30.水を浄化する杯
マーゴットとフィリップは、今まで疎遠だったのを埋めるように、散歩しながら話をするようになった。楽天的でのほほんとしているマーゴット。神経質でいつも気を張っているフィリップ。正反対のようなふたりだが。膠着した状態を、バッサバッサ切っていく剛腕さはそっくりだ。やはり血は争えないのかもしれない。
「ドーラ様は、今母さんとパンを作ってます。お兄様においしいパンを食べてもらいたいって、張り切ってらっしゃいました」
「マーゴット。それ、多分ドーラは私に秘密のつもりだぞ。言わないでやってくれ」
「あっ、しまった」
マーゴットは頭を抱え、フィリップは苦笑する。
「もっと早く、そなたと話をすればよかった。そうすれば、頭でっかちが治っていたかもしれぬ。色んな人を傷つけ、遠回りしてしまった」
「大丈夫です、お兄様。失敗しても、やり直せばいいのです。草は刈りすぎてもすぐ生えてきます。人も、意外と強いですよ。スキルだけでなく、本人の資質も見た上で、再雇用、配置の見直しなどされてるのでしょう?」
「そうだな。なんとか間に合った。まだ完全には見捨てられていなかったというところだが。部下と腹を割って話して、素直に力を貸してくれと言ったことが功を奏したようだ。張り切って、一人ひとりが今まで以上の力を発揮してくれている」
フィリップは少し笑顔を見せた。滅多に表情を変えないフィリップ。笑うと少し幼く、かわいくなる。それを言うと、「私はもう四十歳だぞ」と憮然とするので、内緒だ。
「お兄様は、ドーラ様や私以外にも、そうやって素の姿を見せると、もっといいと思います」
マーゴットはそれだけ言っておいた。
「難しいが、努めてみる。こちらから腹の中を見せれば見せるほど、相手も心をさらけ出してくれるものだと、最近よく分かった。私にはなかなか難儀なのだが」
「王は虚勢を張ってなんぼですものね。ある程度は仕方ないでしょうけれど。お兄様も、ドーラ様とパン作りを習うのはどうですか? 王都に戻ってパンを作れば、お兄様の信奉者が増えるに違いありませんわ」
フィリップがマーゴットの頭をポンッと叩き、マーゴットがフィリップの脇腹をくすぐった。
ふたりの笑い声が、波に溶けて行った。
***
マーゴットがチャンカワンカからもらった素敵アイテム、水を浄化する杯。きちんと活用している。使い道を喧々諤々、議論したのだ。マーティンはもちろん、島民一同、チャンカワンカまで、活発な意見を出した。いつも通り、ベネディクトが議論のかじ取りをする。
「まずは、試してみましょう」
井戸からくんできた水。普通のグラスと杯で飲み比べてみる。一目瞭然、いや、一口瞭然。違いは明らかだ。塩気がまったくなくなり、まろやかな味わいになっている。
「杯に入れた水を、普通のグラスに入れたらどうなるか、やってみますか」
少しずつ、皆で飲む。
「あ、大丈夫なんだ。すごいね。これで使い道がグッと増える」
「例えば、大きな水がめをふたつ用意して、ひとつは井戸水、もうひとつは空っぽにしてさ。杯でひたすらくんで空の水がめに入れればよくない」
「め、めんどくさ」
「でも、これでお客様にもおいしい水をお出しできるわ」
「こういうの、どうかしら」
マーゴットが杯をボチャンッと井戸水が入った水がめに落とした。
「杯に入ってる水ってことにならないかしらね」
「た、確かに。飲んでみましょう」
杯入り水がめから普通のグラスで水を飲む。
「うそー、効いてるー」
「やったー、水の入れ替えしなくていいってことじゃなーい」
「よかったー。これぞ賽の河原ーって思ってたよー。ちょっと意味違うけど」
皆が大興奮でマーゴットを称える。
「ということは、ですよ。だったら、水源の湖とか川の上流に杯入れちゃえば、もっと手っ取り早いですよね」
「大胆な案ですが、できそうな、気がします」
ベネディクトが考えながら顔を輝かす。
まずは、近場の川で試してみることになった。杯が流されないように、しっかり袋に入れ、長いヒモをつけ、川に入れる。しばらくすると、中流と下流にいた人たちがぞろぞろグラスを持って歩いてくる。口々に叫び、小走りだ。
「効いた、まじで、めちゃウマ」
「しばらくは、いつもの塩味だったけど、ちょっとしてからおいしくなった」
「すごい、この水使ったら、小麦ができるんじゃないか」
「ユグドランド島産の小麦でリタ様が焼いたパン。最高か」
わーいわーいわーい。大感激の島民は、チャンカワンカたちをよってたかって、胴上げする。ポーンッと投げ上げられ、フワッと受け止められるチャンカワンカたち。最初は固まっていたが、徐々に満面の笑みで投げられるようになった。
最終的に、杯は水源の湖に入れられることになった。湖がいくつかの川につながっているので、最も効果が高いであろうと。ベネディクトが地図をにらみながら最終結論をくだした。
島民たちから大感謝され、胴上げされ、チャンカワンカたちはとてもご機嫌。ずっと小声でチャンカワンカと歌いながら、小刻みに揺れている。
「もっと、褒められたい」「もっと、胴上げされたい」「もっと、感謝されたい」「もっと、いいとこ見せてみたい」「もっと、見せたい我らの力」
チャンカワンカ、どこからともなく、鉱石を持ってきた。やや目をそらし気味に、鉱石の説明をするチャンカワンカたち。
「一説によると、杯の材料になったと言われており」
「水を浄化する筒を作ってみようかなと」
「そうすれば、雨が降らなくて水不足になっても」
「海の水を浄化して、畑に水やりができるかも」
わっしょいわっしょいわっしょい。まだ出来上がってもいないけど。興奮した島民が、チャンカワンカたちを胴上げする。胴上げを、最高の娯楽と思っていそうなチャンカワンカたち。子どものように笑っている。
そんな技術、出しちゃっていいんですかねえ。島民たちは、ちょっとした疑問はそっと呑み込んだ。チャンカワンカたちの鍛冶技術を食い入るように見つめる。
トンカントンカン バチバチバチ 巧みな技で、長ーい筒が出来上がる。なんと、ちょっと柔軟性があり、曲がる。ええー、どういうことー。曲がるー。初めて目にする、不思議な筒に、島民たちの熱気は最高潮に高まった。
「この長ーい筒をですね」
「海の中に直接入れると、海の水が真水になって、魚がえらいことになるかもしれないので」
ああ、確かに。え、そんな? そこまでの効き目? 疑問に思いながらも続きを待つ人たち。
「海の水を、水路を使って島の内部に引きます。ため池にしてもいいかもしれない」
「そこに長ーい筒を入れて、畑用の用水路に水を入れればいいのではないか」
なんか、いけそうじゃない。そんな明るい気持ちが島民を包み込む。チャンカワンカはせっせと長い筒を量産し、島民は水路やため池を作る。島民たちは、毎日チャンカワンカたちを胴上げするのが日課になった。こんなすごい技術を垂れ流しにしてくれるのだもの。毎日の胴上げぐらい、なんてことはない。
チャンカワンカ、何百年も地下神殿で眠っていた。褒められ慣れていないので、嬉しくて仕方がない。承認欲求のかたまりみたいになっている。島民たちは大人なので、自分より数百歳以上年上であろうチャンカワンカを、毎日褒めたたえている。




