20. コボルト
日の出と共に、ガンガンと刈り進んでいくマーゴット。たいした魔植物とも出くわさず、いたって平和に距離を稼いでいる。そして、ついに南側の海にたどり着いた。爽やかな潮風に、マーゴットの髪がなびく。
「海ー」
「やりましたね、マーゴット様」
「おっしゃー」
マーゴットと護衛とツァールは肩を組んで飛び跳ねる。
ワウワウワウワウウッ 子犬たちに囲まれた。
「コボルトー」護衛が剣を抜き、マーゴットを後ろにかばう。
「シャーッ」ツァールが珍しく、本気のシャーッを見せた。
「まあ、かわいい。猫も大好きだけど、私、犬も大好きよ」マーゴットは目を輝かせて手を叩く。
ツァール以外のモフモフに近寄られたことのないマーゴット。すっかり浮かれている。
「シャーッ」ツァールが珍しく、もう一度本気のシャーッを見せた。
マーゴットは、ここでようやく、自分と周りの温度差に気がついた。
「あら? これって危険な犬ですの?」
「いただきますって気配がありますよね」
「獲物だと思われているかと」
「まあ」それは問題だ。マーゴットは草刈りハサミをおもむろに開いた。
「刈るわよ、毛を」
ヒーンヒンヒンッ キュウゥゥーン コボルトの群れが、一斉に腹を見せる。
「モフモフしてもいいかしら」
マーゴットは、草刈りハサミを持ったまま、片手でコボルトたちをワシワシした。
「犬を触るのは、初めてよ。かわいいわ」
「シャーッ」ツァールが、またしても本気のシャーッを見せた。
ワウーン ひときわ大きな遠吠えがしたかと思うと、巨大なコボルトが現れる。
「お前ら、何やっとるんじゃ」
大きなコボルトは四つ足から人のように立ち上がるとののしる。途端に、ワシワシされていた小さなコボルトたちが、シュタッと姿勢を正し、整列した。
「あんたたち、どっから来た。ここは人の来るところじゃねえ」
大きいコボルトが、疑い深そうな目でマーゴットたちをジロジロ見る。
「北から来ましたけど」
「北? どうやって? 海からは来られないはずだが。あの潮流は船では近寄れないはず」
「森を通って。ほら、あそこ」
マーゴットは後ろの一本道を指し示す。ズドーンと一直線。複数人が並んで進めるぐらいの道幅で、森がスッキリしている。
「森って、あれ、魔植物の巣窟だぜ。うそだろ」
「魔植物? いませんでしたけど」
マーゴットは首をかしげる。後ろから、護衛が遠慮がちに声をかけた。
「マーゴット様。魔植物、割といました。はい」
「そうですね。俺たちなら手こずりそうなやつが、結構。ええ」
シャーッ ツァールも優しいシャーで同意している。
「まあ」まったく記憶にないマーゴット。
「まさか、あんた、王か?」
マーゴットは一瞬考えてから、頷く。権威は使うべきだろう。
「ええ、そうですわ。マーゴット・ノイランド第七王女ですわ」
草刈りハサミを担いで、王女の微笑みを浮かべる。
「やっと破壊王が戻ったか。ありがてえ」
そっちか。まあ、いいか。似たようなものだろう。マーゴットは肯定も否定もしない。沈黙の微笑みは、王族の最も効果的な武器だ。相手は、勝手にいいように勘違いしてくれるものだ。
「ご帰還された破壊王に敬意を表して、敬礼」
大人のコボルトと子犬コボルトが一斉に後ろ足で立ち上がり、前足をクルっと曲げた。キリッとした表情だが。か、かわいいー。マーゴットは必死で表情を取り繕う。敬礼されている最中に笑うのは失礼だもの。
「私、王女ですから。数々の敬礼を受けてきましたが。これほど、その、素敵な敬礼は初めてです。ありがとう」
マーゴットは心からお礼を言った。子犬コボルトたちは四つ足に戻り、しっぽをブンブン振っている。
「歓迎する。こっちに来てくれ」
コボルトたちから、荒々しい気配が消えた。子犬コボルトたちにまとわりつかれながら、マーゴットは笑顔で歩く。モフモフが、足元に、いっぱい。
後ろでお世話猫の雰囲気がどんどん不穏になっているが、マーゴットは気づかない。
コボルトたちの集落は海に面した崖にあった。意外なことに、人が使う家屋だ。崖にぴったりとたくさんの小さな家が建っている。水色やピンク、派手な色合いの家が多い。
「なんてかわいい家かしら」
マーゴットはうっとりした。花束みたいな家に、モフモフたちが住んでいる。夢のようだ。
「昔は、森に住んでたんだ。だけど、どんどん魔植物が増えて、ヤバいのも増えていって。海側に来ちまった。で、人間が住んでた家をねぐらにしてるってわけ」
「それは、大変でしたわね。でも、海辺でこんなオシャレな家に住めるって、素敵だと思うわ」
マーゴットにも乙女らしい心はあるのだ。愛らしいもの、おいしいもの、モフモフ。多くの令嬢に愛されているもの。マーゴットも大好きだ。
「まずは、長老に話を通さねえと」
ひときわ目立つ、水色の家に案内される。遠巻きに見ていたコボルトたちが、グルッと家の周りを囲む。
家の中には、小さな老コボルトが、ちんまりと座っている。
「長老、破壊王がお戻りになられた」
大人コボルトが大きな声を出す。マーゴットは少し耳が痛かったが、我慢した。老コボルトは、ボソボソと何やらつぶやく。大人コボルトが、近づいてしばらくして頷く。
「長老がこう言っている。破壊王がいなくなってから、魔植物と魔物が増えすぎた。もう我らの手に負えん。破壊王はすさまじい力を持つと聞いている。その力を見せてほしい。そうすれば、心からの忠誠を誓う」
「分かりました」
マーゴットは堂々と引き受けた。ここで引き受けないのは、なしだろう。これでも王女。ここまで言われて引き下がっては、マーゴットの名がすたるというもの。
自信たっぷり、長老の家を出たものの、マーゴットの頭の中は忙しい。どうしようかしら。草は刈れるけれど、魔物は刈れるかしら。王女らしい笑顔のまま考え続けるマーゴット。いつの間にか、別の家に案内されていた。
「魚ならあるけど、食べるか?」
「ありがとう。いただくわ」
我に返ったマーゴット。難しいことは、あとで考えることにして、ありがたくご馳走になることになる。ないとは思うが、仮に毒が仕込まれたとしても、ツァールがなんとかするだろう。
どーんと、皿に山盛りの魚が机に乗せられた。どう見ても、生だが。マーゴットは戸惑って、コボルトを見る。コボルトは、あっという顔をした。
「すまん。人と会うのは久しぶりで。うっかりしてた。人は、生魚は食べないよな。焼くか、煮るか、どうする」
ツァールがさっと皿をつかむと、魚に手をかざす。魚から湯気が上がると、塩と胡椒を取り出してパラパラと振りかけた。フンっと鼻息荒く、得意げにマーゴットの前にお皿を置く。
「おいしい。ツァール、ありがとう」
マーゴットがお礼を言うと、ツァールはまたフンっと鼻を鳴らす。鼻息で、マーゴットの前髪が動く。
「その猫、すげーな」
「ツァールはね、なんでもできるの。その上、モフモフで最高なの」
すっかり感心しているコボルトに、マーゴットはここぞとばかりに自慢した。ツァールがフスーッ、フスーッと息を吐いた。マーゴットの前髪は激しく揺れている。




