死の美学のあれやこれや
内容は特に重くも深くも無いです。主に文学や芸術における死の描写について徒然と。
1.イントロ
2.死との向き合いのあれやこれや
3.死に方の美化のあれやこれや
4.無意味な死のあれやこれや
5.まとめっぽい何か
結構色んな文学のネタバレ含みますが、なるべく有名どころばかりに絞りました。
【イントロ】
「死の美学」というテーマは、様々な文化や時代で芸術家、思想家、哲学者によって追求されてきました。死は、どんな人でも避けることができない普遍的な経験であるからこそ、死に関わる考え方や感情は、多くの形で描かれ続けられ、残され、今でも続いています。
例をあげると、死を美しいと感じる視点や、死によってもたらされる深い意味や啓示を探求すること、また死という不可避な現実に直面した際に、人間がどのように向き合い、超えることができるのかを考える事が主に、重要な要素として挙げらます。芸術や哲学では、死の美学は生と死の対比や、死を通して人間の存在や意義についての理解を深める方法として頻繁に取り上げられます。
死は、どんな人にも確実に訪れる運命の出来事であり、そのため世界中で死に関する文化、考察、思想と芸術が存在します。正に世界中で共有されている概念。そのため、死とその美学を突き詰めれば突き詰める程、無限に広がっていくと思います。
で、何で急にそんな話を始めるからかと言うと…
まあ、何となく?いや、最近ハムレットを読み直した、というのもあるのですが、昔から惹かれてやまないテーマなのには、違い無いです。しかし重々しくみえて、本作は結構サラッとした迷走エッセイです。
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【死との向き合いのあれやこれや】
本格的に死についてよく考え出したのは多分、十代半ばの頃です(ありがち)。
その頃、哲学・宗教学のクラスで、安楽死関係のディベートが準備され、題材として使えるかな、と軽ーい気持ちで呼んだ「Ars moriendi」、「死の芸術」「死の美学」と訳せる、15世紀に書かれたラテン語の著書がありました。多分、これが一番最初に「向き合った」時だと思います。この書物は当時から西ヨーロッパの言語には、一通り通訳されました。最もアピールしたのが、キリスト教的な「良い死」の概念であると同時に、死にゆく人と、残された者への慰めも、強く感じるものがあったのが、非常に印象強かったのです。
「死の美学」だけではなく、「生の美学」との印象も強く、「死への準備をする事」が人生における、ごく自然な事であると訴えたものだと、当時は感じたものです。黒死病の大流行後、より身近に感じられた「死」を「安らかに受け入れる準備」を目的としたものですが、現在でも通じる考えも多く、後世に多大な影響を与えた事は否めません。
ただそれ以前から、文学や娯楽で「美化・美学のある死の描写」は当然多く、読んでいた書籍にも多く死のテーマは関連しています。
音楽という面でも、地元の民謡には、人の死と別れ、儚さをテーマにした歌が多くあり、そしてそれも惹かれて止まない何かがあるからこそ、現代でも語り継がれ、そして作者のプレイリストには大量に入っています。
文学、芸術や哲学にも、万国通して深く通じ、西洋文化を例にあげると、「Memento Mori, vanitas, mortality(「死の意識」「虚しさ」「死への終焉」)」と凡そ明るくないテーマがてんこ盛りな作品が多くあります。しかし、美術館にいけば、他と比べると中々の長時間、これらをボゥっと眺めてしまうものです。何ならコピーが幾つか自室の壁に張り付いています。
死には、恐れと同時に、何か惹かれて止まない魔力があるものです。
シェイクスピア悲劇に、「死」のテーマは避けても通れない要素であり、冒頭で述べたその代表格の「ハムレット」は、劇を通して、形を変えながら死と向き合っていると言っても、過言ではありません。
冒頭では親しい人物の死を嘆き、死後どんなに偉業を語られど生前の輝かしさには劣るという考え。
どんな人間も平等にミミズの肉になる事を嘆き、無常、儚さを一しきり語り、死への恐怖を認めると同時に、生きる事の意味を見失い、辛いが故に死に憧れ、自殺願望を仄めかす。
死がもたらす結果は同じでも、死に方もまた多大な影響を与えるという訴え。
そして、確実に来る死は避けられないから故に、ただ「準備をしておく」という覚悟の瞬間。
いやあ、シェイクスピアって天才ですね、痺れます、ゾクゾクす(ry
で、ハムレットから何を学んだのか、と問われれば…
…いや、何にも?別にその為のストーリーでは無い。ただ、確実に「死」について嫌と言う程思い出させられ、まあ、何故それが良いのかは後ほど書きます。
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【死に方の美化のあれやこれや】
また、文学に置いて「英雄的な死(heroic death)」というか、「カッコイイ!」と思わせる死の描写が多々あり、死に方そのものに美を求めるものが多いですね。
信念に基づき戦いながら死ぬ、というのがその一つで、死後は屈辱的でもヘクターとアキレスの一騎打ち(イリアードより)とか、最終的には悪役だけど、マクベスとマクダフの一騎打ち(マクベスより)とか、史実とは違うけど、ヴェルディ・オペラのジャンヌ・ダルクの最後とか。かなり華々しい印象を与える描写を使いますよね。
あとは「他人の為に犠牲になる」。指輪物語のボロミュアとか、(しれっと生き返るけど)ナルニアのアスランとか(というか、元祖はイエス・キリストですね…)、リヤ王のコーデリアとか、二都物语のシドニーとか、ポッターの両親とか。
また、それとは別に、ハムレットのオフィーリアみたいに、おおよそ現実的では無いとはいえ、悲劇のヒロインが優雅に歌を口遊みながら、花と共に水の中に沈んでゆく…という、美化に美化を重ねた「死の瞬間」とか。「映える」が故に、ロマン派絵画に多いですね…
まあ、現実的な問題、こんな死は基本、迎えなくて良いなら迎えたく無いでしょうし、でもだからこそ、覚悟を決めてそれを決断した人物、もしくは人間が共通して、大なり小なり恐れを感じる「死」を鼻で笑える人物には、(史実でもフィクションでも)強さを感じ、美しさを見出すんでしょうね。
フィクションでは、勿論作者も好きな描写です(*しかし、本音を言うなら、リアルの場ではこの考えには、限度があるべきだと思っています。英雄的な死の思想は時には非常に危険であり、歴史を辿れば、主に若者を中心に、利用(悪用)する目的で扱われます)。
好きなキャラクターは、爺さん婆さんになってベッドで死ぬよりは、戦って死んだ方がイイ!!と思っている読者も多いと思いますし、なんなら、「この死に方以外あり得ねぇ!」と思ってしまうキャラもいる訳です。冷静に考えたら、絶対そっちの方がキャラ的には辛いだろうに、不思議ですね。
憧れる人物には、人は無意識に強さを求め、死を恐れない姿勢はその解り易い表し方なのでしょうね。でも、やり過ぎると共感出来なくて、好きなキャラにはなり難い。さじ加減が難しいものです…
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【無意味な死のあれやこれや】
ただ、そそられる宣言をしたものの、作者が特に印象に残っている文学における「死」の描写は「ロミオとジュリエット」のマーキューシオです(ちなみに劇内で一番好きなキャラでもあります)。避けられた喧嘩を「友人の名誉」の為に買って出て、だけどそのせいで取り返しのつかない、致命傷を受けます。
比較的明かるかった劇は一変、そしてマーキューシオ自身も徐々に現実を理解し、自分が巻き込まれたいざこざ、そして己の死の無意味さを理解する瞬間、劇中でも最も痺れる台詞を言う訳です。ゾクゾクす(ry
ベンヴォリオとロミオはその死を勇敢なものだと捉えながらも(要は周りが勝手に美化したって感じですね)、本人は一番現実的に、冷静に、シニカルに理解し、残るは「ミミズの肉」になる事だと自虐し、息を引き取る…
きっと後悔した!絶対した!嗚呼無情!ゾクゾクす(ry
まあ、劇全体が死の美化代表格なロミジュリですが、冷静に考えれば全て避けられた事であり、死んだ人は全員無駄死に、と劇内でも仄めかしています。
文学で度々描写される、「無意味な死」。ただ、ある意味、最も悲劇的であり、現実的であり、想像に容易い部分であるからこそ、最も心に触れ、深く影響を与える部分があるんだと思います。それはそれで、一種の芸術の形を取っていて、「死の美学」の一つ…なんですかね。どうだろう。取り合えず、印象には残るけど残らない、モヤモヤするのに、凄い動かされる、不思議な描写です。
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【まとめっぽい何か】
きっと死と言うのは、人類がある限り、最大の謎であり、最大の興味であり続けると思います。
さて、今回は主に文学を通しての「死の美学」に関する考察でしたが、個人的に、「死」の概念と向き合うことは、精神の成熟や成長にも繋がる気がします。死を考えることで、一時的な物質的な欲望よりも、精神的な満足や意味を求める事って、ありませんか?未知で恐ろしいものだと思うと同時に、「死」の概念は、私に人生の意味や価値を考えるきっかけとなるのものだと思います。
作者は、まだ前頭前皮質が発達し終えていない程度には若く、健康体なので、ぶっちゃけ死はまだまだ先の事の様に感じるのは、否めません。と同時に、無神論者なので、死後の救いは求められないです。
しかし、芸術や音楽、文学等をキッカケにでも、ふと死を意識した瞬間、何となく過ごしていた時間も、これから先待ち受けているものも、有限なのだと再認識し、だからこそ何とも儚く、尊く、美しく感じるのです。
この瞬間を彩るには不可欠だからこそ何とも不思議で、でもいざ親しい者に訪れると悲しくて、文学や芸術の場だと美を見い出せるのに、それでいてやっぱり少し怖いものだと、何度も思ってしまうのです。
結局…死って何なんでしょうね。
嗚呼…儚い…そしてそれがイイ!!!
別に何かあったとかじゃないですw ハムレット以外に、強いて言うなら、数か月前、悲劇レベル1000なゲームを終えたばかりで、微妙に引きずっています。超名作だった…!
定期的に考えちゃいます。エッセイのまとまりが悪いのが少し残念ですが…でもここまで世界中で共通されるテーマって、何か良いですよね。
そして知っている人は、お久しぶりです。色々ありました。徐々に復帰を頑張ります。