36. 待てる男、トム 【完】
トム・アッカード、二十歳。花の咲く時期を調整できるという、庭師にもってこいのスキルを持っている。十年前、スキルが明らかになった時点で、王宮の庭園で働くことが決まった。土を柔らかく耕せるスキル持ちの父が、王宮の庭師として働いていることも大きかった。
元々、庭師になりたかったトムは、大喜び。十歳のときから、父と一緒に庭師として働いている。マーゴットと知り合ったのも、その頃だ。
第七王女だけど平民の母を持つマーゴットは、普通の王族とは大分違った。母リタが、堂々とパン焼き係をしていることも、マーゴットの特異さの原因だったのかもしれない。
マーゴットはよく、リタが焼いたパンを、庭の片隅に隠れて食べていた。大急ぎで詰め込んだのだろう。目を白黒しているマーゴットの背中を叩き、水を飲ませ、世話を焼いたのがきっかけで、仲良くなった。
「今日は王国の歴史を勉強しました。建国のあたりがぼんやりしていて、よく分かりませんでした」
「七歳でそんなことまで勉強するの? 王女様は大変だなあ。はい、これ」
つぼみの白い花をマーゴットにあげる。少し力をこめると、ふわあっと花弁が開く。マーゴットの疲れた顔が、パアッと明るくなった。
「うわあ、すごーい。トム、ありがとう」
「これね、デイジーとかマルガリーテっていう名前の花。マーゴットの花だよ」
「私の花」
マーゴットの目がまんまるになる。
「真実の友情っていう花言葉があるんだ。俺とマーゴットみたいだろ」
「ほんとだね」
トムは、心に秘めた愛という別の花言葉は、言わなかった。マーゴットは七歳、トムは十歳。まだ子どもだし。まだ早いし。マーゴットがビックリするじゃないか。
「今日はダンスを習ったの。足が痛くなっちゃった」
マーゴットは口を震わせながら、靴を脱ぐ。靴下に赤い血がにじんでいる。
「血が出ているじゃないか。どうして先生に言わなかったの」
「だって。言えないよ、そんなの。お姉さまたちはもっと小さいときから、上手に踊れたんだって」
「ちょっと待ってて」
トムは急いで庭の片隅にいき、ヨモギを摘み、水で丁寧に洗った。
「靴下脱いで。ヨモギを貼ってあげる。血が止まるよ」
マーゴットがモゾモゾと靴下を脱いでいる間に、ヨモギをもんで少し汁気を出す。ペロンと皮がめくれた小指とかかとにヨモギをそっと貼りつける。マーゴットは顔をしかめたが、唇を噛んで我慢している。
「しばらくしたら痛みもなくなるから」
「ほんとう?」
「うん。何度か取り換えよう。明日はダンスはやめなよ」
「うん。でも、次の舞踏会までに踊れるようにならなきゃいけないの」
「俺が教えてやる。ここで、裸足で練習すればいいじゃん。芝生だから柔らかいよ」
「トム、踊れるの?」
「踊れないけど。誰かに頼んで覚えてくるから」
庭師仲間に頼み込んで、王宮で働いている下級貴族を紹介してもらった。
「あの、お礼ってどうしたらいいですか」
「君さ、花を咲かせられるんだって? 好きな女の子がいてさ。その子にせっせと花を贈ってるんだけど。高くつくから」
「実験用の花壇があって、そこなら庭師も勝手に花摘んでもいいんです。それを七分咲きぐらいにしてお渡ししましょうか?」
「めっちゃ助かる。マジで。ありがとう」
貴族なのに気さくで言葉遣いもざっくばらん。彼のおかげで、トムは男性と女性どっちの踊りも習得できた。
「どうして女性側の踊りもできるんですか?」
「そりゃあ、その方がモテるからに決まってるだろ。女性側の踊りが分かっていたら、上手に導いてあげられるだろ。気持ちよく踊らせてあげたら、モテるからね」
「師匠、勉強になります」
師匠に、「そろそろいいんじゃない」と後押しされ、トムはソワソワとマーゴットを待つ。マーゴットはいつも通り、少し疲れた顔で庭にやってくる。高い生垣に囲まれた、トムとマーゴットの秘密の場所。
「お姫さま、俺と踊っていただけますか」
トムは鮮やかなピンクのダリアの花を、そっと差し出す。みるみる花開くダリアの花に、マーゴットは手を叩いて喜んだ。トムはダリアをマーゴットの髪に挿す。
「美しいお姫様が、もっと素敵になったよ」
マーゴットはどんな花よりかわいらしい笑顔を見せる。
「さあ、お手をどうぞ。お姫さま」
「お姫さまって呼ばれるの、好きじゃないわ。マーゴットって呼んでよ」
「では、お手をどうぞ。マーゴット」
「ありがとう。トム」
マーゴットは、恥ずかしそうに手を乗せると、靴をポイっと脱ぎ捨てる。ふたりは、疲れも忘れて、いつまでも踊った。
「これで、舞踏会には間に合ったね。みんながビックリすると思うよ。あの可憐で、踊りの素敵なお嬢さんは誰ですかって」
「あら、私、舞踏会では踊らないわ。トムとしか踊りたくないもの。立派な壁の花になってくるわね」
「マーゴットなら、誰よりも美しい壁の花になるよ」
ふたりで笑い合う。
草刈りという、王女らしくないスキルのおかげか。年頃になってもマーゴットに婚約話はこなかった。ただの平民のトムには、なにもできない。マーゴットのせめてもの息抜き相手になるだけだ。トムが気持ちを伝えたら、マーゴットは困ってしまうだろう。だから、決して一線を踏み越えてはならない。今のままでも十分、トムは幸せなのだから。
でも覇王フィリップの横暴が、トムに一世一代の機会をくれた。王都から離れ、のびのびと暮らすマーゴット。
もしかして、ひょっとして。そう思うこともある。でも、まだ早い。まだ言えない。トムはじっと待つ。マーゴットの心の花が、咲きたいと語るそのときを。それだけは、自然に任せたいと思うトム。
「トム、何ボーッとしていますの? ほら、せっかく私が草を刈ったのですから。素敵な花の種でもまきましょうよ。海が見える花畑っていいと思うのよね。恋人たちのデートにピッタリな場所にしたいの」
マーゴットが草刈りハサミを抱えて、トムを見つめている。朝日に照らされて、キラキラと輝く笑顔。ああ、君はなんてまぶしいんだ。トムは胸が苦しくなる。
「いいね。何を植えようか」
「私の花がいいわ。マルガリーテをたくさん咲かせましょう。真実の友情、心に秘めた愛、真実の愛。そんな花言葉があるんですってね」
マーゴットが得意げに言う。
「知ってたの」
「知ってるわよ。私を誰だと思っていますの」
マーゴットは偉そうに両手を腰に当てて、わざと高飛車な表情を作ってみせる。トムは一歩マーゴットに近寄った。
「たくさんのマルガリーテを咲かせるよ。マーゴットへの真実の愛だ」
「待っているわ、楽しみね」
トムは風に吹かれて顔にかかっているマーゴットの髪を、そっと後ろに流す。マーゴットはためらうことなく、大胆に、トムの首に両腕を回した。トムは、マーゴットに優しくキスをする。ふたりの後ろで、勝手に真っ白なマルガリーテがどんどん生え、花開いた。
青い空、緑あふれる島、鳥がさえずり、ミツバチがブンブンし、コボルトが吠える。お世話猫はそっとマーゴットの手から草刈りハサミを取り、ハンカチでモフモフの目頭を押さえている。
甘いマルガリーテの香りに包まれて、トムとマーゴットは、恋人になった。
《完》
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