31. 四人の妻たち
覇王フィリップと妻ドーラが一週間の滞在を終え、王都に帰った。しかし、島民に気を抜く暇はない。次は、前王マクシミリアンの四人の妻たちがやってくるのだ。マクシミリアン抜き、四人の妻のみ。
博愛王と呼ばれたマクシミリアン。妻は二十人ぐらいいる。いや、いたというべきか。家臣に下賜されたり、実家に帰ったり、リタのように働いていたり。今、王宮に残っているのは四人だけらしい。
二十人の妻たちの間で勝ち残っている四人。イヤな予感しかしない布陣である。さぞかし癖の強いご一行であろう。
「四人でいらっしゃるんですね。意外です。皆さん、仲が悪いと思っていました」
「皆様、派閥の長でしたよね。バチバチに争っていらっしゃったようでしたのに」
「一人ひとりは素敵でお優しいのよ。でも、混ぜるな危険なのよ。同じ空間にいると、空気がピーンッて張りつめて。あ、耳がキーンッてなるって感じでしたわあ」
「分かる。一触即発ってこういうことかあ、って思った」
「なぜ、この四人なのですか、マーゴット様」
王都組がマーゴットを一斉に見つめる。
「私、この方たちにとてもかわいがっていただいたの。それぞれ、こっそりと、私を気にかけてくださっていてね。追放されるときも、なんとかするからって、引き留めてくださったのよね」
「意外です。派閥以外の女性には、目もくれない感じかと思っていました」
「それが、そうでもないのよ。皆さん、ひそやかに、ひめやかに、目をかけてくださってるのよ。大っぴらには動かないですけどね。ドーラ様からも、こっそり謝られたし」
「王族って、色々大変ですね」
「なんだか、めんどくせーですね」
島民たちは、聞いているだけで、気疲れする。
「別々にご招待したのよ。派閥でいらしてくださいって。ところが、なぜか四人でいらっしゃることになって。私も驚いているの」
マーゴットが大きな目をさらに大きく見開く。島民たちは、ゴクリと唾をのんだ。
「まさか、ここで頂上決戦をするつもりなんじゃ」
「王都から目の届かないところで、血みどろの女の戦い」
「野良猫のケンカみたいな」
「いや、王族だからね」
「仁義なき戦い」
「荒野の決闘」
「王族だから、ののしり合うだけじゃないかな。さすがにつかみ合ったりはしないよな」
なんだか皆の顔が期待に満ちて輝き始めた。
「ちょっと、楽しみかも。上品だけど、切れ味鋭い嫌味の応酬とか。見たいかも」
「窓枠を指でスーってやられて、ホコリのついた指をフッ吹かれたり」
「それ、ただのイヤな姑。ていうか、ホコリなんか残しませんからね」
「腕相撲とかで勝負つけてほしいなー」
「いや、やっぱ酒の飲み比べじゃね」
「いいね」
「それだ」
何が、それかは分からないが。とにかく、島民は何か、とんでもないものが見られるとワクワクが止まらない。
期待に胸をとどろかせた島民たちであったが。四人の妻たち、とても穏やかで平和だった。夫を巡っての血みどろ、ドロドロ、泥沼骨肉の争いを見られるかもしれない。ひそかに期待していた野次馬根性たくましい面々は、肩すかしをくらわされた感じだ。
皆からの暗黙の懇願を察知し、マーゴットが前面に出ておもてなしをする。王族には王族をだ。
「ようこそいらっしゃいました。アリステア様、ベティ様、カルラ様、デボラ様。」
「マーゴット、あいかわらず元気そうね」
「あいかわらず、かわいいわ」
「あいかわらず、強そうだわ」
「あいかわらず。それが一番よ」
「はい、おかげさまで。のびのびと暮らしております」
四人はマーゴットを囲んで、穏やかに微笑む。四人とも、五十代後半だが、まだ溌溂として元気いっぱい。王都から離れ、リゾートを満喫しようとワクワクしているようだ。
「かんぱーい」
世界樹について真っ先にしたことが乾杯だ。
「荷物はお任せするわ」
「部屋はあとでゆっくり見させてもらうわ」
「酔っぱらってちゃんと見れないかもしれないけれど」
「大丈夫。明日起きてから見ればいいのよ」
もう晩年の年のはずなのに、勢いのある王族女性たち。島民たちは恐れをなして、近寄らない。自然、マーゴットが引き続き相手をすることになる。
「やっとお役目からはずれましたから。これからは好きなことをさせてもらおうと思っていますの」
晴れ晴れとした顔のアリステア。二杯目のビールに口をつける。
「辛く、苦しく、長い戦いでしたわ。本当に。皆様、私たちよくがんばりましたわよね」
「かんぱーい」
「もう本当に、あの人ったら。捨て猫拾ってくるみたいな感覚で、次から次へと」
アリステアがため息交じりに言うと、残りの三人が頭を下げる。
「拾って、助けていただきました。マクシミリアン様とアリステア様には、お返しきれないご恩がございます」
「私、皆さんは仲が悪いのだと思っていました」
マーゴットはうっかり思ったことをそのまま口に出してしまい、慌てた。四人は気にするでもなく、いたずらっぽく目を合わせ笑い合う。
「そう見せていたのよ。その方が、マクシミリアンの評判が高まるから」
「彼のしていることって、結局はハーレム作りでしたでしょう。殿方の憧れなのよね、ハーレム」
「とっかえひっかえ、一夜ごとに別の女を。権力とお金がないとできない、お遊び」
「でもね、ハーレムなんて決していいものではないのよ。あんなものは、憧れのまま夢のままがいいの」
「だって、ドロドロですもの」
「やっぱり」
そうだろうなーと思ってはいたが、当事者にそう言われて、マーゴットは身を乗り出す。
「マクシミリアンが若い時は大変だったわ。彼の寵愛を巡って、熾烈な駆け引き。足の引っ張り合い、嫉妬、陰口、面と向かっての大喧嘩。色々あったわ」
アリステアが遠い目をし、三人がそっと目がしらを拭く。そんなにか。マーゴットは引いた。母はそういうゴタゴタが性に合わないから、ずっと料理人として働き続けていたらしい。
「マクシミリアンの愛を独り占めしようというのが、そもそもの間違いなの。彼の愛は、広く浅く薄く。どこまでも。王国中に広がっていくのよ」
「たまたま目についた気の毒な人を救い上げるのよね、彼は。私もその口でしたわ」
二番目の妃、ベティが両手を顔の横で広げる。
「私は婚約者を妹に取られたの。その上、私が悪女だからってことにされて。絶望していたところを、マクシミリアン様に救っていただいたのよ。王太子が私を望んだため、私の婚約が解消されたってことになったの。九死に一生を得るとはこのことか、そう思いましたわ」
いつも凛として、淑女の中の淑女と尊敬されているベティ。そんな歴史があったのかと、マーゴットは胸が痛くなった。
「私も似たようなものですわ。私、見た目があんまりでしたので、婚約話がなかったのです。このままだと修道院行きかしらと半ばあきらめかけていたときに」
「マクシミリアンは鼻が利くのよ。不幸な女性がいると、居ても立っても居られないの」
アリステアがデボラの手を軽くたたく。
「私は真逆ね。結婚したくなかったの。とにかく研究に時間を費やしたかったから。婚約を円満に解消できる方法を探していたのね。そしたら、マクシミリアン様が拾ってくれたのよ」
カルラが眉を上げて笑顔で言う。
「だからね、マクシミリアン様とアリステア様には幸せになっていただきたいのよ。マクシミリアン様は好きでなさっていることだとしても。アリステア様にとっては、冥府にいるみたいなものじゃない」
「やっぱり、そうでしたか」
そうじゃないといいな、と思っていたマーゴットであったが。チラッと浮かんだアリステアの苦悩の表情に、またしても胸が絞めつけられる気持ちになった。
「何が普通かを定義するのは難しいところですが。夫を他の女性と分け合いたい、そう思う女性は、普通はいないと思います」
女性たちが全員暗い顔になった。アリステアはグイーッとグラスを空ける。
「もう一杯、ビールをいただこうかしら」
「私も」
四つのグラスが空いた。
「あの、新しいお酒もあるのですが。お試しになりませんか?」
マーゴットはさっとお世話猫からメニューを受け取ると、四人に渡す。
「まあ、こんなメニュー、初めて見るわ」
「飲み物の名前と、何が入っているか、そして絵が描かれているのね。絵があると、どんな味わいか想像しやすくていいわ」
四人は真剣にメニューを眺める。
「私はメロンとラムとその他色々、にします。その他色々が一体何なのか、気になりますけれど」
アリステアが悩みに悩んだ上で、決めた。みんなでお酒の名前を決めるの、大変だったわ。マーゴットは思い出す。全部書く場所はないし、でも嘘はつきたくないし。苦肉の策の名前だ。
「では、桃と白ワインとあれこれ、でお願いします」待ってましたと言わんばかりに、ベティが注文する。
「このフェイジョア酒というのが気になるわね。初めて聞くわ」カルラが目を輝かせる。
「バナナとラムとクリーム系のなにか、がいいかしら」最後にデボラが頼む。
「チャンカワンカ チャンカワンカ チャンカワンカ チャンカワンカ」
チャンカワンカたちが満面の笑みで、歌い踊りながらやってきた。手に持った銀の容器を、踊りながら陽気にシャカシャカする。呆気に取られていたほろ酔いの女性たち。思わずプッと噴き出す。
「まあ、フィリップからおもしろいのがいるとは聞いていましたけれど」
「おもしろすぎますわ」
「今までの悩みが、スーッと消えていくような」
「来てよかったですわ」
チャンカワンカは得意満面にグラスにお酒を注いだ。お世話猫が仕上げの花飾りをつける。
「お世話猫といい、チャンカワンカといい。それにコボルトまで。かわいいがあふれているわね」
おっさんドワーフのチャンカワンカ。かわいい枠に入れてもらえて、ご満悦だ。
「甘くておいしーい」
女性たちは、グイグイ飲む。
「あ、あの。飲みやすくてゴクゴクいけてしまうと思いますが。きついお酒が入ってますから、気をつけてください」
「はーい」
ほろ酔いから本格酔いに移行した四人の尊き貴婦人。まだ昼間なのに。
「そういえば、皆さんはどうして仲が悪いフリをされていたのですか?」
話が途中だったと思い出したマーゴット。カルラがお代わりを頼みながら説明してくれる。
「理由はいくつかあるけど。一番はマクシミリアン様のためよ。ハーレム作ってたくさん女を侍らせて。見てる方はいい気がしないじゃない。後宮が四派閥に分かれて、ギスギスしている風にしたの」
「そうすると、それを取りまとめるマクシミリアン様に同情の目が集まるでしょう」
「派閥に分かれていると、統率が取りやすいですしね。アリステア様が全員をまとめるのは難しいですもの」
「だから、私たち四人は仲が悪くて、それぞれ派閥の長をやっているって。そう振舞ったのよ」
「それは、とても大変そうです」
マーゴットは、自分にはとてもできないなと、ゾッとする。バチバチギラギラしたご令嬢たちを手なずけ、手綱を握る。熟練した手腕が必要に違いない。小娘にはできない。
「大変でしたわ。でも、もうお役ご免なのです。マクシミリアンが王位から退きましたから。私たちも引退です」
「フィリップ陛下が王族の削減を始められたでしょう。これ幸いと、まだ若い女性たちはやめてもらったのよ」
「それなりにいい殿方に下賜されたわよね。マクシミリアン様を多数で取り合うよりは、よほどいいと思うわ」
「これからは、四人で旅行を楽しもうと思うの。私たち、戦友みたいなものですから」
アリステアの言葉に、三人が目を潤ませる。
「楽しみましょうね。では、次はトマトとビールにするわ」
「王都から離れて、なんの気兼ねもなく、暴露話ができるって最高だわ」
ガンガン飲む四人。しばらくして、うつらうつら眠り始めた。
「お部屋にお運びしてくださる」
マーゴットが小声でコボルトに頼む。女のコボルトたちが、そっと優しく抱き上げ、部屋に運んでいく。
コボルトがいてよかった。いなかったら大変なことになっていた。ホッと胸をなでおろすマーゴット。
のちほど、コボルトたちからこっそりと王族こぼれ話を漏れ聞いた人々は、ひっそりと喜びを分かち合う。
「お、おもしろい。そんな裏事情があったなんて」
「もっと聞きたい」
「みんな、分かってると思うけど、ウワサ話はこの部屋でだけよ。外では厳禁よ」
「はーい。情報が漏れるホテルなんて、誰も泊まってくれないもんね」
「この部屋でだけ、思い切り楽しみましょう」
新しい娯楽を得た島民たち。ますます結束が強まったのであった。




