15. 届け
針に糸を通すスキル持ちのタバサ。前王マクシミリアンの影響で博愛精神が強かった王宮で、お情けで職を得た。十五歳の時から、ひたすら針に糸を通してきた。真面目に、コツコツと。お裁縫係の仕事が進みやすいように。普通の人なら目がショボショボして、手がプルプルする糸通し。通らんわ、キイイーっとなりがちな糸通し。タバサにとっては朝飯前の仕事だ。
地味な仕事だ。感謝されることもめったにない。朝早くから職場のすみっこで黙々と糸を通し続けて四十年。よくやったもんだと思っていたのに。
「誰でもできる仕事に給料を払うわけにはいかん。もう引退しろ」
そんな感じで、あっさりとお払い箱になった。
「私の人生って、なんだったんだろう」
夫に先立たれ、子どもたちは独り立ちした。古くて小さいけれど、毎日掃除をして整えてきた借家で、タバサは呆然としていた。
そんなとき、マーゴット王女と共にユグドランド島に行かないかと、同じくクビになった元同僚から誘われた。
「そうね。どうせここでは誰も私を必要としていないし。貯めていたお金をちょっとずつ使いながら、死ぬのを待つだけだもの。だったらユグドランド島で死ぬのも一緒だわね」
クサクサした気分で、やけっぱちでやってきたのだけど。ユグドランド島の生活は、楽しかった。
「タバサさん、糸通してーってばあちゃんがー」
子どもたちが毎日、糸と針を持ってやってくる。
「タバサさん、いつもありがとう。もうさあ、目がよく見えなくて、やってもやっても通らないんだよ。何度も糸に唾つけてよってさあ、ベタベタになって。でもやっぱり通らなくてねえ」
「タバサさんのスキルってすごいわねえ。タバサさんが通した糸、絶対針から抜けないのよ。ビックリだわ」
島の女性たちから、心から感謝される日々。ちっぽけな自分のスキルが、役に立った。
ささやかなスキルに、ちょっとした感謝の言葉。それだけで十分幸せを感じていただのだが。ここにきて、タバサ、人生初の重責を負わされている。鋭い目をした、無表情の男、ベネディクト。背が高く、少しトカゲっぽい顔をしている、いかにも切れ者といった雰囲気。マーティン領主の右腕として、皆から一目置かれている、デキる執務補佐官。
今まで関わりのなかった、威圧感のある男から、グイグイこられる。はるか高みから見下ろされる。
「もっと、集中して。あなたならできるはずだ」
熱い視線に、重い期待。
「い、いや、そんな」
私には無理です。そう言いたいけど、言えない空気が立ち込めている。
「針に糸を通せるんだ。小屋の屋根についた輪っかに綱を通すぐらい、簡単でしょう」
「え、ええ」
そうなのか? 本当に? 半信半疑のタバサ。小屋の屋根に複数ついている鉄の輪っかを見つめる。そう言われてみれば、針の穴と思えないこともないような? ぶっとい綱も、裁縫用の糸に見えるかもしれない?
混乱しながら、タバサは念じる。通れ通れ。
「やったー」
「すっげータバサさん」
綱を持って目をつぶっていたタバサ。いきなり湧いた歓声に驚いて目を開ける。タバサの持っていた綱が、勝手に屋根の上の輪っかに通っていた。
「えっ、うそ。どうやって?」
「これがスキルの力かー」
「綱が勝手にスルスルーって」
目撃していた男たちが、興奮した様子でタバサに説明してくれる。タバサは真っ赤になった。人生で、これほど注目され、褒められたのは初めてだ。
「わ、私、がんばります」
できる、きっとできる。六十歳にして、自分のスキルに自信を持てたタバサである。
「タバサさん、さすがだわ」
ユリアは、真っ赤になってワタワタしているタバサを見て、そっと目がしらを拭いた。王宮の底辺として働いていた同僚だ。同じ時期にクビにされた同士だ。腹をくくってユグドランド島にやって来た仲間だ。
誰にも顧みられず、道端で踏みつけられている雑草。そんな目立たない自分たちだけど。陰ひなたなく真面目に働いていれば、いつか認められる、そう信じて生きてきた。
王都で用無し扱いを受け、自尊心がズタズタになったけど。よかった。ユリアは決意をこめてギュッと唇を閉じる。持ち上げなければならないのだ。なんとしても、この家を。
「ユリアさん、自分を信じて。これは小屋じゃない、ただの荷物だ」
ベネディクトが真剣な目をしてユリアを見つめる。
そうよ、これは荷物。小屋じゃない。木でできた、ただの木箱。ちょっと大きいかなーって感じだけど。ただの小包よ。ユリアは無茶苦茶な理屈で、自分を励ます。
ユリアの決意を秘めた顔を、木の上から見守るロン。何度も試行錯誤して、作り上げた滑車をそっと触る。そう、王宮をクビになったとき、まさにこんな滑車に地位を奪われたのだった。ベネディクトさん、よく複滑車のこと知ってたな。ロンはベネディクトの知識の幅広さに舌を巻く。
自分は役に立ってる。そう思っていたけど。
「新しい滑車の仕組を取り入れたから。君はもう来なくていい」
井戸に設置された、新しいふたつの滑車。固定と動く滑車、ふたつを組み合わせることで、わずかな力で水が汲めるようになった。もう、ロンのスキルがなくても、誰だって水汲みができる。
「誰か特別なスキルを持った人に業務が依存するのはよくない。陛下はそうお考えだ。誰でも、スキルがなくても、仕事が回る様にしなければ。素晴らしいお考えだ」
上司は感心しきった様子で、陛下の素晴らしいお考えを説明した。言ってることは正しいと思う。すごく腹が立つけど。でも、陛下の言ってること、チグハグじゃないか、ひそかに思った。
覇王スキルという特別な力を持つ陛下。超有能スキル持ちで周りを固めている。有力なスキル持ちに仕事を集中させ、ハズレスキル持ちをたくさんクビにした。それって、特別な誰かに業務が依存してるってことじゃね。
「結局あれだろ。超有能スキルに業務が集中するのはいいけど、ハズレスキル持ちがでかい顔してるのが腹立つってだけだろ」
でかい顔なんかしたことないけどな。いつだって、調子にのらないように気をつけていた。いい気になると足をすくわれるって、平民は誰でも知ってるから。だけど、誰かにイラっとされたのだろう。だからクビになったんだ。そうロンは受け止めた。
滑車に奪われた仕事。もう一度取り戻す。ロンは相棒の滑車を撫でた。
ロンが滑車に指を滑らせている隣で、ポールは深呼吸を繰り返している。
「糸巻きスキルだってえ。男が、糸巻き。ハハハハ」
何度そうやってバカにされたことか。女性だらけの裁縫部屋で、小さくなって糸を巻いてきた。タバサさんはずっと優しかった。ふたりで、目立たないように、皆を支えるために働いてきた。糸巻きをバカにするな、本当は大きな声で叫びたかった。
きれいに巻かないと、糸がよれる。もつれる。切れる。上手に巻けていると、引っかかることなく、コロコロと軽快だろう。糸がもつれたら、みんな、イラーッとするだろう。切るのか、ほぐすのか。チッめんどくせーってなるだろう。俺が巻いた糸は、絶対そんなことにならない。美しくより合わさった糸が、整然と行儀よくクルクルと巻き上がる。巻き上がったツヤツヤの糸の束。それを見るのが好きだ。
「これは糸、これは糸」
ポールはユリアと同じようなことを言っている。太い、頑丈な綱だ。滞ることなく、つっかかることなく、カラカラと巻くのがポールの仕事だ。
「ユリアさん、持ち上げて」
ベネディクトの声が響く。
ふわーっと優しく小屋が上がる。
「ロン、ポール、頼む」
ベネディクトの必死な祈るような目。
「任せとけってー」
「いっけー」
ロンが綱を引き、ポールが綱の動きを整える。
「よっしゃー」
「上がったぞー」
「上がった上がった」
小屋は、無事に世界樹の枝まで届き、男たちの手によってしっかり設置される。ロンとポールは枝の上で抱き合い、ユリアとタバサはふたりを見上げながら下で飛び跳ねた。
「見たか王都、これがハズレスキルだー」
誰かが叫んだ。全員が拳を上げて雄たけびを上げる。
「見ろ、王都よ。俺たちはここにいるぞ」
ベネディクトが、マーティンが、マーゴットが、後に続く。俺たちの声も、届け、王都に。




