18 想いを伝えるキス
「メルティさん!」
「メルティ!」
「お姉様!!」
先生と、殿下、多分ベル様の声がして。
足早になりながらちらりと見ると殿下とベル様が椅子から腰を浮かせている。
わたくしはそれを横目に教室をでた。
はしたないなんて考えることすら放棄して、わたくしは廊下を走った。
走りながら考える、馬車はその日の授業の終わりまでは来ない。
一番早い移動手段は……。
そう頭の中で組み立てているといきなり強い衝撃を受けて、わたくしの視界は暗転した。
「メルティ!」
「メルティお姉様!!」
お姉様の後を追って教室を出たはいいものの、なぜかその姿が見当たらない。
学院の緊急用の厩舎にいる馬を使ったのではと思って、そちらへいく道すがら声をかけたりしたけれど、誰もその姿を見てなくて。
お姉様からのお返事も、当然なかった。
今わたくし達は厩舎からの帰りの渡り廊下で、困って立ち止まっている。
「……どこへ消えたんだ」
慌てて出てきたグルマト殿下も、困惑の色を隠せないよう。
「殿下はお姉様のどこがお好きなの?」
「は?」
こんな時なのについ、一番気になったことが口をついて出た。
殿下は、口をあんぐりと開けて驚いている。
けれど次の瞬間にはもう隙のない、いつもの柔らかでどこか妖艶な微笑みを顔に貼り付けていた。
「そんなことを聞いてどうする気かな? 小さなレディ」
「どうもしませんわ。わたくし個人の単なる好奇心ですもの」
そう、憧れているけれどまだ恋を知らないわたくしは、ただ知りたかった。
この数日で目撃した、意味ありげな殿下からお姉さまへの視線のその理由を。
じっとその姿を見ると、殿下もわたくしを見返して、そして少し息を吐いてから渡り廊下の腰壁へと体を預けた。目が、宙を舞う落ち葉へといっている。
「最初は本能でした。ただ欲しい、と……。けれどあんなにもただ一人をと願う姿を見ると、ちょっと、うらやましくなってしまったのかもしれませんね」
内緒ですよ、とやはり妖艶な微笑みのままわたくしに告げるその瞳は、何だか、寂しい、と訴えかけてくるかのようで。
「……おそばにいてくれる方は、意外といるものですわ」
「ありがとう、王女殿下」
つい、きっと何の慰めにもならないだろう言葉をかけてしまう。
そうして、問いに答えながらもただひたすらに微笑むその姿に、やはり何の気休めにもならなかったわ、と思ったのだった。
メルティ!
メルティ!
どこかで、わたくしを呼ぶ声がする。
そばにいたいのに、ちっともいさせてはくれない、わたくしの愛しい人の声。
「……メルティ! おいしっかりしろ!」
夢じゃない。
わたくしは思わず飛び起きた。
ごちっ
「……っ!」
「……ぃっ!」
頭を抱えようとして、自分の手が後ろで縛られていることに気づいた。
足には鎖がついている。
驚いてあたりを見渡せば、ひんやりとした石積みの壁は天井まで伸びていて窓がない。
ぐるりと囲まれた中で一つだけ、鉄の格子状のドアがついた壁となっていた。
そして――
「メルティ、目が覚めたか?!」
目の前にクリスがいた。
彼もどうやら自身の前側で腕を縛られているらしく、飛び起きた私に膝立ちのままにじり寄って無事を確認しようとしてきていた。
足にはやはり鎖がついて逃げ出せないようになっている。
会えた。
嬉しい。
どうして。
なんで。
無事だった。
ここはどこ。
顔がよく見たい。
だけど。
ゴッチーン
「……っだっ、ちょ、メルティ?!」
わたくしの渾身の力で放った頭突きがクリスに命中した。
不意をついたのか彼はもんどりうって倒れる。
けれどこちらの様子を見ようと思ったのか、すぐに体を起こしてこちらへ体を寄せてきた。
そんな様子にも堪えきれなくなって声が出た。
「……っどうして」
「ん?」
「どうして何も言ってくれなかったの?!」
「えっ」
「わたくし確かに力になってねって言いましたわ、でも、それはっ……一人で、無理してねって意味じゃないの……っ」
「……メルティ」
悔しくて、情けなくて、目から一筋涙が頬を伝ったのがわかった。
座ったまま、みっともなく泣いている。
本当は、ちゃんと無事を喜びたいのに――
泣きじゃくっていると気配が近づいて、瞼に一つ、二つ、キスが降ってきた。
「ごめんメルティ」
「ちがっ……謝らせ、た……っじゃっ」
言いながら訳がわからなくなっているわたくしを、縛られた両腕ですっぽりと覆ってくれる。
その優しさにまた涙がとめどなく溢れてしまう。
わかってもらえただろうか、ううん、まだきっと言葉が足りない。
けれど嗚咽に声が塞がれてしまって……。
後ろ手に縛られたわたくしの両手に、クリスの手があてられた。
泣きながら、近くにある彼の瞳を見上げる。
その目は何だか今にも泣きそうで。
泣かせたくない。
強くそう思うのと同時に泣き声が唇で止められた。
角度を変えて。
混ざり合うように。
どのくらいそうしていただろう。
そろそろ息も絶え絶え、というくらいになってふっと唇の距離が空いて、おでこにコツン、と彼のおでこがやってきた。
「ごめん」
「だから!」
「いや、やっぱりまずは謝らせてくれ」
深いその声音に、わたくしは言葉を飲み込んだ。
間近で見るクリスの瞳は吸い込まれそうに煌めいている。
「心配、してくれたんだよな?」
「そう、よ」
わたくしは一生懸命唇を引き結ぶ。
他の女の子に、なんて考えてもいなかった。
クリスならちゃんと最後を告げてくれる。
……ううん、最後なんてないんだって思わせてくれている。
ならばあの子は王族の仕事として必要なこと、だ。
「言えない、ことだったの?」
「あっ……ゔ」
しまった、という顔をする彼の唇を今度は自分から奪った。
見開かれた瞳が見える。
すぐに離れたけど、彼は固まったままのようだった。
構わずわたくしは話しだした。
「わたくしは心配する権利も勿論あるけれど、ゆったり構えて堂々と帰りを待つ権利もあるのよ?」
違う? そう聞くとますます目を丸くして、それからクリスは破顔した。
「違いない」と。




