草と同じようなもの」


 マーゴットは草刈りハサミでテーブルを細切れにし、フォークやスプーンの持ち手も短く切る。


「ほら、これなら食べやすいわよ。わたくしたちもご相伴にあずかりたいところだけど」


 チャンカワンカが遠い目をして首をブンブン横に振っている。


「先を急がなければいけないので、また次回。ではごきげんよう」


 ポカーンとしている人たちに笑顔で手を振り、マーゴットは歩き始める。しばらくすると、大きな川に着いた。


「石が積んであるわ」

「でも誰もいませんの」


 すると、上からヒラヒラと花びらが舞い落ちてきた。見上げると、上から見おろす顔がいくつも。


「手招きされてますね」

「あら、このキラキラしたのはいったい」


 マーゴットは目の前でユラユラしているものをハッシとつかまえた。


「細い糸だけれど、とてもしっかりしているわ」

 マーゴットは糸にぶら下がってみる。


「とはいえ、腕が痛くて体を持ち上げるのは無理だわ」


 草刈りが得意とはいえ、マーゴットの腕はそれほどたくましくない。王女らしいたおやかでほっそりとした腕なのだ。トントンッと、ツァールがマーゴットの肩をつつく。ファッサアとツァールの翼が開いた。


「飛んで連れていってくれるのね」

 ツァールは胸をドンッと拳でたたき、最初にマーゴット、次にステファニーを指さす。


「分かりました。わたくしはここで待っています」

 マーゴット、ステファニー、チャンカワンカ一式が、ツァールによって運ばれる。


 上に着くとたくさんの人から花束をささげられた。

「まあ、この花束をくださるの? ありがとう」

「なんて素敵。花びらをまいて歓迎してくださるなんて」


 照れた様子の人々は、モジモジしながら遠くを指し示す。


「あっちに行けばいいのね。助かりました」

「皆さん、どうもありがとう」


 美女ふたりが微笑むと、人々は真っ赤になった。


「冥界の人たちって無口ね」

「冥界でしばらく過ごし、冥界の食べ物を口にすると、言葉が出てこなくなるのだ」


 マーゴットがふとつぶやくと、チャンカワンカたちが答えた。ステファニーは真っ青になる。


「それは大変。早くブライアンをみつけないと。あの人、ご馳走があると気兼ねなく気安くお呼ばれしてしまうことで有名なの。あの人が、ニコニコ笑いながら、うまそうですねって言うと、誰もがどうぞどうぞって」


 ステファニーは青ざめながら少し頬を赤らめるという、器用な表情を見せる。

 そのとき、グラグラッと地面が揺れ、突風が吹いてきた。花びらが舞い上がり、視界が鮮やかに染まる。マーゴットはステファニーの手をしっかりつかんだ。


「冥王が笑っている」

「表情を変えないこと岩のごとしの冥王が」


 チャンカワンカが丸い目をさらに丸くしてつぶやいた。

「きっとブライアンだわ。あの人、誰かを笑わせることに全力を傾けてしまう人なの」


 ステファニーの歩みが力強くなった。グラグラとビュービューのひどい方にゆっくり歩いていく。陽気で早口な男の声が聞こえてきた。


「子どもが三人いるんですがね。長女のシェリーが生意気盛りで、俺と一緒にいるところを友だちに見られたくないようなんですよ」

「思春期の娘は父親がうとましくなるからの」


「シェリーが初めて王家のお茶会に参加することになって。あまりに心配だから近衛と話をつけて、こっそり部屋で見守ることにしたんです」

「そういうことすると、嫌われないか」


「だから、絶対に見つからないように、部屋の奥に飾られている金ピカの鎧の中に隠れて、微動だにせず見守っていたんです」

「お前、バカだろう」


「俺、猫は大好きなんですけど、猫が近くにくるとクシャミが出てしまうんですよね」

「なんか、先が見えてきたぞ」


「王子を囲んでキャッキャウフフのお茶会が宴もたけなわのときにですね。なんと猫が一匹部屋に入ってきて、よりにもよって俺の足元でゴロゴロニャゴニャゴし初めまして」

「あーあー」


「必死でこらえたものの、ついに盛大にクシャミをしてしまって。その拍子に兜がピューンッと飛んで、テーブルの豪勢なケーキの上に」

「あーあー」


「部屋は大混乱になるし、王子はキレるし、娘は泣きだすし、大変でした。陛下にこってり怒られましてね。でも、陛下も娘がいるので、気持ちは分かってくれました。それはよかったんですけど、娘は長い間、口をきいてくれませんでしたよ」


「それは、そうだろうの」

「今回、旅立つ前に、やっと話してくれました。パパ、無事に帰ってきてね。バカなことしてママを困らせないでねって。ハッ、ヒッ、フェーックション。ああー、猫がいるのかな」


 大きなクシャミをしたのち、ブライアンは振り返って、ツァールを見た。目を丸くし、次にマーゴット、そしてステファニーを見るとパッと立ち上がる。


「ステファニー、探していたんだよ。どこに行ってしまったのかと」

「それはこちらが言いたいことよ、ブライアン。ここまで来るの、大変だったんですからね」


 ふたりはしっかりと抱き合う。マーゴットは白髪の老人の前で跪いた。


「冥王様、初めまして。新しい破壊王のマーゴットと申します。今日は、ブライアン様を連れ戻しに来ました。なにか、手違いがあったと思うのです。このように若々しくてお元気なブライアン様が、まさか冥界の住人になるなんて。早すぎます」


「いや、少し予定よりは早かったが、元々ブライアンはこちらに来ることになっていたのだ。すっかり忘れているようだが、ブライアンは昔々、ワシと約束したのだよ」

「えっ、初めましてではなかったでしたっけ?」


 ブライアンが素っ頓狂な声を出す。


「そなたの嫁が初めての出産時にこちらに来てしまったことがあっただろう。腹の子どももろとも。そな

たは飛んでいく嫁と子どもの魂を、どういうわけだかしっかりつかまえ、一緒に冥界に来たのだ」

「ええー」


 ブライアンとマーゴットとステファニーは同時に驚きの叫びを上げる。


「あのときそなたは、俺の寿命を半分渡すから、妻と赤ん坊の魂を返してくれ、そうワシに詰めよった。それはそれはしつこく」


 冥王は疲れ切った顔でため息を吐く。


「異例ではあるが、まあ寿命を半分よこすと殊勝な申し出もあったのでな。嫁と赤子とブライアンを元の世界に戻したのだ。寿命が尽きかけ、記憶が混濁し始めたときに、再生王と破壊王に同時に触られ、寿命が終わったのだな」


「そんな、そんな。どうか、どうかお慈悲を。子どもたちはまだ小さいのです。わたくしも、子どもたちも、ブライアンが必要です。そうですわ、わたくしの寿命を半分差し上げます。ブライアンをどうかお返しくださいませ」


 ステファニーは冥王の前に平伏し、涙ながらに懇願する。


「ダメだ、ステファニー。君の寿命の半分なんて、とんでもないぞ」

「あなたのいない人生なんて、耐えられませんもの」

「子どもたちはどうするんだ」

「それは」


 ふたりの会話を聞きながら、マーゴットは必至で考える。なにか、なにかいい案はないだろうか。愛するふたりを救いたい。それに、ブライアンにとどめを刺したのは、やっぱり自分だった。このままブライアンが逝ってしまったら、罪悪感に押しつぶされてしまう。マーゴットは目を閉じ、集中した。フッとマーゴットの体から力が抜ける。


「冥王様、お願いがございます。新破壊王就任のお祝いをくださいませ」

 マーゴットは晴れやかな笑顔を浮かべ、冥王を見上げる。冥王は目を少し大きく開いた。


「いまだかつて、そのようなことを申した破壊王はおらぬぞ」

「私、初めてって大好きですわ。前例になるのも得意ですの。ホホホ」


 冥王は長いヒゲをしごきながら、渋々口を開く。


「望みはなんだ。申してみよ。ただし、ひとつじゃぞ」

「はい、僭越ながら申し上げます」


 マーゴットは深く息を吸った。


「私の望みは、愛するトムと幸せに暮らし、かつユグドランド島のホテルを繁盛させて住民とお客様を幸せにすることなのですが、それには問題がありまして、試験営業中にお招きした世界的に有名なブライアン様とステファニー様のご夫妻が来島早々に死亡なさったとなると、ホテルは閑古鳥が鳴くと思うのですよね、ですから、ふたりの寿命を元通りにして末永く長生きさせてください」


 ふいーっ、マーゴットは額の汗を拭きながら、ぜいぜいと深呼吸をした。

 ツァールとチャンカワンカは拍手喝采している。


「嫁の方はともかくとして、ブライアンの方は難しいぞ。そやつ、既に冥界の食べ物を口にしておる」

「そんな、あなた、何を食べたの?」


 ステファニーが叫んだ。


「何ってそりゃあ。前菜のサラダから始まり、パンとスープ、色んな肉、口直しの果物とデザート」

「全部ではないですか」

「あるものは全部食べるというのが、ヴァンダー侯爵家の家訓だから」


 キリッと言うブライアンを、ステファニーが絶望の表情で見つめる。マーゴットは、スッと立ち上がった。ブライアンの腕を引いて立ち上がらせると、草刈りハサミの柄でブライアンのお腹をドンッと突く。


「グッ、オッ、オエェー」

 ぱああーーっと、地面にブライアンが堪能した様々なものがまき散らされる。


「今、お返ししました。これで、いいですわよね、冥王様」


 マーゴットは草刈りハサミを構え、冥王を見つめる。冥王とマーゴット。雲色の目と、青空の目がぶつ

かる。双方、目を反らさず見つめ合う。灰色の目が、ふっと柔らかくなり、先にそれた。


「仕方がない。久方ぶりの活きのいい破壊王がわざわざ挨拶に来たのだ。そなたの望みを叶えてやろう」

「やったー、冥王様、ありがとうございます」


 マーゴットは草刈りハサミをポーンッと投げ、冥王に抱き着いた。草刈りハサミは、ツァールがしっかり受け止めた。


「そうだの、たまに冥界に遊びに来なさい。そこのおもしろい夫婦も一緒に」

「冥王様、ありがとうございます。今度は子どもたちも連れて来ます」


 ブライアンは朗らかに、ステファニーは泣きながらお礼を言った。冥王はまんざらでもなさそうに、かすかに笑う。


「うむ、たまにはにぎやかなのもよいだろう。ここはいつも静かだから」

「ここは涼しいですから、夏の暑い日に遊びに来ますわ」

「冥界を避暑地にするのは、そなたぐらいであろう」


 冥王は、今度は本格的に笑った。ビリビリと地面が揺れる。



 少しばかり寂しそうな冥王に何度も手を振り、一行は元の世界に戻った。マーゴットはトムとたっぷり抱き合い、ブライアンはホテルの予約を先々まで抑えた。


「毎夏、家族全員でこちらに来ます」

「ええ、お待ちしておりますわ。冥王様を楽しませて差し上げましょう」

「おもしろいネタをたくさん仕込んでおきます」


 オシドリ夫婦はより一層愛を深め、島を去った。社交界随一のオシャレ夫婦が、毎年ユグドランド島で休暇を取るらしい。そのウワサは世界を駆け巡り、ユグドランド島には宿泊希望の手紙が殺到したのであった。


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