35. それから
色んな国の社交界で、ユグドランド島のリゾートが話題に上がるようになった。
「お聞きになりまして? 猫島のこと」
「猫島といいますと、ノイランド王国の不毛の島のことですかしら? 確か、野良猫がたくさん港にいるとか。猫好きの間で話題に上がっておりましたわね」
「でも、野良猫でしょう? 野良猫はちょっとねえ。ノミやダニがいそうではありませんか」
貴婦人は、少しかゆそうにブルッと体を震わせる。
「それがね、巨大な猫様が現れたのですって。私たちより大きいんですって。モフモフなんですって」
「まあ」
猫好きのご婦人方が、一気に目を輝かせる。
「それって、魔物ですの? 危なくありません?」
「聞くところによりますと、どうも聖獣らしいのですわ。マーゴット第七王女をお守りしているのですって」
「まあ、素敵。私も猫様に守られたい」
「全力で同意いたしますわ。それでね、その聖獣猫様。マーゴット殿下をお守りするだけでなく、リゾートホテルの宿泊客をおもてなししてくださるそうなの」
「詳しく」
いつの間にか夜会の会場の一角に、猫好き貴族女性の円陣ができあがっている。
「お茶を運んでくださったり。特製の果物ジュースをオススメしてくださったりするんですって」
「んまあ。あのー、モフッと、ほんの少ーし、モフッとすることは、許されるのかしら」
お触り、大事。皆、口にはしないが、思いはひとつ。モフれない、見るだけ。それは、あまりにも、あんまりではありませんか。
「聖獣ですからねえ。どうかしら。でも、例えばですわ。チップを多めにお渡しするときに、両手でギュッと」
ギュッと、肉球にチップを置きながら、上と下から両手で。ギュギュッと。うん、いいね。
「メニューを見ながら質問するときに、さりげなく腕をサワサワフワフワッと」
「わざとお水をこぼして、ドレスを拭いてもらったり。いけませんわ、なりませんわ。なーんてことが」
「椅子から立ち上がるときに、よろめいたフリをして、抱きついてみたり」
キャーッ 黄色い歓声があがる。
場末の酒場で女給をいかに口説くかで盛り上がる、酔っぱらいのおっさんの様相を呈してきた。
「わたくし、あらゆる伝手を使って、予約いたしますわ」
「わたくしも同行させてくださいませ」
「わたくしも」「わたくしもぜひ」
誰の伝手を、どう使えば効果的か。貴婦人たちの密談はいつまでも続く。
***
アミーリャ帝国の皇宮の、それほど豪華ではない一室。ウィスキーをチビチビ飲みながら、リッキー・アミーリャ皇帝がつぶやいた。
「うまい酒が飲めるのか」
酒好きのリッキー皇帝、食指が動きまくっている。
「ナヴァロたちはまだノイランド王国で捕まったままだし。ノイランド王国との交渉はのらりくらり戦法でかわしてはいるが。行ってみたいものだ。うまい酒に魚釣り。休暇にピッタリだな」
カランカラン リッキーはグラスの氷を鳴らして天井を見上げる。
「さすがに俺が行くのは無理だろうな。変装したからって、護衛が見逃してくれるとも思えん。はあー、つくづく面倒な立場だぜ、皇帝ってもんは」
コンコン 扉が開き、四男のレオンが入って来る。
「父上。昼間っからウィスキーですか。いいですね。俺も一杯」
レオンは父の了解を待たず、勝手に自分でグラスにウィスキーを注いだ。リッキーは、自分には似ず、妻とそっくりなレオンを見つめる。
「レオン。お前な、ユグドランド島に行って、マーゴット王女を口説いて来い。そろそろ、お前もひとりの女性に落ち着いてもいい頃合いだろう」
方々で浮名を流すレオンは、美しい顔にかすかに微笑みを浮かべた。
「マーゴット王女はなかなか手ごわい女性だというウワサですが。やれるだけやってみましょう。うまくいけば、ナヴァロを解放してもらえるかもしれませんしね」
レオンのからかうような口調に、リッキーはむっつりと黙り込む。レオンはグラスを掲げる。
「親父殿の、忠実なる犬に」
「あれは、狼だ」
リッキーは仏頂面でグラスを掲げ、クイッと飲み干した。
***
ユグドランド島では、マーゴットがせっせと草刈りをしている。
「マーゴット、少し休憩したら?」
トムがバナナジュースを持って、やってきた。マーゴットはありがたく受け取って、ひと息つく。
「マーティンさんが言ってたけど、ホテルに泊まりたいって手紙がガンガン届いてるんだって。よかったよなあ、うまくいきそうで」
「いいお客様だといいわねえ。おかしな人が来たら、困っちゃうわね」
「事前に調べて、変な人は断ればいいんじゃないの」
「断れるぐらいの身分の人ならいいけれど。そうじゃないと、どうかしら」
「あ、そういえば、レオン第四王子ーってマーティンさんが叫んでたぞ」
「レオン第四皇子? アミーリャ帝国の? ええー、あの人、すごい女好きで女たらしってウワサよ。いやだー」
「帝国なんだ。じゃあ、皇子様か。面倒だな。マーゴットに色目使いに来たら」
うーん、トムが眉間にシワを寄せて腕組みをする。
「刈るわよって言えばいいんじゃない」
「何を?」
「さあ、何かしら。それは、そのときの気分次第ね」
マーゴットがいたずらっぽく言い、トムがぷっと吹きだす。
「マーゴットなら大丈夫か。俺も、がんばる」
何をかは言わなかったが、マーゴットは少し赤くなった。ふたりの後ろで、お世話猫ツァールが涙ぐんでいる。
ユグドランド島は、平和だ。今のところは。




